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◆一年生◆

★13★ 星詠師は夜を好まず。

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 ふと書類を片付ける手を休め、代わりに机の上に置いてあった深い夜の始まりの色を模した水晶玉を手に取った。ひやりと冷たいその水晶玉を弄びながら、一瞬玩んでいるつもりが生まれた時から身近にあったこの玉に、俺の方が玩ばれているのかもしれないと思う。

 ゴトリと机の上で転がせば、傷一つない夜の闇が、さして面白くもなさそうにそれを見つめている自分の顔を映し出す。ほんの一週間ほど前にこれを使って夜空を詠んだ俺は、一体どのような表情をしていたのだろうか……?

 代々【星詠師】を多く輩出して来たスティルマン伯爵家の跡取り。その役目を今さら呪うことはないが、この肩書きが俺から多くのものを奪ってきたのは間違いないだろう。

 元来の絶対数が少なく、しかも国の中枢機関として働ける人材ともなれば、さらに狭き門となる【星詠師】。大半は貴族階級者からしか生まれないとされるこの能力を指して、一部の気概と蛮勇を履き違えた平民達の中には“血の楔”と揶揄する者もいる。

 ごく稀に市井から現れる“野良”の【星詠師もどき】と、国に飼われる【星詠師】の能力値には雲泥とも言える差があるが、少なくとも俺は【星詠師もどき】の方がよほど自由で能力もあるのではないかと、あの今年から入ってきたクラスメイト……ルシア・リンクスを見ていると思う。

 それほど呪わしいこの能力に目を輝かせる人間を見たのは、俺にとって実に久しいことだった。

 ――以前にあの瞳の人間を見たのはもう十年近くも昔。それもまだ他人や自分に対して、失敗や弱さを許容する甘さを持ち合わせていた頃のことだ。

 あれは今は亡き母の療養の為に夏に訪れた別荘で、屋敷から母の世話係として連れてこられた使用人しかいない別荘での生活に退屈していた。そこで使用人達の目を盗んで近くの森に一人で出かけた日――俺はその森の中で、近隣の村に住んでいるという不思議な雰囲気を纏った少女と出逢った。

 まだ自身の生まれた階級に今ほど浸りきっていなかったせいもあり、俺は退屈だった夏の療養地での日々を、毎日同じ歳だった平民のその少女と遊んだ。

 柄にもなく少女の歓心を買いたくて、自分には星詠みの能力があるのだと打ち明けた時の輝く瞳に、幼いながらに魅入ったことを思い出す。ルシア・リンクスの目は俺にそんな記憶を呼び起こさせる。

 貴族としては珍しくもない政略婚仮面夫婦の間に生まれたせいもあり、当時は歳の割に幾分冷めた物の捉え方をする子供だった俺を、その少女は根気よく夏の間をかけて、徐々に人間らしい物の考え方をするように変えていった。

 そして初めて体験するそんな穏やかな毎日の中で、俺とその少女は幼いなりに互いに惹かれ、将来を誓い合う真似事をしたのだが――……不慮の事故でそんな幸せな時間も呆気ない幕切れに終わる。

 雨上がりの虹を見ようと二人連れだって登った木から、足を踏み外した少女を庇って転落したのだ。

 落下する浮遊感の中で、必死に抱きしめて庇った少女の無事を確認した直後に気を失った俺は、目覚めるとすぐ本邸である屋敷に連れ戻され、以後あの少女のいる療養地へと向かうことを禁じられた。

 少女を受け止めた時に気を失い負傷した足は、未だに天候が崩れると痛み出す。あの苦くも眩しい当時の思い出と共に。

「アリシア……か」

 ポツリと口にしたその名で、心がざわつく。

 あの少女がその後どうなったのかは気になっていたものの、まさか今頃になって再会するとは流石に思ってもみなかった。

 当時は可愛らしいといえども平民の娘であった少女は美しく成長し、いつの間にか、社交場でも女性関係が派手だと噂のティンバース男爵の娘として今年学園に入学して来た。どこでどう血筋が絡んだのか、今では【星喚師】の称号を持ち得る才能を開花させている。

 時間の流れとは不思議なものだと感じつつも、時を経て再会した彼女はすっかり俺を忘れていた。それも当然だろう。当時とはまるで別人のようになった自覚は充分にある。

 ――あの夏の終わりに母は死に、元々放蕩だったあの男は、家が傾くほど散財を続けて女を囲った。別段最初から何の期待もしていなかったのだから、恨んではいない。

 全てはスティルマンという呪われた家名の重さから、いつか崩れて行くものだと分かっていたからだ。いずれ腐り駄目になって行くにしても、それまでは些細な失敗も許さない家風の教育は、俺から周囲の人間に対しての寛容さを奪っていった。

 事実、幼い日に将来を約束したあの少女――……アリシアですら、気付かないほどに歪んだ自分も、この家名に蝕まれていくだけなのだから。

 結果として他人との衝突が増え、この歳になるまで友人と呼べる存在の一人もいない――と、そこまで考えてから、未だに児童書で勉強をするあの落ち零れのことを思い出す。

 辺境の田舎者だからか、スティルマンの家名を聞いても眉一つ動かさず、物怖じしない。それどころか、この俺を相手に星詠みの勝負をしようと言い出す。傷だらけの安物の天体望遠水晶を殊の外大切にし、家族や領地の話を楽しげに語って聞かせる無神経さ。

 どこにいても悪い意味で目に付く田舎者。他者からどれだけ馬鹿にされようとも飄々として、取り繕わず媚びもしない。

 しかしそのくせ【星詠師】としては致命的なことに暗闇を恐れ、傷だらけの水晶に拘るせいで正しい星詠みの腕前も不透明。

 まさかこちらの胸の内を知っているはずもないが、度々アリシアを呼び出しては奇妙な三人組での行動を取る羽目になる。

 お陰でというのか……当初はカイン・アップルトンを訪ねてクラスに現れるアリシアとは、目が合うだけで嫌な顔をされる関係性だったにも関わらず、最近では目が合えば彼女から微笑みかけてすらくるのだ。

 無論そんなことで何がどうなる訳でもない。

 過去は過去。

 現在いま現在いま

 それを混合するほどお目出度い脳をしている訳でもないのだから。

 余計なことを考える前にそろそろ仕事に戻ろうと、それまでの思考を振り切る為に目蓋を閉じ、一週間前に五日に渡って行った天体観測を思い出す。普段は必要最低限しか行わない星詠みを、あの五日間だけは真剣に取り組んだ。

 手にした深い藍色に久し振りに宿るのは――――星の瞬き、巡り、声。

 手にした天体望遠水晶の中でぶつかり合う過去と未来。星を詠み、伝えるこの能力を誇らしいと感じたことなど、あの夏の日以来一度もない。

 だというのに……机の上でほんの少し唇を笑みの形につり上げた自分を映す藍色の水晶を見ていると、それが本心であったのか、ふと自信がなくなるのだ。

 手にした水晶を眺めながら、僅かばかり残る過去への感傷を抱いていると、重々しい意匠を凝らした扉の向こうから、遠慮がちに『若様』と呼びかける声がした。

 その声に溜息を吐いて短く「入れ」と返事をする。ややあって、扉の向こうから現れた人物は、俺が幼い頃からこの屋敷に仕えてくれている執事だ。入室と同時になされるそのいつも変わぬ折り目正しい一礼に軽く頷く。前回の帰省よりもその髪に白い物が混じっていることに気付き、気分が沈む。

 すでに溺れそうなほど積み上げられた書類の山に、さらに積み上げられる新たな書類の山が、今のスティルマン家の負債だと考えると辟易する。

 入室した時と同じく静かに退室する執事の気配に、図書館で連日見つめた星火石ランプと同じ輝きを放つ、あの夜落ち零れの“友人”に贈った涙型の首飾りを思い出す自分がいた。
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