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★10★ 猫の女王とその従者。

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 男爵という爵位を持てどもノイマン家は所詮商人の家だ。

 故に突然今日は来店予定のなかった客が訪ねて来ようとも、顧客のことが優先されてしまう。せっかく人が女性を連れてきたことに興味を示しそうな、親父と義母のいない日を狙ったというのに……その苦労が水の泡だ。

 結果として自分で招いた来客を一人で倉庫に取り残し、店の方に出向いて接客する羽目になってしまった。
 
 しかし流石に立て続けに呼び出されては困る。苛立ちを飲み込んで長年培った愛想笑いでの接客を終え、次に今日顔合わせの予定を入れていない客が来た場合は取り次がず、留守だと説明するように言付けて再び倉庫に戻ったのは良いが……。

 最初はその光景に思わず「?」で脳内が占拠された。それというのも倉庫内に放し飼いしてあるはずの猫が、一カ所に纏まっていたからだ。

 猫だまりと称していい状態の光景に、搬入作業中の従業員達も時折足を止めて猫だまりの中心を探しているが、俺は探すまでもなくその中心部にいるのがであるのか、薄々分かっていた。

 そこで「あー……待たせてすまん。リサ、そこにいるのか?」と、一応確認程度に声をかければ「ええ。用事はもう済んだの?」と返答があり、徐々に猫だまりが解けて彼女に続く道のようなものが出来る。

 その先には膝にうちで一番古株のレジーナを抱いた、無表情なクラリッサ嬢が座っていて。それを見た俺は“まるで猫の女王だな”と、そんな感想を抱いた程だ。

 普通の街娘でもそうだが……猫に埋もれている子爵令嬢というのは、なかなかお目にかかれるものではないだろう。身に付けている品が高価なこともあるが、普通の令嬢は掃除を徹底しているとはいえ、倉庫の床に直接座ったりはしない。

 加えて異常に動物に好かれる体質なのか何なのか、クラリッサ嬢の周囲には人間は寄り付かずとも動物だけは常にどこかにいる。今回も例に漏れず猫に埋もれている様を目にすると、彼女は人間よりも動物寄りにすら思えた。

 ひとまず視線でこちらを促す彼女の前に近付こうと、猫で出来た道を辿ってその真正面に腰を下ろす。すると待ち構えていたようにクラリッサ嬢の膝の上から、レジーナが俺の膝に飛び乗ってきた。

 喉を鳴らして膝を占拠する老猫を撫でてやりながら、この状況のどこから訊ねるべきなんだと言葉を探していると、新しく他の猫に膝を占拠された彼女が「貴男が席を外している間に降りてきた良い知らせと、悪い知らせ。どっちの予知から聞きたいかしら?」と口を開く。

 口調はいつもながら平坦で並の商人以上に食わせ物だ。しかしこちらを真っ直ぐに見つめる琥珀色の瞳には、こちらを貶めようとする色も、蔑むような色もない。だからこそ「こういう時は、常に悪いことから聞くのが商人だ」と笑えば、淡々と「それもそうね」と返される。

 長い睫毛に縁取られた瞳が伏せられ、膝の上に視線を落としてゆっくりと猫の背を撫でる指先。全てが作り物めいた美しさである目の前の彼女は、最後の最後で本当に惜しいと思わせる人形のようだ。熱の籠もらない瞳がそうさせるのか、それとも他の何かがそうさせているのか。

 続く言葉を待つ俺の方をチラリと見やった彼女は、透き通る氷柱のような美しいが感情のない声で「このお店の従業員に、数名。貴男の家の商売敵と組んで、新しい売れ筋の情報を横流ししている人がいるわ」と。感情が籠もらないながらも、やや言いにくそうに口にする。

 だがその程度のことはこの業界ではあまり珍しいことでもない。泳がせているだけで数名の当たりもつけてある。内心今回の情報は、彼女のもたらすものとしては小粒だと肩透かしを食らった気でいたのだが――、

「貴男の家のことだから、余計なお世話かと思ったのだけれど……せっかく私達がそちらに渡した情報を使って手柄を横取りされては、分け前が減るかと思って。私が犯人を全員割り出せたと言ったらどうするか、貴男の意見を聞いてみたいわ」

 ――と、何でもないことのように言われては無視する馬鹿はいない。泳がせるどころか一網打尽に出来るのならそれに越したこともないだろう。

 そこで出来るだけ熱のない声音で「臨時手当を出す。全員の特徴を教えてくれ」と伝えれば、彼女は琥珀色の瞳を猫のように細めて「先に値段の交渉からよ」と笑みらしきものを浮かべる。

 彼女の言葉に懐から常に持ち歩いている交渉用紙とペンを取りだし、床の上にそれを広げてお互いの思う値段を提示し合う。以前の街歩きから格段にこういった細かい数字に強くなった彼女は、なかなか妥当な値段を提示してくるが、故にそこが甘いとも言えた。

 もっと多くふっかけてもいいものに適正な値段を付け、こちらはそれをさらに値切る。途中からそのことに気付いたらしいクラリッサ嬢が「あら、最初にもっと多く請求した方が良かったのね」と漏らすが、すでに交渉ゲームは終盤だ。

 最後の一人の情報を競り落として交渉用紙に【交渉成立】と書き込めば、もうこれ以上の値段交渉は出来ない。眉根を寄せる表情は、常より少し幼く見えた。

 手早く丸めた用紙を懐に入れてから「良い方の情報は?」と訊ねれば、彼女は負けたことが悔しかったのか「今のとは別料金よ?」と返し、こちらがその答えに声を殺して笑っていると不意に周囲の猫達がバラバラと散る。

 何事かと二人して振り返れば――……。

「明るい時間に兄上が戻っていると聞いて会いに来たのですが……そちらの方は、もしや、兄上の?」

 何故かここにはいないはずの弟が、そう頬を僅かに上気させて立っていた。目の前にいるクラリッサ嬢にチラリと視線で“何も言うな”の合図をすると、彼女は了承したとばかりに頷く。

「待て待て、滅多なことを言うなフバード。このお嬢さんは珍品だが買付不可だ。それにお前この時間帯はまだ勉強中のはずだろう。何で今日に限ってこんなところにいるんだ?」

 しかし、穏便に話の矛先をずらしてことを済ませようとした俺の願いも虚しく「おめでとうございます兄上!」と。

 喜色満面に勝手な勘違いをした弟が発したその一言で、それまで覗き込むように様子を窺っていた店の従業員達が「おい、みんな大変だ! 若が彼女を連れてきたぞー!!」「本当か!?」「美人だったら嬉しいんだがね」「すぐ行くから呼び止めておいてくれよ!」と、方々から反響するように次々と言葉が返ってきた。

 呆れているのかやれやれと溜め息混じりに首を振る彼女に、視線で詫びる。無表情ではあるものの軽蔑するような気配はしない。

「おい騒ぐな。客人に群がるな。第一仕事中だろうがこの馬鹿共……。大体彼女とはそんな関係じゃない。最近世話になってる情報屋だ。それと彼女は野心家だからな、並の男は相手にしない。相当高くつくぞ?」

 彼女が呆れずにいてくれている間に騒ぎを治めようとしたにも関わらず、気が良いだけのうちの連中は再び猫に囲まれたクラリッサ嬢に近付き、

「へぇ、こんな美人さんが情報屋かぁ。並の男じゃ駄目ってことは……うちの若なんかどうです? 商才があって口は悪いけど、身内には甘くて顔はそこそこ。お買い得物件だと思うんですけどね~!」

 ――などと創業者の一族に失礼な発言をする古株の従業員に対し、猫のように双眸を眇めた彼女は「あら、ごめんなさい。それなら以前購入を見送らせていただいたのよ」と辛辣に、そしてどこか愉快そうにそう言った。

 そんな強かで令嬢らしからぬ相棒の情報により、夕方までに捕らえられたのは全員で八名。

 当初のこちらの見立てよりも三人も多かったことに驚いたものの、そこは商人の意地で表情には出さずにおいたお陰で、追加報酬をねだられることはなく。別料金を支払って得るように言われた“良い情報”については、その後猫と一緒に俺達の後ろをついて回る弟や従業員達のせいで、当日中に訊くことは叶わなかったのだ。
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