上 下
56 / 97
妃嬪の徴証

前門の虎①

しおりを挟む
 絶対という話ではない、という前置きを念入りに念入りを重ねて言い渡したうえで銀月が話す内容は、主人の安全を願った侍女頭じじょがしらが考えうる最適解であった。険しい顔の銀月とは対照的に、白狼は思わずなるほどと唸る。盲点であったと言わざるを得ない。
 ただし、それは白狼個人の意思を犠牲にするという一点において断固拒否したい内容ではある。

「確かにその方法ならバレずに済むだろうな。相手が誰であろうと」
「だから、絶対ではないぞ? 翠明にはダメだとは言ってある」
「やるとは言ってねぇし」
「そもそも皇后のことだ。どうせ手を回して向こうに着いた途端に殺されるか、あるいは途中で殺されて相手の家をついでに陥れるか、そこらへんまで考えているに違いない」

 婚家までおとしいれる可能性があると聞き、白狼はぶるっと肩を震わせた。その観点はなかった。しかし貴妃の一族も邪魔だろうし懐妊している徳妃の実家も邪魔だろう。皇后ってやつは敵だらけだなと思うと同時に、あの皇后ならすべてを相手にしても勝ちを狙いに行くのではないかとも予想ができる。

「ただ、このまま手をこまねいているわけにはいかない。なんとか輿入れの話が進む前に策を打たなければならん。だから今の話は――」
「分かってるって」

 今の話――つまるところ、白狼が銀月を入れ違えたまま輿入れをし、側近ともども後宮を出るという作戦である。少なくとも女の体の白狼が帝姫にふんした姿で婚家をあざむければ良し。皇后が何らかの手を回していたとしても、小間使いに扮した本来皇子である銀月の命だけは助かるかもいう寸法だ。
 不確実ながら、第一の標的ではない小間使いに扮していれば逃げおおせる目もある。こっそりえい家に匿われることもできるかもしれない。後宮にいるよりずっと自由が利く。
 その代わり白狼の自由は全く無くなり、おまけに暗殺の危険にさらされまくるという大きすぎる欠点があったが。女帝擁立の話がある以上、この線は限りなく濃い。

「俺は納得してねえし、そんな身代わりのままで一生過ごすとか冗談じゃねえや」
「分かっている。お前の意思は、尊重したいと思っている」

 そう言ってくれる銀月だったが、どうにも手がなければ側近たちがそういう手段を取る可能性もあるのだろうということは白狼にも理解できた。できたし、それをもっと検討して成功率をあげる作戦を立てるべきとも思った。彼らにとって銀月は亡き主の忘れ形見でもある上、この国の正当な皇子である。場末で拾った身代わりの命とは比べるべくもない。
 白狼にしてもむざむざと銀月が殺されるようなことになるのは嫌だった。何とかしたいと思う。ただそれが、自身の生き方を捻じ曲げるほどなのかという葛藤もある。
そんな葛藤が産まれた事に気付き、宙を彷徨っていた白狼の視線がぴたりと床の一点に定まった。

何を考えている、と。

 自分の生き死には自分で決めたい。そう思って里を飛び出した。親や兄弟の情も投げ捨てたつもりだった。本来であれば身代わりになることも、身代わりとして死ぬ目にあうことも、他人から強制されたくはない。いつもなら尻尾撒いて逃げる一択である。
 しかし今はほんのちょっと、その手があると思ってしまったのだ。それに気が付いた白狼は自分の考えの変化にこっそりと慄いていた。
 いつの間にか宮の者たち全員に愛着を感じているということも、あまり認めたくはないが銀月にも仲間意識以上の感情が芽生え始めていることも、自分自身のあり方を混乱させている原因なのだろう。
 家族にすらそんな気持ちを持っていなかったのに、自身の変わりようが信じられないほどだ。

 ――これは判断が鈍る……。

 しかし表には出せない。白狼はその言葉を飲み込んだ。

★ ★ ★ ★ ★

「白狼さぁん」

 銀月と何となく元通りになってから数日。小葉から宮の門の外を掃除していろと命令された白狼は、まとわりつく若い下女に困り果てていた。
 下女の名は泰燕たいえん永和宮えいわきゅうの徳妃に仕える少女である。
 以前ちょっと親切にした縁があった彼女は皇后のお茶会の日にばったり再会して以来、何かにつけて承乾宮の白狼のもとへと遊びに来るようになっていた。

「燕《えん》さん、永和宮の仕事はいいの?」
「大丈夫大丈夫。徳妃様もはく様も、白狼君にも渡してあげなさいってたくさん持たせてくれるの」

 そういって差し出された今日のお土産は小ぶりなリンゴが入った包みだった。受け取ってよいものか悩み、断りの文句が出せないまま結局押し付けられている。
 一体これで何日目だろう。
 お菓子や果物などのお土産を抱えて満面の笑みを浮かべてやってくる燕を無下にできず毎回応対していたが、さすがに連日となると話は別だ。一応白狼にも仕事があるし、幼いとはいえ燕はよその宮の下女であるからうかつなことは話せない。まして承乾宮に招き入れるわけにもいかないので、いつも門の前で立ち話をすることになる。
 そしてその立ち話がまた長い。帰らなくていいのかと聞いてもいいのいいのとはぐらかされる。目的も分からず、距離感もはかりにくい。これで相手が柏とかいう宦官であればさっさと礼をいって辞すればよいが、小間使いと下女という気安い間柄が災いして上手く逃げられない。
 結果、毎回取次ぎを頼まれ業を煮やした周と小葉によって宮の外の掃除を任されてしまったのだ。つまり外で勝手にやれ、ということである。

「でね、柏様が徳妃様を笑わせてね――」
「あー、うん――」
「その時の徳妃様ったらね!」

 もうおかしかったのよ、という燕の話の内容は全く頭に入って来ない。相槌も適当だし、なんだったら適切でもない相槌さえ口にしている。返事をしないときだってある。こんな塩対応をしているのに何故毎回訪ねてくるのか、白狼には理解が出来なかった。

「あー、楽しかった! ちょっとおしゃべりしすぎちゃったかも。じゃあ白狼さん、またね」
「あー…あぁ」

 元気よく手を振る燕は、白狼の返事など聞いていないかのようにぴょこりと踵を返すと走り去っていってしまった。その後姿を見送りながら、精力を吸い取られたような錯覚を覚え白狼は大きく肩で息を吐いた。
 なんで仕事じゃないことでこんなに疲れるんだ。次こそは追い返そう。そう心に誓いながら門を叩くと、ぎいっと重い音をさせて扉が開き小葉が顔を覗かせた。

「終わった?」
「ああ、小葉さん……終わったし、これもらった」
「今日はりんご?」
「そうらしいよ」
「責任もって処理しなさいよね」

 貰った食べ物は基本的にすべて白狼が食べることになっていた。帝姫の口に得体のしれないものを入れるわけにはいかない、と言われれば否はない。しかしこう連日のことになるといい加減食傷気味になる。
 今日のりんごは生で食っても余りそうだ。これは厨房借りて煮込むか、と白狼は頭の中で用途を考えた。それにしてもそろそろ甘いものじゃなく、酒にあうものが食いたい。土産物とは相手が喜ぶものを贈るものではないのだろうか。甘いものは嫌いじゃないが毎日は要らない。
 ああ、面倒くさいことになったと白狼はまたため息を吐く。

「全く、あの子も飽きないわね」
「だよなぁ……」
「もしかしてだけど」

 惚れられてるんじゃない? というちょっと揶揄い気味に笑う小葉に、白狼は舌打ちで答えたのだった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

公爵様、契約通り、跡継ぎを身籠りました!-もう契約は満了ですわよ・・・ね?ちょっと待って、どうして契約が終わらないんでしょうかぁぁ?!-

猫まんじゅう
恋愛
 そう、没落寸前の実家を助けて頂く代わりに、跡継ぎを産む事を条件にした契約結婚だったのです。  無事跡継ぎを妊娠したフィリス。夫であるバルモント公爵との契約達成は出産までの約9か月となった。  筈だったのです······が? ◆◇◆  「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」  拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?  「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」  溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない? ◆◇◆ 安心保障のR15設定。 描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。 ゆるゆる設定のコメディ要素あり。 つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。 ※妊娠に関する内容を含みます。 【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】 こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)

国王陛下、私のことは忘れて幸せになって下さい。

ひかり芽衣
恋愛
同じ年で幼馴染のシュイルツとアンウェイは、小さい頃から将来は国王・王妃となり国を治め、国民の幸せを守り続ける誓いを立て教育を受けて来た。 即位後、穏やかな生活を送っていた2人だったが、婚姻5年が経っても子宝に恵まれなかった。 そこで、跡継ぎを作る為に側室を迎え入れることとなるが、この側室ができた人間だったのだ。 国の未来と皆の幸せを願い、王妃は身を引くことを決意する。 ⭐︎2人の恋の行く末をどうぞ一緒に見守って下さいませ⭐︎ ※初執筆&投稿で拙い点があるとは思いますが頑張ります!

あなたの子ですが、内緒で育てます

椿蛍
恋愛
「本当にあなたの子ですか?」  突然現れた浮気相手、私の夫である国王陛下の子を身籠っているという。  夫、王妃の座、全て奪われ冷遇される日々――王宮から、追われた私のお腹には陛下の子が宿っていた。  私は強くなることを決意する。 「この子は私が育てます!」  お腹にいる子供は王の子。  王の子だけが不思議な力を持つ。  私は育った子供を連れて王宮へ戻る。  ――そして、私を追い出したことを後悔してください。 ※夫の後悔、浮気相手と虐げられからのざまあ ※他サイト様でも掲載しております。 ※hotランキング1位&エールありがとうございます!

妹と旦那様に子供ができたので、離縁して隣国に嫁ぎます

冬月光輝
恋愛
私がベルモンド公爵家に嫁いで3年の間、夫婦に子供は出来ませんでした。 そんな中、夫のファルマンは裏切り行為を働きます。 しかも相手は妹のレナ。 最初は夫を叱っていた義両親でしたが、レナに子供が出来たと知ると私を責めだしました。 夫も婚約中から私からの愛は感じていないと口にしており、あの頃に婚約破棄していればと謝罪すらしません。 最後には、二人と子供の幸せを害する権利はないと言われて離縁させられてしまいます。 それからまもなくして、隣国の王子であるレオン殿下が我が家に現れました。 「約束どおり、私の妻になってもらうぞ」 確かにそんな約束をした覚えがあるような気がしますが、殿下はまだ5歳だったような……。 言われるがままに、隣国へ向かった私。 その頃になって、子供が出来ない理由は元旦那にあることが発覚して――。 ベルモンド公爵家ではひと悶着起こりそうらしいのですが、もう私には関係ありません。 ※ざまぁパートは第16話〜です

婚約者が病弱な妹に恋をしたので、私は家を出ます。どうか、探さないでください。

待鳥園子
恋愛
婚約者が病弱な妹を見掛けて一目惚れし、私と婚約者を交換できないかと両親に聞いたらしい。 妹は清楚で可愛くて、しかも性格も良くて素直で可愛い。私が男でも、私よりもあの子が良いと、きっと思ってしまうはず。 ……これは、二人は悪くない。仕方ないこと。 けど、二人の邪魔者になるくらいなら、私が家出します! 自覚のない純粋培養貴族令嬢が腹黒策士な護衛騎士に囚われて何があっても抜け出せないほどに溺愛される話。

【完結】出戻り妃は紅を刷く

瀬里
キャラ文芸
 一年前、変わり種の妃として後宮に入った気の弱い宇春(ユーチェン)は、皇帝の関心を引くことができず、実家に帰された。  しかし、後宮のイベントである「詩吟の会」のため、再び女官として後宮に赴くことになる。妃としては落第点だった宇春だが、女官たちからは、頼りにされていたのだ。というのも、宇春は、紅を引くと、別人のような能力を発揮するからだ。  そして、気の弱い宇春が勇気を出して後宮に戻ったのには、実はもう一つ理由があった。それは、心を寄せていた、近衛武官の劉(リュウ)に告白し、きちんと振られることだった──。  これは、出戻り妃の宇春(ユーチェン)が、再び後宮に戻り、女官としての恋とお仕事に翻弄される物語。  全十一話の短編です。  表紙は「桜ゆゆの。」ちゃんです。

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

生贄の花嫁~鬼の総領様と身代わり婚~

硝子町玻璃
キャラ文芸
旧題:化け猫姉妹の身代わり婚 多くの人々があやかしの血を引く現代。 猫又族の東條家の長女である霞は、妹の雅とともに平穏な日々を送っていた。 けれどある日、雅に縁談が舞い込む。 お相手は鬼族を統べる鬼灯家の次期当主である鬼灯蓮。 絶対的権力を持つ鬼灯家に逆らうことが出来ず、両親は了承。雅も縁談を受け入れることにしたが…… 「私が雅の代わりに鬼灯家に行く。私がお嫁に行くよ!」 妹を守るために自分が鬼灯家に嫁ぐと決心した霞。 しかしそんな彼女を待っていたのは、絶世の美青年だった。

処理中です...