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偽宦官の立ち位置

誘惑の蝶々①

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 きゃあと周囲の女官がまた叫んだ。仰け反って潤円の顔から血が吹いたのだ。感触からいって鼻の骨が折れているだろうがそんなことは白狼には知った事ではない。自らの潔白を示す方が先である。
 鼻血を出して倒れた潤円から奪った簪を見ると、ひと際大きな蝶の彫刻の根本にわずかな欠けらしきものがある。かがり火にかざすとそこだけ金が剥げ、よくよく見れば小さな傷から地の木目がのぞいているではないか。
 ひょっとすると、と白狼は鼻血を抑えている潤円の腕を引きはがした。

「……お前、手出せ!」
「な、なにをする……! いたたたたた」
「いいから大人しく出せこら!」

 逃げようとする腕ごと脇に挟み込み、ごつい手やその指先をまじまじと観察する。すると見つけた。
 
「皇后様! 貴妃様! 簪を盗んだのはこいつです。しかもこいつ、この簪を壊してる!」

 白狼は潤円の腕を高々と持ち上げると、上座に向かって突き出した。かがり火の揺らめく灯りに照らされたごつい手の先には、不格好に割れた爪が乗っていた。そしてその爪の周りに、きらきらした金の粉が付着している。

 ――この簪、盗んで碧玉を外したのはこいつだ。

 おそらく碌な工具も使わずに、力業で無理やり碧玉を外したのだろう。繊細な細工物は石や真珠の留め具も驚くほど小さく作られており、一見すると簡単に外せると勘違いしやすいのだ。実際はそんな小さな留め具同士が絶妙な力加減で釣り合っており、ちょっとやそっとのことでは飾りが落ちてしまうなどということはない。
 何のためかは知らないが、無理に外して欠けさせてしまっては、例え城外に持ち出して売ったとしても工芸品としては大きく値が下がる。
 職人に頼んで外させる手間を惜しんだか、いかにも素人の考えそうなことだった。
 また外された宝珠のほうも簪に合うように加工されているはずなので、外して売ったとしても値段が下がるのが一般的である。少なくとも白狼はやらない売り方だ。
 静観の構えを見せていた皇后がわずかに身を乗り出した。対する貴妃は徳妃に向けたものより険しい表情で白狼の指すものを睨みつけていた。

「多分こいつ、簪についてた飾りを無理やり外したんです。ほら、この蝶の根本! 欠けてるし!」
「何を言うか! そんなものはお前が盗んだ時に外したのだろう! 放せ!」
「いいや放さねえ。ここについてたモノはどこだ。てめえ、持ってんだろ?」
「放せ無礼者めが!」
「放さねえって言ってんだろ! ちょっとお前ら!こいつ押さえてろ!」

 潤円が囲みを抜けようと手を振り回した。さすがに体格差があるので振りほどかれた白狼は、すかさず困惑した様子で周りを囲んでいた兵士に指示を出す。
 槍を構えたまま成り行きを見守っていた兵はお互いに顔を見合わせていたが、近くにいた何人かは慌てたように大柄な宦官を取り押さえた。

「いいのか? 潤円殿は貴妃様の……」
「いや、そんなの俺だってわかんねえけど」
「お、おい小僧。本当に潤円殿が……?」
「いいから! 俺に任せといてちょっと押さえとけって!」

 貴妃の宮の者を捕らえるのはさすがに心苦しいのか、それとも貴妃が怖いのか慄く兵たちを尻目に白狼は潤円の懐に手を突っ込んだ。
 別に先刻の意趣返しではない。おっさんの胸やら腹やらをまさぐるなど、本来であれば気色悪いので絶対やらない。普段の「仕事」は一瞬の勝負なのだから、まさぐる必要なんて一つもないのだ。
 今回ばかりは仕方ないが、狙いはつけてあった。上着の内側、多くの人が貴重品やお守りなどを忍ばせておく辺りに向かって一直線に指を伸ばす。かちりと爪先に固いものが当たった。白狼の唇がにやりと吊り上がる。
 爪先に当たったものをつまむと、白狼はゆっくりと潤円の懐から腕を引き抜いた。そしてまだ鼻血を垂らしている顔面にそれを突き付ける。

「誰が、なにを、盗んだって?」

 そう言って開いた白狼の手の中には、かがり火の灯りをつややかに反射して輝くあのとびきり上等な碧玉があった。周囲の目が一斉にその手の中に注がれる。

「おいこらおっさん。てめえ、随分と勿体ない真似してくれるじゃねえか。本体側だけじゃなく玉の方もここ、欠けてるぜ?」
「あ……そ、それは……。違う、違う俺じゃない……俺は」
「潤円! これはどういうことです!」

 上座で貴妃が叫んだ。潤円の喉からひゅっと音を立てて空気が漏れ、途端にその体ががくがくと小刻みに震え始めた。

「あ、ああ……貴妃様……申し訳ございません。申し訳ございません……! この珠は、あの……」
「お前にそんなことを許した覚えはないわ!」
「あ、ああ……お許しください……! 欠けてしまったのは事故で……!」

 震えながら許しを請う潤円の視線の先で、貴妃はふんっとそっぽを向いた。さらに上座では皇后が、満足げに顔の前で扇をゆっくりと揺らしている。

「どうやら、決まりのようじゃ。確かにそこな小さい宦官、そなたは濡れ衣を着せられそうになったようだのう」
「ご理解いただければ結構です」
「直答を許した覚えはないが、まあよい。童は元気が一番じゃ。そなたの機転で真の盗人が分かったのだから、大目に見るしかあるまい。承乾宮は良い下男を持って幸せだろうて」

 のう、と皇后は貴妃に微笑みかけた。しかし声音はまるで氷の様に冷たい。顔を背けて肩を震わせる貴妃は、兵に押さえ込まれた潤円を改めて睨みつけた。

「しかしなんじゃな。主の宝を盗んだうえ、それを壊し、罪を他者に擦り付けるなど。貴妃殿の宮の風紀は一体どうなっておるのやら。これは宮の主の責任問題となりましょう、ねえ陛下?」
「あ、ああ。うむ、そうだな、それは確かにそうじゃ」
「では貴妃殿と宮の者には追って沙汰を致しましょう。今宵はもう下がられるがよい」

 ほほほ、と皇后が高く笑った。終始一貫しておろおろしていた皇帝とは貫禄が違う。そんな皇后とは対照的に、白狼が引っ立てられた直後とは完全に形成が逆転した貴妃は面白く無さそうに顔を歪めていたのだった。

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