上 下
64 / 105
◆二年生◆

*19* イベント企画は不要でしたか。

しおりを挟む

 六月の半ばからラシード達の怒濤のようなお見合いラッシュに巻き込まれ、日付の感覚があやふやになり始めてからは、夏休み目前のテスト期間が近付いたために勉強と星詠み実習も加算という、それまで以上に多忙になるという恐ろしい日々を送っていた。

 しかも一度目にあったラシードのお見合い以降、とにかく推しメンの様子が美味しい……じゃなかった、おかしい。いきなり距離感がラシード化した上に、やることなすこと乙女ゲームの住人なのだ。主要キャラ入りしたことを機にガンガン攻める方へ転向したのだろうか?

 いや、確かにここはそういう世界観なんだから、当然といえば当然なんだけど、向ける相手が違う。すでに充分効いている私相手にフェロモンを振りまかないでくれ! 鼻血を我慢しようと摘まみすぎた鼻の粘膜がもうヒリヒリしてるんで!

 それに悪乗り便乗したラシードも、お見合いのたびに余計なフェロモン・フェスティバルを開催するし……カーサも庇うように見せかけて○塚みたいな真似をしてからかってくる。思わず新シリーズになって百合ルートもあるのかと勘ぐってしまったくらいだ。

 まぁ、ラシードはいつものことだけど、カーサと推しメンに至っては夏休み前だというのが少なからず影響しているんだろう。二人とも領地に帰るのはあまり気が進まないようだしね。

 ――しかし、だ。この頃はただのモブには上等過ぎるイベントの数々に、正直情報の整理が追い付いていない。この頃はラシード達の分も記憶しなければならないので、これだけスチルを豊富に取り揃えてしまうと、もうパンクしそうだ。

 モブ……それはすなわちNPC。それに人格が宿ったようなものだと考えれば、元より大したリソースを持っているわけではないのだから。

 そんな感じで体力的にも精神的にも負荷がかかりすぎるため、現在深夜の星詠みは中止している。推しメンに至っては、普通に星詠みの時にまであの距離感だから心臓が壊れるわ……。

 とはいえ、テスト期間中の一夜漬けにならないように予習復習を重ねていたら、睡眠時間は深夜の星詠みをしている日よりも短いくらいである。

 そこでふとテストまでの残り日数を確認しようと、寝ぼけ眼をこすって卓上のカレンダーを見た瞬間、私はある恐ろしいミスに気付いてしまった。

「……あ、え? ちょ、これ私が書いたんだよね?」

 深夜の混乱した頭で思わずそう突っ込むくらいに動揺はしたけれど、普通に考えて一人部屋の卓上カレンダーに予定を書き込めるのは、この部屋の主たる私だけだ。目頭を押さえて疲れ目を刺激した後、再度その部分を確認してみたところで現実が変わるはずもなく……。

 気付けばもう本日は“七月二十日”であるということをつい今し方理解し、カレンダーで確認した二日後の“二十二日”には大きく華丸が描かれている。

 そういえば華丸の花弁の枚数が多ければ多いほど良いという、前世の低学年ルールは一体誰が言い出したことなのだろうか?

 何て……あまりのことに一瞬思考が全く関係のない場所にお出かけしそうになっていたが、待て、諦めるな私の脳。公式と歴史と神話がスチルを圧縮しそうになるほど押し合いをしている最中に、さらにニトログリセリンをぶち込むような真似をする自分が恐ろしい。

 ――だが敢えて言おう。

 たった今、私の中での優先順位は書き換えられた。この際テストの二日目までは平均点にギリギリ届けば良いことにする。はい、もう参考書とノートは閉じることに決めます。

 変わりに制服の胸ポケットから生徒手帳を取り出し、時間割と推しメンが移動教室に使うルートを確認する。本来なら移動教室中にハンティングすることは避けたいところだけれど、今はそんなことを言っていられる時ではないのだ!

「お、早速朝の二限目に接点発見! 推しメンは階段を上る時にクラスメイトより四、五段遅れて上るから……狙うならこの時だな」

 一年の時からチマチマと書き込んだ校内マップの中にある、実習棟へと向かう階段の踊場をトンと人差し指で叩く。

 時折移動中の推しメンを遠目から観察していると、ほんの一瞬でも一人になりたいのか、時々わざと数拍クラスメイトより遅れることがあるのだ。

 最初は後遺症のせいかと思って冷や冷やしながら観察していたのだけれど、どうにも違うように思えて。そのうちに自分の判断が正しかったことに気付いた。

 彼はいつも決まって、平坦な廊下の時には五歩ほど、階段で最高七段ほどの差をつけてわざと一人になりたがる。

 あの一瞬推しメンに世界はどう見えているのだろうかと、フッと考えてしまう。わざと遅れて一瞬の余白に収まる自分を、彼はどんな気分で傍観するのだろうか。

 だけど最近、そんな彼を二歩先で待ってくれている人がいる。だから私は上手くやらなきゃいけない。そうでなければ推しメンは、真珠色のエフェクトのまま夏休みに入ってしまう。一度領地に引っ込まれてしまっては、長期休暇の間に手を打つことは出来なくなる。

 それにしても――エフェクトが発生してから結構経っているはずなのに、あまり推しメンがヒロインちゃんと積極的に話しているところを見ない気がするぞ? このゲームの記憶もかなりあやふやになってきたけれど、それでも前作の推しメンはもっと自分からアピールしていたはずなのになぁ。

 何か見落としたイベントがあるのだろうか? 今からでも学園内を探せばその鍵が落ちている? 一応ヒロインちゃんの動向は見守っているけど……この辺でそろそろルート分岐がないとおかしいのに。

 ラシードはヒロインちゃんと顔を合わせないことに協力的だし、エルネスト先生には極力近付けないようにしている。気になるのは最近放置しっぱなしの水色カインだけど、この頃は全然一緒にいるところを見ないから、個人的な希望も込めてヨシュア同様自然消滅ルートに入ったんだろうと思う。

 新シリーズの情報を公式のサイトで見ていなかった前世の自分を呪ったところで、もうどうすることも出来ないけど、正解の読めないルート分岐を手探りで探す気分は非常によろしくない。

 ただ、今もっとも重要なのは後二日に迫った推しメンの“誕生日”なのだ。これは公式サイトにもなかったから(モブだからなぁ)正真正銘こちらで手に入れた情報だ。いわばこれは、この世界に存在している推しメンの生誕を祝える祭り。

「うーん……エフェクトに少しでも色が付かない限りは、友人としてプレゼントを考えるのは後回しだよね」

 今の私は推しメンを操作して正解に導くためのプレイヤー。だとしたら、イベントを発生させて推しメンの星を染め上げるのが私の役目。

「明日の一限目は終業と同時にダッシュ。Aクラスからここの階段まではうちの教室より近いから、エルネスト先生に教わった道をショートカットするでしょ、それでこの物陰で待って――……と」

 テスト勉強よりも集中力も考察も圧倒的にはかどる。気分は乙女ゲームのキャラクターというよりも、獣道に罠を仕掛ける猟師だ。ワクワクしながらものの一時間ほどで仕上げた工程表を、ベッドの中でしっかりと復習して眠りについた。


***


 本日は“七月二十一日”。天気は真夏らしい申し分のない青空だ。

 気温は一限目を終えた時点ですでに結構高いけれど、私は昨夜の計画通り推しメンの先回りをして階段に向かって走っている。今からのミッションの流れはこうだ。

 一、先回りした階段の近くの柱の陰で推しメンが通りかかるのを待つ。

 二、ポイントに現れた推しメンがわざとクラスメイトより遅れる。

 三、そこで推しメンを捕まえ、二段ほど先の階段で待っているヒロインちゃんにも聞こえるようにお誕生日アピールをする。

 題して【ヒロインちゃんにお誕生日おめでとうって言わせ隊!】だ。

 ――……ああ、うん、凄い馬鹿っぽい。

 こうやって頭の中で項目にして並べてみたらより一層。一晩で考えただけあって、待ち伏せポイントまでの移動経由や時間を計算した以外は穴だらけで稚拙な、作戦とも呼べない作戦に自分でも若干引いた。

 だけど本当に直前まで忘れていたから、明日の本番前にヒロインちゃんに憶えていてもらわないといけないのだ。ひょっとしたら聞いてしまった手前、無視出来なくてプレゼントの一つくらい用意してくれるかもしれない。

 そこでプレゼントを受け渡したり、受け取ったりでエフェクトに微弱な変化があれば良いな~、程度の行き当たりばったり企画。駄目元で上等だ。

 上がりきった呼吸を整えるために柱に預けた背中から、ひんやりとした石材の感触が伝わってきてホッとする。うっすら汗をかいた額にハンカチを当てたら、化粧が少し落ちてしまったので、慌てて右の額側に前髪を総動員してカーサからもらったヘアピンで留めて傷口を隠す。

 そうこうするうちに、一組、二組と小さなグループに分かれたAクラスの生徒達が階段に現れては階上に消えていく。足音と話し声に耳を澄ませて待ち受けていたら、さざめく声の中にその声を聞きつける。

 そっと柱の陰から覗けば、いつも推しメンと一緒に行動している数人が現れて「先に行くぞー」と声をかけながら階上へと消えていく。よしよし、思った通りだ。それからほんの少し遅れてヒロインちゃんが現れ、後ろを気にしながら階段を上がる。

 一段、二段、と。

 そこで止まって――……彼を待つ。

 また遅れて一歩、二歩、と。

 推しメンの足音が近付いてくる。

 階段の手摺りに見知った手が添わされたその時を見計らって“スティルマン君ちょうど良いところに! 明日って誕生日だったよね?”と強引に呼び止めようと飛び出しかけた所で。

「ああ、そういえば……クラウスは明日が誕生日だったかしら?」

 二段上から降る声に、私の飛び出しかけた足はピタリと止まる。

 その声に「そんなに昔のことを良く憶えていたものだな」と苦笑しつつ、満更でもなさそうな推しメンの横顔が、二段上のヒロインちゃんに向けられて。当然のことだけれど、推しメンはこちらに気付かずに階上へと姿を消した。


「――余計な心配だったかなぁ」

 ぽつりと呟いた自分の言葉に、胸が痛むのは気のせいだから。
しおりを挟む
感想 17

あなたにおすすめの小説

放蕩公爵と、いたいけ令嬢

たつみ
恋愛
公爵令嬢のシェルニティは、両親からも夫からも、ほとんど「いない者」扱い。 彼女は、右頬に大きな痣があり、外見重視の貴族には受け入れてもらえずにいた。 夫が側室を迎えた日、自分が「不要な存在」だと気づき、彼女は滝に身を投げる。 が、気づけば、見知らぬ男性に抱きかかえられ、死にきれないまま彼の家に。 その後、屋敷に戻るも、彼と会う日が続く中、突然、夫に婚姻解消を申し立てられる。 審議の場で「不義」の汚名を着せられかけた時、現れたのは、彼だった! 「いけないねえ。当事者を、1人、忘れて審議を開いてしまうなんて」 ◇◇◇◇◇ 設定はあくまでも「貴族風」なので、現実の貴族社会などとは異なります。 本物の貴族社会ではこんなこと通用しない、ということも多々あります。 それを踏まえて、お読み頂ければと思います、なにとぞ。 R-Kingdom_8 他サイトでも掲載しています。

いつかの空を見る日まで

たつみ
恋愛
皇命により皇太子の婚約者となったカサンドラ。皇太子は彼女に無関心だったが、彼女も皇太子には無関心。婚姻する気なんてさらさらなく、逃げることだけ考えている。忠実な従僕と逃げる準備を進めていたのだが、不用意にも、皇太子の彼女に対する好感度を上げてしまい、執着されるはめに。複雑な事情がある彼女に、逃亡中止は有り得ない。生きるも死ぬもどうでもいいが、皇宮にだけはいたくないと、従僕と2人、ついに逃亡を決行するのだが。 ------------ 復讐、逆転ものではありませんので、それをご期待のかたはご注意ください。 悲しい内容が苦手というかたは、特にご注意ください。 中世・近世の欧風な雰囲気ですが、それっぽいだけです。 どんな展開でも、どんと来いなかた向けかもしれません。 (うわあ…ぇう~…がはっ…ぇえぇ~…となるところもあります) 他サイトでも掲載しています。

転生者はチートな悪役令嬢になりました〜私を死なせた貴方を許しません〜

みおな
恋愛
 私が転生したのは、乙女ゲームの世界でした。何ですか?このライトノベル的な展開は。  しかも、転生先の悪役令嬢は公爵家の婚約者に冤罪をかけられて、処刑されてるじゃないですか。  冗談は顔だけにして下さい。元々、好きでもなかった婚約者に、何で殺されなきゃならないんですか!  わかりました。私が転生したのは、この悪役令嬢を「救う」ためなんですね?  それなら、ついでに公爵家との婚約も回避しましょう。おまけで貴方にも仕返しさせていただきますね?

妹に正妻の座を奪われた公爵令嬢

岡暁舟
恋愛
妹に正妻の座を奪われた公爵令嬢マリアは、それでも婚約者を憎むことはなかった。なぜか? 「すまない、マリア。ソフィアを正式な妻として迎え入れることにしたんだ」 「どうぞどうぞ。私は何も気にしませんから……」 マリアは妹のソフィアを祝福した。だが当然、不気味な未来の陰が少しずつ歩み寄っていた。

【完結】皇太子の愛人が懐妊した事を、お妃様は結婚式の一週間後に知りました。皇太子様はお妃様を愛するつもりは無いようです。

五月ふう
恋愛
 リックストン国皇太子ポール・リックストンの部屋。 「マティア。僕は一生、君を愛するつもりはない。」  今日は結婚式前夜。婚約者のポールの声が部屋に響き渡る。 「そう……。」  マティアは小さく笑みを浮かべ、ゆっくりとソファーに身を預けた。    明日、ポールの花嫁になるはずの彼女の名前はマティア・ドントール。ドントール国第一王女。21歳。  リッカルド国とドントール国の和平のために、マティアはこの国に嫁いできた。ポールとの結婚は政略的なもの。彼らの意志は一切介入していない。 「どんなことがあっても、僕は君を王妃とは認めない。」  ポールはマティアを憎しみを込めた目でマティアを見つめる。美しい黒髪に青い瞳。ドントール国の宝石と評されるマティア。 「私が……ずっと貴方を好きだったと知っても、妻として認めてくれないの……?」 「ちっ……」  ポールは顔をしかめて舌打ちをした。   「……だからどうした。幼いころのくだらない感情に……今更意味はない。」  ポールは険しい顔でマティアを睨みつける。銀色の髪に赤い瞳のポール。マティアにとってポールは大切な初恋の相手。 だが、ポールにはマティアを愛することはできない理由があった。 二人の結婚式が行われた一週間後、マティアは衝撃の事実を知ることになる。 「サラが懐妊したですって‥‥‥!?」

ある王国の王室の物語

朝山みどり
恋愛
平和が続くある王国の一室で婚約者破棄を宣言された少女がいた。カップを持ったまま下を向いて無言の彼女を国王夫妻、侯爵夫妻、王太子、異母妹がじっと見つめた。 顔をあげた彼女はカップを皿に置くと、レモンパイに手を伸ばすと皿に取った。 それから 「承知しました」とだけ言った。 ゆっくりレモンパイを食べるとお茶のおかわりを注ぐように侍女に合図をした。 それからバウンドケーキに手を伸ばした。 カクヨムで公開したものに手を入れたものです。

死ぬはずだった令嬢が乙女ゲームの舞台に突然参加するお話

みっしー
恋愛
 病弱な公爵令嬢のフィリアはある日今までにないほどの高熱にうなされて自分の前世を思い出す。そして今自分がいるのは大好きだった乙女ゲームの世界だと気づく。しかし…「藍色の髪、空色の瞳、真っ白な肌……まさかっ……!」なんと彼女が転生したのはヒロインでも悪役令嬢でもない、ゲーム開始前に死んでしまう攻略対象の王子の婚約者だったのだ。でも前世で長生きできなかった分今世では長生きしたい!そんな彼女が長生きを目指して乙女ゲームの舞台に突然参加するお話です。 *番外編も含め完結いたしました!感想はいつでもありがたく読ませていただきますのでお気軽に!

闇黒の悪役令嬢は溺愛される

葵川真衣
恋愛
公爵令嬢リアは十歳のときに、転生していることを知る。 今は二度目の人生だ。 十六歳の舞踏会、皇太子ジークハルトから、婚約破棄を突き付けられる。 記憶を得たリアは前世同様、世界を旅する決意をする。 前世の仲間と、冒険の日々を送ろう! 婚約破棄された後、すぐ帝都を出られるように、リアは旅の支度をし、舞踏会に向かった。 だが、その夜、前世と異なる出来事が起きて──!? 悪役令嬢、溺愛物語。 ☆本編完結しました。ありがとうございました。番外編等、不定期更新です。

処理中です...