1 / 1
踏み出せない一歩
しおりを挟む
一体誰が言い出したんだと、俺は一人、ため息を吐いた。
大学の研究室棟の屋上で、一筋の白い煙が上がった。
空はもう真っ暗だ。向かいの棟にも点々と灯りが見えるが、昼間の大学に比べたら嘘みたいな静けさが広がっている。
俺はふぅー、とフェンスに背を預けて、タバコの煙を月に向かって吐いた。煙は月をうっすら覆って、少し落ちると風に溶けて消える。
先程まで誰もいない研究室の一角で、俺は卒業論文に使うデータを整理していた。だけど少し目が痛くなったので、まさに小休止の真っ最中である。この屋上はあまり人が来ないから、休憩はいつもここでしていた。寒さが厳しくなって来たこともあって、昼間もそうだが、夜は尚更、一人ぼっちである。
俺の研究テーマは、最初はざっくり言うと新たな病因遺伝子の発見だった。だが何かを発見する、というのは、そう上手く行くはずもなく。遺伝子に着目したままとはいえ、そのテーマは少しずつ形を変えていった。
大学四年時に内定を貰えなかった俺は大学院の修士過程に進み、修士一年でも就活に失敗をし、結果博士課程へと進んだ。
博士課程ももう四年目だ。気付けば28歳になる。
ここまで来ればいい論文を出して、大学に残れれば准教授を経て将来は教授という道もあるが、生憎その道は優秀な同期に盗られていた。
先生も俺の研究には期待していない。博士課程の論文は厳しいが、それをクリア出来る範囲で、徐々に研究内容のレベルを落とそうと先生が俺を操作していることにも、俺は気付いていた。
俺に必要とされているのは、就職することだ。
昨今の就活生は、ネットで調べれば調べるほど、様々な言葉で分類されていく。
高卒、新卒、既卒、第二新卒、第三新卒…。
俺が大学四年生だったときに、第三新卒なんて、聞いたことがあっただろうか。興味がなかっただけかもしれないが、そんな言葉、なかったと思う。
今ではみんなは当たり前に使っているけれど。
だけどそんな言葉は、なんだか、何でも新をつければ良く見えるみたいな風潮にしか、俺には見えなかった。
各呼び方ごとに有利な点とか、メリットとか、多くのまとめサイトがあるけど、不利な点はあまり書かれていない。
いいことばっかり書いて、もしかしたら、読んだ人をやる気にさせることもあるのかもしれないが、生憎疑い深い俺はそんな文書を見る度、嫌気がさしていた。
28歳。そう言えば、新卒で大手に就職した友達は、今年婚約したことをSNSで幸せそうに記事にしていた。
他にも、最初ブラックIT企業に就職してしまったあいつも、この間ホワイトめなところに転職したって、言っていた。
俺には将来の道が見えない。
就職も上手くいかない、論文だって上手くいかない、そもそも卒業出来るのかも怪しい、奨学金だけが膨れ上がっていってて、人望もなければ伝手もない。
連絡出来る友達も減ったし、彼女だってもちろんいない。
昔の友達とたまに飲みに行くけど、正直話は合わない。俺だけに分からない未知な世界の、大変だと言いながらそれでも楽しそうに話す奴らに、燻った胸をビールを煽りながら相槌を打つことしか、俺には出来ないのだ。
就職をする、となると、俺は所謂第三新卒にあたる。
第三新卒はその分野に特化した知識を持っているから研究職に有利。
これまで研究をやり込んできた真摯な熱意を力に変えて、企業にアピール出来れば有利。
誰だ、そんな都合のいいことばかり、言い出した奴らは。
第三新卒の就活なら〇〇就活サイト!……結局は、就活サイトが企業からマージンを貰うためとか、そういうことなんじゃないのか。
一年後、いや、半年先でもいい。せめて未来に光があることが見えれば、良かったのに。
俺には足元に続く道が、1メートル先すらも真っ暗で見えない。
そもそも一歩踏み出した先に、道があるのかすら見えていない。
タバコはもう短くなっていた。
俺は月にため息を吐いたが、白いため息はすぐに風が攫って行く。
目を閉じて、このまま眠れたらいいのに、とすら時に過ぎる。
それなのに、前にも横にも進めない俺なのに、背中を預けたフェンスを越える道だけは、選ぶつもりがなかった。
選ぶ勇気なんて、そもそも持ち合わせていないのだ。
本当は分かっていた。
俺は心の底で、まだ暗闇の中の光を、期待しているんだと思った。
だから俺は、今日も論文のデータを片すことしか、出来ないのである。
大学の研究室棟の屋上で、一筋の白い煙が上がった。
空はもう真っ暗だ。向かいの棟にも点々と灯りが見えるが、昼間の大学に比べたら嘘みたいな静けさが広がっている。
俺はふぅー、とフェンスに背を預けて、タバコの煙を月に向かって吐いた。煙は月をうっすら覆って、少し落ちると風に溶けて消える。
先程まで誰もいない研究室の一角で、俺は卒業論文に使うデータを整理していた。だけど少し目が痛くなったので、まさに小休止の真っ最中である。この屋上はあまり人が来ないから、休憩はいつもここでしていた。寒さが厳しくなって来たこともあって、昼間もそうだが、夜は尚更、一人ぼっちである。
俺の研究テーマは、最初はざっくり言うと新たな病因遺伝子の発見だった。だが何かを発見する、というのは、そう上手く行くはずもなく。遺伝子に着目したままとはいえ、そのテーマは少しずつ形を変えていった。
大学四年時に内定を貰えなかった俺は大学院の修士過程に進み、修士一年でも就活に失敗をし、結果博士課程へと進んだ。
博士課程ももう四年目だ。気付けば28歳になる。
ここまで来ればいい論文を出して、大学に残れれば准教授を経て将来は教授という道もあるが、生憎その道は優秀な同期に盗られていた。
先生も俺の研究には期待していない。博士課程の論文は厳しいが、それをクリア出来る範囲で、徐々に研究内容のレベルを落とそうと先生が俺を操作していることにも、俺は気付いていた。
俺に必要とされているのは、就職することだ。
昨今の就活生は、ネットで調べれば調べるほど、様々な言葉で分類されていく。
高卒、新卒、既卒、第二新卒、第三新卒…。
俺が大学四年生だったときに、第三新卒なんて、聞いたことがあっただろうか。興味がなかっただけかもしれないが、そんな言葉、なかったと思う。
今ではみんなは当たり前に使っているけれど。
だけどそんな言葉は、なんだか、何でも新をつければ良く見えるみたいな風潮にしか、俺には見えなかった。
各呼び方ごとに有利な点とか、メリットとか、多くのまとめサイトがあるけど、不利な点はあまり書かれていない。
いいことばっかり書いて、もしかしたら、読んだ人をやる気にさせることもあるのかもしれないが、生憎疑い深い俺はそんな文書を見る度、嫌気がさしていた。
28歳。そう言えば、新卒で大手に就職した友達は、今年婚約したことをSNSで幸せそうに記事にしていた。
他にも、最初ブラックIT企業に就職してしまったあいつも、この間ホワイトめなところに転職したって、言っていた。
俺には将来の道が見えない。
就職も上手くいかない、論文だって上手くいかない、そもそも卒業出来るのかも怪しい、奨学金だけが膨れ上がっていってて、人望もなければ伝手もない。
連絡出来る友達も減ったし、彼女だってもちろんいない。
昔の友達とたまに飲みに行くけど、正直話は合わない。俺だけに分からない未知な世界の、大変だと言いながらそれでも楽しそうに話す奴らに、燻った胸をビールを煽りながら相槌を打つことしか、俺には出来ないのだ。
就職をする、となると、俺は所謂第三新卒にあたる。
第三新卒はその分野に特化した知識を持っているから研究職に有利。
これまで研究をやり込んできた真摯な熱意を力に変えて、企業にアピール出来れば有利。
誰だ、そんな都合のいいことばかり、言い出した奴らは。
第三新卒の就活なら〇〇就活サイト!……結局は、就活サイトが企業からマージンを貰うためとか、そういうことなんじゃないのか。
一年後、いや、半年先でもいい。せめて未来に光があることが見えれば、良かったのに。
俺には足元に続く道が、1メートル先すらも真っ暗で見えない。
そもそも一歩踏み出した先に、道があるのかすら見えていない。
タバコはもう短くなっていた。
俺は月にため息を吐いたが、白いため息はすぐに風が攫って行く。
目を閉じて、このまま眠れたらいいのに、とすら時に過ぎる。
それなのに、前にも横にも進めない俺なのに、背中を預けたフェンスを越える道だけは、選ぶつもりがなかった。
選ぶ勇気なんて、そもそも持ち合わせていないのだ。
本当は分かっていた。
俺は心の底で、まだ暗闇の中の光を、期待しているんだと思った。
だから俺は、今日も論文のデータを片すことしか、出来ないのである。
0
お気に入りに追加
0
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
女子高生は卒業間近の先輩に告白する。全裸で。
矢木羽研
恋愛
図書委員の女子高生(小柄ちっぱい眼鏡)が、卒業間近の先輩男子に告白します。全裸で。
女の子が裸になるだけの話。それ以上の行為はありません。
取って付けたようなバレンタインネタあり。
カクヨムでも同内容で公開しています。
徹夜でレポート間に合わせて寝落ちしたら……
紫藤百零
大衆娯楽
トイレに間に合いませんでしたorz
徹夜で書き上げたレポートを提出し、そのまま眠りについた澪理。目覚めた時には尿意が限界ギリギリに。少しでも動けば漏らしてしまう大ピンチ!
望む場所はすぐ側なのになかなか辿り着けないジレンマ。
刻一刻と高まる尿意と戦う澪理の結末はいかに。
就職面接の感ドコロ!?
フルーツパフェ
大衆娯楽
今や十年前とは真逆の、売り手市場の就職活動。
学生達は賃金と休暇を貪欲に追い求め、いつ送られてくるかわからない採用辞退メールに怯えながら、それでも優秀な人材を発掘しようとしていた。
その業務ストレスのせいだろうか。
ある面接官は、女子学生達のリクルートスーツに興奮する性癖を備え、仕事のストレスから面接の現場を愉しむことに決めたのだった。
蘇生魔法を授かった僕は戦闘不能の前衛(♀)を何度も復活させる
フルーツパフェ
大衆娯楽
転移した異世界で唯一、蘇生魔法を授かった僕。
一緒にパーティーを組めば絶対に死ぬ(死んだままになる)ことがない。
そんな口コミがいつの間にか広まって、同じく異世界転移した同業者(多くは女子)から引っ張りだこに!
寛容な僕は彼女達の申し出に快諾するが条件が一つだけ。
――実は僕、他の戦闘スキルは皆無なんです
そういうわけでパーティーメンバーが前衛に立って死ぬ気で僕を守ることになる。
大丈夫、一度死んでも蘇生魔法で復活させてあげるから。
相互利益はあるはずなのに、どこか鬼畜な匂いがするファンタジー、ここに開幕。
肌が白くて女の子みたいに綺麗な先輩。本当におしっこするのか気になり過ぎて…?
こじらせた処女
BL
槍本シュン(やりもとしゅん)の所属している部活、機器操作部は2つ上の先輩、白井瑞稀(しらいみずき)しか居ない。
自分より身長の高い大男のはずなのに、足の先まで綺麗な先輩。彼が近くに来ると、何故か落ち着かない槍本は、これが何なのか分からないでいた。
ある日の冬、大雪で帰れなくなった槍本は、一人暮らしをしている白井の家に泊まることになる。帰り道、おしっこしたいと呟く白井に、本当にトイレするのかと何故か疑問に思ってしまい…?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる