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◆第二章◆
*16* 一人と一匹、深夜の御用聞き。
しおりを挟む「ぅあー……ちょっと今夜は食べ過ぎたかも」
【まりは ふだん もっと たべたほうが いいです】
「でも食費が一番家計の出費で抑えやすいからなぁ」
言いながら、ボフッと仰向けに寝転がった一人寝するには広すぎるベッドの上。高い天井を見上げつつ、肌触りの良い寝間着の裾を捌き、派手さはないけど作りの良い家具が配された部屋をぐるりと見回す。
髪からは前世込みで人生初の花弁が浮かんだ風呂の効果か、仄かに私には不似合いな甘い香りがしてくる。
「ご馳走食べて、転がって……竜宮城ってこんな感じなのかなー」
【まりが さらわれたら だんこ かめと たたかう かくご】
「何だそれ、格好良いな忠太。浦島の私を助けに来るんだ?」
【おとひめ ゆるすまじ】
「ふはっ、同担拒否の強火勢かよ。怖ぁ」
ダラダラとそんな下らない軽口を交わしながらベッドの上を泳ぐ一人と一匹。そんなここは当然ながら町の宿屋の一室なんかではない。
結局あの後そのまま食事に誘われ、その席で後ろ楯になってくれる代わりに出された条件を聞いた。それが現在私と忠太だけで製作し、エドの店に卸しているあずま袋の製造特許の買収。
聞いてみればこの土地は領地は広さの割にあまり領民が多くないらしく、農耕に適した土地はあるが冬が長くて耕せる人手が足りない。しかもどちらかというと冬が長いせいで内職に特化した職人が多いという。
でも領内の教会に身を寄せる女性や身寄りのない子供達にはその仕事すらない。だからせめてあの袋の製作をさせたいと思っているとのことだった。救済事業みたいなものだろう。それに考えてみればこちらにとっても悪い話でもなかった。
というのも私と忠太だけで製造していると、エドの店があるマルカの町でしか流行らないし、あずま袋が売れれば売れる分、縫製作業にかかりきりになるか、貴重な複製の能力をあずま袋で使いきることになる。これは痛手だ。
それにあずま袋の製法を売ったとしても、領地内の教会で売上げた分の金額から毎月三割はこちらに寄越してくれるらしい。
後ろ楯の内容は他にも一時的にこの領内で、領民としての戸籍をもらえることや、それによって職人ギルドへの登録が許可されること、道具類の購入費用の支援なんかだ。これでエドから以外の仕事もギルドから受けられるようになる。
忠太に教えてもらったけど、遍歴職人という肩書きは、自由を得られる代わりに安全を得られないことなのだそうだ。野良職人に世間は冷たい――が、今はそんなことはどうでも良くて。
「いつもの感じだと、駄神からの通知はそろそろだよな」
【です あ 】
忠太がフリック入力をしている最中にスマホが震え、打ち損なった文字が押し流されて、例の代わり映えがしない定型文が画面に並んだ。これ本当にどうにかならんのか。レベルアップした感がないんだよ。
どれどれ今回はどんな内容のオプションが選べるんだと忠太と覗き込んだその時、不意に部屋のドアがノックされた。忠太と顔を顔を見合わせてから一度時計を見ると、深夜の十一時半を指している。一般的に考えて非常識な時間と言って差し支えないが――。
『〝マリ、チュータ、まだ起きてる?〟』
部屋の外からかけられた声にスマホの画面をメール機能へと切り換える。忠太がついでに指紋承認ロックをかけていた。ハツカネズミに指紋があるのかは別としても素早い反応だ。以上の隠蔽工作をサクッとこなした私達は、何でもない風を装って部屋のドアを開けた。
「レベッカ。どうしたんだよこんな時間に。ウィンザー様は?」
「あの人は今夜も仕事よ。だから暇なの。入って良いかしら?」
下手に渋るのは得策ではない。というよりも、あの新しいオプションを選ぶよう勧めるメッセージは、別にすぐに答えを出さなければならないものでもないらしいと最近気付いた。本来駄神のメッセージは、レベルアップしたよという事実を教えるだけのものだからな。
「ん、どーぞ。私達もまだ寝ないから」
【いらっしゃいませ】
なのであっさりドアの前から退いて中に入るように勧めると、薄いドレスみたいなパジャマ姿のレベッカは嬉しそうに笑った。身体の線が分かるほど薄いパジャマは同性でも目のやり場に困る。何となく二人と一匹でベッドに戻り、広いマットレスに腹這いに寝転んだ。
「新婚って絶対一緒の部屋にいるもんだと思ってた」
「残念でした。よそはそうかもしれないけど、うちはそうでもないのよ。毎日あの通りお疲れだから、初夜の日も使い物にならなくて。まだ乙女なの」
「んおいぃ……いきなりそういう夫婦間の話はして良いのか?」
【せんさいな はなし では】
「あら、マリ達ったら意外と初心なのね。貴族の娘になんか生まれると、閨教育はかなり早いのよ」
「そういうのとは違うっていうか……まぁ、当事者の一人がそう言ってるなら私は別に気にしないけどさ。忠太にはあんまり聞かせたくないかな」
【まりには わたしが いくつに みえてる ですか】
「子供じゃないのは分かるんだけど、こう、身内とそういう話をするのって何となく居心地悪いだろ?」
何よりここで重大な秘密をバラされている伯爵が切ない。仕事が忙しいのは分かるが、もしかしなくても新妻は放ったらかしにされてご立腹ですよと教えてやりたい。でもなぁ……たぶん今回呼ばれた理由の半分は商談だとしても、もう半分は新妻を思っての招待だったと思うんだよな。
「あ、そーだ、奥様。今回は旦那様にご紹介頂きましてありがとうございました。おかげで私達も無事に戸籍持ちだ」
「お礼なんて必要ないわ。わたくしはただ〝いずれまた彼女達に何か注文したいの。散財してもよろしくて?〟と言ったくらいですもの」
【けっか はこがい されました】
「ちょっとおねだりしただけで職人ごとお買い上げとは、惚れられてるなぁ」
ニヤニヤしながらからかい混じりにそう言ったのに、当のレベッカは枕に顔を埋めて「子供扱いされてるだけよ」と不貞腐れている様子だ。明るい時間帯はともかく、深夜は気分が落ち込むタイプなんだろう。
忠太もそう感じたのか、ヒゲの動きをピタリと止めてしまった。考えてみれば身一つで嫁に出されたレベッカにとって、この屋敷はまだ安心出来る場所ではないのかもしれない。結婚してからマリッジブルーってのも何だかな。
「ふぅん。大変そうだな」
「ふふっ、心がこもってないわねぇ」
「何だかんだ幸せな奴のことなんか心配するかよ。でもま、一応聞くんだけどさ、レベッカは蛇と亀ならどっちだとまだ口に入れても許容出来そう?」
「は? 何急に変な質問ね……どっちも嫌だけど……まだ蛇の方かしら?」
「選べちゃうんだ。意外とそういうとこ強いよなレベッカ。分かった、蛇ね。少しあっち向いてて。良いって言うまでこっち向くなよ」
貴族の女子にしては勇気があるなと思いつつ、スマホを操作して目当てのブツを吟味する。けれど正気に戻った忠太が私の指先を見つめ、途中で別ページからメール機能を開き、伯爵に対して最後の慈悲を打ち込んだ。
【にんにく まか しょくぶつでも いいのでは】
「でも何かこういうのって植物性より動物性の方が効きそうじゃないか?」
知らんけど。そういうわけで、忠太の助言は華麗にスルー。無慈悲にマムシドリンクとマムシエキス入りの錠剤をタップ。あとは新婚で乙女なレベッカに説明書の注意事項を読み聞かせて、その決意の漲る背中を見送った。頑張れよ骸骨伯爵、あんたの可愛い新妻は一級の捕食者だぞ。
で、今夜のお会計分は明日返してもらうとして――と。
「オプション会議の再開するか、忠太」
【ですね】
人間そんなものである。
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