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妃嬪の徴証

欺瞞の招宴①

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 永和宮への訪問の後も、下女の燕が承乾宮まで差し入れを持ってくることが止まる気配がなかった。全く白狼が姿を見せないということを不審がる人間が後宮内にいるということが分かったため、銀月と翠明の判断で朝餉の時間から昼の休憩時の間に限って、白狼は宦官の姿で仕事をすることになった。

 白狼が表にいる時間帯が分かると燕は大体その時間を狙って、徳妃から下賜されたという果物やお菓子などを持ってやってきた。もらう側である白狼は今度は燕を避けるようなことはせずにありがたく受け取り、おやつを食べているあいだ少々の雑談をするように心がけた。

 雑談の内容など他愛もないものだ。朝餉は何を食べた。昨日の掃除で水をひっくり返してしまった。徳妃はいつもきれいなお化粧をしている。その化粧は長年柏様が請け負っている。お好きな色は青だ。そういえば昨日は庭園で蜻蛉を見つけた。下女仲間が白狼を見かけて自分も友達になりたいと言っていた。等々。
 徳妃の宮には下位の妃嬪も良く招かれているという話や、よその女官にも気さくに声をかけるなどという話も燕は楽しそうに語った。
 話を聞けば聞くほどに燕は徳妃を深く慕っていることが分かった。貧しい家から後宮に入ったという他の下女も同じように、徳妃に雇われる前より今の方がずっと幸せそうだ。
 白狼はそのほとんどに対してちゃんと相槌を打ち、燕の話の合間に差し入れに貰った菓子の感想を言ったり故郷での思い出を語ったりした。ついでに銀月がいかに美しく、気品があり、そして下々に優しいかも加えた。
 我ながら嘘くさいとは思ったが仕方ない。自分の仕える主を褒め称えることで、差し入れに通い詰める下女の思惑を確かめたかったのだ。
 しかし小葉たちの予想は外れたようだった。白狼の故郷の話や深窓の姫君の話を燕は目を輝かせながら聞き、話を聞き終えるとうっとりしながら帰っていったからだ。きっと宮に戻ったら徳妃や柏に伝えるのだろう。
 そして毎日のように差し入れて貰った菓子はどれも街で手に入れるにはちょっと高級で、普段であれば買い食いの対象から外れる程度のものばかりだった。宮付きの下女や白狼にあまり遠慮をさせまいという徳妃の気遣いだ。その配慮に感心しながら、もちろん白狼も遠慮せずにその場で食べるようにした。そうしないと燕も食べられないことが分かったからだ。
 ある日は仲間と一緒に絵を描いたと言って紙を折りたたんだものを渡してきた。公式な文書などには使えない雑な作りの紙だが、これもお下がりだろうか。恥ずかしそうな顔で「後で見てね」と言われたが、なにやら見たらむず痒い気分になりそうで、白狼はそれを自室の籠に放り込んだままにしてある。
 
 そんな日々が数日続いた後。
 いよいよ皇后が主催する、銀月の笄礼の宴の日となった。

「俺がやる」

 白狼は銀月に命令されるより前に、女物の中衣を着て宣言した。
 驚いた顔をするのは銀月だった。しかし白狼は譲るつもりなどない。

「こないだ皇后と顔を合わせたのは俺だしな。宴の間に毒盛られる可能性もあるし、もう銀月じゃ背が高すぎるし」
「ですわね。姫様は周と宮でお待ち頂くほうが安全でしょう」

 何か言いたげな銀月を遮るように翠明が同意する。そして笄礼の宴の話を聞いてすぐに手配した、薄桃色で金糸の刺繍がいたるところに施されている絹の衣を白狼の肩に掛けた。

「翠明様、かんざしはいかがしましょう」
「皇帝陛下からお贈りいただいたものと、賢妃様がお使いだったものをいくつか倉から出してきて頂戴。衣と、お化粧の具合を見て合わせましょう」

 はい、と黒花は返事をすると小葉と連れ立って出て行った。二人を見送ると翠明はやおら銀月に向かってしっしと部屋から出るように言い、白狼の身支度に取り掛かったのだった。

「お前が自分からやると言ってくれて助かりました」
「今日の宴、紅花さんの件も発表なんだろ? 何があるか分かんないし、これが正解だろ」
「ですね。毒を盛られることもあるかもしれませんし、紅花の入宮が公になれば最近大人しい貴妃が動き出すかもしれません」

 翠明に帯や飾り紐を括りつけられながら、白狼は貴妃の顔を思い浮かべていた。中秋節の宴の際に遠目に見たきりだが、たくさんの人の前でも自分の美しさをひけらかすように顔を晒し、そして野心も隠さない堂々とした女だった。
 女帝擁立の企みはまだ彼女の中では終わったことにはされていないだろう。銀月――帝姫を後宮から追い出したあと、皇后の姫と徳妃の子の命を虎視眈々と狙っているのは間違いない。今夜、何らかの動きがあるかもしれない。
 例えば、毒。
 例えば、事故。
 徳妃の出産も近いことから、嫌がらせ程度で終わった前回より強引な手段にでることも考えられる。
 しかし今日を乗り切れば、紅花の入宮と懐妊が多少の目くらましになることだろう。銀月の輿入れも延期になるのではないかと、皇帝も承乾宮の面々も期待していた。
 それと同時に白狼自身は、徳妃の出産からもみんなの目が逸れると良いと思っていた。

 小葉とともに飾り物を運んできた黒花は、衣を着せられた白狼を見ると化粧道具を取り出した。さあ、と腕まくりをして大きな刷毛にたっぷりの白粉を取る。

「白狼、目閉じて」
「はいよ」

 言われた通り目を閉じると、額や頬を柔らかい刷毛に撫でられる。息をすると口や鼻から粉が入るので、ぐっと我慢だ。顔中を満遍なく撫でられると、次は紅を差される番である。
 もう何回も「女装」をしたので、最近ではすっかり慣れてしまった工程だ。
 目尻に紅を伸ばされ、そして左頬の高い位置に墨で涙黒子を書かれる。細い筆が頬から離れたころを見計らって、白狼は目を開けた。
 するとだ。いつもならそこで口紅を手に取っているはずの黒花が、なぜか眉を寄せているではないか。腕組みをしながら、白狼の顔を左から、右から、角度を変えて観察している。

「どしたの、黒花さん」

 今にも唸りそうな形相をしている黒花を不思議に思ったのか、卓に並べられた簪を選んでいた小葉が声をかけた。

「いや、ちょっと、似てるかなあって……」

 眉根にしわを刻み首を傾げ続ける黒花は、まだ何か確かめるように白狼の顔を凝視した。

「やっぱり似てる、と思う」

 どう思う、と黒花は小葉を振り返る。尋ねられた側は話が飲み込めずキョトンとするばかりだ。寝間着を畳んでいた翠明もそれに加わる。二人は黒花と白狼の顔を交互に見比べた。
 ずっと見られている側の白狼としては何をそこまで気にしているのか分からない。自分の顔がどうしたというのだろうと、紅を差されるまえの唇を開く。

「なあ、黒花さんどうしたんだよ。俺が誰かに似てるっての?」

 ん-、と黒花は唸った。そして一言、徳妃様に似ている気がする、と呟くように口にした。

「黒花、あなた、疲れているのでは?」
「厚化粧になってるからじゃない?」

 ほぼ同時に翠明と小葉から突っ込みが入った。後宮に何百人、あるいは千人といる女の中でも四夫人の位に上がるのは格別の美女である。先日会った徳妃も、皇后や貴妃に劣らぬ、いや優しげな顔はあの二人以上の美女だと白狼は思っていた。
 間違ってもど平民で下賤な自分と似てるわけがない。そして今の自分は白塗り状態だ。
 ちぇっと白狼は舌打ちをした。
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