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015 山は選択肢を減らした上で張りましょう

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 唐突だけど、お父さんは競馬をやろうとしない。
 立場上の理由でインサイダー取引を疑われやすいから株式は無理だけど、FXや投資信託には手を出している。ただでさえ安定しない業種だから多少は資産運用しておかないと、いざという時が怖いかららしい。他にも手を出そうとはしているけど、お母さん曰く勉強中でまだ手を出していないとか。
 ただ……FXも、結局はギャンブルらしい。
 経済状況を見ながら行う、ハイ&ロー(最初の数字から見て、次の数字が高いハイ低いローかを当てるゲーム)だと聞いたことがある。一応安全策は取れるらしいけど、それでも資金を溶かす話は枚挙に遑がない。稼げるのは世界情勢をきちんと把握している中で、かつ流れを読み切れた人達だけらしい。
 だからお父さんは競馬をやらない、と聞いている。判断材料だけでなく、選択肢も多いからほぼ確実に外すのが理由らしい。FXは上がるか下がるかだけを選べば済むけど、複数の馬から順位を予想するなんてことは、そうそうできない。
 よっぽど馬が好きで、競馬の騎手ジョッキーを含む全ての情報を調べられるような人達しか踏み込めない領域だ。素人だと多分、倍率の低い人気の高い馬に賭けるのが精一杯だろう。
 要するに、何が言いたいのかというと……



「や、山を外した……」
 試験なんてものは結局、個人の実力を把握する為のものだ。
 学校ごとに特色が違えども、基礎能力を確認すること自体は義務でもある。だからこそ、もし山を張るのであれば、確実なのはただ一点。
 ……試験範囲内の基礎問題全部だ。
「あんたも馬鹿ね……」
「基礎問題の中から山を張っちゃだめだってば」
 防寒具持参でなければまともに出られない寒さなのに、未だに溜まり場にしている屋上でのこと。愕然としている自称舎弟の彼を眺めながら、私は留年生の彼女と共に、お昼ご飯を食べていた。
 学校によるかもしれないけど、期末試験は複数日に分けて行われる。大体は一日に二、三科目が多く、ここだと三日掛かりだ。そして今日は二日目、テストが終わってさっさと帰宅する生徒達から外れて、私達は屋上にいた。部活動は禁止になっているけど、自習目的であれば居残りもできるし、空き教室が自習室代わりに開放されている。
 だから一日目、二日目と、放課後はこの三人で自習して帰ることにしていた。
 しかしだからと言って、全員の成績が必ず向上するとは限らない。
 普段からちゃんと勉強している私や、一年越しかつ元々バイトの為の情報網グループを作れる程に頭の回る留年生の彼女はまだ良い。試験当日までに基礎は押さえておけたので、平均は確実に取れる。後は応用が解けているかどうかだろう。
 問題は、自称舎弟の彼だった。
 本来なら試験範囲で重点的に出てくる部分、応用問題の部分で山場を張るべきところを、彼は、基礎問題の段階から山を張って、範囲内にも関わらず出てこない部分があると、全体的に勉強することを怠っていた。
 はっきり言うと、彼は自身に必要な勉強時間が不足している状態で試験に臨んでいた。その結果なんて、火を見るよりも明らかだ。ギリギリ赤点じゃなければいい方だろう。
「自業自得。普段から勉強しとかないから、そうなるのよ」
「そういうあなたは、普段勉強している方なの?」
「それがバイトの融通を利いてくれる条件だから、一応ね」
 とはいえ、勉強のことをあまり聞ける状況じゃなかったのだろう。私が教えた途端に学力がかなり上がってたみたいだし……自習とか、苦手な方なのかな?
「残っているのは数学と世界史の二科目だけ、か」
「世界史か……暗記が面倒臭めんどいのよね」
「分かる分かる」
 暗記する量が多いと、その分勉強時間が必要になってくる。読書は好きな方だけど、社会科目が嫌になって将来理系に逃げそうだなぁ……
「数学は何とかなりそう?」
「そこで項垂れてる奴よりかは」
 やっぱりこの中で、成績最下位は彼のようだった。
「まあ、アホじゃなきゃ……逆玉なんてそもそも考えないか」
 なんて話している間にも、冷たい風が屋上に吹きすさんでいく。
 すでに十二月ということもあるが、お昼時でこの寒さなのだ。もう屋上ここを溜まり場にすることは難しいかな。
「寒い……」
「もうここでお昼を食べるのは難しそうね」
 期末試験が終わった後にも、終業式までにはまだ数日、登校しなければならない。
 あと数回とはいえ、お昼を食べる場所については、別に探した方がいいだろう。留年生の彼女の友人のクラスに行くという手もあるけど……変に悪目立ちするから、何度もできるわけじゃない。
「前から考えてたんだけどさ……適当な部室占拠しない?」
「あ、それいいかも」
 この学校にある『対帰宅部』用の幽霊部は、元々は存在した部活のものだった。だから使われていない部室はいくつもある。彼女が言っているのは、その内の一つを私達で使おうという話だった。
「なんだかんだ、この三人で一緒にいることも多くなったし……部室を溜まり場にするのはいい考えだと思う」
 ずっとこの三人で勉強会を開いていたからか、妙な一体感ができてしまい、一緒にいるのが当たり前になっていた。いまさら距離を置く理由もないし、何より……また一人に戻りたくない。
「そういえば聞いてなかったけど……二人共部活は?」
「そういうあんたは?」
「せっかくだし、全員で同時に言ってみるとかは?」
 私達は揃って、自分の所属している部活を口にしてみた。
「せ~の……」

『文芸部』

 まさかとは思ったけど……同じ幽霊部に所属していたとは。
「あんたさ……変なところで勘、働かせてていいの?」
「まさか……俺が山を外したのは…………?」
 いや、それは勉強していないだけ。
 真面目に授業を聞いていたら、どこが山かなんて大体分かるでしょう? 普通。



 とまあ、こんな状態なのでしばらく公園には行っていない。
 元々毎日通っていたわけではない上に、寒いし試験もあるしで行けなかったのだ。だから公園の彼ともしばらくは会っていない。
『……え、大化の改新って『無事故645年で世づくり、大化の改新』じゃないの?』
「今は『むしろ646年重要、大化の改新』って覚えるらしいわよ」
 まあ、会っていないだけで……実際はよく電話しているんだけどね。
 正体をばらした際に隠し持っていた携帯の番号を聞いていたので、勉強中の気晴らしも兼ねて電話で話している。
 もっとも、暗記科目を覚えている時はさすがに電話しなかった。内容がごっちゃになって間違えて記憶しそうで怖いし……
 だから今は、教科書に載っている数学の問題を解いていた。応用に集中するならまだしも、基礎問題だとほとんどが反復練習だから、正直意識が逸れやすい。
 お母さんがいれば雑談相手兼見張り役を頼めるのだけど、時間的にようやく定時になったところだ。今日は電話で、買い出しをしてから帰ってくるとは言っていたけど、それまでは一人で勉強しなければならない。
 だから彼に電話を掛けてスピーカーで話しながら、問題を解くのに集中しているのだ。
「というか、今は数学解いてるから歴史の話は止めてくれない? もしくは世界史の話でよろしく」
『と、言われてもな……俺理系だったから、まともに勉強していたの現代社会だけだぞ?』
「本当に勉強していたの? 元犯罪出所者なのに……」
 そもそも社会構造を理解していないから、犯罪に走ったんじゃないの?
『……悪かったな。どうせ暗記科目は苦手だよ』
 これは……まともに勉強してなかったな。
 その辺りはあまり人のこと言えないけど……勉強はちゃんとしなきゃ。
 社会人になっても勉強するんだし……今のうちに慣れとかないと、将来絶対苦労するって分からなかったのかな?
 ……まあ、実際に苦労しないと、実感わかないから無理か。
「ただいま~」
「……あ、お帰り~」
 自室で机に向かっていると、扉越しにお母さんの声が聞こえてきた。電話していて気付かなかったけど、いつの間にか帰って来ていたらしい。
 少し張り上げた声で返事をした私はペンを置き、そのままその手をスマホに伸ばした。
「お母さん帰ってきたし、そろそろ切るわね」
『ああ、お疲れさん』
 元々長電話する趣味はお互い持ち合わせてないので、他に用事もないからと通話はあっさり切れた。
「……よし」
 私は残りの問題を解き終えてからリビングに行こうと、一つ気合を入れてから再びペンを取り上げた。



 今日の夕食は、さっぱりしたおうどんだった。
 出汁は粉末つゆ、具はスーパーで売っているパウチのキツネ揚げと天かす、そして冷凍の刻みネギが盛られている。さすがにそれだけでは足りないので、おかずにと野菜炒めが置かれているけど、カット野菜を塩コショウで炒めただけの簡易版だ。
 後はお土産で貰ってきたらしい、大き目のウィンナーが数本。まだ数に余裕はあるとのことなので、勉強中に小腹が空いたら、夜食代わりに焼こうと思う。
「試験は明日で最後なのよね。科目は?」
「数学と世界史。基礎は押さえたから、後は寝るまで年表暗記してる」
 試験前だから、会話は必然的に勉強のことだけになる。幼少期から勉強する癖は付けさせられているので、自習自体に苦はない。ストレスが溜まるとしたら、内容を指定できないということ位だろう。
「そう……最低でも平均は取れそう?」
「一応。前から思ってたけど……お母さん達って、私に好成績取れとは言わないわよね?」
「言うだけ無駄でしょう。何せ……」

『目的のない内は、何をやっても本気になれない』

「……ふっ」
「ぷふっ!」
 思わず笑ってしまった。
 お母さんもお父さんの言葉を聞いている。むしろ私よりも聞く機会が多いのは確実だ。
 だから……同じことを言うのは分かりきっていた。何か面白い。
「……それで、将来の目標は見つかった?」
「全然、今も探しているところ……」
 将来の職業どころか、やりたいことすら見つからない。
 今のところはっきりしているのは、皆で幽霊部と化した文芸部の部室を占拠しようという目的位だ。それだって、卒業してしまえば無意味になってしまうけど……他にやりたいことが見つからないのだからしょうがない。
「お母さんはどうやって、勉強の目的意識モチベーションを保ったの?」
「感情論」
 それって単純シンプルに……根性論とか言うものでは?
「あなたも目的を持ったら分かるわ。『しなきゃいけないこと』と『絶対にしたいこと』じゃあ、目的意識モチベーションが本当に変わってくるのよ」
「ふ~ん……」
 微妙に実感が持てない。
 やっぱりお母さんみたいに、実家が脱税していたとかそういう出来事がないと、目的を持つなんてことは難しいのだろうか?
「あなたに分かり易く言うと……掏りを覚えた時は、どんな気持ちだった?」
「突然何?」
 いきなり別の話題を振られて思考がちょっと混乱したけど、とりあえず単純シンプルに返した。
「一番近いのは……『楽しかった』、かな? 別に誰かの財布を取ろうとかは思わなかったけど……手品を覚えているみたいで、練習自体楽しんでた部分もあったし」
「分かり易く言うと、そういうことよ」
 分かり易く言うと、って言われても……『楽しかった』から続けられた位しか、正直分からない。
「人間なんて、誰であっても本質は変わらないの。結局……『喜怒哀楽』のどれか一つでも当てはまりさえすれば、人はどこまでも足掻こうとする」
 どんな形であれ、ね。
 ……何だろう?
 お母さんの目が、そう語っているように感じた。

 妙な……哀しさを交えながら。

「……お母さん、」
「何?」
 これまでのことで、私の中で一つ、仮説が生まれていた。
 ありきたりな話だけど、一番可能性の高い仮説が。
 でも……
「お風呂……先入ってもいい?」
「勉強しながらは止めてね。私も早く入りたいし」
 ……私は、何も聞けなかった。



 **********



 一人娘がお風呂に入っている間、手早く食器を洗い終えたその女性は一人、ベランダに出ていた。防寒具のストールと一緒に持ち出したスマホを操作し、ある番号に電話を掛ける。
『……あまり掛けてくるな、って話していたはずだろ?』
「ごめん、声が聞きたくなっちゃって……」
 登録してある番号から、電話した相手である元夫には発信者が誰かはすぐに分かったのだろう。だから女性に対して、特定の相手にするような返事をしてきたのだ。
 そして、めったに電話してくるなという忠言も込みで。
 だが、曲がりなりにも結婚相手に選んだのだ。感情を理性で抑えられる範囲は把握しているのか、すぐに問いを投げてきた。
『何があった?』
 だから女性も、それに返した。
「あの子……もう気付いたかもしれないわよ」
『……そうか』
 どこまで気付いたかまでは分からないけど、それでも判断材料が揃い始めている。もうごまかしは利かない。
「状況はどう? それによっては、先に話した方が、」
『その必要はない』
 電話越しの声に若干の怒気が含まれたのか、どこか震えていた。

『動きがあった。まだ確定じゃないが……最悪の予想が当たったかもしれない』

「……そう」
 女性は後二、三話してから、通話を切った。
 片手に持ったままのスマホを唇に当てながら、ベランダの欄干にもたれかかる。娘が入浴を終えれば自分の番だからといって、あまり身体を冷やすのも問題だ。それでも、今は寒々とした空気で、気持ちを冷やしたかった。
 ただ、それでも……
「温まりたい……」
 お風呂だけじゃない、気持ちの温もりも欲しがってしまう。
 独占欲が高まるような人生を送ってきたが、同時に目的を達成するだけの自制心を高める生き方もしてきた。だからこそ、こんな板挟みの心境で娘を育てなければならず、ストレスが溜まる一方だった。
 もちろん……性的な欲求も。
「全部終わったら……そろそろ2人目が欲しいわね」
 無論、女性が抱いている気持ちの大半、いやほぼ全てが自己の性欲であるのは間違いない。
 だが幸か不幸か、同居している娘すら入浴中であるこの状況で、それを指摘してくれる者は一人もいなかった。
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