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◆一年生◆
*4* 視覚から得られる物って多いよね。
しおりを挟む初対面の女生徒にローブの裾を掴まれて凍り付く熊と、掴んでおきながら内心何を話しかけようか全く考えていなかったせいで焦る私。この謎めく沈黙を先に破った方が有利に働くと瞬時に判断出来たのは、前世の人生経験の賜物だろう。
「あ、ごめんなさい! えぇと……別に邪魔をされただなんて思ってないんだけど、いきなり知らない人から話しかけられたから驚いただけ。それに本ならちょうど読み終えたところだから」
勿論口から出任せの嘘である。こんなものを一回読んだ程度で理解出来ていたら赤点を取る訳がないのだから。よって続きは明日読むことにして、今は疑問を解消する前にこの人物を逃がしてなるものかと一息に畳みかける。
知らない攻略対象キャラとか、この先の展開にどう関係するのか分からないと怖いから絶対名前だけでも聞いておかないと!
熊は私の発する圧力に一瞬驚いたようだったけれど、すぐに大人の余裕というか、頼もしい上級生らしく微笑みを浮かべて「そうかい? だったらもう少しだけお邪魔させてもらおうかな」と踵を返しかけていた身体をこちらに向ける。
そのことにホッとした私はローブから手を離して「どうぞどうぞ。探し物ならこっちのことは気にしないで。何なら探すの手伝いますよ?」と言ってしまってから、相手の表情が微妙に困惑していることに気付いた。
“ん? 何でそんな顔をしてるんだ?”と思いかけてから……いや、考えてみたら自分の方が無礼だったのだと思い至る。前世からの実年齢だとこの熊も私より年下だろうけど、この世界では私の方が年下なのだ。
しかも、この学園に現在在校している中では階級の一番下の辺りに位置するド底辺の田舎貴族。それに比べれば誰でも格上になる学園内で、今の私の口きき方は明らかな不敬に当たる。
“物語の序盤でいきなり詰んだ”と私が青ざめたその表情を見た熊は、今度は一転してそれと分かる笑顔を見せ、
「はは、君は面白い子だね。自分はエルネスト・ホーンス。ここの院生をしながら家庭教師の真似事をやっている物好きだ。もし良ければ君の名を聞かせてもらっても?」
と私がなかなか言い出せなかった自己紹介をあっさりと放り投げてきた。しかし名前を名乗られても一向に記憶の中に閃くものがないことから、やはりこの熊は隠しキャラ的な位置に属する人だろう。
少なくともそこまで細かくやり込んでいなかった私には、どのルートで彼が出現するのか皆目見当がつかない。久々にエフェクト持ちを見つけられたのに悔しいけれど、今のところは様子見くらいしか手が打てなさそうだ。
あとこの熊、見た目通りコミュ力が高い。先に自己紹介しといてこっちに訊ねてくる辺り少し警戒する必要もありかな? 格上からの名乗りは異例だし、格下がそれに応じないことはあり得ない。
自分のミスに内心舌打ちしつつ「ルシア・リンクスです」と表面上はにこやかに応じた。良い人そうではあるけど、攻略対象キャラは皆スティルマン君の敵な訳だから、念のために学年も教えないに越したことはないよね?
――が、しかし。
「その緑色のリボンからするに今年の新入生か。ここにいるということは星座の勉強かな?」
うわぁ……推しメンのライバルキャラ相手に情報筒抜けとか、黒子に徹するどころの話じゃない。
この学園の制服は女子生徒は紺色のシスター服を思わせるワンピースと丸襟の白いブラウス、肩から羽織るワンピースと同色のケープと、乙女ゲームとは思えないくらいシンプルだ。
唯一のお洒落が襟口にブローチで留めるリボンだけ。このリボンは学年ごとに色分けされているので見分けるのは容易い。くっ……ホーンスさんたら目敏くていらっしゃる。
とはいえ現状全く思い通りに進んでいない訳だから、熊改めホーンスさんという情報源を得られたことは一歩前進かな。それにホーンスさんは星のエフェクト持ちと言ってもまだ色も薄いし、何らかの特殊イベントでも起こらない限り大丈夫だと思う。
だったらあとはヒロインちゃんに近付けないように注意していれば、スティルマン君にとって急な脅威にはならないだろう。
そこまで考えてひとまず安心した私は、その後ホーンスさんの資料探しを手伝いながら、学園内の抜け道などを聞いて頭の中で明日からの探索の作戦を立てる。まさかあんなところに抜け道があるなんて――ふふふ。
凄く、とは言えないまでも、そこそこ実入りのある情報をくれたホーンスさんに資料を渡して寮に帰ろうとしたら、ホーンスさんが臙脂色をした表紙の薄い本を手渡してくれた。
中には手にとって一、二頁とめくってから思わず「あ、可愛い」などと口走ってしまうような挿絵が幾つも描かれていて、文章は少なめ。恐らく子供向けの絵本的な物なのだと分かる。
「もし良かったらこれで星座の勉強してみてはどうかな? これなら絵も綺麗だし初心者向けだ。星座に興味のない人はまず文章説明で音を上げるからな。絵だとなかなかロマンスを感じやすいだろう?」
ホーンスさんの言葉には確かに一理あった。点と点を無理やり結んで描いた絵に恋愛要素を語られてもさっぱり分からなかったけど、手渡された本の中の絵は絵としてだけ作用していて、若い星神達の恋愛模様が可愛らしく描写されている。
これなら夜にベッドの中で読める分厚さだし、ドロドロとした展開も子供向けに上手いこと省かれているから、夢見も良さそうだ。
しかしホーンスさん、自分の作業をこなしながらわざわざこの本を探してくれたのだろうか。だったらむしろ私の手伝いなどいらなかったのでは?
「あぁ、はい。確かにこれなら読みやすいですけど――……何だかこちらから手伝うと言っておきながらわざわざ本まで選んでもらってしまってすみません。あと、この本ありがとうございました」
何だか少し居たたまれない気持ちでそう礼を述べると、ホーンスさんは一瞬だけ巨峰色の目を丸くして、それからすぐに見る者に安心感を与えてくれる微笑みを浮かべた。
「いや、自分一人でこの量を黙々と探すのは退屈だから助かったよ。それにこう見えて誰かの為に本を見繕うのは好きなんだ。だから気にしないで、その本で君が星座を楽しめるようになってくれれば嬉しい」
一週間前の“スティルマン君と初会話イベント”以外で、学園に入学して以来あまり優しく接してもらった記憶がないからか、柄にもなく思わずウルッときかけた。前世でも感じたことのなかった郷愁が胸に去来した途端に、領地の皆や両親の顔を思い出す。
――って、危ない危ない。こんなに簡単に推しメンのライバルキャラ相手に心絆されてなるものか。
この人の良さそうなホーンスさんが、私を油断させたみたいに他者の心に入り込むタイプの性質を持っていたら厄介だ。スティルマン君の断罪エンドとかにうっかり登場する人物かもしれないじゃないか。
推しメンのスティルマン君が幸せになれるまでは、絶対にライバルキャラ達に気を許してはならない。
「えぇっと……それじゃあ門限も近いし、私はこれで失礼しますね」
「あぁ、君は寮生活なんだな。引き留めてしまってすまなかった。自分はたまにここに本を探しに来ると思うが、その時は声をかけてくれ。そうしたらまた良さそうな本を何か見繕うから」
ちょっとは学ぼうか、私。――……生前の自分よりも年下な相手に、こんなにポロポロ個人情報落っことしてたら駄目だろう。もしや気を張っていた社畜の時の方がまだいくらか賢かったのではないか?
そんなことを考えながらも「本当に? 本気にしちゃいますからね」と多少お馬鹿な感じに返事をしておく。裏方として情報収集をするなら、ライバルキャラから残念な子だと思ってもらえた方が良い。
笑顔のホーンスさんに見送られ、図書館の入口で星火石のランプを返却して廊下に出ると、季節が季節なので窓から見える空はまだ明るかった。
ただ夏の夕方はその明るさのせいで時間をはかれないから、時計がない場所では油断ならない。恐らく門限までそう時間は残っていないはずだ。
図書館と学園を繋ぐ回廊をある程度まで歩いたところで、私は制服の胸ポケットから生徒手帳を取り出して、今日自分の身に起こった“イベント”を書き込むことにした。
少し考えてから、取り敢えず推しメンに関する何かが起こった訳ではない“六月十九日”の部分に赤ペンで【隠しキャラ? 発見。放課後の図書館西側にて遭遇】と記しておく。
こうしてホーンスさんの一番最初の出現場所と大まかな時間帯をメモしておいて、次に別の場所に現れたらそれを随時書き加えて行けば、ヒロインちゃんと出くわす危険性を潰しつつ、スティルマン君の活動範囲からも遠ざけられる。
ちなみに私の手帳に記録されている内容が正しければ、スティルマン君は現在学園の自習室か男子寮に帰宅済みのはずだ。……この生徒手帳を落としたら一人の学生ストーカーの人生が終わる。
「……よし、と。こんなもんかな?」
手帳に走り書きをしたら清書が出来ないので、最初からきっちり丁寧に書かないといけないのだから仕方がない。書き上がった手帳の内容を確認してから胸ポケットに戻し、一瞬図書館で借りてきた臙脂色の本を学園指定鞄アイテムボックスに入れようか悩んだけれど、中身が限界だったので諦めた。
教科書で一杯の鞄を毎日持ち帰るのは手間だけど、教室に置きっぱなしにしておいたら大変なことになるのは目に見えているしね。
まだ明るいとはいえ、とっくに下校時間の過ぎている学園の廊下を残っている教師に見つからないようにソロソロと歩くけれど、少し開けた空の見える場所に出るとついつい“アレ”をやりたくなってしまう。
「もう下校時間過ぎてるし、誰もいないよね?」
自問自答でそう結論付ければ早速やろう。前世と違って今回の私はやりたいことを常識の範囲内で我慢しないことにしているからね。そのまま回廊をそれて裏庭に抜ける。
裏庭と一口に言っても、そこは流石の王立グエンナ学園内。裏庭と称するには勿体ない広さと美しさを誇る庭園は、グルリと周囲を見回して見たところ誰もいなさそうだ。
「まぁ、コレも別に学校に持って来ちゃ駄目って訳でもないんだけど……馬鹿みたいな言いがかり付けられたら嫌だしなぁ」
一人でそう愚痴を言いながら鞄の中からゴソゴソと取り出したのは、大人の拳大の包み。さらに包みを解いて現れたのは、深い深い、夜の始まりを掬い取ったような藍色をした水晶だ。
私は自分の心第二の臓のように思っているそれを、恭しく夕焼け空に向かって掲げるように翳す。
「ほら、良い子だから――……今日の空模様を憶えてね。雲と風と、この光を憶えておいて。私と私の家族の待つ土地に、良き星々の導きがあらんことを」
こうして毎日水晶を空に翳すことに意味はない。でもこうして夜だけでなく日の光も見せてやった方が、この“私の半身”も天候の的中率を上げてくれそうな気がするのだ。実証はないから知らないけど。
――しかし、私が日課にしている自己満足のおまじないをする背後から、突然その声はかけられた。
「まだ児童書を読んでいる人間が星詠みか」
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