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◆第四章◆
*8* 一人と一匹、森林を駆ける。
しおりを挟む最初のアレを皮切りに、突風に乗って蜘蛛の一部が飛んできたり、天に向かって蜘蛛を貫く石の針山や、もうもうと立ち上る煙に混じって髪の毛が焼けるような不快臭が流れてきたり。森の奥で騎士達は相当賑やかにやっているみたいだ。
そんな騎士達から逃げようと飛び出してきた蜘蛛の残党に止めを刺すのが、森の入口付近にいる私達なわけだけど、討伐開始から一時間半。ここにきてとある疑問が浮かび上がってきていた。
「今の個体で五匹目ですか。意外と討ち漏らしが多い。この調子だと思ったよりも早く十の大台に乗りそうですね。奥の方で何か起こっているのでしょうか?」
靴の爪先についた巨大蜘蛛の体液を地面に擦り付けて落としていた忠太が、一番乗りでそのデリケートな話題に触れた。瞬間ピリッとした緊張感が騎士達の間に走るのが分かる。
札はこれまでに忠太が二枚、私が一枚ずつ使用したので、彼等の手持ち札は減っていないが、二人ともこれまでに札を使わずに二体倒していることから、実力を疑うまでもなく強い。でもそんな二人を前にしても口を開いた忠太の気持ちも分かる。確かにこれ以上この話題を避けるのも不自然だ。
「あー……考えられるとしたら札を温存してるせいで討ち漏らしが多いか、この短期間で魔物が繁殖したのかどっちかだと思うけど。何にしてもこのままだと、私達も奥の人達に合流した方が良いかもな。その辺り本職の意見が聞きたい」
忠太だけに嫌われ役を演じさせるのは嫌なので、なるべく私もいつも通りの話し方で二人に尋ねる。すると意見を求められた二人の騎士は一瞬顔を見合わせ、まるで鏡のようの同じタイミングで頷くと、まず冷静そうな方の騎士が口を開いた。
「そうですね……奥の部隊からまだ救援信号は出ておりませんが、確かにマリ様の仰るように一度他の隊と合流するのも考えた方が良いかもしれません」
正直様付けは止めてほしいところだが、余計なことを気にしている場合でもないので、取りあえず納得のいく発言にのみ反応して頷く。けれどそんな相方の発言に納得がいかなかったらしく、今度はもう一人の熱血っぽい騎士が口を開いた。
「しかしそうなると入口の護りがなくなる。この先は街道に繋がっているから最悪一般人に被害が出るぞ。それにオレとコイツは貴方達の護衛を命じられている。勝手なことは出来ない」
ジュウジュウとかブチュブチュという突沸音を立てる巨大蜘蛛を前に、睨み合っての作戦会議。しばらくチーズ系のものは食べるのを躊躇しそうな光景だけど、悲しいかなだんだん現状に慣れてきている自分がいる。
どれくらい慣れてきたかといえば、忠太と顔を見合わせて二人の騎士のそれぞれの正論について、冷静に頭を悩ませる程度には。確かにここから動くのが最善策かと問われると自信がない。
でもこのままここでこうして立っていても、間違いなく事態は好転しないだろう。それに忠太の変化のタイムリミットもある。猫の手でも心許ないのだからハツカネズミの手は論外だ。懐から落としでもしたら一大事なことを考えれば、忠太が人型でいるうちに動いた方が良い。
そう考えてその内容を口にしようとしたら、私の半歩前に立った忠太が二人の騎士に向かって宥めるように両手を広げた。
「どちらの言い分も尤もですし、理解も出来ました。しかしだからこそ敢えて素人の意見を申し上げますと、ここから完全にわたしたちが出払うのは危険です。けれど留まっていても仕方がない。であれば、戦闘力の高いお二人がここに残って溢れた魔物を撃破し、わたしとマリが奥に伝令として向かうのがよろしいかと」
「失礼だが、魔導師でもない魔宝飾具師の貴方達が伝令に向かうのは、自殺行為だと思われます」
「ああ、オレ達に任務の失敗をしろと言っているようなものだぞ」
「ではこのままここで無駄に時間を浪費して、危機に陥っているかもしれない仲間を見殺しにしますか? それに奥で戦っているのはあなた方と同じ騎士。行っても改善するとは考え難い。ならば職種の違うわたし達が向かう方が得策でしょう」
おぉ、流石は以心伝心な相棒だ――が、流れるように煽るスタイルだな。でも事実しか言っていない。忠太に悪気が一切ないことは私には分かっても、騎士の二人には分からないのがなぁと気を揉んだものの、結果的には歯に衣着せない物言いが良かったようだ。
「君は学生なのに随分と可愛げのない問いかけをする。大人として立つ瀬がない」
「その歳で落ち着き払ったことを言われるのも腹が立つが、まぁ、その通りだな」
「じゃあひとまずその方法で良しってことで、はい、これ特別に二枚ずつ。私達が戻ってくるまで絶対に倒されないでくれよ」
そんな軽口と共に差し出した札を受け取った二人は、ちょっとだけ微笑んで「死ぬなよ」「ご武運を」と言って送り出してくれた。二人の視線が届かない辺りまで来たところで、忠太が「マリ、こっちです」と手を引いて走り出す。
「苦戦してそうな奴等の場所が分かるのか?」
「いいえ、場所を特定するというよりは小さい神様達の声です。何かあったみたいで声が森の中を反響している」
「うぇ、それなら声の出所を突き止められないんじゃ――、」
「大丈夫です。わたしはマリの使い魔ですから。必ず見つけます」
どこからくる自信なんだろう。どこからくる信頼なんだろう。分からないまま、分からないなりにストンと胸に落ちてくる。柔らかく壊れ物に触れるように握ってくる手を、力一杯握り返して走ることしばらく。すっかり息が上がった頃――。
「前方一時の方向、見つけました!」
そう言って忠太が指差した先に視線を向けた瞬間、これまでの森の様子とはかけ離れた異様な光景に息を飲む。それは巨大なレース編みに見える、蜘蛛の巣だった。黄色い糸に絡め取られた色んな繭玉っぽい何か。動いているものも止まっているものもある。
「これって……餌場だよな?」
「餌場ですね。幸い巣の主は留守なようです」
繋いでいた手を離した忠太が先に繭玉に近付き、そのうちの一つに鼻を寄せて匂いを確かめるや、私の方を振り返って「糸を押さえておいて下さい」と言うので、ローブを手に巻き付けて言われた通り糸を押さえる。それを確認した忠太は持っていた小さなナイフで思いきりその表面を切りつけた。
粘り気のある黄色い糸がほどけた中から現れたのは、鎧に身を包んだ騎士だ。彼は虚ろな眼差しで忠太と私を見つめるが、奇妙なほどに反応が鈍い。すると彼の状況を冷静に診断した忠太が小さく何かを唱えた。
徐々にしっかりとしてきた瞳を覗き込んで「何があったんだ?」と尋ねると、騎士はポツポツと自らを襲った魔物について話し始め、私と忠太はその魔物と入口付近まで逃げてきた魔物の特徴の違いについて騎士に教えた。
――で、結論。
「これで繭玉にされていた騎士の皆さんは全員引きずり出せましたね」
「よしよし上等――ってことで、全員残ってる札を属性関係なく出してくれ」
古来失敗は成功の母という言葉もある。難しく考えるのは止めて、禁じ手に手を出してみることにした。
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