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◆二年生◆
*13* お昼休みのお姫様は。
しおりを挟む隣に腰を下ろした推しメンの深刻そうなオーラに“悩みごとはないよ”と言い逃れるのは難しそうだ。もしその手でごり押しをしようものなら、今後一切心を開いてはくれなくなるに違いない。
そんな下手を打つくらいならこのまま昼休み終了のチャイムが鳴るまで、当たり障りのない会話で引き延ばした方がまだ賢い選択だろう。流石に気まずいからといって、今まで積み上げてきた信頼関係をぶち壊すのはいくら何でも馬鹿だ。
推しメンは私が口を開くのを待ってくれているのか、黙ったまま隣でジッとしている。何だろうか……正直、テストのラスト三分で見落としていた空白欄を埋めるよりも焦るぞこの沈黙は。
思わず体育座りを解いて、地面に置いた空のランチボックスをもう一度膝に抱え上げてしまうよ……。しかしこんな姑息な時間稼ぎをしたところで、まだ昼休みは四十分もあるのだ。ひとまず落ち着け私。
チラリと隣を見れば推しメンもこちらの出方を窺っていたので、視線が合った結果、落ち着くどころかかえって心臓が騒がしくなるという地獄のループに陥ってしまった。何も考えつかないうちは隣に視線をやるのは危険だ。
とにかくここは乙女ゲームになぞらえて、脳内選択肢制度を導入してみよう。
一、用事を思い出したような顔をして立ち去る。
二、悩み事の相談をするフリをしてAクラスでの推しメンの近況を訊く。
三、素直に“最近君が気になる”と打ち明ける。
――まぁ、普通に考えて三以外だよね。三だけは絶っ対にない。ということは、残り二択。でもこれだけ真剣に訊く体勢でいてくれるんだから一もないよなぁ。
結局そうなると消去法で二しか残らなかった。あー……もう良いや、何だか色々考えてたら、せっかく昼休みに推しメンといられるチャンスが勿体ないもんね。
「いやぁ、悩みって言うのか微妙なんだけどさ。最近夢見が悪くって。あんまりよく眠れないからちょっと気分が乗らないんだよ」
余計な脚色をせずにあっさりと話す。会話というのは本来端的にこなした方が楽だ。けれど後からどんな突っ込みを入れられるか分からないから、情報はなるべく小出しにして相手の出方を待つ。そして相手が質問してきたら、その疑問に少しずつぶつ切りにした情報を出せば良い。
ここで大切なのは“説明出来ることしか口にしないこと”だ。それさえきちんと守れば、会話は意外と続く。
「……では最近俺を避けているように感じる不審な動きも、ルシアの夢見が悪いからなのか?」
疑いの色を隠そうともしないその表情に「そうだよ~。不機嫌な顔した友人とか見たくないでしょう? 特にスティルマン君は気にしそうだから」とヘラリと笑えば、推しメンは何かを考え込むような素振りを見せた。
けれどその素振りもほんの一瞬のことで、すぐに「そうか。夢見が悪いのであれば仕方がないな」と不気味なくらい素直に信じてくれる。
――おかしい。自分の推しを相手にこう言っては何だが、スティルマン君はゲーム中では結構執念深い性格をしていたのに、何故こんなに簡単に引き下がったんだ?
いや、確かに引き下がってもらった方が良いのは良いんだけど……などと思っていたら、急に「ならばこうしよう」と言った推しメンがおもむろに上着を脱いで私達の座っている間にたたんで置く。
「実は俺も夢見が悪くてここ最近あまり夜に眠れないのだ。ちょうどまだ時間もあるし、少し昼寝をしていこう。俺は座ったままでも平気だが、ルシアはこの上着を貸すから枕に使え」
――――……は?
「何言ってんだコイツ」
「ほう?」
突然のことに舌の上で転がすことなく、あっという間に零れ出てしまった私の本音に推しメンの眉がピクリとはねる。それまで穏やかだった瞳に剣呑なものを感じ取ったので、わざとらしいとは思いつつ空咳を一つ。
「ごめんごめん、今のは別に馬鹿にしたわけじゃなくて、急にどうしたのかなぁと。何かラシード達ならしてきそうな提案だけど、スティルマン君はあんまりそういう冗談言わなさそうだったから」
「……何だ、冗談だと思ったのか。こんな下らん冗談は言わんぞ」
「いや、そこじゃないってば。普通異性とはいえ仲の良い友人の前ですら、スカートであの座り方をしたら注意してくる人が、まさか一緒に昼寝しようって誘ってくるとはあんまり考えつかないよ」
目の前で至極当然だと思える指摘に首を傾げる推しメン。これは選択肢の二を選んだはずが受理されなかったのかな? これだと近況を聞き出すどころの話じゃないぞ。推しメンは春の気候にバグっているのだろうか。
「それはまあ、それとして、だ。俺も全く考えなしに昼寝を提案したわけじゃない。食後十五分ほどの睡眠は午後からの集中力を上げるそうだ」
「あ~……それは何かで聞いたことあるかも」
「そうだろう。なら別に断ることでもないな?」
再度“は?”といってやりたいところだったけど、考えてみたら今の私は以前のように何も気負わずに話せている。だったらそれは口をきくことすら出来なかった現状よりも、はるかに良いのではないだろうか?
そしてはたと気付いた。二人並んで昼寝とか、推しメンの大ファンとしては握手会よりも美味しい状況では!? と。そこで私は今までの選択肢などなかったようにきっぱりと一つの選択を下した。
「仕方がない。そういうことなら昼寝しよう。午後の授業はエルネスト先生の講義だし、集中力もいるよね、うんうん」
最早考えることを放棄する勢いで素早く、推しメンと私の間に置かれた上着に頭を乗せてゴロンと横になる。下から見上げた推しメンの顔が一瞬逆光になって影になった。
「おやすみ、スティルマン君」
「ああ……お休み、ルシア」
み、耳が……耳が幸せかよ……“お休みボイス”ゲットしたからには、これから毎晩使うんだからぁぁぁ!
邪念にまみれた感情を抱いて頭を預けた上着からは、推しメンの香りがし……あ、これ駄目なやつ。自重しろ私。お腹は満たされているし、ポカポカした陽気はお布団のように暖かで、隣には推しメンがいる。
こんな幸せを領地以外でも感じられるとは思いもしなかったなぁ。そんなことを考えているうちに、ゆるゆると眠気が忍び寄って、私をどっぷり頭の天辺から爪先まで浸していった。
***
――――――――――「くしゅっ、ん」
何それ可愛いくしゃみ……? ということは私じゃないな。私のはもっと豪快なオジサン感しか出ない残念なやつだし。でも確かに、少し肌寒いような気もするなぁ。あんなにさっきまで暖かかったのに――?
その瞬間我に返って飛び起きると、辺りは昼の日差しどころか、夕暮れの近さを思わせる日の傾きを見せていた。校舎の壁に当たっていた白っぽかった日光がオレンジ色になっている。いくら暖かくなってきたとはいえ、日向から日陰になればそりゃくしゃみも出るよ。
「ああ~……嘘だろ、盛大に寝過ごしたぁ」
午後の授業はとっくに始まっているだろう。というより、今日の授業が全部終わっていそうだ。授業をサボる気なんてなかったのに。食後の昼寝が十五分が理想って言われてる理由を忘れてた……。
“理想”ってわざわざ言うからには“現実”には、寝過ぎちゃう人が多いってことだもんなぁ。こういうのってそもそもが御伽噺みたいなものなんだよ。疲れてる人こそ試すべきとか言うけど、その試すべき疲れてる人は絶対に起きられないんだって。
と、散々自分を正当化したところで、そっと隣に視線をやれば――。
「絵心があれば良かったなぁ」
そこには思わずそんな変態じみた発言をしてしまうほど、穏やかで無防備な寝顔を晒している推しメンの姿が。さっきの可愛いくしゃみ共々尊いわ。
しかしいつまでも暢気に寝顔を見ている場合ではない。私が上着を借りたせいで風邪でもひかれては困る。この場合正しい行動としては、さっさと起こしてカフェ・テリアで温かい飲み物を飲もうと提案することだ。
――とはいえ、やっぱりもう少しだけこの寝顔を見ていたい。
相反する思いはあっさりと欲求に負けて、私は芝とレンガの欠片で汚れた推しメンの上着を静かにはたいてその身体に被せる。一瞬身体に重量を感じた推しメンが眉間に皺を寄せたけれど、すぐにまた穏やかな寝顔になった。
「こうして見ると……意外と睫毛長いし多いなぁ」
そんな妬ましさすら感じていた私だったものの、不意に本館に通じる渡り廊下の方から足音が聞こえてそちらに意識を向ける。足音の重さから、私をここに放置したラシードかと思ったのだ。
けれどその期待は外れ、本館から現れたのはエルネスト先生だった。サボるつもりはなかったけれど、実質サボってしまった私は、気まずさから慌てて図書館の壁に背中をぴったりと付けて死角に隠れる。
本来ガタイの割に文系なエルネスト先生はこちらに気付く様子もなく、図書館の入口に向かって歩を進めるけど――……ねぇ、本当に何でそんなにエフェクト濃くなっちゃってるの? いつも傍にいる推しメンはまだ未分化なのに、一体ヒロインちゃんと先生の間のどこに接点があるんだよぉ!?
その姿が私から死角に入る渡り廊下の角を曲がったところで「ホーンス先生!」と可憐な声がその背中を呼び止めた。今この場で、私がもっとも聞きたくなかった声。その呼びかけに振り返ったらしい、エルネスト先生に近付く軽やかな足音。
校舎から渡り廊下に現れたのは、ヒロインちゃんだった。隣で眠っている推しメンに視線を向ければ、まだ良く眠っている。……よしよし、そのままもう少し眠ってろよ。
「やっぱり先生だったのですね。お久しぶりです」
「やあ、君は……ティンバースさん。本当に久し振りだな。この間の順位発表もみたが、相変わらず良く学んでいるようだ」
「いえ、そんな。まだまだ学び足りません。ホーンス先生に勉強を教えて頂いていたのは、わたしが編入してすぐの頃でしたから……こうしてお話するのは一年以上ぶりですね。同じ学園内でもなかなかお会い出来ませんし、お見かけする時はいつも誰かとご一緒ですから」
「はは、そうだな。この学園は広いうえに、自分もあまり一どころにいない質だ。それでも、もし自分を見かけた時に何か質問がある時は声をかけてくれ。とは言っても、君ほど優秀であれば自分が教えられることはもうほとんどないが」
その言葉を聞いて同級生でもないエルネスト先生のエフェクトに、何故最初から色が付いていたのか合点が行った。やっぱり彼は隠しキャラだったのだ。それも恐らく製作者サイドから支援を受けるタイプの。
しかも嫌な予感がすることに、二人の言いぶんを照らし合わせれば一年ぶりだ。にもかかわらずこの会話の弾み方。ああ、これは何か時限爆弾的な特殊イベントが発生してるな……。
従来のファン層以外に新しいファン層を狙い、大人成分が欲しがられる昨今の乙女ゲームニーズに応えたキャラクター。例えば赤色やラシードといった、先輩キャラ二人とはまた違ったスパイス。それが“教師未満”という禁断のポジション。
たぶんまだ“未満”なのは製作者サイドの保身だと思われるけど、現実社会だと色々問題があるからねぇ。それにしても驚きなのは、エルネスト先生は本当に人に勉強を教えるのが好きなようだ。まさか途中編入組を見つけては教えているのだろうか?
毎度どの乙女ゲームやってても思うんだけどさ、主人公ってコネとか貸し作るよりも断然借り作る率が高過ぎない? たまにはこっちにも還元してもらうぞ。
――ああでも、この寝顔を見られるのは勿体ないなぁなんて……思ってる場合じゃないな。もう少し情報収集をしたいところだけど、今出て行かなかったらまた追加点をいれられてしまう。
私は一度深く溜息を吐いて、眠れる推しメンのスチルを脳に焼き付ける。
「君は茨姫で私は良い魔法使いだ。王子様を呼んで来てあげるから、ここで待っててね?」
推しメンの安らかな寝顔と、盛り上がり始めた二人の会話を背に受けて、私にもほんの一瞬だけ悪戯心が芽生えてしまう。まさか目を覚ましてはいないだろうけれど、念のために推しメンの顔の前で手を上下に振ってみる。
――反応は、ないね。
私はその身体にかけた上着の袖を取り、騎士が姫君にするように、恭しく袖口に口付けを落とす。
「それじゃあ、また明日ね。お姫様?」
残念ながら君に“おはよう”の魔法をかけるのは、魔法使いである私の役目じゃないからね。
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