上 下
28 / 105
◆一年生◆

*27* 今度は財布が瀕死の重傷。

しおりを挟む

 今日は“十一月七日”の休日。天気は曇りでやや肌寒い。

 髪が短くなって飛び跳ねるせいでお手上げ状態だった私は、休日を利用して必要に迫られ仕方なく買い物にやってきていた。お洒落な陳列棚の上から掌サイズの丸い陶器製の容器に鼻を近付けて、中に詰められた整髪クリームの香りを確かめる。

「あ……これ、好みの香りかも……」

「あら、気に入ったものがあったのね。ちょっと貸してくれる?」

 こちらが頷くよりも早く掌から摘まみ上げられた整髪剤の容器の行方は、隣に立つ大柄なオネエさんの大きな掌へと攫われてしまった。本当は一人で来る予定だったのだけれど、何故かこうしてラシードと一緒に雑貨屋さんの中で買い物を楽しんでいる。

 しかも実家がド田舎なので、こういうお洒落な場所に買い物にくることが滅多にない私よりも余程ラシードの方がこの場所に馴染んでいるのが腹立たしい。見目のよろしいラシードに横に並ばれると、私の方が付き添いで来ているように見えるくらいだ。

 実際にさっきから店員のお姉さん方はラシードに商品の説明をするし。買うのも使うのも私なんですが? 確かにここに来るまでも髪型と体型、見目のモブっぷりから男の子に間違われている……。

 せめてスカートでもはいていれば良かったのだろうけれど、それだと学園の女子に見つかった時に言い訳するのが面倒くさいのだ。

 今日の私の服装はベージュのロングコートに、ダークグリーンの足首までのズボン、焦げ茶のショートブーツにズボンと同色のキャスケット帽という、全身全霊で目立ちたくない地味な装いである。パッと見にはチビなソバカス少年だ。

 対するラシードは、身体の線に添った仕立てのいい黒のロングコートに細身の黒いズボン。白いブイネックのセーターに赤いヒールの付いたショートブーツだ。

 首には絶対に防寒目的ではなさそうなマフラーっぽいものを巻き、その下に細い金のネックレスをしている。よくよく見ればネックレスはズボンの裾からちらりと覗くアンクレットとお揃いだ。お洒落だなぁ……。

 こうなってくると本人が輝いているのか、それとも輝きを増してしまったエフェクトのせいなのかよく分からない。たぶん両方のような気がするな。最初に会ったときはこんなに親しくなる予定でもなかったからつい聞きそびれてしまったけれど、もしかしたらラシードはただの留学生ではなくて、もっと身分の高いお家の人なのかもしれない。

「うん、これは青林檎の香りね。毛先を整えるクリームに使うなら香りとしても甘過ぎないし、アンタらしくて良いんじゃない? それじゃあ一つはこれに決定して、と。気分によって使い分けが出来るものが欲しいからあともう二つくらいあっても良いわね。他に気になったものはあるかしら?」

 髪を耳にかけながらそう訊ねてくるラシードは私よりも……と、いうか、比べるまでもなく美人だ。男性に使う形容ではないかもしれないけれど、マンゴー色の星のエフェクトが嫌味なく似合っている。

「え……こんなの別に気分で使い分けたりしないでしょう。面倒くさいし。大体そんなに同じ商品買ったところで不経済じゃない」

「アンタって子は本当に発想がおブスねぇ。良いわ、おブスに如何に香りが気分を上げるものなのか教えてやろうじゃないの。アンタはこの一つだけ買いなさい。それで後の二つはアタシが買ってあげるから、好きな物を選んでごらんなさいよ」

「いや、悪いから良いよ。奢ったり奢られたりするのは苦手だし」

 生前も今世も、ことお金の貸し借りは好きではない。親しい人間とならば尚更すべきではないというのが私の持論だ。

 それに“こんなものがいくつも鏡の前にあったところで邪魔でしかなのでは?”と思って言ったのだけれど、ラシードは盛大な溜息をついて私の掌に別の陶器で出来た別の種類の整髪クリームを載せ意地悪く笑うと「スティルマンに言いつけるわよ?」と脅しをかけてきた。

「そこで推しメンを盾に使うとは卑怯だぞ……」

「何とでも仰い。無駄な抵抗する暇があったら、髪の毛と一緒に落として来ちゃった色気の底上げを頑張りなさいな。そうでないとアンタ、そのままだとまるで男の子よ?」

 無慈悲極まりないその一言に胸を押さえるが、膨らみに乏しい胸元がそれを否定出来なかった。これは――そう、厚着のせいだから。うん。

 元はと言えば今日私がここでラシードと買い物をする羽目になったのも、遡ること三日前に図書館でスティルマン君を待ち伏せしたりしたからなんだけど。本当はその日の授業から出席しようと思っていたのに、目を覚ましたらすでにお昼を回っていたという大失態をおかしたせいだ。

 天恵祭から十日ぶりにあったせいで緊張していた私は、推しメンと目があった時に思わず彼の視線が額の傷に行くのを感じて、その気まずさから咄嗟に『それはそうとさ――……この髪型、どうかなぁ?』などと馬鹿げた上にどう反応したら良いのか困るような質問をしてしまった。

 そして生真面目な推しメンは神妙な表情をして私の額の傷と、様変わりし過ぎた髪型を見てからこう結論づけた。



『似合うかどうかというだけの質問なら似合うと思うが、これは俺個人の意見であって、誰しもが子女である君の髪型がそのままで良いとは言わないだろう。そしてそうなればそれは俺の手には負いかねる案件だ。だとしたらここは、美容関係に詳しそうなラシードに意見を仰ぐべきだ。実は俺も天恵祭の稽古をつけてくれた礼をまだ述べていない。そのついでと言うわけではないが、まだ学園内に留まっている可能性もある。一緒に探しに行こう』



 と、私の答えも聞かないままに踵を返して歩き出してしまった。そのせいで事態が飲み込めないながら私も後に続いて二年の棟や食堂、最終的には鍛錬場にたどり着いてしまい、運良くあのベンチにぼんやり腰を下ろしていたラシードを発見できたのだ。

 離れて見るその後ろ姿が少し煤けて見えたときは、私のせいかと思って心配したのだが――いざ声をかけてみるとそんな殊勝なことは全然なくて、冬が近付いて来たせいですっかり乾燥肌なことを悩んでいただけだった。

 全く紛らわしいにもほどがあるわ。美形はいちいち気にすることが腹立たしい。冬場に一回くらい粉ふき芋みたいな肌になればいいんだ。こっちはマイナスからの再出発なのに狡いぞ!

 しかも推しメンはそのラシードに向かってこう注文を付けた。



『このままだと元の見た目よりも良くしないと、卒業後に領地に戻った後が心配だ。婚期が遅れるだけでなく、心身を病んでしまうかもしれん。そこで美容に明るいラシードの腕を見込んで頼みがある』



 ――心配するにしても本当に言葉を選べよ、ヘイトマン。

 私から言わせれば君の方がずっと心配ですよ? 領地に戻った後に風の噂で刺されて死んだなんて訃報はお断りだからな?

 ――――だけど……、



『……ルシアを……俺の友人を、せめて他人から悪し様に言われないようにしてくれないか?」



 そんな不満も最後の一言で帳消しにさせるんだから、本当に狡い男だなぁ、私の推しメンは。背中しか見えなかったのが惜しいくらいに良い言葉だったのに。それでもその背中もスチルボックスに収納しておいたけど。

 あの場面を思い出して“心ここにあらず”だった私の意識を引き戻したのは、ラシードが一回“パンッ”と景気良く手を打ち鳴らしたからだ。

「とにかく一から仕切り直しなんだから、アンタも気合い入れなさい。元々は顔面だけ貸してくれればいいところを、アンタときたら他の部分も何の手入れもしていないんだもの。これから女性としての美しさの何たるかをキリキリ躾ていくんだから覚悟なさい」

 心の中で思っていたことを言い当てられてビクリと肩を震わせた私に向かい、ラシードは「この次は化粧品を見に行くわよ。一応基礎のスキンケアはしてあるんだから、そろそろ次のステージにあがらないと」と不穏なことを曰った。

「無理無理無理。化粧品ってお高いじゃない? この整髪クリームだって三つも買ったら今月の仕送りじゃ足りないよ」

 断固拒否だとばかりに首を横に振る私に向かい、ラシードは心底呆れた表情を浮かべて“チッチッチ”と人差し指を目の前で振った。

「はぁぁぁぁ~……これだからおブスは……。アンタねぇ、それで行くといま町にいる可愛い女の子はみーんなスッピンになっちゃうでしょうが」

「だからそれは元が良いんだってば。造形が整ってるから化粧なんて必要ないの。町の子達ですら絵師に愛されて……痛ぁっ!?」

 私が卑屈な事実を言葉を言い終わる前に、ラシードによって頭上に手刀が振り下ろされる。いくら手加減されているとは言え、振り下ろされる身長差を考えろこのオネエさんめ……! 

「ちょっと、そんな恨みがましい視線で見上げないで頂戴。アンタがあんまり卑屈なおブスだったからつい手が出ちゃっただけよ。女の子の可愛さは一朝一夕で出来るほど甘くないの。みんな元から可愛いですって? バカを仰い。みんな裏では必死に頑張ってるのよ。それをアンタは知りもしないで勝手なことばっかり……アタシは悪くないわよぉ? ねぇ、店員さん?」

 耳に毒と言っても過言でないその華やかな低音のビブラートをきかせた声に、女性しかいない店員さん達はメロメロになって頷いている。何だろう、今の私ってば孤立無縁過ぎるぞ。

「ほぉら、おかしいのはアンタで決まり。早くあと二種類選んで次の店に行くわよ。それでその次は服に、それから靴も――……」

 あ、拙いぞこれは駄目だ。

 この感じは早く行動しないと雪だるま方式に出費が増える予感がビシバシするわ。私は慌ててあとの二種類を探すために、店の棚に陳列された整髪クリームに鼻を近付ける。
しおりを挟む
感想 17

あなたにおすすめの小説

うっかり王子と、ニセモノ令嬢

たつみ
恋愛
キーラミリヤは、6歳で日本という国から転移して十年、諜報員として育てられた。 諜報活動のため、男爵令嬢と身分を偽り、王宮で侍女をすることになる。 運よく、王太子と出会えたはいいが、次から次へと想定外のことばかり。 王太子には「女性といい雰囲気になれない」魔術が、かかっていたのだ! 彼と「いい雰囲気」になる気なんてないのに、彼女が近づくと、魔術が発動。 あげく、王太子と四六時中、一緒にいるはめに! 「情報収集する前に、私、召されそうなんですけどっ?!」 ◇◇◇◇◇ 設定はあくまでも「貴族風」なので、現実の貴族社会などとは異なります。 本物の貴族社会ではこんなこと通用しない、ということも多々あります。 それを踏まえて、お読み頂ければと思います、なにとぞ。 R-Kingdom_11 他サイトでも掲載しています。

【完結】悪役令嬢のトゥルーロマンスは断罪から☆

白雨 音
恋愛
『生まれ変る順番を待つか、断罪直前の悪役令嬢の人生を代わって生きるか』 女神に選択を迫られた時、迷わずに悪役令嬢の人生を選んだ。 それは、その世界が、前世のお気に入り乙女ゲームの世界観にあり、 愛すべき推し…ヒロインの義兄、イレールが居たからだ! 彼に会いたい一心で、途中転生させて貰った人生、あなたへの愛に生きます! 異世界に途中転生した悪役令嬢ヴィオレットがハッピーエンドを目指します☆  《完結しました》

オバサンが転生しましたが何も持ってないので何もできません!

みさちぃ
恋愛
50歳近くのおばさんが異世界転生した! 転生したら普通チートじゃない?何もありませんがっ!! 前世で苦しい思いをしたのでもう一人で生きて行こうかと思います。 とにかく目指すは自由気ままなスローライフ。 森で調合師して暮らすこと! ひとまず読み漁った小説に沿って悪役令嬢から国外追放を目指しますが… 無理そうです…… 更に隣で笑う幼なじみが気になります… 完結済みです。 なろう様にも掲載しています。 副題に*がついているものはアルファポリス様のみになります。 エピローグで完結です。 番外編になります。 ※完結設定してしまい新しい話が追加できませんので、以後番外編載せる場合は別に設けるかなろう様のみになります。

村娘になった悪役令嬢

枝豆@敦騎
恋愛
父が連れてきた妹を名乗る少女に出会った時、公爵令嬢スザンナは自分の前世と妹がヒロインの乙女ゲームの存在を思い出す。 ゲームの知識を得たスザンナは自分が将来妹の殺害を企てる事や自分が父の実子でない事を知り、身分を捨て母の故郷で平民として暮らすことにした。 村娘になった少女が行き倒れを拾ったり、ヒロインに連れ戻されそうになったり、悪役として利用されそうになったりしながら最後には幸せになるお話です。 ※他サイトにも掲載しています。(他サイトに投稿したものと異なっている部分があります) アルファポリスのみ後日談投稿しております。

悪役令嬢に転生したので、やりたい放題やって派手に散るつもりでしたが、なぜか溺愛されています

平山和人
恋愛
伯爵令嬢であるオフィーリアは、ある日、前世の記憶を思い出す、前世の自分は平凡なOLでトラックに轢かれて死んだことを。 自分が転生したのは散財が趣味の悪役令嬢で、王太子と婚約破棄の上、断罪される運命にある。オフィーリアは運命を受け入れ、どうせ断罪されるなら好きに生きようとするが、なぜか周囲から溺愛されてしまう。

【完結】名前もない悪役令嬢の従姉妹は、愛されエキストラでした

犬野きらり
恋愛
アーシャ・ドミルトンは、引越してきた屋敷の中で、初めて紹介された従姉妹の言動に思わず呟く『悪役令嬢みたい』と。 思い出したこの世界は、最終回まで私自身がアシスタントの1人として仕事をしていた漫画だった。自分自身の名前には全く覚えが無い。でも悪役令嬢の周りの人間は消えていく…はず。日に日に忘れる記憶を暗記して、物語のストーリー通りに進むのかと思いきや何故かちょこちょこと私、運良く!?偶然!?現場に居合わす。 何故、私いるのかしら?従姉妹ってだけなんだけど!悪役令嬢の取り巻きには絶対になりません。出来れば関わりたくはないけど、未来を知っているとついつい手を出して、余計なお喋りもしてしまう。気づけば私の周りは、主要キャラばかりになっているかも。何か変?は、私が変えてしまったストーリーだけど…

光の王太子殿下は愛したい

葵川真衣
恋愛
王太子アドレーには、婚約者がいる。公爵令嬢のクリスティンだ。 わがままな婚約者に、アドレーは元々関心をもっていなかった。 だが、彼女はあるときを境に変わる。 アドレーはそんなクリスティンに惹かれていくのだった。しかし彼女は変わりはじめたときから、よそよそしい。 どうやら、他の少女にアドレーが惹かれると思い込んでいるようである。 目移りなどしないのに。 果たしてアドレーは、乙女ゲームの悪役令嬢に転生している婚約者を、振り向かせることができるのか……!? ラブラブを望む王太子と、未来を恐れる悪役令嬢の攻防のラブ(?)コメディ。 ☆完結しました。ありがとうございました。番外編等、不定期更新です。

悪役令嬢になりたくないので、攻略対象をヒロインに捧げます

久乃り
恋愛
乙女ゲームの世界に転生していた。 その記憶は突然降りてきて、記憶と現実のすり合わせに毎日苦労する羽目になる元日本の女子高校生佐藤美和。 1周回ったばかりで、2週目のターゲットを考えていたところだったため、乙女ゲームの世界に入り込んで嬉しい!とは思ったものの、自分はヒロインではなく、ライバルキャラ。ルート次第では悪役令嬢にもなってしまう公爵令嬢アンネローゼだった。 しかも、もう学校に通っているので、ゲームは進行中!ヒロインがどのルートに進んでいるのか確認しなくては、自分の立ち位置が分からない。いわゆる破滅エンドを回避するべきか?それとも、、勝手に動いて自分がヒロインになってしまうか? 自分の死に方からいって、他にも転生者がいる気がする。そのひとを探し出さないと! 自分の運命は、悪役令嬢か?破滅エンドか?ヒロインか?それともモブ? ゲーム修正が入らないことを祈りつつ、転生仲間を探し出し、この乙女ゲームの世界を生き抜くのだ! 他サイトにて別名義で掲載していた作品です。

処理中です...