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◆三年生◆
★19★ 約束と手段は相容れない。
しおりを挟むヴォルフ達が使用している四軒目の中継小屋近くにある雑貨店で、すっかり顔見知りになった老婦人からルシアの手紙を受け取り、ヴォルフから頼まれた買い物を済ませる。
量が少ないのはこちらの脚を気遣ってなのだろうが、毎度まるで子供の買い物のようなので、戻ったらもう少し重い物を頼まれても大丈夫だと言った方が良さそうだな……。
ルシアからの手紙は会計を済ませて小屋に戻るまで我慢出来ず、店を出て早々に封を切った。今回は届いて日も浅かったせいか、まだ新しいインクが香り、思わずその香りに口許が綻ぶ。雪で滑る足許をステッキを支えに、封筒から便せんを取り出して広げた。
便せんには学園生活の近況報告が少しと、ラシード達と遊びに出かけた内容が大量に綴られており、中でも特におかしかったのは、ラシードの狂った味覚がベルジアン嬢の作ったマフィンを食べるうえで奇跡を見せたのだという記載か。
要するにベルジアン嬢の料理の腕前が、一般人の味覚では受け入れ難いものなのだろうが……ルシアが楽しそうなので問題がないとしておこう。
――――あの星女神とスティルマン家の間にあった、何百年にも及ぶ禍根を断った夜から、もう早いもので三月が経った。
すでに死亡した人間が王都内にいることが知られれば問題がある。しかしそれでも学園が始まるギリギリまでルシアと一緒にいたかったこともあり、二日間をラシードの部屋に泊まらせてもらっていつもの四人で別れの酒を飲んだ。
ルシアは二日とも連日の緊張から早々に潰れて眠ってしまったが、ラシードとベルジアン嬢からは散々この後の予定や身の振り方を訊ねられ、当面は世話になった使用人達を訪ねて詫びて回るつもりだと言ったら『ま・さ・か・此処まで来てそれだけじゃないでしょう?』と詰め寄られ……。
来春のルシアの卒業までは黙っていようと思っていた、彼女の家へ婿養子に入る話までさせられてしまった。その結果、それを聞いた二人に代わる代わるゴブレットにワインを注がれ、危うく翌日に立てなくなるまで飲まされるところだった。
ご機嫌になったベルジアン嬢がいつぞやのように暴れ出さない内に、王城の女子寮に送り届けに出たラシードの帰りを待つ間、ソファに横になったルシアをベッドに運んでやることも出来ない自分が、とても不甲斐なくて。
幸せそうに丸まって眠るルシアを眺めながら、そんな俺を選んでくれた彼女を幸せにすることに残りの人生の全てを費やそうと心に誓った。
その後戻って来たラシードはルシアにベッドを貸してくれ『もう少し差しで飲みましょうよ』と笑い、俺もその誘いに頷いた。
そうして二人で語る間に、僅かながらルシアとラシードの中に眠る前世の記憶を教えてくれたのだが……少し聞いただけでは理解が全く及ばない世界の話で。酔いが回り始めた頭では上手く考えを纏めることが出来なかった。
しかしその会話の中で、ラシードがぽつりと『もしも前世でこの子を見つけていたら、きっとアタシもこの子もここにはいなかったわねぇ』と不意に零した言葉だけが、やけに鮮明に記憶に残る。
そういう可能性もあったのだろうし、その方がルシアにとっても良かったのではないか。そう一瞬思ったのだが、ラシードは少し意地の悪い笑みを浮かべてこちらを一瞥してから『でも、それじゃあきっとお互い幸せではなかったわ。ただの傷の舐め合いになるか、もしかすると出会っても早々に喧嘩別れしたもの』と続けながらゴブレットに注がれたワインをあおった。
思わず“そんなことはない”と言いかけたものの、すぐにそれを決めるのは俺ではないのだと思い直して口を噤んだ。ラシードは満足そうに頷くと、さらに話を続けた。今にして思えば酒が饒舌にさせていただけではなく、彼なりの前世との訣別の仕方だったのだろう。
しかしラシードの口から語られるのは前世の世界と彼の話が多く、ルシアのことはほとんど聞けなかった。一応探りは入れたのだが、ラシードは少し寂しげに微笑んで『アタシもあの子も、そういう踏み込んだ話はしてないの。思い出すと、今でも心が壊れそうになるから』と。
その言葉にあの普段は暢気なルシアが時折見せた、不安と寂しさをない交ぜにした眼差しを思い出して、心がスッと冷えた。
もしもこちらにルシアにあの表情をさせる人間が生まれ変わっていたとしたら、喩え地の果てに逃げようとも見つけ出して報いを受けさせてやれたのに――。そんな剣呑なことを考えながらワインを口にしていた俺に向かって、ラシードは『アンタがそれを忘れさせるくらい幸せにすれば良いのよ』と笑った。
そうして翌朝の早朝、事前に手紙で連絡しておいたヴォルフに合流し、ルシア達に見送られて王都を出立したのだが――……実はその前にルシアと約束していたことを既に破っていると知ったら、彼女は怒るだろうか?
そんなことを考えながら、手にしたルシアからの手紙に加え、もう一枚ある封筒の封もここで切ろうかと少し悩み、止めておく。中に書かれていることの予想がつくからではなく、次の指令を落ち着いて読む為だ。
◆◆◆
『あのね……春になったら婿養子に来て欲しいとは言ったけど、両親への報告は直前までしないでおきたいんだよね』
それは確かに星詠みを学びたいと言い出した手前、渋々王都へ送り出した愛娘が、脚に若干不安のある見知らぬ男を連れ帰って来て、いきなり結婚したいと言い出したら驚くだろう。
流石にそれくらいの一般常識はあったので素直に頷いた俺に、ルシアは『何か私の思ってる理由と違うこと考えてそう』と言いながら眉根を寄せる彼女に、直前まで考えていた内容を教えると『やっぱり全然違うこと考えてた』と苦笑された。
そのことに首を傾げたところ『母様は嬉々として翌日にでも結婚式の準備をしてくれそうなんだけど、父様がねぇ……』と、やや困ったように浮かべられたその笑みが、両親にルシアが愛されている証拠だろう。
『だからヴォルフさんの仕事の都合で、どうしても一緒に行動出来ない時の為に一応うちの領地までの地図は渡しておくけど、結婚したいって言う報告は私と一緒にしに行こう。それまではギリギリまでヴォルフさん達の小屋で待ってて』
そう言って、自分の刺繍をラシードの勤務する雑貨店に卸して得た微々たる給金を、当面の俺の生活費の足しになるようにと手渡そうとしてくるものだから、それを金策のあてならあると断って押し返す。
不満げなその顔に対等な関係でいたいのだと伝えれば、はにかみながら『そういうところ、大好きだ』と不意打ち気味に伝えてくる無防備なルシアに、胸が苦しくなる。
馬鹿がつくほどのお人好しで、俺のような面倒なしがらみを持つ男にも優しい番星。今更彼女を失えば――……今度こそ人間らしくはいられない。春の卒業を待つ間に、ルシアの両親がどこかで縁談を纏めて来ないとも限らないのだ。いくらルシアの頼みとはいえ、そんな暢気なことを約束出来るものか。
だが、安心させる為の嘘が必要であることもこの二年と少しで学んだ。
その証拠に“勿論だ”と答えた俺を見つめるルシアの表情が、穏やかに綻ぶ姿を見て、俺はその認識をより強めた。
『――ねえクラウス、私がいない間に寂しくたって泣かないでね』
馬鹿なことをと笑ったものの、ふと気になってルシアに訊けば『私? 私は泣くよ。クラウスがいないと息も出来ない』とすでに潤んだ瞳でそう言うものだから。
離れている間にその呼吸が止まらないようにどちらともなく、深く、長く、唇を重ねた。
◆◆◆
――その時の感触を思い出して、思わず唇をきつく噛み締める。ルシアが学園で勉学に励んでいるのに、番星の自分が浮ついた気分でいることは裏切り行為に相違ない。
頭を冷やす為に、今夜頼まれている分の仕事内容を思い出しながらヴォルフ達の待つ小屋に戻れば、小屋の前で出かけた時と同じように犬ゾリの点検をするヴォルフの背中が見えた。
するとヴォルフの隣に伏せた状態で待機していたビアンカが、俺の帰宅に気付いて一度尻尾をゆらりと揺らし、その反応に気付いたヴォルフがこちらを振り返る。他の犬達といえば、自分達の主人とリーダーが緊張しない限り戦闘体制に入ることはない分、人間よりも友好的だ。
何より三月行動を共にする間に俺はこの犬ゾリ便の犬達の中で、一番弱い仲間だと認識されている節がある。
「おお、クラウス。雪道だったのに思ったよりも早かったな。どうだ、お待ちかねだった嬢ちゃんからの手紙は届いてたのか?」
ニヤニヤとこちらの顔を見ながらそう声をかけてくるヴォルフに向かい、ルシアからの手紙をヒラヒラとさせれば「お熱いねー」と、からかいを含んだ台詞が返ってくる。
その鼻先に頼まれていた商品の入った買い物袋をつきつけて「今夜は何日先の星詠みをすれば良いんだ?」と訊ねると、ヴォルフは袋を受け取りながら「ん、ああ、先方さんは四日先と、二週間先の天気が知りたいんだとさ。それと追加で半月後の分だ。出来るか?」と笑う。
元より学園での授業より簡単な仕事なので「当然だ」と答えれば「頼もしいぜ」と返される。ヴォルフについて王都を出てから、王都の外はルシアが言ったように全くと言って良いほど星詠みの恩恵を知らないのだと気付かされた。あの奇跡は存在を知られてはいるものの、未だ王都のほんの周辺にしか普及していないようだ。
あれだけ毎日学んで来たことがあまり役立てられていない現実は、しかし今の俺にはとても都合の良いことでもあった。この国で……いや、下手をすればもう少し広い範囲でも。天気の予報は“売り物”になる。
ルシアに言った金策のあてとはこのことだったが、まだどの程度必要とされているのか分からなかったので、ヴォルフの知り合いに声をかけてもらうことから始まったこの試みは今のところ好調だ。
顧客には特に商人やヴォルフ達のような運び屋が多く、まだ商売の幅が広がりそうなところも良いが、何より特殊技能である為に競う商売敵もいないのが良い。あまり目立つ仕事をしなければ、これは脚の悪い俺にとって【星詠師】や【悪徳領主】などよりかなり良い仕事になる。
「そのもう一通の手紙は嬢ちゃんの実家からか?」
目敏くもう一通の封筒の宛名に視線を走らせたヴォルフが、そう訊ねてくるので頷くと「あと幾らで嬢ちゃんを嫁にくれるってんだ?」とほんの少し面白がる響きを含んだ声でさらに訊ねてくる。
こちらとしてはルシアの父親との勝負を面白がられるのはやや癪だが、仕事の斡旋を頼んでいる身だ。視線で急かしてくるヴォルフの前で封を開け、便せんに目を通すが――……そこに書かれた短い一文に思わず頬が緩んだ。
“ わたしの負けだ!! ”
筆圧にペン先が潰れて酷く滲んだ文字がそこにあり、これでルシアの父親が“娘に買い与えたかった物リスト”に記していたアイテムが、全部購入出来る資金が貯まったことになる。
実は王都を出た直後、真っ先に向かったのはルシアの領地だ。ルシアとの約束を破ったことへの罰は後で受ければ良い。俺にとってとにかく重要なのは、彼女の卒業後の身柄を押さえることだった。
そこで先に単身挨拶に向かい、自分の素性とルシアとの関係を全て話して、ルシアが卒業するまでにあちらの両親が提示する条件を全てクリアすることを条件に、俺との結婚を賭けたのだ。
向こう見ずな俺の提案を、母親の方はルシアが言うように快諾し、父親の方は反対したが、母親に『どうせ出来っこないわ。それにルシアのおねだりなんて、あの天体望遠水晶以来初めてじゃない』と口添えされて渋々折れてくれた。
その賭の内容をヴォルフに話して協力を仰いだ時は、流石にこの飄々とした男にすら呆れられたものだが、それでも面白そうだと話に乗ってくれたことに今でも感謝している。
悔しさを文字通り“滲ませた”便せんを手渡せば、受け取ったヴォルフは「やったじゃねぇかよ」とニヤリと笑った。
「……遅れを取った分は、取り戻さないと気が済まん」
これが三月前の夜空の下でルシアからされた、あの求婚に勝る言葉を思いつかない俺から彼女への、せめてもの意趣返しになれば良い。
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