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第四章

91 本物の救世主 タチアナ

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 イヴ・セオフィロスが癒しの聖女様の可能性が高いと判断したのは、第四の負傷者達が、早朝に手の甲に口付けを送る天使様の話をしているのを聞いたからだ。
 
 心が穏やかになる、と皆が口を揃えて話す。


 …………癒しの力だ。


 でも、なぜ秘密にしているのだろう?

 紋章を授かれば、民達に崇められ、死ぬまで贅沢をして過ごせるというのに。

 不可解なことだが、彼が隠したいのならと、私が口付けていると話す騎士達には、曖昧に笑うだけにしておいた。

 その事をいつ本人に話そうかと機会を伺っていたのだが、朝の散歩には一人尾行がついているし、昼間はライム色の髪の小動物に威嚇され、夜は副団長に牽制されている。

 どうしたものかと思っていると、いつもの朝の見回りにイヴ様が顔を出さなかった。

(もしかしたら、噂のせいで私の顔を見たくないのかもしれない……)

 いてもたってもいられなくなった私は、イヴ様のテントの前をうろうろしていた。

「っ、びっくりした」
「ふふ、イヴ様を驚かせようと気配を消していました」
「……心臓に悪いです、その道のプロですか」
「お褒めいただきありがとうございます」

 くすりと笑えば、イヴ様はいつもの穏やかなで愛らしい微笑みを向けてくれる。

 イヴ様にとって私は恋敵であり、功績を盗んだ相手だというのに、笑顔を向けてくれるのだから、力を使わなくても癒される。

 正直なところ、ギルバート殿下には内緒で、イヴ様に本当のことを話して、ついてきてもらえないかとお願いしたいところである。

 でもそんなことをすれば、残酷非道な王子様の手によって、確実に私の首が飛ぶ。

 私が死ぬことは構わないが、クラリッサ様を泣かせてしまうことが目に見えている。

 このまま演技をしなければならないと、自らの避けられない運命を呪った――。



 朝の散歩と称して、和やかな時間を過ごしていた私は、ピタリと足を止める。

「申し訳ありません。イヴ様が、早朝に怪我人達の見回りをしているのに、いつのまにか私がしたことになっていて……。最初はなんのことだかわからずに話を合わせていたのですが、気付いた時には遅くて。それでも皆には違うと言ったのですが、照れ隠しをしていると信じてもらえなくて……」
 
 目を丸くしたイヴ様は、ぶんぶんと手を振った。

「そんな! エヴァさんが悪いわけじゃないです。それに、俺よりエヴァさんが見回りをしてくれている方が、みんなも喜ぶと思います」
「でも……私は、嫌な気分になりました。私がそんな気持ちになるということは、イヴ様はもっと嫌な気持ちになっていると思って……。だから今日、私に会いたくないのかと……」

 心から謝罪すると、イヴ様が私の元に歩み寄る。

「俺は全く気にしていませんので。エヴァさんが悲しい気持ちになると、俺も悲しくなります。エヴァさんは笑っている方が似合ってます。だから、俺のためにもそんな顔しないで?」
 
 優しい言葉が降ってきて、風に靡く私の髪をそっと耳にかけてくれたイヴ様が、愛らしく微笑んだ。

 演技も忘れて、彼に見惚れてしまう。

 ……本当のことを言ってしまいたい。

 助けて欲しいと縋れば、イヴ様ならきっと手を差し伸べてくれる気がする。

 優しい色をした黄金色の瞳を吸い込まれるように見つめていると、イヴ様がこてりと首を傾げる。

 言おう言おうと口をはくはくとさせている私を、黙って待ってくれている。

 本物の救世主に手を伸ばした時──

「エヴァ」
「……エリオット様、おはようございます」

 イヴ様の後ろから歩み寄るエリオット・ロズウェルに阻止されてしまった。

 ギルバート殿下でなくて良かったが、全く気配を感じられずに、背筋が凍った。

「イヴ、何を話していたんだ?」
「アレン君との勉強についてです。どのくらい進んでいるのか気になって、話を聞いていました」
 
 淡々と答えたイヴ様は、早朝に出会した私を散歩に誘って、引き止めてしまったと謝罪までした。

「では、俺はこれで」
「…………イヴ様」

 縋るように名を呼んでしまったが、団長に背を向けたイヴ様は、『またあとで』と音もなく口を動かした。

 嬉しくなって笑顔で頷くと、イヴ様が微笑み返してくれ、颯爽と去っていった。

 その背をずっと見ていると、漆黒の騎士が立ち塞がる。

 皆は私と団長が恋仲だと噂しているが、そうではない。

 団長はきっと、私を見張っているのだ――。

「イヴのことが気になるのか?」
「……そうですね、とても優しいお方ですから」
「見る目はあるが。イヴは、私の命より大切な存在だ。イヴに惚れるなよ」

 わかりましたとは答えられずに、にこりと笑う。

 ……間者として失格だ。





 また後でと言ってもらえたのに、見張りが多すぎてイヴ様に近付けない。

 この地に来てから一ヶ月以上は経っているし、クラリッサ様も待っている。

 焦る私は、その日の夜に、こっそりとイヴ様のテントに向かうことにした。

 すると、腕組みをした長い金髪の美青年が、木に凭れて立っていた。

 まるで見張りをしていたかのようだ。

「こんな夜中にどこに行くんだ?」
「……寝付けなくて、散歩に」
「ハッ。最近の天使様は嘘を吐くんだな?」

 レイド・クライン公爵子息が、嫌味ったらしく告げる。

 彼はギルバート殿下に纏わりついていた為、私の動きも観察していたのかもしれない。

「兄上が、御者と救護班の人間を捕まえたそうだ。良かったな、馬車が帰ってくるぞ?」
 
 ごくりと唾を飲む。

 御者役が口を割るとは思えないが、背に冷や汗が流れた。

「おい、どうした? 嬉しくないのか?」
「嬉しいですけど、まだこの地でやりたいことが……」
「ハイハイ、嘘はもういいから。団長を誑かしてまで、イヴになんの用だ」
「誑かしてなどいません」
「まあ、その話はいいとして。なぜイヴに接近しているんだ?」
「なんのことだかさっぱり」

 首を傾げれば、急に胸ぐらを掴まれた。

「全部わかってるんだよ」
「何をです?」
「お前のバックには、ギルバートがついていることもな?」
 
 確信めいたことは言わない為、まだ計画がバレてはいないのだと安堵した。

 だが、さすがにこの男に勝てる自信はない。

「レイド!」
 
 掴まれていた手が外れ、一瞬で爽やかな香りに包まれる。

「エヴァさん、大丈夫ですか?」
「っ…………イヴ様っ!」

 このタイミングで来てくれるなんて、神は私を見放してはいなかった。

 イヴ様が助けに来てくれたことが嬉しくて、思わず胸元に顔を埋めた。

 歓喜に震える私の体を強く抱きしめてくれたイヴ様は、私からのレイド・クラインが見えないように庇ってくれていた。

(物語に登場する、王子様みたい……)

「家まで送ります」
「はいっ」

 私の肩を抱くイヴ様は、レイド・クラインに「そこで待ってろ」と、強い口調で話した。

 何も聞かずに黙って寄り添ってくれるイヴ様を見上げると、安心してとばかりの優しい笑みを向けてくれる。

(優しすぎて、イヴ様を騙すことなんて無理だ)

 あとでどんな酷い目に遭っても構わない。

 覚悟を決めた私は、家まで送り届けてくれたイヴ様の手を握った。

「お話ししたいことがあります」
「俺もですけど、さすがにこの時間に女性と二人きりになるのは……」

 少し戸惑うイヴ様が可愛らしい。

「取って食うようなことはしませんよ?」
「っ…………わかりました」

 照れた様子のイヴ様の手を引いた私は、家の中に連れ込んでいた。


















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