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妃嬪の徴証

欺瞞の招宴③

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 騒がしさが一段落すると、幕の裏から食事が運ばれ改めてうたげが再開された。とはいえ皇后はきょうがれたように冷ややかに酒の入った杯を煽り、皇帝はそちらをちらちらと伺いながら額の汗を拭い、またちらちらと伺うことを繰り返していた。
 一段下がったところにいる貴妃はといえば、一時の激昂が収まるとあからさまに気分を害した表情のままはるか下座を睨みつけている。視線の先にいるのは誰だろう、ひょっとしたら紅花の懐妊をお膳立てすることになった曹婕妤そうしょうよを見ているのかもしれない。
 皇帝の御渡おわたりの際に気分が悪いといって紅花に対応させた婕妤とは、いったいどんな女なのだろうと興味は湧くがどのあたりに座っているのかもわからない。貴妃の視線を追ってもあのあたりか、というアタリを付けるのがせいぜいだ。
 白狼がきょろきょろしだしたせいだろうか、翠明はすかさず背中を小突いてきた。大人しくしておけという無言の圧力に、仕方なく白狼は浮かせかけた腰を落とした。既に目の前には前菜としてなますと酒が並べられている。
銀の杯に注がれた酒は薄い琥珀色をしていて、つんと鼻をつく独特のにおいがした。妃嬪が好みそうな甘い酒では無さそうだが、銀が変色していないし毒ではないと思いたい。

「……まずはお毒見係が食します、しばしお待ちを」

 翠明が耳元で囁いた。お前はまだ口を付けるなと言う命令だろう。銀月ならばもちろん毒見の結果を待ってから、主催の皇后の手前仕方なしにごく少量だけ食うだろう。でも白狼は構わず箸を手に取り、膾をひとつまみ口の中へ放り込んだ。
 あ、という翠明の声が聞こえたが無視してもう一口。ついでに振り返って毒見の下女に首を振って見せる。白狼の行いに驚いて固まっていた少女の目から涙が一粒零れた。顔からは血の気が引き、指先まで真っ白になっている。万が一の毒の混入に怯えていたのだろう。

「はく……姫様……!」
「……多分、大丈夫。変な味しないし」

 自分の舌にそれほど自信があるわけではなかったが、むざむざ何の関係もない下女を死なせるのも忍びない。食わなくていい、という意図をもって毒見役の少女にもう一度首を振って見せると、少女は白狼と翠明を交互にみやった。
 その時だ。
 かしゃん、と金属が打ち鳴らされる音が会場に響き渡った。それと同時に舞台上で舞っていた芸妓の一人が悲鳴を上げ上座の一画を指さす。場の注目が一気に上座へ集まった。

「……っ!」

 危うく声を上げかけたが辛うじて白狼は奥歯を噛んでそれをこらえた。しかしたとえ堪えきれずに何か声を発したところで、それが帝姫の口から発せられたものだと気が付く者はいなかっただろう。
 上座の隅、皇帝の隣の座で皇后が立ち上がっている。驚愕に満ちた表情で凍り付いているその後ろで、一人の女が泡を吹いて倒れていたのだ。さっとかばうように女官の一人が皇后の肩を抱いて距離を取らせるのが見える。咄嗟の事だろうにものも言わずに即座に行動するなど有能な婆だ。
 もちろん帝姫の侍女頭である翠明も有能だ。すぐさま白狼の背をどんっと叩くと、着物の胸元から嘔吐剤の薬包を取り出す。え、と思う間もなく白狼は口をこじ開けられ粉と水差しの水を注ぎこまれた。
 いきなり薬剤を注ぎ込まれた胃の腑は驚いたように大きく波打ち、白狼はその場で盛大に胃液を吐き出してしまった。吐き出した中に、ほんのちょっぴりの膾の欠片が入っている。
 それを目にするやいなや、会場内は恐慌状態に陥った。誰かが毒だと叫ぶと、妃嬪達は一斉に目の前に並べられた膳から距離を取るために立ち上がる。それ以上に恐怖に襲われたのは毒見の下女たちだろう。今口にしたものを吐くために、真っ青な顔をして口に指を突っ込み始める。
 周囲に控えていた宦官らしき姿の者たちが、わらわらと幕の裏に走っていくのが見えた。白狼の後ろに控えていた毒見の下女は、すっかり怯えて腰を抜かしている。
 泡を吹いて倒れている女のところにも駆け寄っていく宦官がいた。女の顔の前にはついさっき口を付けただろう、酒の杯が転がっている。倒れたときに中身もぶちまけられたのだろう。皇帝と皇后のために設えられた床に小さな水たまりを作り、気のせいかそこから湯気のような白い煙が立ち上っている。
 怯えて立ち尽くしていた皇帝は主席宦官に引きずられるようにその場から引き離され、最上段に構えた座はもぬけの殻となった。

「……翠明さん、ちょっと、乱暴すぎねえ……?」

 胃液にまみれた口を濯ぐ白狼の目は涙目だ。まだ胃がうねっていて油断するとこみ上げそうになる。毒よりこっちのほうがキツいのではなかろうか。

「ご無礼いたしましたが、我慢なさってください。酒か、膾か、どちらに何が入っているか分かりません。御身に何かあっては遅うございますから」

 恨みがましく見上げれば、翠明は大まじめな顔で白狼の背をさすっている。銀月であってもおそらく翠明は同じようにするだろう、と妙に納得出来た白狼は仕方なく吐き気を堪えながら上座を伺った。
 倒れた女の脈をとっていた宦官が、隣にいる宦官と目を合わせてゆっくりと首を振っている。ピクリとも動かない女は既に事切れているらしい。

 ――皇后に毒が盛られた。

 こうなるともう祝いだとかなんだとかは二の次だ。銀月の笄礼、紅花の懐妊など、誰も気にする余裕がなくなったように宦官や女官たちの怒号が飛び交う。
 騒然となった宴は混乱のうちに何もかも有耶無耶のまま幕を閉じたのだった。

 そしてその翌日。
 徳妃の宮付きの下女であるえんが自害した。
 貴妃から皇后へ毒を盛れと命令されたという遺書を残して。
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