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◆一年生◆
*23* いざ、第一イベント“天恵祭”!!
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あぁ……ついにこの日が来てしまった。私は自分が出場するわけでもないというのに、朝ご飯もほとんど喉を通らなかったくらいに緊張している。
本日は“十月二十五日”。このゲームの中でも屈指人気を誇るイベントの一つ、天恵祭の当日だ。
お天気はここ一週間毎日一日ずつのカウントダウン形式でしつこく予想してきた通り、空の高いこの季節に相応しい申し分のない秋晴れ。待ちに待ったわけでは全くないけれど、ついに泣いても笑っても始まってしまうスチルとイベントの大量放出日。
目の前に立つラシードと推しメンは、早速イベントスチルの一枚である騎士見習い達が着る白い胴着の上から、天恵祭の紋章と家の紋章を刺繍した帆布のような堅めの布で覆われた革の胸当てと、簡単なプロテクターをつける。腰には共革の剣帯をつけていた。
下半身は素材が分からないけど頑丈そうな黒いズボンと、軍用ブーツのような物でしっかり護られているので、基本的に狙うのは上半身のみ。頭部への攻撃はご法度で破れば即刻退場だ。
流石に近衛騎士のような鎧をつけたりはしないようで残念だけれど、言及するまでもなく両者ともとても似合う。もっと本調子ならば他の記憶を少しくらい犠牲にしても良いから、この推しメンのスチルに脳の容量を使いたいぞ。
ちなみに白い胴着に布で覆った革の胸当て程度で防御の役に立つのかと問われれば、これは防御率の話ではなく、刃のない模擬剣とは言え、スピードを乗せて振るわれる剣先が触れてどこかに傷を負えば、遠目からでも分かるようにとのことらしい。もしもそうなった場合、当然試合は終了だ。
白い胴着なのは美麗なスチルの為かと思っていたけど、当然そんな浮ついた理由のわけなかったね。反省。
勝ち負けを決める決め方は、一番無難なのが相手の武器を弾いて丸腰にすること。次に相手が自ら武器を捨てて棄権を表明するか、戦意喪失が審判の目から見ても明らかである場合の中断。
最後に一番文句なく勝者を決める勝ち方に、胸当ての紋章への一撃がある。これは胸当ての布と革の間に特殊な赤い染料が忍ばせてあって、衝撃が加わるとそれが弾けて上半身の白い胴着を赤く染める。
何も血を連想させる赤でなくとも良いだろうにとは思うけれど、学園創設以来の決まりらしい。毎年ご令嬢方の中にはそれで倒れる子もいるのだとか。確かに自分の兄弟や恋人、婚約者の上半身が赤く染まるのはあまり見たくないなぁ。
「ふ、二人とも昨夜はよく眠れた? きょ、今日は良いお天気になって、本当に良かった。これも日頃の行いのお陰かな~?」
口角を上げろと脳に伝達しながら無理矢理気分を上向かせようとして出す声は、遊園地のアトラクションバイト一日目のクルー並に痛々しい滑り方をした。彼等、彼女等はいったいどれだけの時間をかけて、あの声を人前で張り上げられるようになるのか。少なくとも“人前でお喋りするのが好き”程度では務まらないのでは?
ここで第二の人生での新発見だ。
前世なら上司が自分で社員に伝えるのが嫌になって、部下である私に押し付けてくるくらい酷い残業のお知らせでも、心を平坦に保ったまま、殺意のこもった目でこちらを見てくる社員達を前に朝礼で口にすることが出来たのに……。
こんなことならあの能力を持って転生したかった。ただしそうなると呪いの付加として“鉄仮面”がついてくるのは避けられまい。やっぱりそれは駄目だ。けれど元から白々しい世間話にも下はあるようで、噛めば噛むほど味は出ないけれどさらに白々しくなくなる。
自分でももう少し気の利いたことが言えないのかとは思ったけれど、それよりもラシードの私を見る白けきった目が辛い。
「普通に考えて君が出るわけではないのだから、そこまで緊張しないでも良いだろう? まぁ、君の領地は話に聞く限りかなりいな……長閑なところだから、こういう催しはなかっただろうが」
「おや? ちょっとスティルマン君、今うちの領地を“田舎”って言おうとしなかったかな?」
「気のせいだろう。それより君は天恵祭を見るのは今年が初めてだったな。試合開始までまだ時間があるから、観客席まで送ろう。天恵祭は毎年余程強いコネがなければ立ち見になる。君は有力貴族出身者でもないから、早く行かないと席が取れなくなるぞ」
「嘘だ……絶対に誤魔化そうとしている」
二人で言った言わない論争を繰り広げていたら「アンタ達、いつまでも遊んでないでさっさと来なさい!」と、先に観客席の階段を上り始めていたラシードに怒られてしまった。生前の年齢はそう変わらないのに……悔しい。
さて、そんなラシードの後について上がったベンチシート形の観客席は下でスティルマン君の言っていた通り、出場者の恋人や婚約者のご令嬢方ですでにかなりな混雑ぶりだ。
中にはファンクラブ的な集まりもあるのか、確認出来ただけでも赤色と水色とラシードのファンがいて、私は特にラシードファンのお姉様と同級生、果ては後輩ちゃんから凄まじいまでの嫉妬がこもった目で睨まれた。
けれどラシードはファンの対応に手慣れたもので、声をかけてきたり目があった子達にはウインクや投げキッスを忘れない。モテの上級者はやることが違うね!
推しメンは水色ファンからの視線を受けても「下らん」と全く取り合わない。うっかり忘れてたけど、水色も顔が整っているからモテるんだった。好みじゃないから失念していたよ。
そして暗黙のルールとでもいおうか、家格での座席順位まで決められているようで、真ん中の席に座っているご令嬢ほど華やかな顔立ちであり、通路に近くて闘技場の舞台が見えにくい場所の席に座っているご令嬢は割と大人しめな美人が多い。
乙女ゲームの世界に家格と顔面偏差値のルールがあるとは考えたくないけれど、自分の顔を考えればたぶん無関係ではないと思われる。しかも辺境領の娘である私に至っては、絵師も筆を適当に走らせたに違いないね。最早大人しめな美人ですらないただの一般人だ。
「ほらぁ、だから下でお喋りしてないで、早く上がって来なきゃ駄目だったのよ? まったく、このお馬鹿達」
「お、おぉ……でもまだ開始まで一時間は優にあるよね?」
「さっきも言っただろう。一般の自由席は毎年こうだ」
人の多い場所が苦手な推しメンは、明らかに嫌そうにそう答えてくれたけれど……これはちょっと予想外の混雑だな。前世で散々揉まれたラッシュ時の駅のホームみたいだ。
「そっかぁ……もうここはパッと見ただけでも席は空いてなさそうだね。上に行けばもう少しマシかな?」
「うーん、この時間だと望み薄そうだけど……そうねぇ。ここと違って上は舞台で戦っている臨場感とか迫力には欠けるから、確かに下よりは人気薄だわ。うん、一席くらいなら空いてるかもね。ちょっと行ってみましょうか」
頼りになる引率の先生ぶりが板につき始めたラシードの言葉に頷きかけていると、不意に推しメンが「いや、ここは一度考え方を変えてみよう」と待ったをかけてきた。それを聞いて足を止めたラシードが「あら、何か名案でも浮かんだの?」と振り向いて訊ねる。
「まだ名案かどうかは目的地に行ってみなければ分からないが、観戦出来そうな場所に少し当てがある。そこでリンクス、君に聞きたいことがある」
急な質問に首を傾げつつ私が一つ頷くと、スティルマン君も頷き返して真顔のまま口を開いてこう言った。
「木登りの心得はあるか?」
***
今から遡ること約一時間前。
『ここの上なら鍛錬場の観客席と同じ角度から、鍛錬場の中心にある舞台が見えるはずだ。会場から少し離れてはいるがそれなりに音も届くし、距離のある観客席からでも観戦出来るように、受付で双眼鏡を借りてきたから問題ないだろう』
そう言った推しメンが四メートル弱はある木の下に、途中までしか届かないハシゴと私を残してラシードと一緒に会場に戻ってしまってから、私はたった一人で木の上からの天恵祭鑑賞に勤しむことになる。
……スカートの女子を相手によくもこの場所を教えようと思ったものだな、推しメン。それともあれかな? 遠回しに女子認定してない宣言のつもり?
しかし何はともあれ、せっかく用意して頂いた特等席だ。精一杯楽しみつつスチルを集めよう。
私は一緒に渡された小冊子に目を通すと、天恵祭はトーナメント戦と個人戦の部に別れているらしく、ラシードは勝ち上がっていくトーナメント戦に。推しメンの方は水色からの申し出しか受けていないので、個人の部にそれぞれその名前を記されていた。
最初はトーナメント戦と個人戦がどう違うのかもよく分からないまま、樹上から二人の出番が来るまで予習の気分で双眼鏡越しに試合を眺めていたのだけれど――。
…………。
………………。
……………………。
…………………………これが物の見事にハマった。
最初は前座として個人の方から始まった試合は、個人での戦い方の違いもさることながら、体格差や武器の振るい方の我流、古式、正規の騎士のものと、色々な違いがあって初めて見る素人の私をも楽しませてくれる。
横に薙いだり、縦に打ち下ろしたり、素早く突いたり、もうどの選手も舞台の上を動く動く! 見ているだけの私も何度かはしゃぎすぎて、そのたびに枝から落ちかけて肝の冷える思いをした。
そうして段々と観戦の仕方も分かってきた頃に、ようやく本命である水色と推しメンの試合になったところだ。あの野郎が推しメンの教えた通り、他の選手よりも短めの模擬剣を持って入場してきた時には若干殺意が湧いた。“結局聞くんかい!”と。
一撃目は水色の先制から始まり、二撃、三撃と軽めの攻撃が襲ってくる。それを涼しい顔で最小限の上半身の捻りだけでかわす推しメン。
――――あぁぁぁ、最高に格好良いです!!!
「お、ちょ……行け、スティルマン君、そこそこ、あ、あーっ!? なに避けてんだ水色! お前の見せ場なんてもういらないから! あ、止め……なに生意気に反撃に転じようとしてるんだよっ」
ついつい競馬か野球の観戦をするオジサンの如く、水色を罵りながら双眼鏡を両手で構えて身を乗り出しかけ、試合にのめり込みすぎてまたもたわんだ枝から落ちかける。ひぇぇ危ない……。
横に大きく跳んだ水色が推しメンに勢いを乗せた横薙ぎを仕掛けるが、直前にその動きを見切っていた推しメンが後ろに大きく一歩下がり、下から斬り上げた模擬剣で水色の剣を宙高く弾き上げた―――!
昔から自分の信じられないような光景を見ると、世界の全てはスローモーションのように見えて、一切の音という音は何も聞こえなくなる。
直後に戻ってきた聴覚に、会場から大勢の観客が叫ぶ勝者への歓声と拍手がこの樹上にまで届いて私の内側から震えが沸き上がり、知らず知らずのうちに掌から血が滲むのではないかというくらい拍手をしていた。
借り物の双眼鏡を首からかけておいて、
ここから試合を見ることが出来て、
困難に打ち勝つ君を見られて、
君を焼き付けることが出来て、
「……良かった、これで、この先のイベントに進めるよ……」
そう口をついて出た言葉に何故か胸が痛むのは、きっと絶対気のせいだ。
本日は“十月二十五日”。このゲームの中でも屈指人気を誇るイベントの一つ、天恵祭の当日だ。
お天気はここ一週間毎日一日ずつのカウントダウン形式でしつこく予想してきた通り、空の高いこの季節に相応しい申し分のない秋晴れ。待ちに待ったわけでは全くないけれど、ついに泣いても笑っても始まってしまうスチルとイベントの大量放出日。
目の前に立つラシードと推しメンは、早速イベントスチルの一枚である騎士見習い達が着る白い胴着の上から、天恵祭の紋章と家の紋章を刺繍した帆布のような堅めの布で覆われた革の胸当てと、簡単なプロテクターをつける。腰には共革の剣帯をつけていた。
下半身は素材が分からないけど頑丈そうな黒いズボンと、軍用ブーツのような物でしっかり護られているので、基本的に狙うのは上半身のみ。頭部への攻撃はご法度で破れば即刻退場だ。
流石に近衛騎士のような鎧をつけたりはしないようで残念だけれど、言及するまでもなく両者ともとても似合う。もっと本調子ならば他の記憶を少しくらい犠牲にしても良いから、この推しメンのスチルに脳の容量を使いたいぞ。
ちなみに白い胴着に布で覆った革の胸当て程度で防御の役に立つのかと問われれば、これは防御率の話ではなく、刃のない模擬剣とは言え、スピードを乗せて振るわれる剣先が触れてどこかに傷を負えば、遠目からでも分かるようにとのことらしい。もしもそうなった場合、当然試合は終了だ。
白い胴着なのは美麗なスチルの為かと思っていたけど、当然そんな浮ついた理由のわけなかったね。反省。
勝ち負けを決める決め方は、一番無難なのが相手の武器を弾いて丸腰にすること。次に相手が自ら武器を捨てて棄権を表明するか、戦意喪失が審判の目から見ても明らかである場合の中断。
最後に一番文句なく勝者を決める勝ち方に、胸当ての紋章への一撃がある。これは胸当ての布と革の間に特殊な赤い染料が忍ばせてあって、衝撃が加わるとそれが弾けて上半身の白い胴着を赤く染める。
何も血を連想させる赤でなくとも良いだろうにとは思うけれど、学園創設以来の決まりらしい。毎年ご令嬢方の中にはそれで倒れる子もいるのだとか。確かに自分の兄弟や恋人、婚約者の上半身が赤く染まるのはあまり見たくないなぁ。
「ふ、二人とも昨夜はよく眠れた? きょ、今日は良いお天気になって、本当に良かった。これも日頃の行いのお陰かな~?」
口角を上げろと脳に伝達しながら無理矢理気分を上向かせようとして出す声は、遊園地のアトラクションバイト一日目のクルー並に痛々しい滑り方をした。彼等、彼女等はいったいどれだけの時間をかけて、あの声を人前で張り上げられるようになるのか。少なくとも“人前でお喋りするのが好き”程度では務まらないのでは?
ここで第二の人生での新発見だ。
前世なら上司が自分で社員に伝えるのが嫌になって、部下である私に押し付けてくるくらい酷い残業のお知らせでも、心を平坦に保ったまま、殺意のこもった目でこちらを見てくる社員達を前に朝礼で口にすることが出来たのに……。
こんなことならあの能力を持って転生したかった。ただしそうなると呪いの付加として“鉄仮面”がついてくるのは避けられまい。やっぱりそれは駄目だ。けれど元から白々しい世間話にも下はあるようで、噛めば噛むほど味は出ないけれどさらに白々しくなくなる。
自分でももう少し気の利いたことが言えないのかとは思ったけれど、それよりもラシードの私を見る白けきった目が辛い。
「普通に考えて君が出るわけではないのだから、そこまで緊張しないでも良いだろう? まぁ、君の領地は話に聞く限りかなりいな……長閑なところだから、こういう催しはなかっただろうが」
「おや? ちょっとスティルマン君、今うちの領地を“田舎”って言おうとしなかったかな?」
「気のせいだろう。それより君は天恵祭を見るのは今年が初めてだったな。試合開始までまだ時間があるから、観客席まで送ろう。天恵祭は毎年余程強いコネがなければ立ち見になる。君は有力貴族出身者でもないから、早く行かないと席が取れなくなるぞ」
「嘘だ……絶対に誤魔化そうとしている」
二人で言った言わない論争を繰り広げていたら「アンタ達、いつまでも遊んでないでさっさと来なさい!」と、先に観客席の階段を上り始めていたラシードに怒られてしまった。生前の年齢はそう変わらないのに……悔しい。
さて、そんなラシードの後について上がったベンチシート形の観客席は下でスティルマン君の言っていた通り、出場者の恋人や婚約者のご令嬢方ですでにかなりな混雑ぶりだ。
中にはファンクラブ的な集まりもあるのか、確認出来ただけでも赤色と水色とラシードのファンがいて、私は特にラシードファンのお姉様と同級生、果ては後輩ちゃんから凄まじいまでの嫉妬がこもった目で睨まれた。
けれどラシードはファンの対応に手慣れたもので、声をかけてきたり目があった子達にはウインクや投げキッスを忘れない。モテの上級者はやることが違うね!
推しメンは水色ファンからの視線を受けても「下らん」と全く取り合わない。うっかり忘れてたけど、水色も顔が整っているからモテるんだった。好みじゃないから失念していたよ。
そして暗黙のルールとでもいおうか、家格での座席順位まで決められているようで、真ん中の席に座っているご令嬢ほど華やかな顔立ちであり、通路に近くて闘技場の舞台が見えにくい場所の席に座っているご令嬢は割と大人しめな美人が多い。
乙女ゲームの世界に家格と顔面偏差値のルールがあるとは考えたくないけれど、自分の顔を考えればたぶん無関係ではないと思われる。しかも辺境領の娘である私に至っては、絵師も筆を適当に走らせたに違いないね。最早大人しめな美人ですらないただの一般人だ。
「ほらぁ、だから下でお喋りしてないで、早く上がって来なきゃ駄目だったのよ? まったく、このお馬鹿達」
「お、おぉ……でもまだ開始まで一時間は優にあるよね?」
「さっきも言っただろう。一般の自由席は毎年こうだ」
人の多い場所が苦手な推しメンは、明らかに嫌そうにそう答えてくれたけれど……これはちょっと予想外の混雑だな。前世で散々揉まれたラッシュ時の駅のホームみたいだ。
「そっかぁ……もうここはパッと見ただけでも席は空いてなさそうだね。上に行けばもう少しマシかな?」
「うーん、この時間だと望み薄そうだけど……そうねぇ。ここと違って上は舞台で戦っている臨場感とか迫力には欠けるから、確かに下よりは人気薄だわ。うん、一席くらいなら空いてるかもね。ちょっと行ってみましょうか」
頼りになる引率の先生ぶりが板につき始めたラシードの言葉に頷きかけていると、不意に推しメンが「いや、ここは一度考え方を変えてみよう」と待ったをかけてきた。それを聞いて足を止めたラシードが「あら、何か名案でも浮かんだの?」と振り向いて訊ねる。
「まだ名案かどうかは目的地に行ってみなければ分からないが、観戦出来そうな場所に少し当てがある。そこでリンクス、君に聞きたいことがある」
急な質問に首を傾げつつ私が一つ頷くと、スティルマン君も頷き返して真顔のまま口を開いてこう言った。
「木登りの心得はあるか?」
***
今から遡ること約一時間前。
『ここの上なら鍛錬場の観客席と同じ角度から、鍛錬場の中心にある舞台が見えるはずだ。会場から少し離れてはいるがそれなりに音も届くし、距離のある観客席からでも観戦出来るように、受付で双眼鏡を借りてきたから問題ないだろう』
そう言った推しメンが四メートル弱はある木の下に、途中までしか届かないハシゴと私を残してラシードと一緒に会場に戻ってしまってから、私はたった一人で木の上からの天恵祭鑑賞に勤しむことになる。
……スカートの女子を相手によくもこの場所を教えようと思ったものだな、推しメン。それともあれかな? 遠回しに女子認定してない宣言のつもり?
しかし何はともあれ、せっかく用意して頂いた特等席だ。精一杯楽しみつつスチルを集めよう。
私は一緒に渡された小冊子に目を通すと、天恵祭はトーナメント戦と個人戦の部に別れているらしく、ラシードは勝ち上がっていくトーナメント戦に。推しメンの方は水色からの申し出しか受けていないので、個人の部にそれぞれその名前を記されていた。
最初はトーナメント戦と個人戦がどう違うのかもよく分からないまま、樹上から二人の出番が来るまで予習の気分で双眼鏡越しに試合を眺めていたのだけれど――。
…………。
………………。
……………………。
…………………………これが物の見事にハマった。
最初は前座として個人の方から始まった試合は、個人での戦い方の違いもさることながら、体格差や武器の振るい方の我流、古式、正規の騎士のものと、色々な違いがあって初めて見る素人の私をも楽しませてくれる。
横に薙いだり、縦に打ち下ろしたり、素早く突いたり、もうどの選手も舞台の上を動く動く! 見ているだけの私も何度かはしゃぎすぎて、そのたびに枝から落ちかけて肝の冷える思いをした。
そうして段々と観戦の仕方も分かってきた頃に、ようやく本命である水色と推しメンの試合になったところだ。あの野郎が推しメンの教えた通り、他の選手よりも短めの模擬剣を持って入場してきた時には若干殺意が湧いた。“結局聞くんかい!”と。
一撃目は水色の先制から始まり、二撃、三撃と軽めの攻撃が襲ってくる。それを涼しい顔で最小限の上半身の捻りだけでかわす推しメン。
――――あぁぁぁ、最高に格好良いです!!!
「お、ちょ……行け、スティルマン君、そこそこ、あ、あーっ!? なに避けてんだ水色! お前の見せ場なんてもういらないから! あ、止め……なに生意気に反撃に転じようとしてるんだよっ」
ついつい競馬か野球の観戦をするオジサンの如く、水色を罵りながら双眼鏡を両手で構えて身を乗り出しかけ、試合にのめり込みすぎてまたもたわんだ枝から落ちかける。ひぇぇ危ない……。
横に大きく跳んだ水色が推しメンに勢いを乗せた横薙ぎを仕掛けるが、直前にその動きを見切っていた推しメンが後ろに大きく一歩下がり、下から斬り上げた模擬剣で水色の剣を宙高く弾き上げた―――!
昔から自分の信じられないような光景を見ると、世界の全てはスローモーションのように見えて、一切の音という音は何も聞こえなくなる。
直後に戻ってきた聴覚に、会場から大勢の観客が叫ぶ勝者への歓声と拍手がこの樹上にまで届いて私の内側から震えが沸き上がり、知らず知らずのうちに掌から血が滲むのではないかというくらい拍手をしていた。
借り物の双眼鏡を首からかけておいて、
ここから試合を見ることが出来て、
困難に打ち勝つ君を見られて、
君を焼き付けることが出来て、
「……良かった、これで、この先のイベントに進めるよ……」
そう口をついて出た言葉に何故か胸が痛むのは、きっと絶対気のせいだ。
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