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◆一年生◆
*31* なに、格差社会ってやつですよ。
しおりを挟む本日は“十二月二日”になってから三十分ほど経ったところ。
今夜も今夜とてラシードは当然のようにこの深夜の星詠みに不参加だ。あのオネエさんは何を考えてるんだ! 言ったのに……今夜は絶対来てねって放課後に伝えたのに! こっちはあの言葉を推しメンにかけてもらって以来、以前までと違って二人っきりが辛いんだよ。
「最近よくラシードと一緒にいるところをみかけるが……結局今夜も俺と君だけということはまた逃げられたのか? ラシードの美容へのこだわりは凄い物があるな」
そして深夜になるとやっぱり温室内とはいえ冷えるわけで。そんな中で背中越しにどこか楽しげに響いてくる声が、私の身体をポカポカとさせることを、推しメンは分かっているのだろうか?
「あ、あれ~? もしかして私、心の声がダダ漏れちゃってた?」
口から出ていなかったらセーフだけど、出てたらアウト待った無しだ。恐る恐る訊ねてみるも「いいや? そんな気がしただけだ。違ったか?」と背後から返ってくる。疑問系なのだから語尾が上がるのは仕方がないとしても……あざと可愛いじゃあないか。こっちは紛らわしい以心伝心ぶりに冷や冷やしたというのに。
思わずニマニマしてしまいそうになる口許を引き締めて「……驚かすなよこの野郎」と口走ったところだけは「聞こえているぞ」と振り向き様に小突かれた。うん、どうやらその前の心の中での発言は外に漏れだしていなかったようだな。
しかし――。
「スティルマン君、スティルマン君。あのですね、その結構な強さのデコピンは止めてもらっても良いですかね? やる方は分からないだろうけど割と痛いんだよ」
「そうか、それはすまない。余りに弾きやすそうな額が目の前にあったものだから、ついな。俺の力の加減の問題ではなく、君の弾きやすい額の形状に問題があるのではないか?」
「ははは、何だとこの野郎。あと数十年……いや、スティルマン君は神経質だから、下手したら十年以内に今の私の額より確実に広くなるぞぉ? 何なら今からその時の予行演習として一回デコピンさせろ」
「――ならないからその必要はない」
私が突きつけた指先から逃れるように身を捩る推しメンと、少しの間だけ無言の攻防戦を続ける。ジリジリと円を描くように間合いを計っていたら、推しメンが急に私の背後を見て目を見開いた。私は珍しい推しメンの反応に、てっきりラシードが現れたのかと思ってまんまと後ろを振り返る。
が、すぐに耳許で「騙されやすいな、君は」と笑う推しメンの声がして、身を翻そうとした時には、私の両手は推しメンによって意図も容易く夜空に向かって伸ばしたまま固定されてしまった。
「お、おいおい……騙し討ちとは卑怯なり。正面から白黒つけようよ?」
「こんな単純な手に騙される方が悪いんだ。ほら、さっさとその手に持っている天体望遠水晶を掲げないか。大人しく星詠みを続けるぞ」
あっさりと人のことを拘束した推しメンにそう促され、慌てて左手に握っていた天体望遠水晶を両手で夜空に捧げ持つように翳すけれど、こちとら後頭部に推しメンの吐息がかかって全く集中出来ませんが?
心臓が痛いのは私だけだと思うと悔しいけれど、誰かこの光景を真っ正面からスチルにして納めてくれないものだろうか。そうしたら絶対に領地に持って帰って自室に飾る。何なら当家初の家宝にしてやっても良いよ。
当然そんな邪念にまみれた心で星を詠めるはずもなく。
その後散々にトンチンカンな星詠みの結果を詠み上げた私の背後で、くつくつと笑う推しメンが手を離してくれるまでの間、心拍数と手汗がバレないように必死に身を縮こませるだけだった。
無理、死ぬ、このままだと私は近い内に間違いなく心臓がやられる。
ああもう……ラシードの奴、今日の放課後になったら覚えてろよ……。
***
そして、待ちに待った放課後。
例によって例のごとく空き教室にラシードを連れ込んだ私は、全然迫力の足りない壁ドンをしたまま朝というか、深夜の出来事を猛然と抗議したのだけれど――。
「いやだ、何なのそれ、素敵じゃないの! 凍える星空の下、年頃の男女がそんな密着した状態で星詠みだなんて……まるで乙女ゲームみたいね」
「ええ、もう、そりゃそうでしょうね。だってここは乙女ゲームの世界ですからね? でもさ、そうじゃなくて、ああいうのはヒロインちゃんにしないと意味ないって前にも言いませんでしたぁ? 言いましたよねぇ!?」
形の良い顎のラインに手を添えたラシードが開口一番暢気なことを言うものだから、私は思わずプツンときたので声を荒げ――……直後に大きな掌で口を塞がれた。そのまま息を殺して廊下を気にしているラシードにならい、私も聞き耳を立てる。
そんな耳に聞こえてくるのは、女子生徒の華やかな笑い声と、男子生徒の大らかな笑い声に複数の若い足音。それらがすっかり空き教室から遠ざかったところで、ようやく口を塞いでいた掌から解放された。
「ちょっと、声が大きいわよ。空き教室なんだから音が響くことくらい考えなさいよね、このおブスは」
言うが早いか、私の右頬を“ムニィ”と摘まんだラシードは、次の瞬間その形のいい眉をしかめて「あらやだ、もしかしてアンタちょっと太ったんじゃない?」と無礼なことを曰った。私はその手を振り払い、ラシードのお綺麗な顔を睨みつける。
「うぐ……喧しいわ。確かに太りましたよ。でも仕様がないじゃない、夜の星詠み寒かったんだもん。ココアだってついつい飲み過ぎちゃいますよ」
けれど半ば開き直ってそう言う私の頬をラシードの“やっぱり男性なんだなぁ”と感心させる大きな手で挟み込んだ。なんと言うのか、男性の方が女性よりも掌が分厚いよなぁ。引っ剥がそうともがく私の薄い掌など物ともしないんだから。
「~~こ・ん・の・お馬鹿なおブス!! アンタ今が何月だか分かってんの? 十二月よ、じゅ・う・に・が・つ! 十二月といえばもうすぐ聖星祭なのよ? 廊下の掲示板に張ってある月行事の掲示物くらい見なさい」
「ふぁいぃ? 見てますし、知ってますよそれくらい。だからこの状況に来てるのに、ヒロインちゃんとのフラグの確保がまだ出来てないことに焦ってるんじゃないか。ラシードが言ってるのってあれでしょう、二十四日に学園主催で行われる聖星祭の舞踏会イベント」
「そんな重要なイベントがあるって分かっていながら、なんでその直前にうっかり太ってるのアンタは!」
さっき自らで私にしたお説教はどこへやら。ラシードはクワッという擬音が似合いそうな剣幕で私を睨みつけた。しかしそんなことを言われたところでこちらとしては下手な話題の逸らし方であるとしかいえない。
「私が冬場に向けて駄肉を蓄えるのはこの際どっかそのへんに置いといて良いから、先にその聖星祭にあるイベントの打ち合わせをしようよ。今のままだとただの“隣のクラスにいる知人”だから、イベントの発生しようがないの。本当は二年になってからのイベントに回しても良いけど、それでも一年生の時に起こしておいた方が後々の攻略が楽になるでしょう?」
今回のイベントは本来二年からが本番のものだけれど、出来れば一年生の内から印象付けておいた方が翌年にも起こしやすそうなものなのだ。
考えてみればまだ学園のしきたりに慣れていない途中編入組で、まして貴族になって日の浅いヒロインちゃんが、出席しないでイベントをスキップするのは当然の選択と言えるからね。かくいう私もゲーム内では一年目はスルー組で、翌年に魅力などの能力値を上げてから挑んだ口だし。
乙女ゲームは基本的に新しい作品ほどストレスフリーに出来ていて、前年に視界に入れても気付かなかったような女の子が、翌年には自ら発光でもしてるんじゃないのかというくらい魅力的になるシステムなのだから。
現実でそんな奇跡を起こそうと思ったら凄まじいまでのストイックさか、唸るような財力を持っていないと無理。
実際ボタンを連打するだけの乙女ゲームのミニゲームも、よくよく考えれば現実でこなそうとしたらかなりハードだよね……。反復横飛びとか普通にあの短時間でこなしたら、股関節と膝がイカレるわ。縄跳びの二重跳びとか現実では一回も出来ないもの。
それはともかくイベントの内容的には、まだ社交界に出たことのないアリシアが、ファーストダンスの相手を捕まえられずに一人会場内で立ち尽くすイベントなのだけれど、そこへその時に一番ヒロインちゃんとの好感度が高い“ヒーロー”が現れて彼女をダンスに誘ってくれるという、乙女ゲーム感満載のイベントである。
ときめく上にクスクスと嘲笑される場から、颯爽と攫ってくれる異性に惚れない女の子などいない! 持論だけど。絶対に皆そうのはず。
「……それはそうだけど……アンタはそれで良いの?」
ほんの一瞬、ラシードの夕陽色の瞳が陰った。それがまるで冬の海に沈む夕陽のように寂しげに見えて、私は思わず言葉を失う。いつも明るい夕陽色の瞳がそんな風に揺れると、いつもとは違った儚い色気が漂うなぁ。
「いや、その、良いというか――……私そもそもこのイベントについては出席も出来ませんからね?」
しおらしいラシードという珍しい生き物を前に焦ったあまり、私は余計なことを口走ってしまう。その内容に「何よそれ、どういうことなの?」と声を上げたラシードに、私は至極当然かつ、情けない事情を口にする。
「だって私まだ社交界にも出たことないし、年中資金難だからドレスなんて高価なもの持ってないもん。てっきりラシードの方が先輩だから知ってるかと思ったんだけど……聖星祭って私とかみたいな下級貴族スレスレの家の子は、当日給仕係として働く変わりに単位がもらえる仕組みになってるんだ。だから当日は全然会えないか、会えても身分のお勉強を踏まえて会話は出来ないよ。知らなかった?」
世の中の仕組みは乙女ゲームといえどもしょっぱい。けれど変なところで現実的な作りに割と納得している私と違い、ラシードはその大きな掌で顔を覆ったまま天井を見上げたかと思うと「嘘でしょう……」と呟いた。
余程友人である私の欠席がショックだったのだろうかと思うと、夜中の星詠みに来ない付き合いの悪さも許せてしまいそうだ。視線よりも高い位置にあるその肩に手を伸ばして慰めるようにポンポンと叩く。
「そういうことだから、まぁ当日は私の分も含めて楽しんでよ。私も会場内で見かけたら後日どれくらい二人が格好良かったか教えるからさ」
口では分かったようなことを言いながらも、ほんの少しだけ推しメンとダンスをしてみたかったことはラシードには秘密だ。今はとにかく推しメンとヒロインちゃんの好感度アップ方法を考えねば。
ああ、でも……馬鹿な夢を見た。
掲示板のお知らせを見たその日、自室で練習したステップが、頭の中でクルリと翻る。きっと一生踊らないのに、図書館で手に取ったダンスの教本の一頁目は、私の家格に釣り合わない、淑女と紳士のファーストダンス。
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