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◆二年生◆
*16* 私の性別を憶えておいでかな?
しおりを挟む目前に自習室の入口が近付いてきて、心なしか賑わう声が廊下にまで漏れ聞こえる。三年生が進路選択のために利用することが増えるので、普段よりも少し人が多いのかもしれない。
そんなことを考えながらも、目の前を歩く推しメンの背中に視線を集中させていたその時、突然「ルシア!」と私を呼ぶ声と同時に横から激しいタックルを受けた。その衝撃を受け止めきれずに倒れそうになった私の身体を、タックルをしてきた人物が慌てて抱き留める。
「す、すまないルシア! その、そんなに強く抱き付いた気ではなかったのだが……ルシアは軽いのだったな」
そう申し訳なさそうな顔をして覗き込んでくる美しい友人に「鎧を着てないからねぇ」と笑うと、カーサは「本当にすまない」としょんぼりした表情で私を抱き留めていた腕を解いた。先を歩いていた推しメンが、彼にしては珍しくちょっとだけ驚いた表情でこちらに戻ってくる。
推しメンはカーサから私を引き離すと「大丈夫だったか?」と訊ねてくれたので、その言葉に頷き返す。私が大丈夫であることを教えようとその場で軽く飛び跳ねてみたら、何故かカーサと推しメンの二人から「「衝撃を受けた後は一度安静にしろ」」と怒られてしまった。……ええ、理不尽。
「それで一体何事だベルジアン嬢? いつも温室の外では自分を律している貴女にしては、珍しく取り乱しているようだが」
私の身体を背中に隠すような形でカーサの前に立った推しメンの声は、心なし不機嫌であまり好きじゃない。そこでその背中に“コワイよ”と指で文字を書いてみたら、一瞬ビクリと身体を震わせた推しメンが振り返り、困ったように笑った。
たぶん“そんなつもりじゃなかった”という表情なんだろうけど、その証拠に向けられたカーサはさっきよりもうなだれているのだ。ツンと上着の端を引っ張って視線でカーサの方を見るように促す。
「……ベルジアン嬢、俺は焦ると言葉が強くなるんだ。怒っているわけではないのだが、その、怖がらせたならすまない」
素直に謝罪出来た背中に“エライぞ”と書き込めば、今度は振り向かないで笑ったのか、フッと空気が揺れた。ああー……マイナスイオンを感じる。
でも取り敢えずフォローを入れようと、推しメンの背中から顔を出して「スティルマン君はだいたいこんな感じでしか喋れないからさ、私達一般人の感覚を持つ人間が合わせてあげなきゃ駄目なんだよ」と言ったら、振り返った推しメンに頬を捻られた。ここはさっきと同じで笑ってくれよ。
私と推しメンの無言の攻防を見ていたカーサが笑いながら「ちょっと相談したいことがあるのだ。ラシードも同じ相談事があるので別の場所で待たせている。ついてきてくれるか?」と言ったので、私と推しメンはその提案に頷いて今日の勉強会はお流れになった。
カーサについて向かった先は、何てことはない。あの天恵祭で練習場所にしていた鍛錬場だった。久し振りに来たけれど目新しいことといえば、途中ですれ違う見習い生の中にやや背丈の低い生徒が増えたくらいだろうか。
たぶん中等部から高等部になった一年生だろう。中等部で使用していた模擬剣よりも重いのか、剣に振り回されている子を数名見かけた。うむ、将来のためとはいえ鍛錬ご苦労様です。
そんな感じにキョロキョロしながら歩いていたら、先に歩いていた推しメンが戻ってきて「鍛錬場内でよそ見をして歩くな。ここでは何があっても怪我は自己責任だぞ」と注意されてしまった。
そんな風に言われたら思わず内心で“引率の先生か”と突っ込んでしまうでしょうが。“何なら手を引いて引率して下さっても構いませんが、如何でしょう?”とは流石に言い出せなかったのだけれど、何と推しメンはちゃんと引率して下さった。掴むのが手ではなく手首なのが惜しいけど贅沢は敵ですよ。
ただでさえ夏に向けて気温が上がり始めている中、ストイックに自分磨きをしている人達の間をすり抜けながら、ほんの少しだけ俗物な自分を恥じたり……しない。恥じるもんか。モブにイベントなんてものは用意されてないから、こういう時は素直に楽しむものなのだよ。
そしてそんな通常よりも移動時間をかけそうな方法で移動する私と推しメンを、騎士候補生だけあって歩くのが早いカーサは最後の角で待ってくれていた。とはいえ最終的に辿り着く場所は知っていたから、先に行ってくれていても良かったんだけどね?
さて三人揃って久々に顔を出した、天恵祭期間にはお世話になった場所。しかしそこで私と推しメンが見たものは、大量の本(?)を傍らにグッタリとベンチに座り込むラシードだった。
「ちょっとカーサ、遅かったじゃないの。待ちくたびれたわよ……」
「す、すまないラシード。こんな辛い場所に一人で置いていったりして。だがもう大丈夫だぞ。ワタシ達の救世主になってくれるかもしれない人材を捕獲してきたからな」
カーサの不穏な一言に、濁った目でダラッと座っていたラシードがこちらを向いたかと思うと「ルシア、一瞬で良いからアタシと婚約して!」と訳の分からんことを言いながら抱きついてきた。
何なんだ、今日は美男美女に抱き付かれてサバ折りにされそうになる日か何かなの? 逞しい胸に逞しい腕で抱き締められると、魅力とは違った意味で気が遠くなる。騎士候補生って何で皆こんなに馬鹿力なんだ!?
――って、毎日の鍛錬の賜物ですよね。今見てきたところじゃない。
ああ、でもこんなに密着しても汗臭くないオネエさん流石ぁ……。
胸板に押し付けられて遠退きかけた意識の中で「ラシード、いい加減にルシアを離せ。そのままだと死ぬぞ」と冷静で平坦な推しメンの声が聞こえた。それと同時に救出されたのは良いけれど、今度は「可哀想にルシア。苦しかっただろう?」とカーサの胸に顔を埋められる。
これはこれで役得ではあるものの、苦しいことに変わりない。モソモソと自由を求めて足掻いていたら、今度こそ「二人とも、ルシアは玩具でも小動物でもないのだから、酸素くらい吸わせてやれ」と推しメンの腕に抱き寄せられた。
一気に肺に空気を送り込みやすくなったことに慌てて深呼吸をして、直後に激しく咽せる。ぐっ……欲張りすぎたか。咽せる私の背中を推しメンがさすってくれているけれど、止めて下さい。次は緊張で咽せそうです。
そっとその手を掴んで止めると「もう大丈夫だ」と頭を撫でられた。玩具でも小動物でも、まして子供でもないから。嬉しいんだけど複雑なんだよ。
一連のグダグダが落ち着いたところで、ラシード、カーサ、推しメン、私の順に並んで座り、その分ラシードの隣にあった本(?)が地面に置かれた。でもその下にハンカチを敷くあたりラシードの細やかさが分かる。その細やかさをさっき見せてくれば良いのに……。
「それで……カーサといい、ラシードといい一体どうしたのさ? 熱烈歓迎されるのは嫌いじゃないけど、流石に婚約しては飛躍しすぎて意味が分からないよ? どっちからでも良いから説明して」
推しメンの隣から身体を傾けて二人の方へ向かってそう言えば、カーサが先に挙手して説明の意思表示を見せたので「ではベルジアン嬢からだな」と推しメンが言うと、ラシードも頷く。
「じゃあカーサからどうぞ。そういえば二人の相談事の内容が似てるって言ってたから、ラシードも足りないところだけ隣から補ってくれたら良いよ」
そして始まった会話の内容を要約すればこうだ。
*三年生という最終学年になった途端に、実家から大量の【お見合い】イベントを用意されそうになっていること。
*二人はまだ誰とも婚約も結婚もする気はないこと。
*先方の中にはかなり乗り気な人物が数名いて、断るにも誰か恋人役を見繕わなければならないこと。
*その役柄を頼む上で、自分達に異性としての好意を抱いていない人材が、同学年どころか下級生にもいないこと。
――ということらしいのだが……切羽詰まった人間とは、こうも考えることがおかしくなるのか。ちなみにベンチからハンカチの上に移動したのは、両者の実家から送られてきたお見合い相手の姿絵らしい。
こんなに届くということはある種のステータスだけど、二人を見る分に嬉しくはないんだろうね。
うちの実家の資産程度だと、こちらから売り込みに行かない限りかなり高確率で嫁き遅れる。来年には両親が懇意にしている人達に頼んで、私のお見合い相手を探してくれることだろう。
「いや、考え方としては面白いよ。面白いんだけどね? それってカーサがラシードを恋人役にして、ラシードもカーサを恋人役にした方が無理がない気がするんだけど?」
「ああ。普通に考えてルシアには荷が重いだろう。それにベルジアン嬢の方に至ってはルシアを男装させることになる。いくら何でも無理――……ではないかもしれないが、確実性を考えればラシードに頼んだ方が良いと思うが」
「おっと、スティルマン君ってばどこを見て言ったのかな? 返答次第では容赦しないぞ?」
今チラッとこっちを向いた君の視線が、私の顔から下に降りたことに気付かないとでも思ったのか? 暗にそう圧力を込めた視線を投げれば、推しメンは「勘ぐりすぎだ」と言ったが、ならば何故目を逸らす。
「そこ、ふざけて遊んでないで。こっちはアンタ達みたいに暢気にやってられないのよ? それにその案だったら一番最初に使えないってことで、意見が一致してるの。だから無謀だとは分かっててもルシアに頼んでるのよ」
露骨に視線を逸らす推しメンの胸座を掴んでいた私に、ラシードが呆れと悲哀のこもった声でそう告げるものだから、思わず「何で?」と訊ねれば、カーサが困ったようにラシードの言葉を引き継いだ。
「ワタシ達だと家柄の釣り合いが取れすぎているから、今度は乗り気になった両家が勝手に婚約の準備をしかねないのだ。それが卒業後に“やっぱり別れることにしました”と報告すれば、両家の思惑も面子も丸潰れだろう? それに何と言っても、ルシアがワタシの初恋の相手であることに違いはないから演技もしやすい」
「ああ……成程。それでルシアに頼みたいと言い出したのか。確かに俺の家名もベルジアン嬢の家となら釣り合いが取れてしまうからな」
胸座を掴んだままの私の手をやんわりと解いた推しメンは、そう言ってこっちが理解するよりも早く勝手に納得してしまった。
「そういうこと。言い方が悪いけれど、ルシアの家名なら誰も知らないだろうし、若い身分差のある二人が惹かれあって、学園生活の間だけでも良いからお見合いはしたくないって言った方が断りやすいの」
「あ、だから一瞬だけなんだぁ~って……え?」
それに続いてラシードも加わり、三人の視線が一気にこちらへと向けられる。何この急に逃げ場のなさそうなイベントは――と、私が戦慄したその時。
「だが、俺はこの案には反対だ」
突然推しメンが発した平坦な声で、面白時空に片足を突っ込みかけていた夏も間近な空気中に、ピリリと冷たい氷のような緊張が走った。
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