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*11* お楽しみはこれからね。
しおりを挟む鎖骨が見えるように襟首が深めに開いた、深緑とクリーム色の軽やかな素材で作られたドレスを身体にあてがって、髪の色と肌の色の映りを姿見で確かめる。けれど鏡の中にいるのはいつも通り半眼で無表情な自分でしかない。
そうなるともう似合う似合わない以前の問題である気がしたので、意見を求めようと後ろを振り返って「二人ともどうかしら? 当日はこの装いで大丈夫だと思う?」と訊ねる。
するとそれまで散々ドレスの意見で白熱していた二人がこちらを向き、一瞬だけ停戦したのか口を閉ざして私の姿を上から下まで視線で追う。
「――……訊くだけ無駄というか、野暮でございますけれど……。完璧ですわお嬢様。どこからどう見ても妖しげな夜の胡蝶。もう当日の会場内の視線は独占ですわぁ」
「子爵令嬢が妖しげな胡蝶で構わんのか分からんが、似合ってはいると思うぞ。首筋が広く空いているのも良い。どんな装飾品でもつけられそうだ」
しかし二人のその意見に概ね好評だということが分かり、ホッと息を吐いたのも束の間。二人は再びテーブルに積み上げられたドレスの箱を開けながら、目に見えない火花を散らし始めた。
「うふふふ、ノイマン様ったら。商人らしい無粋な発言をしている暇がおありでしたら、当日はお嬢様の美しさが滲み出るような仮面のご用意をお願いしますわぁ」
「あのな……わざわざ仮面の着用をするような夜会に、存在感の滲み出るような代物を用意するわけがないだろう」
そろそろ日も傾きかけてくる時間だというのに、二人とも朝からずっとこんな調子だ。今選んでいるドレスは全てノイマン商会からの借り物で、うちにある少し年代物のドレスとはデザインが異なる。
要するに最先端のものばかりなのだけれど、動物に転生する機会が多いせいか、装うことに興味がない私にはさっぱり分からないので、普段からアデラに任せきりなのだ。
では何故そんな面倒なことをしているのかと言えば、これはきちんとした取引の結果であり、その取引によって発生した面倒ごとだということで――。全ての発端は半月前、ノイマン商会の倉庫にいた猫達から聞き出した情報から始まった。
それは限られた者達にだけ明かされるという、怪しげな夜会の情報。そうして今日の集まりはその情報を元に計画された、二週間後の特殊な商談についての最終意見交換の場ということになる。
「だが、こちらも爵位まで得た大商人の息子だ。出来うる限りそちらのご自慢の主人に似合うものを用意するさ」
「まぁ、心強いお返事。そういうことでしたら、わたしもノイマン様を信じて期待しておりますわぁ」
いつの間にか落としどころを決めた二人が意気投合している姿に苦笑しつつ、このまま放っておくとどんな仮面が用意されてしまうか分からない。その前にきっちりと釘を刺しておこうと口を開く。
「私の仮面はきちんと前が見える作りにさえなっていれば、別に何でも構わないけれど。女性の入場者に向けての広告塔になるのだから、ノイマン商会で売り出したい宝飾職人が作った装飾品の方は、しっかりと揃えて欲しいわね?」
「当然だ。顔が見えない方が普段は顔や肌の美しさに嫉妬しあう女性達も、宝飾品だけに集中するせいか購買意欲に直結するからな。当日はうちの商品が美しく見えるように振る舞ってくれ」
こちらがわざと小生意気な口調でそう言えば、小気味よく応じてくれる機転の早さが魅力である“相棒”は、わざとニヤリと人の悪い商人の笑みを浮かべた。
貴族的な考えである“子女たるもの、男性に恥をかかせるような賢しい答えをしてはならない”という悪習も『馬鹿のフリを続けて愚か者に成り下がるくらいなら、可愛気なんて捨てればいい』と鼻で嗤う彼は好ましい。
それに女だからと侮ることなく、毎回きちんとこちらの情報に対して小切手を切ってくれる。前回彼の商会に呼ばれた時に後れをとった商談も、あれからは随分上手くできるようになったのだって、悔しいけれど彼のお陰。
こうしてみると腹の探り合いで始まった私達の関係は、今では理想的な共存関係として確立しつつあるのかもしれないわね?
「それにしても……生きた人間の女性をトルソーに見立てて、夜会の席で商品の展示をするだなんて。何だか随分と悪趣味な催しだわ」
「ま、確かにな。しかし出張展示会と言い換えれば、商人と貴族の道楽で釣り合いが取れて良いんじゃないか? 何にせよ貴女が予知してくれた情報のお陰で、他の大商人連中に隠されていた大きな猟場を得られたんだ。感謝している」
珍しく殊勝なことを言う彼に「珍しいですわぁ」と突っ込みを入れるアデラは、無表情な私との感情シンクロ率が尋常ではない気がするけれど……。ともあれ彼の言葉の内容は嘘偽りなく、商人の中でも貴族の中でも爪弾きに合いやすいノイマン家は、色々な方面で閉め出されることもしばしばだ。
そこを上手く“手持ちの情報”で強請ながら、建て付けの悪い商売と爵位のドアの隙間を広げることこそが私の役目。この都度コツコツと貯めた見返りの報酬で、領内にある診療所のベッドを新しいものに入れ替えることもできた。
そのことがとても誇らしくて。幾度となく繰り返してきた無意味な転生の中で、唯一意味のある転生だったと思わせてくれた。しみじみと無表情にそんな感情を噛みしめていると、不意にドレスの箱を開ける手を止めたアデラが「そうだわぁ、お金ではない報酬の件はどうなっております?」と私に代わって訊ねてくれる。
……決して最近お金を稼ぐのが楽しくて結婚の話を忘れていたわけではない。商売をしつつ自身もより高い商品になることこそが、彼と手を組んだ切欠だもの。言い出すのが後れたのは……そういう計算だったのよ、忘れてないわ。
するとアデラからの質問を受けた彼の方は本気で今まで忘れていたのか、膝を叩いて「そうそう、それなんだがな……先日掘り出し物が出たぞ。金を持っていて子供は女以外おらず、妻とは十年以上前に死別している子爵家で、本人も高齢。たぶん十年待たずに墓の下だ」と不謹慎な情報を満面の笑みで教えてくれた。
人のことを言えた義理ではないと思うけれど、商人というのは本当に寿命を持った悪魔ね? 普段はそんなに素直に笑ったりしない彼を見ていると、特に強くそう思うわ。
けれど「ノイマン様……確かに素敵な優良物件ですけれど、家格がすこーしだけ、気になりますわぁ」と返してくれるアデラも、それに対して「アデラったら、うちも子爵家よ?」と返す私も大概だとは思うのだけれど。
深緑とクリーム色のドレスを簡単にたたんでアデラに手渡し、その隣に腰かければ、彼女はフワリと目を細めて微笑みながら――、
「うふふふ……お嬢様ってば慎ましいんですから。だってお嬢様ほどの美人さんを後妻に据えるのですよ? でしたらお金をいっぱい持ってるのは当然のこと、せめて伯爵位は狙いたいですわぁ」
と、強欲な発言を甘やかに口にする。彼女のこういう時の表情は同性の私から見てもドキリとするくらい妖しい色香があって、ただのメイドに収まるには勿体ないと思わせるのだわ。
そんな彼女に内心苦笑しつつ「アデラは意外と野心家ね。だけどお相手の方は気味の悪い噂を持っている私を娶るのだもの。うちの領地を潤す財力を持っていて下されば充分だわ」と言うと、今度は向かいに腰を下ろしたノイマン様から「俺としては主従揃って結構なことを言ってる気がするんだがな?」と苦笑される。
その表情に頷きながら「まぁ、そうね。だけどこちらもお相手が亡くなるまでは、閨を共にする覚悟はあるのだし」と返せば、彼は苦笑を引っ込めて渋面になり「それなんだがな……貴女は本当にそれで良いのか」と問いかけてきた。
けれど今更そんな顔をされるようなことはない。自分で決めたことであり、強要されたことではない。何より全部納得づくで始まった関係性に、軌道修正なんて必要ないのだもの。
「不思議なことを訊くのね? 良いも悪いもないわ。どうせどれだけ嫌なことがあったって、最終的にはどんな生き物でも土に還るのだもの」
「俺はそういうことを言ってるんじゃあ……アデラ、お前はどうなんだ。敬愛する主人の純潔を守らなくて良いのか?」
心底不思議な気分で訊ね返した私から、視線を隣のアデラに移した彼がそう問いかけるも「勿論わたしもお嬢様のお嫁入りについて行きますから、お相手の方を全力で誘惑して籠絡しますわよ? お嬢様に何かする前に搾りきってみせますわぁ」と返されて。
普段は余裕のある商人特有の笑みを貼り付けた彼が、頭を掻きながら「まったく……女ってのは男が思うよりもずっと強かだな」と微妙な表情を浮かべる姿に微笑み返せないことを、ほんの少しだけ残念に思う自分がいるわ。
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