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◆二年生◆
*8* 腹を括れば、虫も鳴く。
しおりを挟む本日は“五月七日”。ポカポカ陽気にはあと一週間ほど早いけれど、概ね気分の良いお天気に恵まれたお昼休み。
残念なことにこの二日間、私の推しメンは風邪でお休み中らしい。正直たったまだ二日目とはいえ、学園に来る理由の半分くらいが失せた。廊下から声が聞こえるだけでも、次の授業を頑張ろうという気になれるのだからこの差は大きい。
とはいえ、いない間に出来ることも勿論ある。サクッと図書館裏でお昼を済ませた私は、エルネスト先生にもらったあの濃紺の表紙に金字で【誤解されやすい性格の彼を正しく知りたい君へ】という長い題名が書き込まれた薄い本を片手に、調べ物をしている真っ最中だ。
もらってから毎日読み込んでいるせいでヘロヘロになってしまっている薄い本の隣には、分厚い真面目な方の星座神話が載っている本という、話の内容と分厚さという点で対極にいる取り合わせ。その間でうんうん唸りながら今日も今日とて限られた時間で写本と追記をこなす。
スティルマン君の星は“カヒノプルス”。別名は独り星、孤独星、迷い星と……何だか寂しいのが目立つなぁ。けれどその中でも特に目を引くのは――、
「禍星かぁ……」
【禍】は他の読み方をしても“か”ないし“クワ”と読み、どちらも災いや不幸せという意味がある。ここで指す禍星は“凶星”のことだろうし、何にせよあまり乙女ゲームの世界観にそぐわない。
しかし、連日こうして気になる部分を抜き出してノートに書き留めていくという地味な作業の中で、すっかり推しメンのスチル置き場になりつつある脳底にこびり付いていたこのゲームの情報を思い出し始めた。
その記憶では推しメンの暗すぎるキャラクター設定と、ヒロインちゃんへの依存ぶりもかくやというヤンデレなシナリオが目白押し。拉致監禁して得られる愛は現実では多分あり得ない。
ゲーム世界という大前提であるとしても、私としてはそんな犯罪者のようなことを推しメンにさせるわけには……でも執着する推しメンか……ちょっとだけ悪くな――いわけないね、うん。愛があろうがなかろうが、相手の行動を勝手に制限しちゃ駄目だわ。
そんな目にあったヒロインちゃんは絶望しそうだし、恋愛のルートを故意に潰して回っている私だけれど、手前勝手な話でもあの子に嫌な思いはして欲しくない。
推しメンが幸せになること、それはつまりヒロインちゃんにとっても幸せでなければならないからだ。円満な家庭。温かい家族。考えただけでも胸が躍る。以上の点からこれは何としても“普通に可愛らしい学生交際”へと導いてあげなければと思う次第である。
「……普通に考えたら【星降る夜は君のことを~星座に秘めたるこの想い~】っていうタイトルからしてキャラクターの“星”がゲーム攻略の鍵だよねぇ」
逆に何故今までゲームのタイトルを憶えていたのに、そんなに初歩的なことに気付かなかったんだ私は。あれだけやりこんだはずなのに全く憶えていないとか使えない。
最後に会社で突き止めた横領額の数字なら憶えてるのに。とはいえ誰も耳を貸してくれなかったから、どのみち前世の私が行き着くエンディングなんて同じか。
――ともかく、過去百年分ある貴族名鑑を調べてみたところ、推しメンの家は代々続く星詠師の中でも特別色濃く負の割を食った一族だ。
通常の星詠師は高貴な血筋に産まれやすいと言われているが、貴族は血脈を大切にする分、名誉な力を持つ者が一族に出れば、是が非でもその血筋を固定化させようとする。
そしてここはゲーム世界。残酷にも思えるけれど、ゲームのスパイスとして勧善懲悪を求められる役所がいるわけだ。そこで白羽の矢が立ったのが推しメンの生家であるスティルマン伯爵家だったのだろうと予測する。
「凶星を詠む【禍星詠師】を代々輩出する一族……ねぇ」
推しメンの設定の細かな部分は分からないから、ここからは単なる私の想像に過ぎないけれど、元のゲーム世界での彼はそのことに心を病み、あまり熱心に星詠みをしなかったに違いない。
しかし本来これを言い当てるのは【星喚師】の役目で、いくら禍星詠みといわれたところで【星詠師】の亜種であるスティルマン家に関係はなさそうなものだけれど……【禍星詠師】の一族だけが持つ特性が何かあるはず。
ゲームのシナリオで触れられることのなかったその“何か”は、最初から彼を悪役に仕立てるための鍵だ。
そうしてその“何か”から逃れようと彼は救いを求めた。
幼い頃に将来を誓い合った少女が【星喚師】として再び自分の目の前に現れた時、一介の【禍星詠師】である自分の予測に唯一“否”と声をあげられる存在に。
自分より優れた才を持つ彼女の傍にさえいれば、忌まわしいと思い込んでいるその“何か”が薄れるか消えると――誰も相談相手のいなかった推しメンは思い込んだ。彼らしくもない稚拙な考え方に、私は少し泣きたくなった。
どれだけ聡明だろうが、人が一人で抱えきることの出来る闇には限りがあって。それが十代の多感な時期に重なっちゃったら、さぞかし一人では持て余したことだと思う。
「……今度は皆がいるからね。道を間違えたりさせないよ」
胸元に揺れる首飾りをそっと握って一人囁く。
「怖いだけだった暗がりに道を作ってくれた、スティルマン君がくれたこの光の標みたいにね」
***
転生してからというもの、真面目に過ごした翌日というのはどうしても不真面目というか、親しい人に下らない悪戯をしかけて遊びたくなるのだ。それに今日も推しメンは休みだったから、そろそろ推しメン成分が切れ始めて余計なことをせずにはいられない自分がいる。
長期の予定された休暇は仕方がないけれど、突発的な不在には耐えられないらしい。これはもう悪戯をして、推しメンの不在に関する物足りなさを埋めてもらわねば! とはいえラシードに仕掛けると後が怖いから、主に悪戯の犠牲になるのはカーサだけどね。
――と、意気込んだものの、放課後が始まってから三十分。
カーサの飲んでいる紅茶の中身をラシードの紅茶と交換したり、クッキーの箱の中身を箱の底にしいて、上から厚紙を入れて中身を空っぽに見せかけるといった下らない仕掛けをして待つけれど誰も来ない。
二人とも三年生で忙しくなってきているからなぁ……。馬鹿なことをして遊びたい後輩の元に顔を出す暇がないのだろう。
一時間が経った頃、私は仕方なくカーサの差し入れてもらったクッキーの入った箱の中身を元に戻して、新しい刺し子でも作ろうと指定鞄の中から裁縫セットを取り出す。ミニテーブルの上で図面を書きながら色を考えていると、温室の外からラシード達の話し声が近付いてくるのが聞こえて、箱の中身を元に戻すのが早すぎたと悔やんだ。
けれどまぁ、カーサの紅茶とラシードの紅茶は入れ替わったままなので問題はない。自分でも悪戯が小さすぎて戻し忘れていたというオチでは断じてないのだ。
それでもいつもこの放課後の温室へ、誰が一番最初に入ってくるのだろうという楽しみは未だに褪せることはなく、私は手許の図面から顔を上げて温室のドアを見つめる。
今日は温室の中からでも星のエフェクトの瞬きが見えるから、一番乗りはラシードに違いない。だとしたらカーサの紅茶と入れ替えたことをすぐに自白しよう。美容系の紅茶を一週間飲まされる刑に処される前に。常々美容と味覚の両立は無理だと思う派の私にとって、あれは善意からくるものであろうとも拷問だからな。
そんな風に考えているうちにも、ドアがゆっくりと開いて一番最初の中に入ってきた、のだ、けれど――――?
「あらルシア、もう来てたのね。ここに一人で寂しかったんじゃない?」
「ワタシ達が来ない時は鍛錬場にいるのだから、遠慮しないで遊びに来てくれれば良いのだぞ? ルシアが見に来てくれれば、ワタシもいつもの倍ほど鍛錬が捗るだろうしな」
そう言いながら温室に入ってきた純粋に星のエフェクト持ちのラシードと、天然キラキラオーラ持ちのカーサの後ろから何食わぬ顔で入ってきた、本来なら今日ここに顔を出せない人物の姿に一瞬私の視線は釘付けになる。
「あれ、スティルマン君? ティンバースさんに訊いたら、今日も風邪で休みだって聞いてたんだけど……もう大丈夫なの?」
私の言葉に先に入ってきた二人が「あら、だからこの二日来なかったのね。大丈夫なの?」「鍛え方が足りないのじゃないか? 何なら稽古をつけてやるぞ」という言葉を推しメンに向ける。
しかし今重要なのはそこではないというか……その、ねぇ? もう放課後なことを考えれば約三日ぶりに浴びる推しメン成分なのだけれど、周囲にチラつくものに困惑してしまう。
いやでも、この状況だと考えられることはそういうことなのか?
「ああ、そのことなら心配ない。もともと俺は風邪などと言った覚えはないからな。寮のクラスメイトに“頭痛がするから休む”と伝言を頼んだだけだ」
涼しい顔でシレッとそう曰った推しメンは「ズル休みじゃない」と言い訳のような言葉を付け足す。そうだよね、頭が痛かったんなら無理して来ちゃ駄目だよ。推しメンの体調不良とか大変だもんねぇ――って、そうだけどそうじゃないから。
私は生まれたての儚い星の形をした、まだどんな色に分岐するか分からない真珠色のエフェクトが、ふわふわと推しメンの周囲を取り囲むのを見ながらあの有名な言葉を思い出す。
“男子三日会わずすれば刮目してみるべし”
本当に昔の偉い人は上手く言ったものだと思う。
これが以前ラシードが言っていた、公式のシナリオ加筆した部分の導入部であることを感じながらも、海外のパニック映画に良くあるただの悪役バージョンアップでありませんようにと真剣に祈った。
よし……うん……私も推しメンの熱烈なファンとして腹を括ったぞ。もしも今度も滅茶苦茶なシナリオだったらその時はその時に考えよう。
何より親密度が目視出来るようになった分、前よりはゲームを進めやすいのだし。要は明日からガンガン推しメンとヒロインちゃんを接近させて、星の色を濃くしていけば良いんだよね?
そう恋愛初心者にも分かりやすい乙女ゲームのシステムに、端から見れば宙を睨んだまま固まっている私を心配した三人がかけてきた言葉と言えば、
「ちょっと、ぼーっとしてお腹でも空いてるの?」
「そうなのかルシア? 可哀想に。それならちょうどさっきマフィンの差し入れがあったから、これを一緒に食べよう」
「まったく……仕方のない奴だな」
という、失礼な思い込みも甚だしい内容だったけれど。直後に“グウゥ”と腹の虫が鳴いたから、今日のところはそれでも良いや。
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