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◆三年生◆

◆幕間◆いよいよ焼きが回ったかしら。

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 薄暗い店内にバニラを思わせる質の良いパイプの香りが漂う。学園にいた頃からちょくちょく歳のサバを読んで贔屓にしている、行き着けの小さな飲み屋。飲み屋とはいっても、勿論赤提灯がある訳でも突き出しに枝豆が出る訳でもない。

 どちらかといえば、隠れ家的なバーのような静かな店。お酒は女の子が好みそうなカクテルから、ただ仕事の憂さを晴らして酔いたい男向けの火酒まで豊富に取り揃えてあった。寡黙な五十代前半のマスターは、いつもそんな客達の求めるお酒を用意してくれる。

 むしろカウンターとボックス席が二つあるだけの店内には、お客の人数の割にお酒の種類と本数が圧倒的に多い。そのくせ人気のメニューにパフェがあったりするから謎なのよね。でもそのせいでお昼は女性客で賑わっているから、それで元を取っているのかしら?

 高いカウンターの椅子に脚を組んで座ったままそろそろ四十分。約束は六時だけど、いきなり呼び出したこっちのせいだから大人しく待つ。その間にカクテルを二杯ほど飲んでいたら、疲れていたのか少しだけ良い気分になる。この分だと今夜はお酒の回りが早そうだわ。

 その時、ドアベルがロンと鳴って、薄暗い店内にすっきりとしたシルエットが浮かび上がる。シルエットの人物は一瞬だけキョロキョロと店内を見回したけれど、店の一番奥のカウンターに座っていたアタシに気付いて近付いて来た。

「忙しいのに急に呼び出しちゃってゴメンねぇ。このお店の場所、分かりにくかったんじゃない?」

 カウンターからヒラヒラと手を振るアタシに、真面目な表情で近付いて来たカーサは、隣の席に腰を下ろした途端にその表情を年相応の女の子の物に変えた。チューリップ型のペンダントライトの下で見たカーサは、元来の少し精悍な顔つきの中に柔らかさを忍ばせている。

「いや、この店の噂は先輩方に訊いていたからそんなに迷わずにすんだぞ。何でも深夜まで美味しいパフェが食べられる店だとか。是非後で食べてみたい。それに……わざわざラシードが呼び出すくらいだ。あの二人に何か進展があったのだろう?」

 でもそれもすぐに好奇心を抑えきれない子供っぽい物になって苦笑したけれど、アタシは不意にそんなカーサの着ている服に興味をひかれる。

「要件としてはそうなんだけど……この格好って女性騎士の制服なの?」

 沈んだ赤を基調にした動きやすそうな上着と、濃いネイビーブルーの細いパンツスタイルは、カーサの持つ魅力を存分に引き立たせていて、アタシの元いた世界なら歌劇団の花形になれそうだわ。

「ん? ああ、そうだ。まだ研修生扱いだから略式だがな。城下の見回りを終えて寮に寄らずにそのまま出たから……やっぱり外で待ち合わせるなら、着替えて来た方が良かっただろうか?」

 褒めたつもりがおかしな方向に勘違いして慌てるカーサを見ていると、店にお客として来てくれる女の子達の押しの強さに疲れていた心が和むわ。あの子達も一人一人は良い子なんだけど、ルシアみたいにあしらえない分、数人一緒に来店されるとどうしてもノリに疲れるのよねぇ……。

「あら、そうじゃないわ。出来る女って感じがして素敵ねって意味よ。同僚の男達にも声をかけられるんじゃない?」

 椅子の上で背を丸めてしまったカーサの顔を、カウンターに肘をついて覗き込む。するとカーサは眉を下げて「またそうやって、お前はすぐにワタシをからかう」と、形の良い唇を尖らせた。

 アタシは密かにこの表情を見せれば、大抵の男は落とせると踏んでいるのだけれど……今の答えだとこの顔をカーサにさせられるような男が出てくるまでは、まだまだ先が長そうね。

「からかってなんてないわよ? アンタは元から綺麗だもの。それが下らない元婚約者のせいで長年封じられてたなんて、勿体ないわ。本当アンタの周囲には見る目がない野郎ばっかりなんだから」

「ラ、ラシードはもうだいぶ酔っているのか? ワタシが綺麗だなんて、そんな、そんなこと言ってくれる変わり者は……」

 照れて体温が上がったのか、パタパタと顔を扇ぐ仕草をするカーサのうなじから、誕生日に贈った柑橘系の香水が香る。爽やかで汚れのない健康的な美しさ。ルシア達と出会ってからだいぶお行儀が良くなったとはいえ、アタシのお綺麗でない生き方とは正反対ね。

 からかいすぎたせいか、うっすら潤んできた山吹色の切れ長な目をもうちょっと眺めていたかったけれど。

「さてと、それじゃあそろそろ本題に入りましょうか。カーサはお酒は飲めるわよね?」

 一瞬胸に過ぎった仄暗い感情を無視して、まだ顔を扇いでいるカーサに問えば「その、子供っぽいが……酒は甘いのが好きなのだ」と。またイジメがいのありそうな上目使いでカーサがそう言うから。アタシは上機嫌でうんと甘いカクテルとテキーラを注文した。


***


 ――――カーサと飲み始めてから五時間後。

 お酒が回って暑いのか、カーサは上着を脱いで下と同色のシャツだけになっているし、アタシもシャツの首回りをくつろげている。

 ルシアとスティルマンのもどかしい現状を説明し、助言の内容をどう解釈するだろうかと二人で勝手な推測をしあったり、スティルマンが折れるのが早いか、ルシアが折れるのが早いかを賭けたり。

 お店にやってくるお客の話をしたり、カーサの同僚である女性騎士団員の話を聞いたりと、アタシ達は時間の流れが止まったように話し続けた。彼女は意外とお酒に強いのか、いつもより饒舌になったカーサ相手にアタシも気を良くして二人でどんどん度数の高いお酒を注文したわ。

 途中で他にいたお客が皆そこそこで切り上げて帰って行ったのを良いことに、すでに当初のルシア達の話とは全く別の話題になっていたけれど、さらに話が盛り上がりを見せ始めた時、店のドアベルが鳴って新しいお客の来店を告げた。

 アタシが「あら、新しいお客が来たみたいだし、ちょっと声を抑えましょうか?」と訊ねた次の瞬間。

「おい、もしかしてそこにいるのベルジアンか? 何だよ、お前も良くこの店に来るのか?」

「しかも生意気に男連れかよ。こんな男みたいな女相手にするとか、やっぱ連れの彼そっちの趣味な人なの?」

「馬鹿止めろよ。ベルジアン家のご令嬢だぞ。告げ口でもされて後で上からお小言を食らうなんてのはゴメンだぜ」

 カウンターに近付いて来たのは三人の男。

 いずれも制服を着ていないものの馴れ馴れしいその口調から、男達が彼女の同僚だろうということは一目瞭然だった。中身は雲泥の差っぽいわね。

 しかし男達の聞くに値しないような嫉妬の言葉に、カーサは言い返そうとしない。俯いてこの時間が通り過ぎるのを待とうとするその姿は、いつものカーサらしくなくて。こんな悪酔いする安酒みたいな下らない奴等に、アタシの友人が良いように言われるのは心底腹が立つ。

 ――――だから、つい。

 この下らない一方的な同僚いびりをする口を閉じさせてやろうと思った。

「アンタ達、見たところどこかのボンボンみたいだけど、酒場で嫉妬心剥き出しにして同僚の女性一人を三人ががりで罵るとか、とんだ馬鹿揃いね? それとも剣の腕じゃあ勝てなさそうだからお口に頼るのかしら? でもそれも相手がアンタ達みたいに汚い言葉を知らないと、余計に人間の小ささを見せつけるみたいでみっともないわねぇ」

 楽しいお酒の席を潰されて珍しくかなり苛立っていたアタシが席を立つと、男達は色めき立って「き、貴様無礼だぞ!」だとか「女みたいな口ききやがって、気色の悪い奴だ」なんて言うんだもの。あまりの語彙の少なさに嗤っちゃうわ。

 するとそれまで黙っていたカーサが急に立ち上がって、アタシと男達の間を分断するように仁王立ちになった。狭い店内でカーサの背中に庇われるような格好のつかない姿のアタシを見て、相手側は「何だよ、やっぱり口だけの玉なしか」とせせら笑う。

 ――けれど。

「ワタシのことをどう言おうが同僚のよしみで聞き流そう。しかし、その暴言がワタシの友人に向けられるとあれば話は別だ。貴様等、表に出ろ」

 そのカーサの押し殺した声に、男達が少し気圧された。野郎が三人もいて情けないとは思うけれど、確かにペンダントライトの明かりに照らし出されるその横顔は、高潔で美しい。

 それにそんな風に怒るのがアタシの為だと思えば、何だか嬉しくて怒りも引っ込んじゃったわ。何よりもその綺麗な表情を向けるのが見る目のない下らない輩達だなんて勿体ない。

「チッ、可愛げのない女だな。いつまでも男相手にそんな態度だと、今に縁談が来なくなるぞ? 一人娘が婿も取れないとは気の毒だな」

 ようやく三人の内の一人が口を開いたかと思えば、とんだ見当違いな発言をするものだから、アタシは咄嗟にカーサの肩を掴んで、その顔を男達に見えないように自分の方へ向ける。

 いきなり振り返らされたカーサの表情は、それまでの凛々しさを置き忘れたように無防備で。何だかおかしくなったアタシは、その唇スレスレの辺り、男達から見れば唇にしたように見える角度で口付けた。

 男達の間に動揺が走ったのを確認してからゆっくりと顔を上げて、思い切り小馬鹿にした表情で言ってやる。

「……アンタ達、馬鹿も休み休み言いなさいな。こんなに綺麗な女の子に言い寄らないなんて、そっちこそ玉ついてんの? アタシはこの子を口説いてるところだったんだから、野暮なことやってないでとっとと失せなさいよ」

 そうしてシッシッと羽虫を追い払うように手を振れば、三人はそれまで喚いていたのが嘘みたいに呆けて、素直に店を出て行こうとドアへ向かう。その背中をそれまで静観していた店のマスターが追いかけて行き、恐らくだけど出禁を言い渡して戻ってきた。

 アタシはマスターに「騒いじゃってごめんなさいね」と詫び、さてこれでこの面倒な場面も終結――……かと思ったのに。不意に口付けた辺りから静かになっていたカーサが「ふざけるなよ」と小さく呟いた。

 てっきりあの男達を欺く為とはいえ、唇スレスレにした口付けのことだと思ったアタシが「さっきのキスは不快だったわよね。ごめんなさい」と謝罪したのだけれど――。

「ワタシが怒っているのはキ、キスのことじゃない! むしろ同僚が無礼なことを言ってすまなかった。だけど、ワタシはお前に怒っているんだ!」

 キスでも同僚でもないというのに怒りの根底はアタシであるらしい。仕方なく「アタシの何に怒ってるの?」と訊ねれば、カーサはガシッとアタシの襟元を掴んで吠えた。

「お前がワタシのような跳ねっ返りをふざけて綺麗だと、何度も言うから……誰と見合いをしても、どんな男にそう言われても、いつもお前の声が頭を過ぎるんだ! お前の綺麗しかいらなくなってしまったんだ! どうしてくれる!!」

「ええ……急にどうしたのよ。マスター、連れが酔って騒いじゃってごめんなさいね。ほら、ちょっと声が大きいわよカーサ? 店の迷惑になるから一旦水でも飲んで落ち着きなさいよ、ね?」

 突然のご乱心に一瞬何事かと目が点になったけれど、もしかして今まで飲んだ分でかなり酔いが回っていたのかしら? かくいうアタシもカーサのことを言えるほど素面しらふではないので、取り敢えず椅子に座るように勧める。――しかし。

「ワタシは酔ってない! ベルジアン家の者は代々酒豪揃いなんだ! だからこの程度の酒で酔ったりしないぞ!」

 カウンターの中からアタシ達のやり取りを観察しているマスターが、ニヤニヤしながら水を出してくれる。それを飲むように勧めて素直に一口含みはしたものの、カーサの勢いは衰えない。

 ヒートアップするカーサの肩をあやすように叩きながら「はいはい、酔っ払いは皆そう言うのよ。あと、こんなところで不用意に家名を叫んだりしないの」と言えば、カーサはピタリと動きを止めた。

 落ち着いたのかと思って顔を覗き込んだアタシに、カーサはどこか拗ねた風に「……また、そうやって子供扱いして煙に巻くつもりなんだな」と唇を尖らせる。その言葉に“そんなことないわよ?”と返そうかと考えたものの、ここはもう吐かせ切った方が良いかと考えて無言で先を促す。

「ワタシが本気で想っていても、お前はいつも子供扱いする。同じ歳なのに、いつも一人だけ違う場所から見下ろして降りてこない。ワタシがどれだけ上を向いてお前に好きだと叫んだって、お前はきっと本気にしないで、他の子に言うように“アタシも好きよ”と言うのだろう?」

 さっきまでとは打って変わって静かに、アタシに縋るような視線を寄越してそう言ったカーサは、次の瞬間糸が切れたようにカウンターに突っ伏して小さな寝息を立て始める。

 普通このタイミングで寝るかしら? 

 返事とかは聞かないで良いの?

 明日には忘れてるのかしら?

 残されたアタシは酔いがすっかり醒めた頭でその寝息を聴きながら、カウンター内で笑いを噛み殺しているマスターに向かってラストオーダーをすることにした。

「……チョコレートパフェ。ビターで」

 おかしなところで寝落ちした罰として、これを食べ終わったらお姫様抱っこで寮まで送ってやるわ。

 それにしてもこんな酔った席での言葉でときめくなんて、アタシも焼きが回ったかしらね?
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