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第一巻

013 文系男子と理系女子の日常(放課後)

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・PM4:45
 放課後、稲穂は所属している社会科研究部の活動に参加していた。
「え? 金子、あそこの株買ってたのか?」
「元々業績は良かったので。この間CMで使っていた芸能人のスキャンダルさえ落ち着けば、すぐに上がると予想していたんですよ」
「あの件か。時間がかかると思って、今回は流してたんですけどね……」
 しかし、部活動にはげんでいると聞こえはいいが、その実態は教師・生徒を問わずの投資活動報告会だ。今日も職員室の一角にある談話スペースに集まり、個人投資家擬きアマチュア達が明日の取引に備えて情報収集を行っていた。
 社会科教師のしめぎが稲穂の取引結果に考え込んでいる中、予想を大きく外して落ち込んでいる数学教師のなだは八つ当たり気味に経済新聞をぐしゃぐしゃにつぶしていた。その様子をながめながら、稲穂はアップルフォンを操作して証券会社のアプリを起動、次の取引注文を申し込んでいる。
 ボロボロになった新聞紙を投げ捨てながら、灘は腰掛けているソファの背もたれに体重を預けた。
「しかし……とうとう社会科研究部ここの部員も、金子だけになってしまったか」
「仕方ないでしょう、灘先生」
 標はそう返して、自らの取引記録を記帳した手帳を閉じた。
「大人でも株取引をする人間はまだ少ないんですから、ましてや未成年でもやっているかどうかなんて……金子みたいなのが稀有レアなんですよ」
「……褒められてるんですか? 私は。そもそもここは社会科研究部で、個人投資家擬きアマチュアの個人投資研究会じゃないですよね?」
 その件に関しては無言ノーコメントだった。
 単純に珍しいだけで、別に褒められることでもけなされることでもない。後活動内容をツッコまれると、顧問としては微妙にまずいことになるので。
「まあ、社会科研究部なんて名ばかりで、こうやって株取引の話しかしていないんですから。つぶれても別にしくはないでしょう」
「……いや、私が困るんですけれど。特に課外活動していないから、内申点下げるわけにいかないし」
「内申点? 金子、推薦でも狙っているのか?」
 灘の問いかけに、稲穂はアップルフォンを仕舞いつつ答えた。
「はい。父からは進学しろと言われたので一応。『慢心しない限りは学歴が高い方がいい』と言われまして」
「気持ちは分からなくもないですね。いまだに学歴で見てくる人間も多いですから」
「とは言っても、最近は学歴自慢だけで何もできない若者も多いでしょう? 結局は技能スキルがものを言う時代になるのでは?」
「その社会が来るまでは、まだ時間がかかりますからね。それに成績も悪くないなら、ランクを落とした大学に奨学金で入るという手もありますし」
「一応、国立を視野にいれているんですけどね……」
 話も終わり、鞄を持った稲穂はソファから立ち上がり、標と灘に一礼した。
「今日はこれで失礼します」
「お疲れ」
「お疲れ様です」
 稲穂が職員室を出た後も、標と灘はソファに腰掛けたまま話し込んでいた。
「……部活動、続けますか?」
「我々が投資活動をしている限りは、その方がいいでしょう」
 標の問いかけに、灘は軽く肩をすくめた。
「本人が他の部活動に興味を持たない以上は、こちらの趣味の延長とはいえ、内申点を確保しておけます。それだけでも、教職者の面子は立ちますからね」
「……一応、ですけれどね」
 さて、通信簿に載せる成績をまとめるかと、標と灘もソファから立ち上がり、それぞれの席へと戻っていった。



・PM4:55
「……あれ、黒桐もう帰るのか?」
「ちょっと用事があってな。全体練習も終わったし、今のところ用事もないだろう」
 夏休みの最後に行われる演劇の脚本も納め、蒼葉は鞄を持って部室を後にしていた。
 脚本こそおさめはしたが、今回行われる劇では役どころも少なく、蒼葉にまでおはちが回ってこなかったのだ。脚本家的な立ち位置なので特に気にしていないが、役がない以上部活動に最後まで残る理由もない。
 それに、今日はこれから用事があるのだ。
「金子の奴、もう来ているかな……ん?」
 廊下を歩いていると、反対側から船本が早歩きで近付いてくるのが見えた。
「船本、今日は生徒会ないのか?」
「だからあくつから逃げているんだよ!」
 そう言うや、船本は廊下の窓から飛び降りていた。しかし、ここは一階なので、窓から外に出たというのが正しいが。
「また何かやらかしたのか? あくつの奴」
「船本せんぱ~い!」
 さりげなく廊下をゆずる(振りをして外にいる船本が見えないように立ちふさがった)蒼葉の横を、ファー付きの手錠をたずさえた瑠伽が、一度頭を下げて立ち去って行った。
「……また映画か?」
「そんなところだ」
 校舎の外から窓枠にもたれかかるようにして身を乗り出してきた船本の横の壁に、蒼葉は体重を乗せて背中からもたれかかった。
「たまにはこっちが用意しようとしていたのに……あいつ、自分じぶんの金使って上映予定の映画のムビチケ全部買い占めてやがった」
「お前、あくつに気があるならあるで、ちゃんと言ってやったらどうだ?」
「切っ掛けが切っ掛けだからな。後やっぱりあいつんが怖い」
「つっても、あくつ会は真っ当な部類じゃなかったか? 元々気の荒い家業の兄ちゃん達の仲介役だったって聞いたぞ?」
 それでも、ヤ○ザはヤ○ザだ。
 たとえ警察がマークしないような小規模かつ真っ当な商売シノギだとしても、怖いものは怖いのだ。
「……ま、今度は最初から誘うんだな。たまには映画以外にでも誘ったらどうだ?」
「考えとくよ……」
 船本と別れた蒼葉は、稲穂の待つ校門前へと歩き出していた。



・PM5:45
「とまと~」
「はいはい、一個百円ね」
 喫茶店『珈琲こぉひぃ手製めぇかぁ』の裏手、その広場では今日も仲間内だけのパルクール活動が行われていた。
 染めた金髪のショートに左耳のピアスが目立つ農業科高校生、指原さしはら咲里えみりはたった今空き地に入ってきたクラにトマトを渡し、代わりに百円を受け取っている。
 その背後ではすでに自己紹介を終えた稲穂が、蒼葉と黒髪の長髪を首元でまとめている身長の高い定時制高校生の八角やすみりょうと共に、ベンチに並んでトマトをかじっていた。
「うまいな……金は取られるけど」
「指原の小遣い稼ぎなんだよ。あれ」
「そうそう、買わなくても僕が買い占めるから、別に断ってもいいよ」
 身長が高いわりに気の小さそうな八角がそう答える。そんなものか、と稲穂はヘタを近くのくずかごに投げ捨てた。
「まあおいしかったし、気が向いたら買う程度かしらね」
「毎度あり~」
 クラと並んで近づいてきた指原は、稲穂にウィンクを投げた。受けた本人は軽く肩をすくめただけだが。
 全員が集まったのを確認すると、蒼葉は軽く手を叩いて注目を集めた。
「今日はこんなところか……金子、大体よく来るのはここにいる面子だから覚えとけよ。他はあまり来ないから、後で連絡回せば問題ないだろう」
「了解、それで今日はどうするの?」
 今日の活動は、跳躍力の向上だった。
 助走や適当な突起を用いて、いかに高くぶかを競争してみようという趣旨しゅしである。
「というか、店の壁蹴っ飛ばしていいの?」
「ああ、それは大丈夫。店側の壁は一枚余分に立てかけてあるのよ」
「……本当だ。分厚くなってる」
 指原の説明に納得する稲穂。
 喫茶店側に用意されたパルクール用の外付け壁をながめていると、ちょうどトマトを食べ終えたクラが、助走の準備に入っていた。
「そこ離れろよ、今からクラが挑戦するから」
 稲穂達が離れるのを確認し、駆けだしていくクラ。ジャンプして壁に張り付くと、穴の部分に足を入れてさらに跳躍、右手に持っていたチョークで壁を引っいてから地面に降り立っていた。
「自分の身長以上、いってるわね……」
「登る場所にもよるが、慣れれば三倍も夢じゃないぞ」
 次に八角がぶ中、蒼葉は稲穂にそう説明している。
 指原が準備していると、ふと何かを思ったのか、稲穂に向けて声を掛けてきた。
「あんた、金子だっけ……私と賭けない? ジュース一本」
「乗った」
 嫌な予感がする蒼葉は、指原がんだ後、チョークを受け取った稲穂の後ろで身構えていた。
「どうしたの、アオバ?」
「あいつ、結構負けず嫌いな所があってな……」
 その言葉通り、稲穂は若干無理な姿勢になりながらも高くんだ。
「……あ、エミリをこえた!」
「でもあれはまずいでしょう!?」
 そのまま体勢を崩す稲穂の真下に、蒼葉は抱き留めようと両手を広げて身構えている。
「よしそのまぶぇっ!?」
「……あ、ごめべっ!?」
 しかし稲穂の運動神経は、蒼葉の予想よりもはるかにすぐれていた。
 足を地面に向けて着地の姿勢を取った稲穂だったが、蒼葉に蹴りを入れる形になってしまい、そのまま二人して地面に寝転ねころがる羽目におちいってしまう。
「……黒桐、助けに入らない方が良かったんじゃないの?」
「その前にいたわってくれ……」
「あたた……」
 あきれる指原に見ろされながら、地面にぶつけた身体をさする二人は上半身だけを起こしていた。今回は頭をぶつけていないので、気絶するにはいたらなかったらしい。
「……黒桐君も、すごい人を連れてきたな」
 八角が見つめていたのは、以前蒼葉が記していたチョークの痕跡こんせき
 そして……その上に新しく刻まれた稲穂のチョークのあとだった。
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