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白狼の憂鬱
昼、宦官は甘味の罠を知る③
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結局、甘味を奪われて怒りに怒った黒花の腹を慰める手段は甘味しかない。
銀月の鶴の一声によって、白狼が手製の甘味を作ることで話がまとまったのは昼の時間が少し過ぎたころだ。
宮に備え付けてある厨房の使用を許可された白狼は、材料の粉を捏ね終わり竈に火をくべていた。ぱちっと薪が爆ぜ、小さな火の粉が宙を舞う。普段なら大慌てでその場から離れるだろうが今日はそこまで気にしなくていいというのは白狼にとってはありがたいことだった。内々の厨房の中の事なので、宦官の着物を脱いでよいというお許しが出たのである。
大きくて動きにくい宦官の着物を脱ぎ、中衣と裳を付けた軽装で動き回れる身軽さは久しぶりの感覚だった。軽く袖まくりをして粉を捏ね、糖蜜と芋を一緒に煮たものをころころと丸めて生地で包む。それを蒸しあげれば、白狼のうろついていた街で見るごくごく一般的な芋団子の出来上がりだ。
ふわりと香る甘い匂いに何だか懐かしい気分にさせられる。しかし食欲はわかない。作業を始めたころから、ちょっとだけ下っ腹に鈍い痛みがあった。
「しっかし、姫様もほんっと、酔狂よねぇ」
煮た芋を擂ったすり鉢を洗っていると、背後で見張っていた小葉がため息をついた。厨房の主な使用者は小葉なので、自ら監督を買って出て作業の間中ずっと白狼を睨んでいたのだ。漏れ出た言葉が独り言でないことは、その呟きが結構な大きさの声であったことから明らかである。
「俺だって来たくて来たわけじゃねえや」
「どこぞから男の子を拾って来たかと思えば、実は小さい女でしかもスリで盗み癖もあるって」
「へいへい、すいませんね。お貴族様と違ってこちとら底辺のど平民なもんで育ちが悪いんすよ」
「あんた、生まれってどこなの?」
「湖西の、もっと、いや結構な北側」
「ど田舎じゃない」
「だから言ったろうがよ、底辺のど平民だって」
だからなの、と小葉が白狼の肩に手をかけた。腕組みをしながら見張っていたせいか、肩に置かれた掌は中衣越しにもほんのりあたたかく柔らかい。
「あんたって、脱ぐと本当に小さいのね。もうちょっと肉つけなさいよ」
「うっせえ。ほっとけよ」
「骨ばってる割に肩も体も薄いわ、日には焼けてるわ、まあこれで女って言われてもにわかには信じられなかったっけね」
「俺はこれで食ってたの。小葉さん、喧嘩売ってんのかよ」
この成りと身軽さは手札の少ない白狼の武器でもある。不躾な物言いが続く小葉をじろりと睨めば、当の本人は悪びれた様子もなく唇を尖らせた。
「そうじゃないわ。これから先はあんたが姫様の替え玉やることが増えるんだろうし、もう少し肉付きを良くした方がいいかなと思ってたのよ」
「じゃあもっと良いもん食わせてくれてもバチ当たんないんじゃねえの?」
「あんたね、よその宮の下男に比べたら結構いいもの食べてるわよ?」
ちっと白狼は舌打ちをする。
この宮にいるだけでは気が付かなかったかもしれないが、乾清宮に行っていた時に食っていたものは下働きの宦官たちと同等のものだ。つまり野菜を刻んで団子を浮かべた汁物が主で、そこに塩漬けの肉がちょっぴりか、フナの膾がひとつまみ付く程度である。
承乾宮では銀月に毒を盛られることを危惧して、基本的にはこの厨房で小葉が腕を振るうのだが、野菜がたっぷり入った汁物の他に焙った塩漬けの肉や煮た卵などがそれなりの頻度で出る。本来は皇子である銀月のために、栄養に富んだものが供されているのだ。
そして作る手間を極力省くため、宮の従者たちはそれとほぼ同じものを食べている。市井にいるよりずっと「いいもの」を与えられている。
それを知ってしまっている白狼は、返す言葉がなかった。恩を着せられているような気がしてあまり面白くはないが、こればっかりは確かなことなので反論はできない。ぐう、と下っ腹が不平を申し立てるように痛んだ。
「姫様も翠明様も、あんたの分の食事は気を遣ってやってって言うのよ。足りなくて盗み食いするなら、次からちゃんと言いなさい。朝晩の量を増やすから」
ね、と小葉が念を押す。常に白狼を警戒してはいるものの先日の耳飾りの一件からちょっとだけ優しくなった小葉に、白狼は素直に頷くしかなかった。
しかしここで腹の痛みが増した。同時にざあっと耳の奥で音がする。手足の先が冷たくなり、視界が急激に薄暗くなった。
――まずい。
「分かればいいわ。今日の夜からちょっと増やしたげるから」
「……小、葉……」
さん、まで言葉が続かない。急激な吐き気に白狼は蹲る。床に膝をつくと、石造りの床から伝わる冷気に悪寒が止まらなくなった。身体の支えが失われたように、ごとりと音を立てて白狼はその場に倒れ込む。
「白狼!」
姫様、翠明様、という小葉の叫び声を遠くに聞きながら、白狼の意識は途切れた――。
銀月の鶴の一声によって、白狼が手製の甘味を作ることで話がまとまったのは昼の時間が少し過ぎたころだ。
宮に備え付けてある厨房の使用を許可された白狼は、材料の粉を捏ね終わり竈に火をくべていた。ぱちっと薪が爆ぜ、小さな火の粉が宙を舞う。普段なら大慌てでその場から離れるだろうが今日はそこまで気にしなくていいというのは白狼にとってはありがたいことだった。内々の厨房の中の事なので、宦官の着物を脱いでよいというお許しが出たのである。
大きくて動きにくい宦官の着物を脱ぎ、中衣と裳を付けた軽装で動き回れる身軽さは久しぶりの感覚だった。軽く袖まくりをして粉を捏ね、糖蜜と芋を一緒に煮たものをころころと丸めて生地で包む。それを蒸しあげれば、白狼のうろついていた街で見るごくごく一般的な芋団子の出来上がりだ。
ふわりと香る甘い匂いに何だか懐かしい気分にさせられる。しかし食欲はわかない。作業を始めたころから、ちょっとだけ下っ腹に鈍い痛みがあった。
「しっかし、姫様もほんっと、酔狂よねぇ」
煮た芋を擂ったすり鉢を洗っていると、背後で見張っていた小葉がため息をついた。厨房の主な使用者は小葉なので、自ら監督を買って出て作業の間中ずっと白狼を睨んでいたのだ。漏れ出た言葉が独り言でないことは、その呟きが結構な大きさの声であったことから明らかである。
「俺だって来たくて来たわけじゃねえや」
「どこぞから男の子を拾って来たかと思えば、実は小さい女でしかもスリで盗み癖もあるって」
「へいへい、すいませんね。お貴族様と違ってこちとら底辺のど平民なもんで育ちが悪いんすよ」
「あんた、生まれってどこなの?」
「湖西の、もっと、いや結構な北側」
「ど田舎じゃない」
「だから言ったろうがよ、底辺のど平民だって」
だからなの、と小葉が白狼の肩に手をかけた。腕組みをしながら見張っていたせいか、肩に置かれた掌は中衣越しにもほんのりあたたかく柔らかい。
「あんたって、脱ぐと本当に小さいのね。もうちょっと肉つけなさいよ」
「うっせえ。ほっとけよ」
「骨ばってる割に肩も体も薄いわ、日には焼けてるわ、まあこれで女って言われてもにわかには信じられなかったっけね」
「俺はこれで食ってたの。小葉さん、喧嘩売ってんのかよ」
この成りと身軽さは手札の少ない白狼の武器でもある。不躾な物言いが続く小葉をじろりと睨めば、当の本人は悪びれた様子もなく唇を尖らせた。
「そうじゃないわ。これから先はあんたが姫様の替え玉やることが増えるんだろうし、もう少し肉付きを良くした方がいいかなと思ってたのよ」
「じゃあもっと良いもん食わせてくれてもバチ当たんないんじゃねえの?」
「あんたね、よその宮の下男に比べたら結構いいもの食べてるわよ?」
ちっと白狼は舌打ちをする。
この宮にいるだけでは気が付かなかったかもしれないが、乾清宮に行っていた時に食っていたものは下働きの宦官たちと同等のものだ。つまり野菜を刻んで団子を浮かべた汁物が主で、そこに塩漬けの肉がちょっぴりか、フナの膾がひとつまみ付く程度である。
承乾宮では銀月に毒を盛られることを危惧して、基本的にはこの厨房で小葉が腕を振るうのだが、野菜がたっぷり入った汁物の他に焙った塩漬けの肉や煮た卵などがそれなりの頻度で出る。本来は皇子である銀月のために、栄養に富んだものが供されているのだ。
そして作る手間を極力省くため、宮の従者たちはそれとほぼ同じものを食べている。市井にいるよりずっと「いいもの」を与えられている。
それを知ってしまっている白狼は、返す言葉がなかった。恩を着せられているような気がしてあまり面白くはないが、こればっかりは確かなことなので反論はできない。ぐう、と下っ腹が不平を申し立てるように痛んだ。
「姫様も翠明様も、あんたの分の食事は気を遣ってやってって言うのよ。足りなくて盗み食いするなら、次からちゃんと言いなさい。朝晩の量を増やすから」
ね、と小葉が念を押す。常に白狼を警戒してはいるものの先日の耳飾りの一件からちょっとだけ優しくなった小葉に、白狼は素直に頷くしかなかった。
しかしここで腹の痛みが増した。同時にざあっと耳の奥で音がする。手足の先が冷たくなり、視界が急激に薄暗くなった。
――まずい。
「分かればいいわ。今日の夜からちょっと増やしたげるから」
「……小、葉……」
さん、まで言葉が続かない。急激な吐き気に白狼は蹲る。床に膝をつくと、石造りの床から伝わる冷気に悪寒が止まらなくなった。身体の支えが失われたように、ごとりと音を立てて白狼はその場に倒れ込む。
「白狼!」
姫様、翠明様、という小葉の叫び声を遠くに聞きながら、白狼の意識は途切れた――。
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