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◆一年生◆

*21* 和睦と、理解と、新たな戦い。

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 二人に弄られた後で差し入れを与えてやるのも癪だけれど、休憩を挟まないと身に付くものも付かないのは、前世の受験勉強で嫌というほど身に染みている。大人な私は仕方なく矛を納めることにして、いつものベンチに腰かけ持ってきた差し入れを広げた。

 三者三様で好みが違うからこういう時に分け合えれば楽しいのだろうけれど、生憎とそうさせない品ぞろえになっているのが私達の特色だ。

「えっと……はい、それじゃあ配るよ。まずスティルマン君にはベーコンとトマトのケークサレで、飲み物はアイスストレートティー。私がアップルシナモンロールにアイスコーヒーのブラック。ラシードにはチョコマシュマロ・ホットチリマフィンとトマトバジルジュースね」

 順に定番を好む人、季節物を好む人、ゲテモ……新味を好む人の三通りである。味覚も好みも合いっこないのだ。まだしも私と推しメンはかえっこも可能だけれど、問題は最後の一人。

「――ラシード……毎回思うことだが、味覚は大丈夫なのか? 味覚は病でも狂うことがあるそうだから、一度医者にかかった方が良いのでは?」

 持ち帰り用の紙袋から取り出された食事を見て、スティルマン君が真剣にそう言うけれど、こればっかりは前世の流行り舌というのか、馬鹿舌というのか――悩むところである。何せ前世では都会に出れば出るほど奇抜な味が好まれた世界だったからなぁ。

 それにしてもスティルマン君は距離が近い人間に対しては、意外と心配性で世話好きだ。だからと言うわけではないけれど、心配されるとかえって反応に困るところで心配されたりする。

「大丈夫かどうかと言えば大丈夫じゃないとは思うけど、人の好みっていうのは千差万別だから。本人が美味しいと思ってるなら問題ないんじゃないかな」

 とはいえ、庇い立てはするけどその味覚についていけないのは私も同じだ。前世では食べ物に頓着しなかったけれど、今世ではそれなりにこだわっている。

 カロリーを取れれば良いと思ってクッキーやゼリーを主食にしていた頃と違って、たぶんだけど味蕾みらいが増えた。そのせいでもう以前の味覚には戻れないのだ。

 前世だったら露地物野菜とか季節物は高いと思ったものだが、こっちに転生してからは、自領で野菜を育てるのにかかった手間や味の違いに驚いてスティルマン君側になった。全てが終わって故郷に戻ったら、ラシードにうちで穫れた野菜を送ってやりたいものだ……。物流的に無理だけど。

 そんな私とスティルマン君の生温かい目に晒されたラシードが「アンタ達失礼じゃないの?」と文句を言ってくる、と――その背後に人影が見えた。

 最初は壁の陰を見間違えただけかと思ったけれど、やはり人の形を……それも女の子の形をしている。

 遅ればせに、私が口をつぐんで一点に視線を集中させたことに気付いた二人もその陰のある方に身体を向けた。すると壁の陰からこちらを窺っていた人影は、観念したのかおずおずと私達の前に姿を現した、が。

「ティンバースさん?」

 意外な人物のこの場への登場に、緊張で声が上擦る。

 壁の陰から姿を現したヒロイン――アリシアは、見つかったことに少しだけバツ悪そうにモジモジとしているけれど、私はと言えばそんなことを訊ねながらも期待と願望で胸をときめかせていた。

 だって乙女ゲームでこういう大イベントの前にヒロインちゃんが徘徊する理由なんて、作品の内容からも“差し入れイベント”の発生以外に考えられないもの。

 ここは人目に付きにくい場所だから、偶然ではなく、わざわざ探して立ち寄ったのだと考えた方が無難だ。私はチラリと隣にいるラシードに目配せしてこの場に二人きりにさせる方法を考えるけれど、意を汲んでくれたらしいのに、何故かラシードは首を横に振った。

「どうしたの? この二人のお友達ならこっちにいらっしゃいな。アタシ達ちょうど休憩するところなのよ」

 ニッコリと微笑むラシードの華やかな笑顔に気圧されたのか、ヒロインちゃんは「それじゃあ、お邪魔させて頂きます……」とベンチに近寄ってきた。あぁ、こっちをチラチラ気にしてるけど、分かるよ……途中からグループに加わるのって勇気がいるよね。

 その気まずさは理解出来るので、私は愛想を振り絞って「隣においでよ」とベンチを叩いた。案の定明らかにホッとした表情のヒロインちゃんは、ちょこんとお淑やかな仕草で私の隣に腰かける。

 座った瞬間フワリと香る甘さの少ない柑橘系の香水が鼻をくすぐった。うん、清楚系で空気の読めない天然なアリシアには、バラやユリの強い香りよりこういうのが良いな。

「これ香水かな? 良い香りだね。ティンバースさんのイメージにぴったりだよ」

「ほんとそうねぇ。でもアンタに香水のイメージとか生意気なこと言われても、彼女も困っちゃうわよ」

「うぅん? それはどういう意味でしょうか、ラシード先輩?」

「あら、そのままの意味よぉ」

 ホホホ、ウフフと私とラシードが火花を散らしていると、アリシアが「二人は仲が良いのね」とやや緊張のほぐれた様子で笑った。事態はこのまま和やかな方向へ進むかと思われた。

 けれど――。

「アリシア・ティンバース」

 一瞬で春の麗らかな空気を、ピシリと氷漬けにするような冷ややかな声がした。それはこの場の誰あろう、私の推しメンのものだ。ヒロインの彼女のことが大好きであるはずの、生真面目で不器用な彼の声。

「見ての通りこの鍛錬場にいる連中は天恵祭の準備に忙しい。そしてそれは俺達にしても例外ではない。そんな中で、俺達とあまり接点のない君がここへ現れるのは不自然だ。優等生な君のことだ、大方先日のアップルトンとの和解でも勧めにきたのだろう?」

 ――それは私も聞いたことがないような、酷く冷めた声。

 和やかになりかけたベンチには、途端に火が消えたかのように寒々しい沈黙が訪れた。アリシアとスティルマン君の二人にどう言葉をかけようかと、ハラハラしながら両者の間で視線を彷徨わせる私に対し、ラシードは泰然とことの成り行きを見守っている。

 しかし四人も同じ場所にいて重苦しい沈黙だなんて、我慢出来るのも五分が限度だ。意を決した私は沈黙を破ろうと口を開きかけた。

「アナタ……ティンバースさんと言ったかしら? 今のスティルマンの予想が当たっているのだとしたら、アナタ、それをアップルトンとかいう子の方には話したの? もしもそっちに先に話を通さずにこっちに来たのなら、アナタのその行動は自己満足以外の何物でもないわよ」

 だが、それを見越していたラシードに先を越されてしまう。しかもスティルマン君と同じくらい辛辣な言葉で。

 どうしたんだよ二人とも……私を置いて会話を進めないでくれ。アリシアも思いがけない初対面のオネエさんからの言葉にタジタジじゃないか。

 オロオロするしかない私の目の前で、推しメンもその言葉に深く頷いて同意を示す。これは男子二人、女子二人に分かれたと思って良いのかな? だとしたらここは私がヒロインちゃんの擁護に回らないと、せっかく好感度を上げるイベントの前に禍根が残るぞ。

 あぁ、だけどここで仲裁してわだかまりがなくなってしまえば、好感度を上げられる可能性のあるイベントが潰れてしまう。いや、しかしこれを止めないとイベントは無事に起こっても好感度は下がるのか? 

 そんな内で吹き荒れるジレンマに私が動けないでいると、意外にもヒロインちゃんが「あの、ですが、わたしは二人のどちらにも怪我をしてほしくありません」と言葉を絞り出した。この場で口を挟めるだなんて、見た目の割に勇気があるな。

 でもその勇気もスティルマン君の「あの試合の申し入れはアップルトン自らしてきたことだ。部外者の君にそんな心配をされる必要はない」との言葉に封じられてしまう。

 ――え、えぇ~……本当にどうしたんだよ、推しメン。

 君の最愛のアリシアが泣きそうじゃないか。このままだと好感度が上がるどころか地に落ちて、尚かつ抉ってしまうぞ。一体何を考えてるの?

 取り敢えず私は、俯いてしまったアリシアを慌てて抱き寄せて「野郎二人して女の子イジメは良くない」と二人を睨み付ける。しかしその私の頬にラシードの指がブスッと突きつけられた。

「違うわよ、お馬鹿。相手の子もプライドがあるから試合を申し込んで来たのよ? それを相手の子が直前で思いとどまって破棄するならまだしも、端で見ていただけのこの子が勝手に来て“やっぱり取り下げて下さい”っていうのは道理が合わないわ」

 そう珍しく眉間に皺を刻んだラシードの指が、私の頬肉にブニィっと結構な力で押し付けられる。……後で赤い跡が付いていたら仕返ししよう。

「それにその場にたった三人だけだったならまだしも、アタシのクラスメイトもその現場を見ていたらしいから、スティルマンが何も考えないで受理したら、相手は戦わずして敵前逃亡したことになるのよ? “所詮は商人の息子だからな”何て言われたら面目丸潰れじゃない」

 そこまで説明を受けて、ようやく私とアリシアも成程と手を打つ。要は今回のヒロインちゃんの行動は、男の子同士ということだけではなく、個人のプライドをも著しく傷付ける行為だったということか。

 ラシードの立て板に水を流すような説明にだんまりな推しメンを見るに、正解なのだろう。口下手な推しメンと私だけだったら危険だった状況も、コミュニケーションのお化けみたいなラシードがいてくれたことで、最悪の結果を回避出来た。

 そのことに思い至ったアリシアは私の腕の中で、顔を真っ赤にして素直に「ご、ごめんなさい。わたしったら勝手に馬鹿な勘違いをしたりして……」とスティルマン君に謝罪を述べた。

 両者の確執というか誤解が解けたところで、アリシアが持ってきてくれた差し入れを残して「カインとアーロンの様子も見に行かないと」と立ち去ってしまう。こうやって見ていると、ヒロインちゃんもまだ特定の相手に思い入れがない間というのは忙しいんだな。

「まぁでも、揉め事の誤解も半分くらいは解けたしこれで一件落着だね。後の天恵祭までの残り期間はのんびり頑張ろっか?」

 私が自分で持ってきた差し入れを食べ終えて、アリシアからの差し入れの中にあった手作りクッキーを齧りながらそう言うと、一緒にそれを食べていた二人の気配が剣呑なものに変わる。

「は? 馬鹿を仰い。やるなら徹底的にやるの。アップルトンとかいう生徒相手に大差付けて勝つわよ」

 それまでゲテモ……差し入れを食べた後のオヤツとして、アリシアからの差し入れを「このクッキー美味しいわねぇ。アンタも挑戦してみたら?」などと言っていたラシードが、いきなり殺る気満タンの答えを返してきた。

 その急変ぶりに私が頬をひきつらせていると、向かい斜め前に座っている推しメンも「当然だな」とか言うし。何なの君達、戦闘民族か何かなの?

 二人の発言にドン引きな私を前に、ラシードはビシッと人差し指を立ててこう宣言した。

「良いこと? 勝負するって決めたなら、勝たなきゃ駄目よ。分かったら休憩は終わり。本番までの二週間ビッシビシしごいてやるから覚悟なさい」

 これは……ゲームの畑が違うけど、それっぽく言うとしたら“オネエさんは鬼軍曹に進化した!”というやつなのか、な?

 こうして当日使用する模擬剣を片手に立ち上がったラシードに続いて「望むところだ」と推しメンも後に続く。

 一人ベンチに取り残された私は、楽しげに模擬試合を始めた二人の姿を眺めながら、女に転生してしまった我が身をほんのちょっぴり呪った。
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