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*22★ 眠り姫には王子様。
しおりを挟む『アラン止めて! 見ないで!! 触らないで!!!』
半狂乱で夜空を駆け抜け、イカれた硝子の棺と彼が視界に飛び込んできた瞬間、生まれて初めて絶叫した。その揺れが伝わったのか、透けた身体が怒りで珈琲に落とされたミルクのように撹拌される。
十歳で穢された時だって、今夜ほどみっともなく絶叫したりしなかった。それくらいに私は、こちらを見上げる男のことが許せなかった。
『どうして思い通りになってくれないの! あの置き手紙は何のつもり? 勝手なことしないで! 私はずっと誰の助けも求めてなんてないわ!! 今すぐここから出て行って!!!』
誰に踏みにじられても平気だった。
この私に心を植え付ける男も求める男もいなかったから。
だけど今は違う。
誰よりもこの醜い生き方を知られたくなかった、生まれて初めて愛した男に嘘を暴かれた。こんな屈辱も惨めさもいらない。それに肩で息をする霊体とは違って、硝子の棺で眠る本体の穏やかな表情すら嫌だった。
「その言い分だと君は……今まで散々こちらに好意を押し付けてきておいて、言い逃げするつもりか?」
そんな目で見ないで。真摯な眼差しは私を恥知らずで享楽的な魔女から、ただの人間に戻してしまう。こんなつもりじゃなかった。あの夜この人の上に現れたりしなければ……嫌われたままで死ねば良かった。
そうしたら彼に対してこんな風に声を荒げる姿を見せたりしないで済んだ。余裕のある姿だけを憶えていてもらえたのに。
『ええ、一方通行で良いの。貴男だって私が嫌いだったでしょう? ずっと貴男のことを見ていたのだもの。そんな貴男だから好きだったのよ。だから今の貴男は大嫌い。それでもういいじゃない』
自分でも投げやりで酷い言い様だと思った。きっと誰が聞いたってそう思うに違いないのに、彼は棺の中の私と霊体のまま漂う私を一瞥して「その説明では納得出来ない」と。いかにも彼らしい生真面目さでこちらを見上げて責めてきた。
今この瞬間だけは彼の長所が短所に感じられて、思わず『そこはいつもみたいに“そうか”だけでいいのよ、チェリー』と嗤えば、彼は少しも笑わずにこちらを見上げて口を開いた。
「納得出来ない事柄にそう返すのは無理だ。俺は今の君を愛している」
『ちょっ……こんな姿になってまでつきまとったのは謝るわ! ごめんなさい。でもその残酷な嘘は今すぐ止めて』
「その原理だと、嘘でなければ言っても構わないはずだが」
『だ、だからもう止めてったら!! そんな風に言ってもらえる女じゃないことくらい、貴男だってとっくに気付いてるでしょう!?』
彼からのらしくもない情熱的な言葉に、思わず落ち着きを取り戻しかけていた声がまた裏返った。
そもそも自分の父親ながら、気持ち悪い趣味だ。白ければ清純そうに見えるとでも思っていたのだろうか。それともより視覚的にいやらしく見えるとでも?
どちらもあり得そうなことだけれど、彼には絶対に見られたくない格好だった。あれではまるで母のようだ。自分は一人で楽に死んだ、あの女のようだ。年々あの女に似ていく自分の顔が、嫌で嫌で堪らないのに――。
似ている。似ている。似ている。似ている。
あんな女に。あんな女と。同じことを、私もしてきた。
『とにかく助けてなんて死んでも言わない! 貴男にだけは、絶対言わない!!』
けれどこちらの必死の訴えに、彼はゆっくりと首を横に振って拒否を示すと、棺の中に眠る本体を振り返り、穢い私の身体が隠れるように自身の羽織っていた上着を被せた。待って……もしかしてこの人、この流れでまったくこっちの話を聞く気がなかったりするの?
『ちょっと……ねぇ、一応訊くけど、何のつもりよ』
「屋敷の者達に君の部屋の用意をしておくように伝えて来てしまった。連れ帰れないと示しがつかない」
『それなら別のご令嬢を奥方に迎えた時に使えば良いでしょう? あんなに優秀な人材を紹介したのだから、彼女達の中から選べば間違いないわ』
「そうか、分かった。それならここで心中しよう」
『……え?』
聞き間違いでなかったら、心中って言った? 突然何を言ってるの、この人? そんなご褒美発言、ちょっと仄暗い悲恋ものの愛読書でくらいしか見たことないんですけど。
「さっき部屋の外に人の気配がしたのだが、どうやらこの辺りに火を放ったらしい。たぶんバートン子爵だろう」
『えっ!?』
「その状態の君に嗅覚が残っていなくて助かった。途中で勘づかれないかと心配したが、あの様子なら後もう十分も待てば良いだろう。君は眠ったままだから苦しくはないはずだ」
この言葉で彼の視線が入口に向いていることに初めて気付き、弾かれるようにそちらを向けば、確かに廊下側から不穏な煙が流れ込んできていた。
『そ、その原理で言ったら、貴男は苦しいどころの話じゃないでしょう! 何でそんなに落ち着いてるのよ!?』
「そうだな。だが、仕方がない。君と一緒にいようと思えば、もうこうする他に手はないからな」
あっ……んんんん゛!! 真顔でサラッと甘い言葉をくれるくらい心の距離が近付いたのは嬉しいけど、絶対に使いどころはここじゃないと思う!!
『で、でも、もしも助かっても私が本体に戻れる可能性も、目を覚ます可能性も未知数だわ。分が悪い賭けよ? ね、諦めて!』
「それなら予備知識を入手してある。試す許可をくれるとありがたい」
むしろ見られてしまったことを除けば、当初の予定通りこのまま綺麗な身体になれると思っていたのに、またも訳の分からない提案をされて混乱してしまう。でも待って待って――……やっぱりこんなところで推しに死なれたくない!!
『予備知識を試す許可って……この場面で何言ってるの? 貴男って馬鹿だったの? 良いわよ、許すわよ、今更何でもこいよ。だけど駄目だったら私を置いてここから逃げなさいよね!?』
もう自棄になって叫んだ私のその言葉に真剣な表情で頷いたかと思うと、彼は棺の中に横たわる本体の上に覆い被さって――……。
『え、あ、許可ってそういう……やっぱり待って! それはまだ心の準備が――!』
こちらの制止を聞かなかった彼の唇が、締まりのない表情で眠る私の唇に触れて。自分の本体に嫉妬するという謎な構図を目の当たりにしたところで、私の意識はプツリと途絶えた。
***
彼女の本体の唇に口付けてから振り返ると、宙に浮いていた霊体の彼女の姿が空気に溶けていくところだった。
顔を真っ赤にして叫んでいた彼女はいつもと同じようにも見え、いつもとは異なるようにも感じたが――……これで成功ということなのだろうか。眠っている人間を目覚めさせるのは、子供用のお伽噺でも、年頃の女性が好む小説でも同じだった。
棺の中で眠る彼女を抱き起こし、そろそろ脱出しようと抱え上げたところで、入口から見慣れた人物が顔を覗かせる。
「隊長、あんた何でまだこんなところにいるんスか?」
「……少し取り込み中だった」
「何を暢気なこと言ってるんですか。この部屋の外、さっきまで燃えてたんですよ? もうあらかた消火は済みましたけど。なかなか合流してこないからまさかと思って見に来てみたら案の定……ってか、さっさとこっちに来て下さいよ。逃げようとしてた医者をとっ捕まえたんで」
彼女が素直なお人好しで本当に良かった。引っかかってくれるかは賭けだったものの、冷静さを欠いていた彼女はあっさりとこちらの嘘に騙され、許可をしてくれたのだから。
「それは良かった。俺は今から子爵を探しに行ってくる。話を訊くのは医者の方だけで事足りるだろう」
「探しに、ね。場所の見当はついてるんスか?」
「この部屋を娘ごと処分しようとしたんだ。次は自室にある書類の処分だろう」
紙切れと彼女の処分を同格にする辺り、どこまでも度し難い屑なのは間違いがない。諸々のことからもそれ相応の罰を受けるべきだ。しかし子爵を法で裁くには、奴の友人が多すぎる。
「ま、妥当でしょうね。あっちにはすでに部下を回してありますから、隊長は先に外に出て風に当たった方がいい。火に当てられたのか、顔が随分赤いッスよ」
「いや、これは……違う。だが、先にお前は彼女を連れて屋敷の外に出ていてくれ。くれぐれも、彼女の姿を他の人間には見せないように頼む」
「はいはい、早めに済ませて下さいよ」
こちらの思惑を知っていても何も言わず肩をすくめるダルクに、さっきよりもほんの少しだけ頬に赤みが戻ったように見える彼女を任せ、部屋を出る。腰の剣帯に手をかけながら目指すのは、二度とは呼ばない義父の部屋。
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