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005 家庭の事情(料理含む)
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とある休日の朝。
私は一人、台所に立っていた。
「う~ん……」
朝食に作った一口大のフレンチトーストをフォークで口に運びつつ、タブレット端末に表示したレシピを次々と指で操作して眺めていく。
私は普段、料理をしない方ではない。実際、暇な時は今日みたいにフレンチトーストをよく作って食べていた。
簡単な料理なら作ることはできる。それでも今回本格的に取り組もうと思ったのは先日、自分が裕福な暮らしをしていると認識させられたからだ。
別に、今後は食事代を貰いすぎないようにしようとか、余ったお金を貯金しようとかは考えていない。
現実はとてつもなく世知辛いのだ。将来お父さんやお母さん程稼げるとは限らない。だから今のうちに節約の練習がてら料理を覚えてみようと、朝から端末を弄っていたのだ。
「カレイの煮つけ、サバの味噌煮……魚料理は難しそう」
「まずはカレーやシチューとか、簡単なのにしてみたら?」
声のした方を振り返ってみると、そこにはお母さんが立っていた。新聞片手に台所に入り、冷蔵庫の扉を開けて牛乳を取り出している。
「料理のお勉強? 好きな男でもできた?」
「ううん。勉強だけ」
マグカップに牛乳を注いで電子レンジに入れるお母さんに、私はフレンチトーストをもう一口食べてから答えた。
「今のうちに金銭感覚矯正しとかないと、将来が怖いから」
「まだ子供の内はいいんじゃないの?」
「もう五年もしない内に成人なのに?」
私はフレンチトーストを載せたお皿を掴み、近くに引き寄せた。実母から大事な食料を守る為に。
「……その辺りはケチらなくていいと思うわよ」
お金じゃない……人の食べ物を取ろうとする卑しい性根が問題なのだ。
「娘の食べ物取り上げる親とか、一歩間違えれば虐待だって知ってる?」
ふざけ合っているだけなのだが、こうなってくると割と力が入ってしまう。
だって、私も人間の小娘だもの。
「まったく……お昼は外で美味しいもの食べさせてあげるから、」
だから私は、迷わずお皿を差し出した。
「……変なところで現金ね、あなた」
「これも料理の勉強だから問題なし」
「はいはい」
娘の話も聞かず、目の前の母親はフレンチトーストを一欠片摘み取り、そのまま口に入れる。
そういえば、お母さんって料理について詳しいのかな? 仕事とお父さんとの惚気話以外は、特に聞いたことがないけど。
「……これでも十分美味しいんじゃないの?」
「だって……」
私は恥ずかし気に手持ちのタブレットで顔を隠した。
「……それしかまともな料理ができないもん」
簡単な料理位はできる。たとえばベーコンエッグとか、ただ焼けばいい料理なら。
……フレンチトーストも昔お父さんから教わった簡易版だし。
「まあ、私もあなたに教えたりとかは、あまりないわね……今度からご飯の時は、一緒に料理する?」
「それはいいけど……」
私は微妙に、言葉を濁した。
「……包丁の使い方は、他で覚えた方がいい?」
「ええ、と……」
冷蔵庫の中にあるカット済み食品の山を思い浮かべながら、お母さんは申し訳なさそうに目を伏せた。正直言うと、刃物類の扱いが苦手な母親よりはましな腕前は、既に持ち合わせているという自負はあるので。
「皮剥き器は……皮剥き器はギリギリ使えるのよ?」
「ギリギリ、ってところがちょっと嫌なんだけど」
ちなみに私は包丁でリンゴの皮を剥く位はできる。お父さんと一緒に暮らしていた頃に、刃物の使い方を教わる際によく剥いていたからだ。
「別に性差別とかで意識したことはないけど……お父さんから『手料理が食べたい』とか、言われたことってないの?」
「あの人微妙に偏食というか……」
あ、微妙に言い澱んでいる。
「……変に拘るところがあるって自覚しているからか、料理に関しては何も求めてこなかったのよ。私がどんな料理を作ってもノークレームだったけど、多分味の良し悪し以外の原因で喧嘩になるからって、黙って我慢していた部分があったかもしれないし」
「ふぅん……」
「正直言うと、その手の要望も全部応えたかったのよね~」
親がいちゃつく話を聞くのもそうだが……今の話は別の意味で微妙な気持ちになってしまう。
……ここはさっさと忘れた方がいいかも。うん。
「お昼、イタリアンがいい」
「おーけー……」
親指を立てて同意する我が母。
どうやら『茹でるだけ』の料理を覚えられる可能性があることに気付いたらしい。その辺りはやはり親子だった。
「茹でるだけ、茹でるだけのはず……」
「諦めよ、お母さん……」
親子二人のランチで高級レストランに行っても仕方がないからと、ちょっと小洒落た大衆食堂に来たのはいいものの、そこはちゃんとした個人経営。
たしかな腕前からくる料理の出来栄えに、お母さんは完全に打ちのめされていた。
「これは、さすがにレベルが高すぎる……」
茹で方もそうだが、具材一つとっても丁寧に仕上げられているので、一朝一夕で真似できるとは思えない。
まあ、だから商売になっているんでしょうけど。
「いっそ、あの人に料理を教わってこようかしら……あの人好みの料理も作れるようになるし」
「だったら私も連れてってよ。私も久し振りに、お父さんに会いたいし」
「う~ん……」
また渋い顔付きになっている。
「……その辺りはまだちょっと怪しいのよね」
普段から連絡を取り合っているのか、お父さんの現況を知っているらしい。お母さんは少し額を掻き、軽く溜息を吐いている。
「もう少し状況が落ち着けば連れて行けるんだけど……ごめんなさいね」
「いや、お母さんが謝ることじゃないから」
食後のエスプレッソに口をつけつつ、私はそう返した。
「そもそもお父さんの職場が……そう言えばお母さん」
「何?」
コーヒーカップを傾けていたお母さんに、私は尋ねる。
「お父さんとは……多分仕事で知り合ったんだろうけど、どういう経緯で夫婦になったの?」
「できれば出会いの部分も聞いて欲しかったわね。まあ、その通りだから割愛しましょう」
二人の職業を考えれば、偶然以外だとそれくらいしか思い当たらないのよね。
「と言っても仕事で関わるうちに私が惚れて、仕事で訪問する度に雑談を徐々に増やして……」
あ、普通。
「度が過ぎて『公私混同するな』って上司に怒られて、出張行く度にお土産買っては休日に届けに行って、そのままホテルに連れ込もうとして……」
……と思えば、ストーカー一歩手前の思考の持ち主だった。前から知ってたけど。
この人、子供の頃に懐いていた私にすら嫉妬して周囲に止められていたのよね……お父さんが絡まなければ普通にいいお母さんなのに。
お父さん……なんでお母さんと結婚したんだろう?
「言いたいことは分かるわ。でもこれだけは言わせて……あの人もちょっと変だからね」
「ええ~……」
信用ならない、と言いたいところだが、子供の頃から変わり者だと言うことは知っている。
お父さんの実家が特殊なのもあるけど……夫婦揃って変わり者だからなぁ。
「本当なのよ。『ツンデレよりヤンデレ派』だって言ってたからね、あの人。『微ヤンなら浮気の心配はしなくていいから』とも言ってたし」
うわぁ、お父さんらしい……それよりも、
「お母さん……ヤンデレなの?」
じ~……
「そこは深くツッコまないで……ちょっと人より粘着質で独占欲が強いだけだから」
「十分ヤンデレな気がする。よく別居に耐えられ……」
……あ、そっぽ向いた。
「前にお父さんに会ったのはいつ?」
「……この前の出張帰りに寄りました。ごめんなさい。あの人のジャーマンポテト擬きはおいしかったです」
ただの炒め物だものね、お父さんの作るジャーマンポテトって。
あれはあれで美味しいけど。
「お母さんが寄り道できる程の事情なら、離婚までする必要あったの?」
離婚した理由は私を守る為、という話は何度も聞いている。
それでも私は知らない。何故離婚しなければならなかったのか、いったいどんな事情があるのかを。
「ごめんなさいね……私達のわがままに巻き込んじゃって」
いつもそう言って、私だけ蚊帳の外だ。
私が子供だから、大人の事情に関われないから、って……
「……全部終わったら、ちゃんと話してよね」
「もちろん。その時はあの人とも復縁するつもりだからよろしく」
……ま、期待しないで待つとしましょう。
下手したら私が大人になって就職しても、このままな気がするし。
「ということは……お父さんの実家にまた住むの?」
「そうしましょう。今のマンションは私の個人事務所にしてもいいし」
「……お母さん、一応公僕じゃなかった?」
高卒とはいえせっかく出世しているんだし、面倒な管理をする位なら手放してもいいんじゃないかな。私も進学先によっては、一人暮らしもしてみたいのに。
「早期退職して独立も有りでしょう? 出張での移動中に勉強して、資格も色々取ってあるし」
「用意いいね」
あれ? お母さんが微妙に落ち込んじゃってる?
「交際を始めたせいで、上司から完全に担当外されちゃって外回りばっかり……仕事中もお話ししたかったのに」
「お母さん、国家公務員でしょう? 国民の血税を私用に使っちゃ駄目だから……」
なるほど、たしかにヤンデレだ。そして名前も分からない上司さんグッジョブ。
ただでさえ最近、指名手配犯と友人付き合いしているのに、これ以上私の人生がダーティーに染まるのは勘弁して欲しい。
「というか、同じ公僕でも、地方公務員ならこんなに出張とかする必要はないんじゃないの?」
「そしたら多分、お父さんと出会わなかったと思うわよ?」
「いや、それ以前の話なんだけど……」
以前から、不思議に思っていたことだ。
「……なんで税務署の職員になったの?」
高卒で公務員になるのはよくある話だけど、何故税務署を勤務先に選んだのかは、聞いたことがなかった。
収入も多いし女性職員が活躍しやすいとは聞いたことがあるけど、それでも生きていく上では、地方公務員でも十分だと思う。癒着防止に定期的に転勤する手間もなければ、税務調査で被るトラブルもない。
「あれ、言ってなかったかしら?」
「全然聞いたことがない」
私は眼前で手を振った。
お母さんとする仕事の話は、脱税した人達の末路や納税に関する豆知識が大半だ。志望動機や就職した経緯については、特に聞いたことがない。
「そもそもお母さんの過去だって、昔苦学生でバイトしながら通信制の高校に通っていた、ってことしか聞いてないんだけど」
「まあ……大した話じゃないわよ。私が理系で公務員志望だって言ったら、進路相談で税務署勧められただけだし」
「浅い……」
「だから話さなかったのよ。どうでも良すぎて」
伝票片手に立ち上がるお母さんと共に、私は席を立った。
お母さんの車でここまで来たのはいいが、このお店に駐車場はなかった。だから近くの駐車場まで、並んで歩いて行く。
「ついでに近くの公園に散歩でも行く?」
「公園は、しばらくいいかな……」
「あらそう」
彼からも連絡は来ないし、しばらく、公園の類という面倒な場所は避けた方がいいだろう。
……というか、彼氏でもない年上男性のホームレスと友達になったって、どう説明しても事案になるだろうし。
「そう言えば今朝も話したけど……あなたって、好きな男の子とかいないの?」
「『子供』に興味はないわよ」
高校は共学だけど、教員も生徒も総じてロクデナシだ。
いじめられている人間を見て見ぬ振りするような連中なんて、いざという時に見捨てられる可能性が高いから、できればごめんだし。
「人間関係って、難しいし……無理に誰かと付き合う位なら、恋人なんていらないかな」
「だから寄り添いたい人と出会った時、その相手を最高に愛おしく思えるのよ。私とお父さんみたいにね」
「親の惚気はもっといらないわよ……」
呆れつつ、私はお母さんの軽自動車に乗り込む。助手席に座り、シートベルトを締めている間にお母さんも同様に腰掛け、車のエンジンを掛けた。
「どこかに買い物寄る?」
「ううん、大丈夫」
お母さんは車のアクセルに足を掛け、静かに発進させた。
**********
税務署で働くその女性には、娘が一人いた。
大切に育てている、と言えば聞こえはいいが、自分がされたら嫌な育て方は絶対にしない。経験上、そういう教育方針しか取れなかった。
仕事の都合で家族として会話すること自体は少ないけれども、それ以外に傷付けるような振る舞いはしていないと思う。そもそもそれしか、自分にはできなかっただけなのだが。
「……あの子は?」
「もう寝ていたわよ。明日は学校があるし」
その女性は一人静かに家を出て、今日の昼娘を乗せた車を駆り、夜遅くに自宅から離れた駅へと来ていた。
深夜で人気のないロータリーに駐車した車にもたれていると、離婚した夫が近寄り、その向かいに立った。
終電が来るまでの僅かな間。それが、二人が今逢瀬を重ねられる時間だった。
「どこか、店に入るか?」
「大丈夫。移動する時間ももったいないし」
女性は隣を示し、男性を同様に車へともたれさせる。
「それで?」
「予想通り、出てきていたよ」
男性は懐から外国産の煙草を取り出し、ボロボロの箱からヨレた一本を抜いて咥えた。
「行方は分かっていない。模範囚で通っていたとかで、減刑になっていた。身元保証人がいないから仮釈放にはならなかったが、逆に人の目を避ける結果となってしまった」
箱を仕舞い、今度はさらに小さなマッチ箱を取り出し、中身を一本引き抜いた。
「一応、見張りはつけていたんだがな……」
「そう……ねぇ、」
「その必要はない」
元妻の発言を、男は遮る。マッチで火を点け、紫煙を静かに燻らせた。
「これ以上お前の、いや俺達の人生を弄ばれていいわけがない。無論、俺達の娘もだ」
「それは……そう、だけど…………」
「安心しろ。もういくつか手は打ってある」
ふぅ、と汚れた煙が空気を汚していく。
「できれば出所と同時にマークしたかったが、まあ仕方がない。こっちで引き続き探してみるが……そっちはどうだ?」
「今のところは大丈夫」
女性は、男性の口から煙草を取り、一度だけ吸った。
「仕事の合間に探ってはいるけど、私が確認できる範囲にはいなかった。多分、別の場所で……準備しているんだと思う。報復の」
「そうか……」
返された煙草を再び咥え直す男性。しかしすでに、そのほとんどが灰と化していた。
「大変だよな。親になるってのは……」
「本当、『家庭内暴力』や『育児放棄』なんてものが生まれるのもよく分かるわ」
「……まあ、だからって」
取り出した携帯灰皿に吸殻を捨て、男性は車から離れた。
「俺達の娘も、同じ目に合わせる理由にはならないよな」
女性の肩を軽く叩いてから、男性は歩き出した。
駅から終電が出るという放送が聞こえてくる。車で来なかったということは、ここに来る前に少し飲んできていたのかもしれない。
「また連絡する」
「……次はキスもお願い」
「今は間接で勘弁してくれ」
男性は振り返ると、一言だけ残してから去って行った。
「俺に堪え性がないのは、お前が一番良く知っているだろう?」
私は一人、台所に立っていた。
「う~ん……」
朝食に作った一口大のフレンチトーストをフォークで口に運びつつ、タブレット端末に表示したレシピを次々と指で操作して眺めていく。
私は普段、料理をしない方ではない。実際、暇な時は今日みたいにフレンチトーストをよく作って食べていた。
簡単な料理なら作ることはできる。それでも今回本格的に取り組もうと思ったのは先日、自分が裕福な暮らしをしていると認識させられたからだ。
別に、今後は食事代を貰いすぎないようにしようとか、余ったお金を貯金しようとかは考えていない。
現実はとてつもなく世知辛いのだ。将来お父さんやお母さん程稼げるとは限らない。だから今のうちに節約の練習がてら料理を覚えてみようと、朝から端末を弄っていたのだ。
「カレイの煮つけ、サバの味噌煮……魚料理は難しそう」
「まずはカレーやシチューとか、簡単なのにしてみたら?」
声のした方を振り返ってみると、そこにはお母さんが立っていた。新聞片手に台所に入り、冷蔵庫の扉を開けて牛乳を取り出している。
「料理のお勉強? 好きな男でもできた?」
「ううん。勉強だけ」
マグカップに牛乳を注いで電子レンジに入れるお母さんに、私はフレンチトーストをもう一口食べてから答えた。
「今のうちに金銭感覚矯正しとかないと、将来が怖いから」
「まだ子供の内はいいんじゃないの?」
「もう五年もしない内に成人なのに?」
私はフレンチトーストを載せたお皿を掴み、近くに引き寄せた。実母から大事な食料を守る為に。
「……その辺りはケチらなくていいと思うわよ」
お金じゃない……人の食べ物を取ろうとする卑しい性根が問題なのだ。
「娘の食べ物取り上げる親とか、一歩間違えれば虐待だって知ってる?」
ふざけ合っているだけなのだが、こうなってくると割と力が入ってしまう。
だって、私も人間の小娘だもの。
「まったく……お昼は外で美味しいもの食べさせてあげるから、」
だから私は、迷わずお皿を差し出した。
「……変なところで現金ね、あなた」
「これも料理の勉強だから問題なし」
「はいはい」
娘の話も聞かず、目の前の母親はフレンチトーストを一欠片摘み取り、そのまま口に入れる。
そういえば、お母さんって料理について詳しいのかな? 仕事とお父さんとの惚気話以外は、特に聞いたことがないけど。
「……これでも十分美味しいんじゃないの?」
「だって……」
私は恥ずかし気に手持ちのタブレットで顔を隠した。
「……それしかまともな料理ができないもん」
簡単な料理位はできる。たとえばベーコンエッグとか、ただ焼けばいい料理なら。
……フレンチトーストも昔お父さんから教わった簡易版だし。
「まあ、私もあなたに教えたりとかは、あまりないわね……今度からご飯の時は、一緒に料理する?」
「それはいいけど……」
私は微妙に、言葉を濁した。
「……包丁の使い方は、他で覚えた方がいい?」
「ええ、と……」
冷蔵庫の中にあるカット済み食品の山を思い浮かべながら、お母さんは申し訳なさそうに目を伏せた。正直言うと、刃物類の扱いが苦手な母親よりはましな腕前は、既に持ち合わせているという自負はあるので。
「皮剥き器は……皮剥き器はギリギリ使えるのよ?」
「ギリギリ、ってところがちょっと嫌なんだけど」
ちなみに私は包丁でリンゴの皮を剥く位はできる。お父さんと一緒に暮らしていた頃に、刃物の使い方を教わる際によく剥いていたからだ。
「別に性差別とかで意識したことはないけど……お父さんから『手料理が食べたい』とか、言われたことってないの?」
「あの人微妙に偏食というか……」
あ、微妙に言い澱んでいる。
「……変に拘るところがあるって自覚しているからか、料理に関しては何も求めてこなかったのよ。私がどんな料理を作ってもノークレームだったけど、多分味の良し悪し以外の原因で喧嘩になるからって、黙って我慢していた部分があったかもしれないし」
「ふぅん……」
「正直言うと、その手の要望も全部応えたかったのよね~」
親がいちゃつく話を聞くのもそうだが……今の話は別の意味で微妙な気持ちになってしまう。
……ここはさっさと忘れた方がいいかも。うん。
「お昼、イタリアンがいい」
「おーけー……」
親指を立てて同意する我が母。
どうやら『茹でるだけ』の料理を覚えられる可能性があることに気付いたらしい。その辺りはやはり親子だった。
「茹でるだけ、茹でるだけのはず……」
「諦めよ、お母さん……」
親子二人のランチで高級レストランに行っても仕方がないからと、ちょっと小洒落た大衆食堂に来たのはいいものの、そこはちゃんとした個人経営。
たしかな腕前からくる料理の出来栄えに、お母さんは完全に打ちのめされていた。
「これは、さすがにレベルが高すぎる……」
茹で方もそうだが、具材一つとっても丁寧に仕上げられているので、一朝一夕で真似できるとは思えない。
まあ、だから商売になっているんでしょうけど。
「いっそ、あの人に料理を教わってこようかしら……あの人好みの料理も作れるようになるし」
「だったら私も連れてってよ。私も久し振りに、お父さんに会いたいし」
「う~ん……」
また渋い顔付きになっている。
「……その辺りはまだちょっと怪しいのよね」
普段から連絡を取り合っているのか、お父さんの現況を知っているらしい。お母さんは少し額を掻き、軽く溜息を吐いている。
「もう少し状況が落ち着けば連れて行けるんだけど……ごめんなさいね」
「いや、お母さんが謝ることじゃないから」
食後のエスプレッソに口をつけつつ、私はそう返した。
「そもそもお父さんの職場が……そう言えばお母さん」
「何?」
コーヒーカップを傾けていたお母さんに、私は尋ねる。
「お父さんとは……多分仕事で知り合ったんだろうけど、どういう経緯で夫婦になったの?」
「できれば出会いの部分も聞いて欲しかったわね。まあ、その通りだから割愛しましょう」
二人の職業を考えれば、偶然以外だとそれくらいしか思い当たらないのよね。
「と言っても仕事で関わるうちに私が惚れて、仕事で訪問する度に雑談を徐々に増やして……」
あ、普通。
「度が過ぎて『公私混同するな』って上司に怒られて、出張行く度にお土産買っては休日に届けに行って、そのままホテルに連れ込もうとして……」
……と思えば、ストーカー一歩手前の思考の持ち主だった。前から知ってたけど。
この人、子供の頃に懐いていた私にすら嫉妬して周囲に止められていたのよね……お父さんが絡まなければ普通にいいお母さんなのに。
お父さん……なんでお母さんと結婚したんだろう?
「言いたいことは分かるわ。でもこれだけは言わせて……あの人もちょっと変だからね」
「ええ~……」
信用ならない、と言いたいところだが、子供の頃から変わり者だと言うことは知っている。
お父さんの実家が特殊なのもあるけど……夫婦揃って変わり者だからなぁ。
「本当なのよ。『ツンデレよりヤンデレ派』だって言ってたからね、あの人。『微ヤンなら浮気の心配はしなくていいから』とも言ってたし」
うわぁ、お父さんらしい……それよりも、
「お母さん……ヤンデレなの?」
じ~……
「そこは深くツッコまないで……ちょっと人より粘着質で独占欲が強いだけだから」
「十分ヤンデレな気がする。よく別居に耐えられ……」
……あ、そっぽ向いた。
「前にお父さんに会ったのはいつ?」
「……この前の出張帰りに寄りました。ごめんなさい。あの人のジャーマンポテト擬きはおいしかったです」
ただの炒め物だものね、お父さんの作るジャーマンポテトって。
あれはあれで美味しいけど。
「お母さんが寄り道できる程の事情なら、離婚までする必要あったの?」
離婚した理由は私を守る為、という話は何度も聞いている。
それでも私は知らない。何故離婚しなければならなかったのか、いったいどんな事情があるのかを。
「ごめんなさいね……私達のわがままに巻き込んじゃって」
いつもそう言って、私だけ蚊帳の外だ。
私が子供だから、大人の事情に関われないから、って……
「……全部終わったら、ちゃんと話してよね」
「もちろん。その時はあの人とも復縁するつもりだからよろしく」
……ま、期待しないで待つとしましょう。
下手したら私が大人になって就職しても、このままな気がするし。
「ということは……お父さんの実家にまた住むの?」
「そうしましょう。今のマンションは私の個人事務所にしてもいいし」
「……お母さん、一応公僕じゃなかった?」
高卒とはいえせっかく出世しているんだし、面倒な管理をする位なら手放してもいいんじゃないかな。私も進学先によっては、一人暮らしもしてみたいのに。
「早期退職して独立も有りでしょう? 出張での移動中に勉強して、資格も色々取ってあるし」
「用意いいね」
あれ? お母さんが微妙に落ち込んじゃってる?
「交際を始めたせいで、上司から完全に担当外されちゃって外回りばっかり……仕事中もお話ししたかったのに」
「お母さん、国家公務員でしょう? 国民の血税を私用に使っちゃ駄目だから……」
なるほど、たしかにヤンデレだ。そして名前も分からない上司さんグッジョブ。
ただでさえ最近、指名手配犯と友人付き合いしているのに、これ以上私の人生がダーティーに染まるのは勘弁して欲しい。
「というか、同じ公僕でも、地方公務員ならこんなに出張とかする必要はないんじゃないの?」
「そしたら多分、お父さんと出会わなかったと思うわよ?」
「いや、それ以前の話なんだけど……」
以前から、不思議に思っていたことだ。
「……なんで税務署の職員になったの?」
高卒で公務員になるのはよくある話だけど、何故税務署を勤務先に選んだのかは、聞いたことがなかった。
収入も多いし女性職員が活躍しやすいとは聞いたことがあるけど、それでも生きていく上では、地方公務員でも十分だと思う。癒着防止に定期的に転勤する手間もなければ、税務調査で被るトラブルもない。
「あれ、言ってなかったかしら?」
「全然聞いたことがない」
私は眼前で手を振った。
お母さんとする仕事の話は、脱税した人達の末路や納税に関する豆知識が大半だ。志望動機や就職した経緯については、特に聞いたことがない。
「そもそもお母さんの過去だって、昔苦学生でバイトしながら通信制の高校に通っていた、ってことしか聞いてないんだけど」
「まあ……大した話じゃないわよ。私が理系で公務員志望だって言ったら、進路相談で税務署勧められただけだし」
「浅い……」
「だから話さなかったのよ。どうでも良すぎて」
伝票片手に立ち上がるお母さんと共に、私は席を立った。
お母さんの車でここまで来たのはいいが、このお店に駐車場はなかった。だから近くの駐車場まで、並んで歩いて行く。
「ついでに近くの公園に散歩でも行く?」
「公園は、しばらくいいかな……」
「あらそう」
彼からも連絡は来ないし、しばらく、公園の類という面倒な場所は避けた方がいいだろう。
……というか、彼氏でもない年上男性のホームレスと友達になったって、どう説明しても事案になるだろうし。
「そう言えば今朝も話したけど……あなたって、好きな男の子とかいないの?」
「『子供』に興味はないわよ」
高校は共学だけど、教員も生徒も総じてロクデナシだ。
いじめられている人間を見て見ぬ振りするような連中なんて、いざという時に見捨てられる可能性が高いから、できればごめんだし。
「人間関係って、難しいし……無理に誰かと付き合う位なら、恋人なんていらないかな」
「だから寄り添いたい人と出会った時、その相手を最高に愛おしく思えるのよ。私とお父さんみたいにね」
「親の惚気はもっといらないわよ……」
呆れつつ、私はお母さんの軽自動車に乗り込む。助手席に座り、シートベルトを締めている間にお母さんも同様に腰掛け、車のエンジンを掛けた。
「どこかに買い物寄る?」
「ううん、大丈夫」
お母さんは車のアクセルに足を掛け、静かに発進させた。
**********
税務署で働くその女性には、娘が一人いた。
大切に育てている、と言えば聞こえはいいが、自分がされたら嫌な育て方は絶対にしない。経験上、そういう教育方針しか取れなかった。
仕事の都合で家族として会話すること自体は少ないけれども、それ以外に傷付けるような振る舞いはしていないと思う。そもそもそれしか、自分にはできなかっただけなのだが。
「……あの子は?」
「もう寝ていたわよ。明日は学校があるし」
その女性は一人静かに家を出て、今日の昼娘を乗せた車を駆り、夜遅くに自宅から離れた駅へと来ていた。
深夜で人気のないロータリーに駐車した車にもたれていると、離婚した夫が近寄り、その向かいに立った。
終電が来るまでの僅かな間。それが、二人が今逢瀬を重ねられる時間だった。
「どこか、店に入るか?」
「大丈夫。移動する時間ももったいないし」
女性は隣を示し、男性を同様に車へともたれさせる。
「それで?」
「予想通り、出てきていたよ」
男性は懐から外国産の煙草を取り出し、ボロボロの箱からヨレた一本を抜いて咥えた。
「行方は分かっていない。模範囚で通っていたとかで、減刑になっていた。身元保証人がいないから仮釈放にはならなかったが、逆に人の目を避ける結果となってしまった」
箱を仕舞い、今度はさらに小さなマッチ箱を取り出し、中身を一本引き抜いた。
「一応、見張りはつけていたんだがな……」
「そう……ねぇ、」
「その必要はない」
元妻の発言を、男は遮る。マッチで火を点け、紫煙を静かに燻らせた。
「これ以上お前の、いや俺達の人生を弄ばれていいわけがない。無論、俺達の娘もだ」
「それは……そう、だけど…………」
「安心しろ。もういくつか手は打ってある」
ふぅ、と汚れた煙が空気を汚していく。
「できれば出所と同時にマークしたかったが、まあ仕方がない。こっちで引き続き探してみるが……そっちはどうだ?」
「今のところは大丈夫」
女性は、男性の口から煙草を取り、一度だけ吸った。
「仕事の合間に探ってはいるけど、私が確認できる範囲にはいなかった。多分、別の場所で……準備しているんだと思う。報復の」
「そうか……」
返された煙草を再び咥え直す男性。しかしすでに、そのほとんどが灰と化していた。
「大変だよな。親になるってのは……」
「本当、『家庭内暴力』や『育児放棄』なんてものが生まれるのもよく分かるわ」
「……まあ、だからって」
取り出した携帯灰皿に吸殻を捨て、男性は車から離れた。
「俺達の娘も、同じ目に合わせる理由にはならないよな」
女性の肩を軽く叩いてから、男性は歩き出した。
駅から終電が出るという放送が聞こえてくる。車で来なかったということは、ここに来る前に少し飲んできていたのかもしれない。
「また連絡する」
「……次はキスもお願い」
「今は間接で勘弁してくれ」
男性は振り返ると、一言だけ残してから去って行った。
「俺に堪え性がないのは、お前が一番良く知っているだろう?」
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サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
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クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
ママと中学生の僕
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「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
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