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第二巻

021 文系男子と理系女子の小さな悪事

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 とりあえず、とばかりに稲穂は拳を繰り出した。
「ぶっ!? ……代金にしては過激すぎないか?」
「あっさりさばいといて、よく言うわよ」
 閉幕カーテンフォールの後打ち合わせでもしていたのか、少し時間が経ってから蒼葉は現れた。それに対して、稲穂は拳を繰り出したのだ。
「てかそんなに気に入らなかったか!?」
「いや、よくよく考えたら、『後で』と言われても、先に帰っていれば良かった、とさっき気づいて……」
「メールして正解だったな……ほら、たまには一緒に帰るぞ」
 別に約束しているわけではないが、登校時間がかぶって一緒になることは多い。しかし、並んで下校するということはほとんどなかった。
 パルクール活動があるならまだしも、部活動も放課後の過ごし方も違うから当然なのだろう。実際、約束でもしなければ、一緒に帰宅する機会は意外と生まれないものだった。
「晩飯どうするかな……金子、何食いたい?」
「回らない寿司」
「だから予算オーバーだっての。というか寿司、好きなの?」
「普通に好物。食事に娯楽は持ち込まない主義だから、回転寿司とかは好きになれないけど」
 どこの江戸っ子だと言いたくなるが、今の稲穂に対して生まれをとやかく言うのは得策ではない。むしろ逆鱗げきりんに触れてしまう。
「ちなみにスーパーのパック寿司はあり?」
「なし。身が崩れていることが多いし、新鮮さに欠ける」
「もう自分で握れよお前……」
 あまりのこだわりように、蒼葉はあきれて息を吐いた。
 こんな女を娘にして平気な顔をしている穂積に微妙に尊敬の念を抱いていると、目の前にスーパーが見えてきた。
「じゃあ何が食いたい? 予算内の希望なら聞くぞ」
「というより……」
 横を歩く稲穂の方を向くと、蒼葉の視界には何故か、心の底から不思議そうに首を傾げる彼女の姿が映っていた。
「……なんであんたと一緒に夕食る前提で話が進んでいるの?」
「お前……いちいち言わないと来ないつもりだったのか?」
「物事はハッキリさせておかないと、気持ち悪いでしょう」
「少しは曖昧さグレーも理解できるようになってくれ。……ってわけにもいかないか」
 そもそも一緒に帰ろうと蒼葉が稲穂にメールしたのは、観劇の感想を聞きたかっただけじゃない。自らの脚本が観客稲穂にどのような影響を与えたのかを知りたかったからでもあるのだ。
「まあ、飯でも食いながらゆっくり話そうぜ。……で、ご希望は?」
「はぁ……ハンバーグ」
「あいよ。じゃあスーパーで買い物してくるけど、金子はどうする? 待っているか?」
「そうね……」
 別に買い物に付き合うのは構わないが、あまり口出しする気にもなれないので別の場所で待とうかと周囲を見渡していると、新しいコンビニができているのを見つけた。
「……ちょっとコンビニで買い物してくるわ。終わったらサッカー台レジの外近くで待っているから」
「了解、じゃあ後で」
 蒼葉がスーパーに向かうと同時に、稲穂もまたコンビニへと足を運んだ。
 しかし、稲穂はコンビニに入らず、その横にある煙草の自動販売機の前に立った。
「まだ使えればいいけど……」
 稲穂の幼少時の頃からだったか、未成年者の喫煙を防止するため、成人識別用のICカードがなければ購入できない仕様と化していた。しかし、そのICカードも、必要な書類を持って申請すれば、誰でも発行してもらえる。
 そう、たとえば……
「……あ、使えた」
 ……穂積父親の免許証と写真を無断借用して申請する、ということも可能な時がある。
 たまたま申請が上手くいって手に入ったのはいいが、いつばれてもおかしくないのでもう使えないかとも思っていたが、今回購入できたということは、まだ気づかれていないと見ていいだろう。
「まあ、その頃にはやめているか……」
 コンビニで適当にデザートを買っていこう、と稲穂は考えながら自動ドアを潜っていった。



「……なんでハンバーグの肉が大豆なのよ」
「試しに買ってみた分だ。ひき肉のやつもあるだろ」
「てか大しておいしくないのよ。せめて指原豆腐店の所のを使いなさいよ」
「売ってない上にこっちの方が安かったんだよ」
 スーパーからの帰宅後、蒼葉の部屋にて。
 稲穂は皿に盛られた二種類のハンバーグを食べ比べつつ、やはりおいしいわけではないのか、大豆の方を口に入れる時は眉をしかめている。
ひき肉の方はおいしいのに……」
「そりゃどうも」
「どっちかと言うと、感謝は食材にしているわよ」
「一言余計だせめて心に留めとけ」
 夕食を終えて一息つけたのか、稲穂は空いた食器を持って台所に運んでいく。蒼葉も続いて食べ終わると食器を手に立ち上がり、一緒になって片付けを始めた。
「……で、感想とか聞いてもいいのか?」
「正直素人に毛が生えたようにしか思ってないわよ。というか勢いで展開誤魔化ごまかぎ」
「ひでぇ……」
 しかし思うところもあるのか、蒼葉は一切否定しなかった。
 創作の困難さもあるが、今回は脚本の調整も入っていたのだ。多少強引なストーリー展開が入ってしまうのも致し方ないが、それは観客側には何の関係もない話だ。
「まあ、次回作はもう少しまともな話にするさ」
「ふぅん……次は何を考えているの?」
「そうだなぁ……」
 洗った皿を稲穂に手渡しながら、蒼葉は思い出すように話し始めた。
「戦場物とか、現代物とかかな。一応ファンタジーもいけるけど、部活動の脚本としては再現しきれないから却下。今度の脚本は『顔』を主題テーマに考えてみようかと思うけど、それも思いついたらだしな」
「へぇ……結構、ネタのストックがあるのね」
「ネタだけ・・、ならな」
 洗い物も終わり、拭き終えた食器を稲穂が納戸に戻していた。その後ろで蒼葉は、コーヒーでも入れようかとやかんに水を入れて、火を掛け始めた。
「問題はそのネタを、ちゃんと脚本にできるかなんだよ。今回のだって、実のところ前に書いた話を基に脚本化しただけだからな。しかも途中で止めてたやつ」
「全部のネタを書いているわけじゃないのね……」
「そんな時間もないし、下手したら他のこともできなくなるからな」
 それで、と前置きしてから、蒼葉は稲穂に問いかけた。
「……今日の脚本を見て、何か思ったのか?」
 それが脚本のことなのか、それとも別のことなのか。
 口に出されるまでもなく、稲穂には理解できていた。
「……本気度合いを知りたくなった、かしらね」
「本気度合い?」
 沸騰ふっとうしたやかんの火を止める蒼葉の横から身を乗り出した稲穂は、面倒でつけていなかった換気扇に手を伸ばして動かした。
「本人がどれだけ後悔しているのか、をね。……吸ってもいい?」
 そして懐から出したのは、先程稲穂が買ってきていた煙草だった。
「別にいいけど……灰皿は?」
 次に出てきたのは、若干古びた百円ライターと携帯灰皿だった。夕食の前に一度、部屋に戻った時にでも持ってきていたのだろう。
 稲穂は煙草を一本口に咥え、そのままライターで火を点けた。煙を吹かしながら換気扇を背に台所へもたれかかるのにつられて、蒼葉もまた、並んで前方に視線を向けていた。
随分ずいぶん、吸い慣れているんだな……」
「空手やる前は結構吸ってたから……でもあまり肺に入れてないのよ」
「肺に?」
 どういうことかと聞いてみると、口の中だけで吸ったり吐いたりしているだけらしい。
「ちょっとは吸い込むけれど、煙草を飲むってのは煙を肺に入れることを言うのよ。私がやっているのは水でうがいしているようなものね。軽く吸ったり吐いたりするだけで」
「そんなものか……というか、よく買えたな」
「私もちょっと驚いてる」
 そして蒼葉に見せたのは、稲穂の持つ煙草の自動販売機用のICカード(名義は金子穂積)だった。
「親父、どうやって煙草を買っていたのかは知らないはずだけど……コンビニで堂々と買っていたと思っているのかしら?」
「今度聞いてみたらどうだ? 意外と見逃してくれていただけだったりしてな」
「……そうかもしれないわね」
 紫煙が揺れては、空気の流れにかされていくのをながめながら、稲穂は内心そうじゃないかと考えていた。たしかに気づかれない内に財布から必要な物免許とかを抜き取って申請はしたが、何をきっかけに発行元から連絡が来るかは分からない。もし連絡を受け取っていたとすれば、すでにばれていてもおかしくなかった。
 それでもなお、穂積が稲穂に対して何も言わないということは……
「……いい親父さんだな」
「あんたんところはどうなのよ?」
「放任主義か自我の成長をこっそり喜んでいるのか、はたまた単に気づいていないのか、少し読めないところはあるな」
 何故かと目で問いかける稲穂に見つめられながら、蒼葉は流し台の下から、奥の方に隠してあった物を抜き出した。
 それを見て、稲穂はポロリとその物を指す言葉を漏らした。
「……酒瓶ウィスキー?」
「しかも、割と高級品」
 稲穂に瓶を預けてから、蒼葉は適当なグラスに冷蔵庫の氷を入れ始めた。
「親父の部屋に行くと、中元やらお歳暮やらで、貰い物が結構転がっているんだよ。で、お袋の荷物を片付けに行く時とかに、食料と一緒にちょろまかしてきたというわけだ」
「あんたは楽でいいわね……」
 必死になってこそこそと財布から免許証を抜いたのが馬鹿らしくなるくらいの簡単さに、稲穂は苛立たし気に吸殻を携帯灰皿に仕舞い込んだ。
「この程度なら、罪悪感も軽いよな」
「……悪党」
「お互い様だろ」
 酒瓶からグラスにウィスキーを注ぎ入れた蒼葉は、稲穂の眼前で軽くグラスを揺らした。
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