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第五章
105 好き
しおりを挟む炎天の下、セオフィロス邸の庭園には、元気いっぱいに庭を走り回る王女様と、そんな彼女を温かな目で見守る美人な侍女がいる。
ここ最近の間に、友人達に怒涛の告白ラッシュを受けて狼狽えていたが、仲睦まじい二人の姿を遠巻きに見つめる俺は、ほっこりとした気持ちになっていた――。
皆と食卓を囲んだ後、俺は広い庭を歩き回る。
(暫くは外出出来ない二人の為に、庭の花を愛でて楽しめるように、もっと凝ったものにしよう)
有難いことに我が家の庭は広すぎるし、父様はお金持ちなので、王宮の庭園に負けないレベルのものを作り上げることも可能だろう。
どの場所に花を植えようかと考えていると、馬の短い嘶きが聞こえた。
視線を向ければ、漆黒の毛が美しい愛馬に乗って現れた、皆の憧れの英雄――。
(っ、エ、エリオット様……)
我が家にいるはずがない人物の登場にパニックになった俺は、過呼吸気味になって後退った。
端正な顔にはいつも俺に見せてくる笑みはなく、馬から華麗に降りて、無表情のまま歩みを進める。
会いたいと思っていたのに、心の準備が出来ていなかった俺は、気付けばその場から逃げ出していた――。
広い庭を全力疾走し、子供の頃にエリオット様と木登りをした思い出の大木の影に身を潜めた。
口許に手を当てて、息を押し殺す。
今まで生きてきた中で、一番心拍数が跳ね上がっている自信がある。
強く目を瞑って漆黒の騎士から逃げる俺は、太い木に背を預けて一体化していた、が……。
「――イヴ」
頭上から聞こえた美声に、俺の体は勝手にぶるりと震えていた。
目を合わせることが出来ずに俯いていれば、手を取られる。
エリオット様から逃げることなど不可能だ。
観念して瞼を持ち上げれば、漆黒色の瞳に射抜かれた。
「っ…………ご、ごめんなさいっ」
鋭い視線を浴びた俺の口は、素直に謝罪の言葉を吐いていた。
「イヴにとって、私はどうでもいい存在なのか?」
普段より低い声に、エリオット様が怒っていることが伝わってくる。
ぶんぶんと、勢いよく首を横に振る俺は、間違いなく幻滅されたと確信していた。
「どんな理由があるにせよ、話してくれなかったことが悲しかった」
「……ごめんなさい」
「だが、私も極秘の任務だからと、エヴァのことをイヴに秘密にしていたのだから、おあいこだな」
「…………えっ」
どうしようもない子を見るような目をしたエリオット様が、呆れたように笑った。
おあいこになるレベルの問題ではないのに、まるで許してくれたかのように語る美丈夫に、俺は愕然とする。
「これからは、イヴとなんでも話せるような関係になりたい。イヴは?」
「っ、お、俺も……同じ気持ち、です」
「そうか」
笑みを浮かべたエリオット様に抱きしめられて、甘く爽やかな香りに包まれる。
おずおずと腕を伸ばす俺は、大好きな人にしがみついていた。
また抱きしめてくれるだなんて思ってもみなかった俺は、嬉しくて目頭が熱くなる。
エリオット様への気持ちが溢れ出て、自分の感情を抑えることが出来ない。
――好き。
癒しの聖女様として力をつけたいと願っているのに、気付けば俺は、言ってはいけない言葉を口にしていた。
俺の小さな声が届いてしまったのか、急に肩を押されて体が離れる。
「っ、すまない。今、なんて?」
「えっ……な、なんでもありません」
「イヴ、頼む。もう一度言ってくれ」
切実な声色に、どうしていいかわからなくなる。
顔を覗き込まれて、「もう一度」と囁かれた。
なぜか泣きそうになって、肩を上下させて息をする俺は、ずっと傍に居たいと願うお方を見つめた。
「好きっ、エリー……」
吐息のような声だったが、切れ長の目が見開く。
そして性急に口を塞がれる。
貪るように口付けられて、されるがままになる俺の口の端からは、混じり合う唾液がこぼれ落ちる。
「んっ……は、ぁ……っ、」
エリオット様を好きだと認識してからの口付けは、普段よりも嬉しい気持ちと恥ずかしい気持ちが湧き上がって、腰が砕けそうになった。
そんな俺の体を支えたエリオット様は、俺の背を木に押し付けて、更に激しく舌を絡ませる。
「ぇ、エリ――……んんっ」
足の間に膝を滑り込ませて体を密着させる美丈夫は、羞恥で俺を殺す気らしい。
息も絶え絶えになる俺に気付いたエリオット様が、ようやく唇を離してくれる。
体が火照る俺がエリオット様を見つめる瞳は、誰の目から見ても熱っぽくなっていると思う。
しかし驚くことに、漆黒色の瞳もまた、俺と同じように熱を孕んでいるように見えた。
「覚えてるか? イヴが、私の心を守ると話してくれた時のことを……」
優しく問いかけるエリオット様の指先が、俺の口の端を拭ってくれた。
確か、もしも父様が犯罪者になって、エリオット様が捕まえなければならなくなったらどうするかと聞かれて、そう話した記憶がある。
普通に会話をしていたのだが、なぜかその時のエリオット様が辛そうに見えて、俺はまだ子供だったが、励ましたくて大口を叩いていた。
(本心だったし、今もその気持ちは変わらない)
でも、なぜ今そんな昔の話をするのだろうと、不思議に思いながらも頷けば、エリオット様は愛おしげに微笑んだ。
「あの瞬間から、私はイヴのことが好きだ」
何を言われたのか、さっぱり理解出来ない。
放心状態になる俺に、エリオット様がくつくつと喉を鳴らす。
「イヴが私と同じ気持ちになってくれるまで、ずっと待っていた。随分と長かったが……。それでも想いが通じ合って嬉しい」
そう言って美しい顔が寄せられて、触れるだけの優しい口付けを送られた。
「――愛してる」
とっても甘い声で囁かれる。
エリオット様も俺のことを好きだった、と理解した瞬間――。
俺は顔から火が吹き出そうになった。
「ククッ、私が慰め合いの相手にイヴを選んだ時点で、普通気付くだろう。私が誰とでも肌を重ねるような男だと思っていたのか?」
衝撃的な事実に言葉が出てこない俺は、とにかく激しく首を横に振った。
言われてみれば、真面目なエリオット様がいくら他の人達から好意を寄せられたとしても、誰とでも肌を重ねたりするような人ではない。
でも、普通の男なら抜きたくなる時はあるだろうし、一番身近で口が固い相手を選んだのだとばかり思っていた。
俺がぼそぼそと思っていたことを告げれば、エリオット様は「なるほどな」と、納得したように呟いた。
「イヴには言葉で伝えないと駄目なようだな?」
「うっ…………」
「本当なら、魔物を駆逐して平和が訪れた時に告げようと思っていた。私はイヴのことになると、仕事も放り出してしまいそうになるからな? 実際、今日もゴッドに任せて、抜け出して来てしまったが……」
心から申し訳ないと思っているのに、嬉しくて口許が緩んでしまう。
そんな俺の頭をわしゃわしゃと撫でたエリオット様は、俺の耳に顔を寄せた。
「言葉だけでなく、態度でも示したい。私がどれだけイヴを愛しているのかを――」
「っ…………」
「ここにも盗み聞きしている奴がいるから、私の邸に行こうか」
「えっ?」
「今日は兄の方か」
くつくつと笑うエリオット様が、辺りを見渡していた俺を抱き上げる。
結局、誰が話を聞いていたのかはわからなかったが、他にも話したいことがあると告げられて、エリオット様の愛馬に乗って、共に邸を出た。
背後から俺を抱きしめる頼もしい腕の感触に、胸が高鳴る。
邸に向かう途中、離さないとばかりに強く抱きしめたり、わざと耳を喰んだりと、ひたすらちょっかいをかけるエリオット様に、俺はたじたじである。
「イヴ」
「っ、落ちるっ……」
「ククッ、支えているから大丈夫だ」
「そ、そういう問題じゃなくてっ」
エリオット様の声を聞くだけでぞくぞくとしてしまっている俺は、この後どうなってしまうのだろうと、いろんな意味で不安になっていた。
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