文系男子と理系女子の恋愛事情

桐生彩音

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第二巻

022 文系男子と理系女子の前途

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「あ~、一仕事の後だから、一際うまいな……」
「あんた、ただの裏方でしょう?」
「裏方でも役者以外の仕事は脚本含めてきっちりこなしましたっ!」
 台所を背に、フローリングにそのまま腰掛けた二人は、それぞれ酒や煙草をたしなんでいた。最初こそしゃがんでいただけだったが、アルコールやニコチンが回るにつれて腰を下ろし、今では両足を投げ出している。
「……で、どうするんだ?」
「それなのよね。問題は……」
 フィルターだけになった吸い殻を携帯灰皿に入れ、新しい煙草を指で挟む稲穂だが、その手を顔にえるだけで、すぐに火を点けようとはしなかった。溜息じりに吐き出される中には、肺に残っていた紫煙も含まれているのか、暗い色が着いていた。
「拒絶反応と言うか、精神的に会いに行けば、その時点で身体が言うことを聞かなくなる。こんな状態で、向こうとまともに話せると思う?」
「たしかに難しいな。と、なると……」
 グラスを少し傾けながら、蒼葉は考え込むように視線を上げた。
「……電話は?」
「声でアウト。そもそも初対面でそこまで込み入った話ができると思う?」
「手紙」
「向こうに書かせるなら……あ、駄目。破きそう」
「メール……」
「アドレス教えるのは嫌」
「俺の端末渡したら勝手に壊しそうだし、プリントアウトしても以下同文……どうしようもねえな」
「本当にね」
 咥えた煙草に火を点けながら、再び頭を抱え込む稲穂。
 蒼葉も解決策を考え込むが、結局は直接会う以外の選択しか思い浮かばなかった。
「又聞きじゃ本気度合いもはかれないし、やっぱり、会いに行くしかないわね……」
「……で、最初の話に戻る、と」
 互いに溜息が漏れ出るも、それで解決策も一緒に出てくるとは限らない。
 やはり最後にものを言うのは、稲穂の心の持ち様だった。
「勇気が足りない。なんて話じゃないのよね……」
「まあ金子にとっちゃ最大級の精神的外傷トラウマだろうからな。そう簡単には割り切れないか」
「できたら最初から、こうなってないわよ」
 吐き出される紫煙が空気に溶けて消えていくが、稲穂の悩みも消えるわけではない。
「……乗り越える力が欲しい」
「そうか」
 最後の一口を飲み干した蒼葉は、立ち上がってグラスを流しに置いた。しかし同じ場所に腰掛けるではなく、稲穂の身体をまたいで、そのツリ目気味な瞳を見つめた。
「金子……」
「何?」
 台所は狭く、足を伸ばした状態でまたがられているので、稲穂は身動きが取れない。それを狙ってかどうかは分からないが、蒼葉はゆっくりと、自らの顔を近づけていく。
「お前に、勇気を……」
 そしてなんとなく流れを理解した稲穂は、咥えていた煙草を携帯灰皿に押し込んで……



「死ねっ!」
「ぎゃっ!?」



 ……台所に灰が飛び散らないように配慮してから、冷静に蹴りを放った。
「だから、せめてビンタ……」
「歯ぁ喰いしばってないと、舌噛んで死んでたわよ。むしろ蹴りで感謝しなさい」
「そんな否定の仕方、ある……ごぉぉ」
 減らず口は叩けている蒼葉だが、稲穂の放った蹴りのダメージは深刻だった。なにせ、蹴りを受けたのは下腹部の下、足の付け根部分の間という、男子共通の弱点だったのだから。
「というかありきたり過ぎなのよ、キスで元気づけるとか。もっとましな方法考えなさいよ」
「いや、だったら……先に付き合ってくれって、言えば良かったか?」
「どっちにしたって振ってたわよ。馬鹿」
「……こんなややこしい関係になった切っ掛けって、お前の告白だったよなおいっ!」
 横にどいて床の上をゴロゴロと転がる蒼葉を放置し、稲穂は新しい煙草をまた口に咥える。そして火を点けながら、至極当たり前のことを尋ねた。
「というか黒桐、あんた……私がキスされて訴えてきたら、どうするつもりだったの?」
「前回親父達のせいで流れた、痴漢と相殺の件で許していただこうかと……」
「キスと痴漢か……痴漢の方がまだましね」
 ようやく回復してきたのか、蒼葉は身体を起こしながら、自らが思っていたことを口にした。
「あ、やっぱりキスもまだなんだ」
「相手がいないのにどうやってするのよ。人工呼吸すらやったことないわよ」
 あっさりと拒否された蒼葉だが、肉体的ダメージはまだしも、精神的には特に傷ついた様子は見受けられなかった。
「拒否されるとは思っていたが、まさかの蹴りとはな……」
「せめてあんたが、私以上の美形だったらね……」
「客観的に自己評価できているようだがハッキリ言おう。顔だけでお前に釣り合うとしたら、最低でも芸能人アイドルクラスだと理解しているか?」
「ツリ目差っ引いたらでしょ、それも」
「……割と気にしてたんだな、ツリ目それ
 人間、何が自身を持てない部分コンプレックスになるかは、分からないものだった。
「まあ、そこまでこだわるつもりはないけど……今日の劇みたいに『もう少しまともな場面でやりたいし』、今あんたにやられるのはごめんだわ」
「よく理解できたよ……ったく」
 劇の台詞セリフを覚えていてもらい、少し機嫌のよくなる蒼葉だが、それで物事が解決したとは言えなかった。今でも煙草を吹かしている稲穂を見つめながら、どう解決したものかと、元いた場所に再び腰掛けながら考え込む。
「……やっぱり、会いに行くしかないだろう」
「呼び出してもいいんじゃない?」
「それ、場所にもよるが逃げ道なし、ってことだぞ?」
 まだ会いに行くなら、顔を合わそうがそうでなかろうが、そのまま逃げ帰ればいい。しかし、呼び出した場合家ならば逃げられないし、かといって適当な店で会談の席をもうけても、何かの拍子に暴れ出してしまえば周囲に迷惑をかけることになる。
 つまり、結論としては……稲穂が動くしかないのだ。
「なんならついていこうか?」
「いい。むしろ来るな」
「そこまで言うことは」



「出しゃばらないで。これは……私の問題だから」



 蒼葉は、口をつぐんだ。
「他の誰かが関わっていい問題じゃない。黒桐、これ以上口を出すなら怒るわよ」
 稲穂からの拒絶を受けても、蒼葉は気にせず言葉を続けた。
「……大丈夫なのか?」
「こればっかりは、ね。いいかげん自立しないと、前に進めないから……」
 稲穂が立ち上がるに釣られて、蒼葉もまた立ち上がった。
 最後に一吸いしてから、携帯灰皿に吸殻を落とすとそのまま蓋を閉めた。
「助けてくれてうれしいとは思っている。でもごめん、これ以上甘えたくない」
「……こっちは別に、甘えてくれてもいいんだけど?」
「そしたらあんたに、一生近づけないから」
 互いに向き合う中、稲穂は蒼葉と視線を交わしながら、しっかりと答えた。



「いつまでもあんたに支えて貰っていたら、私は自由に飛び立てないから」



 稲穂は、蒼葉に憧れていた。
 今でも憧れているのかもしれないが、付き合うかどうかの問題が持ち上がって以来、その気持ちがどうなっているのかは、稲穂自身も分からなくなっている。
 それでも、稲穂は選んだ。前に進むと。
「そうか。じゃ……これ以上は言わないよ」
 蒼葉は軽く息を吐いた後、稲穂の気持ちにそう応えた。
「よっぽどのことがない限りは、もう俺から関わることはしない。信じて……待っていていいんだな?」
「いや、別に待たなくていいわよ。こっちはこっちで、勝手にやっているから」
「おいこらっ! 少しは空気を読めっ!」
 せめて待っていようと思っていた蒼葉だが、それすらも稲穂に拒否されてしまい、若干不貞腐ふてくされてしまう。
 こうなったらこっそりついてってやろうかと蒼葉がそう思っていると、不意に、稲穂は人差し指を唇に当てて……笑った。
「じゃあ、景気づけに……一杯頂戴」
 稲穂の笑顔は何度か見たことあるが、それでも普段は無表情なので、少し特別な感じがした。それを見て少し気の緩んだ蒼葉は、黙って新しいグラスを取り出して、氷を入れ始めた。
「……代金は、煙草一本でどうだ?」
「取引成立ね」
 ウィスキーの注がれたグラスと新しい煙草を交換し、それぞれの口元に近づけていく。
「煙草は初めてだな……」
「私も。ノンアルコールは飲んだことあるけど……あ、煙草を火に当ててから軽く吸わないと、点かないからね」
「ただ当てるだけじゃ駄目なんだな……それじゃ」
 一度見つめ合ってから、蒼葉がライターの火を起こすのを合図に、まるで乾杯したかのようにそれぞれ口をつけた。



 ところで、世の中には相性というものがある。
 実際に経験してみないことには分からないが、その相性を無視することはできない。そして、相性の悪さは大抵、拒絶反応から始まることが多い。
 つまり何が言いたいかと言うと……彼らはまだ知らなかったのだ。



 蒼葉がライターと一緒に受け取っていた携帯灰皿に煙草を押しつけている中、稲穂はグラスを置いて、口元を押さえながらトイレへと駆けこんでいく。
 しかし、中で何が行われているのかは分からない。蒼葉もまた、自らのグラスに水道水を流し入れては、口に含んでうがいを繰り返していたのだから。
「はぁ、はぁ……」
「ぅ、ぅ……」
 一頻ひとしきりうがいを終えた蒼葉が流し台に身体をもたれさせていると、足に力が入らない様子の稲穂が、身体を引きずるようにいずりながら、トイレから出てきた。
「お前、良く吸えるな……こんなまずい煙」
「あんたこそ、あれ飲んで気持ち悪くならないの……?」
 ……前途多難な様相をていした二人であった。
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