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◆第六章◆

♚幕間♚君が見た夢の形は。

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 白く塗り直されたばかりの壁と天井。

 表の埃っぽい風が吹き込んでくるのを防ぐために窓にかけられたカーテンも、狭い待合室に並べられた木の丸椅子も、診療室に設けられた簡素なベッドにかかるシーツも。目に入るもの全てが清潔さを表す白一色。

 少し様子が違う物があるとすれば、身体に継ぎ目のある酷く不気味な人型が立っているところだろうか。この一週間あの人型を見て悲鳴を上げた人間の多いことよ。かくいう私も苦手だ。

 私財を使ってスラムに開業した診療所には初日から患者が途切れず、ほとんどが支払い能力のない者達である。しかしまだ声変わりをしたばかりの〝医者〟は支払えない者達にも扉を開く。

 かつて時間を、目標を共にした彼女が『患者に清潔さを証明するのに、この色があれば言葉はいらないのよ』と。そう言って淡く微笑んでいた姿を思い出す。そのせいか彼女はいつも白を纏っていた。

 たれ目がちな緑の双眸が、理知的な横顔が、薬草を煎じる傷だらけの指が、私の名を呼ぶ穏やかな声が、もう戻らないことを知っている。力が及ばなかった。無力だった。人間の憎悪や嫉妬を当時のわたしは知らなかった。

 一度命を落として他の世界からやってきた転生者を加護せよと命じられ、特に何の感慨もなくそれを承けて人の子の……まだ少女と言って良い彼女と出逢い、世界にただ存在するだけだった私に意義をくれたというのに。

『わたしはフレデリカ・ラッセル。いきなりで悪いのだけれど、この世界でやりたいことがあるの。前世では残念ながら半ばで終わってしまった夢が。ねぇ、貴方も手伝ってくれるかしら?』

 努めて気丈に振る舞うその目が赤く潤んでいるのも、溢れるものを我慢するためにくぐもった声も、異形相手に差し出された震える手も。羽虫のようにか弱いくせに大仰な夢を語る小娘を見て、護ってやらなければと思った。

 そんな彼女を失って自己の存在意義を再び失くし、彼女を奪った者共に持てる限りの呪いを撒き散らし、あとはただ滅びを待つだけだった私の前に、与えた時と同じように現れた上級精霊は可笑しそうに言った。

『あーあ、つまんないの。もう消えちゃうんだお前。せっかく魔石まであげたのにさぁ。でもあの守護対象者は面白かったよ。あの女の最後の願い、何だったと思う? ね、知りたい? 知りたいよねぇ? こんなに頑張ったのに裏切られちゃったんだもん。ほーんと、お前達みたいな下っ端の精霊ってかわいそー』

 遥か高みから落とされたその答えを聞いて、私は存在意義を手離した。それは決して上級精霊が面白がるような裏切りではなかった。裏切りと呼べるほどのことでは、何も。全てを叶えてやれていると驕っていた自分に苛立ちはしたが。

『かわいそついでに追い打ちかけるけど、もうお前にその魔石は必要ないよね? てことで、また新しい玩具が見つかるまでどこかに隠しとくから没収! アハハハハッ、じゃあね~!』

 話してくれれば良かったと彼女に告げられるほど、私は彼女に寄り添ってはいなかったのだろう。そうして何もかも失い尽くすと、徐々に呪いをかけたことで流れ出し続ける魔力の消費量に自我が磨り減り、やがて堕ちた。

 どれくらい時間が経ったのか分からない。あても意味もなく徘徊していた時、自我が薄れて消滅しかけた身体に馴染む、とても懐かしい気配を感じた。

 そこから彼女と同じ境遇にあったマリ達に保護され、かつての敵の子孫に出逢い、年若いが彼女と志を同じくする小僧から呪いの矛先を変えることを承諾して、今日に至った。

 あの忌まわしい魔石はもう手元になく、私もすでに守護精霊ではない。守護対象者を持たないこの身はいつか消えることだろう。

「次の患者は産後の肥立ちが悪く食事を食べても吐いてしまい、授乳しようにも量が足りないか。マリのくれた本に似た記載のものがどこかに……」

 そうブツブツ言いながら本棚に手を伸ばし、この世界のものでない文字が書かれた背表紙をなぞる。この小僧を見届けることが最後の仕事になるのなら、それも悪くないかもしれないと思う。

 順番になり、待合室から入ってきた赤子を揺すりあやす若い母親の頬は痩け、血の気のない唇は白く渇いている。虚ろで力のない目に小僧エリックの姿を映した母親は、まず医者を見て驚き、隣に立つ私を見て息を飲んだ。

 けれどそれも「この方は聖女様の御使い様だ。心配しなくても良い」と言われれば患者は黙る他ない。診察が始まれば気にする余裕がなくなるのか、悩みを吐露し、エリックが一つ一つ不安の解決策を提示していく。手際も考察も悪くない。

 本日最後だった患者が待合室に戻ると、ここ一週間そうだったようにすぐこちらに向き直ったエリックが「オニキス様、今日の見立てについてですが……如何でしたでしょうか?」と尋ねてきた。勿論私は医者ではない。ただそれでも――。

『一人の医者を盲信しては危ないでしょう? こちらの世界の薬草には詳しくないから、助言をくれると嬉しいわ』

 懐かしい声が脳裏に浮かぶ。であれば、答えるのが私の役目に違いない。

「……さきほどの患者だが重度の貧血も併発しているだろう。身体を温める働きのある薬草を煎じたものがそこの棚にある」

「~~っ、はい!! すぐに確認します!!」

 勢いよく返事をするエリックは常に冷静だった彼女とは似ても似つかない。けれど素直に教えを乞う姿勢はいつか大樹になる若木の気配を感じさせた。互いを信じ合い命を預け合う忠太とマリのようになれるとは思わないまでも、或いは。

 ――我が名はオニキス。

 かつては緑の指を持つ異界の聖女の守護精霊で、今はこの国初の外科医になるであろう苗木の保護者だ。
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