上 下
30 / 97
偽宦官の立ち位置

承乾宮の失せ物③

しおりを挟む
「とはいえ、近頃は後宮内で失せ物や盗難の報告が増えているというのは本当なのだ。アシが付くような真似はしてないだろうな」

 銀月の居室に戻った白狼は、改めて雇い主に釘を刺された。他の者達は仕事に散り、二人きりになった途端に身も蓋もない言い草である。

「だからさぁ、よその盗難事件をみんな俺のせいにするんじゃねえよ」
「全部違うと言い切れるか?」
「……信用ねえなぁ」

 当然だ、と銀月は腕を組んだ。綺麗な姿をしているせいか、こういう時には無駄に迫力が加わるから質が悪い。睨みつけられた白狼はばつが悪くなって頭を搔いた。
 出会い方が出会い方である。実際疑うなというのは無理だろう。

「あっさり気が付かれるようなモノは盗ってねえって」
「物を無くして気が付かないことはないだろう」
「ところがこれが意外と気づかないもんなんだな」
「お前な……。下手なことをして捕まるようなことになるんじゃないぞ。来月には中秋節の行事がある。その準備で後宮内もバタついているからな。こういう時期はいろいろ問題が出るもので、その分警備も厳しくなる」
「分かったって。分が悪い賭けは性に合わねえんだ」
「どうしてもというなら宮の中でやれ。外ではやるな」
「分かったってば! もうやらねえって」

 素直に認めて降参とばかりに首を振れば、椅子に座った銀月は眉根を寄せて白狼を見上げた。

「大体そんなに盗んでどうするんだ。金にも換えられないのに。給金が足りぬのか?」
「いやいや、そうじゃなくて」

 給金が足りないなどといえばバチが当たりそうなものだ。市井に暮らしていた時に比べれば懐具合は暖かすぎる。仕事といえば塵捨ごみすてと銀月の暇つぶしの相手くらいで、食うに困ることもなく寝るところもあるのだから。
 ただつい癖というか、腕が鈍ってしまうのではないかという危機感からか、緊張感を求めた挙句なのか、どうにも指が疼くのだ。しかしそれを言っても銀月には伝わるまい。白狼はどう言いつくろおうかと曖昧に笑いながら視線を彷徨わせた。

「金は十分だよ、大丈夫。もう大人しくしとくって」

 しばらくは、という言葉を飲み込んだ白狼に、銀月はまだ訝し気な目を向けていた。しかしなおも言及することは避けたのか、こくりと頷くと表情を和らげる。そしておもむろに自分の髪に挿したかんざしを一本抜き、その手を白狼に差し出した。

「なんだよ」
「簪や珠飾りが欲しければほら、これをやろう。どうせ父上がしょっちゅう寄こしてくるから」
「要るかそんなもん。それこそ上等すぎて、換金のしようがねえわ」

 やっぱり分かっていない。白狼は大きく肩を落としてため息を吐いた。

★ ★ ★ ★ ★

 承乾宮じょうかんきゅうにおける白狼の主な仕事は、朝の掃除後に宮の中のごみを集めて後宮の隅にある焼却炉に持って行くことと、主たる銀月の暇つぶしの相手をすることである。
 朝のひと騒動の後、白狼は銀月が下賜しようとした簪を固辞して塵箱ごみばこを片手に正房を出た。今日の小葉は耳飾りの件で気もそぞろだったのだろうか、いつもより集めた塵の量が少ない気がしないでもない。

 心持ち軽い塵箱を抱えた白狼は、ふと思い立って自室に立ち寄ると寝台の下にしまっておいた籐籠とうかごを引っ張りだした。
 手持ちの胡服こふくとさらし布の束を避けて奥に手を突っ込み、指先に当たった固いものを握りこむ。そしてそれを懐に収めると、白狼は改めて塵箱を抱えて宮を出た。

 握りこんだものは後宮に来てから「拝借」した飾り物だった。個数にしてほんの三個。実際に白狼が承乾宮の者以外からちょいと拝借してやったのは、この三件だけであった。

「家探しでもされたら面倒だもんな」

 見つかる前に返すか、埋めるか。しかし返すのは拝借するより難易度が高い。一件は皇后の所のあのいけ好かない女官という事を覚えているが、他は記憶が曖昧だ。ならばいっそ埋めてしまおうと、白狼は頭の中で後宮の庭園など人気の少ないところを思い浮かべる。
 花壇のどこかや、あるいは庭園の池に捨てるか。とはいえ宦官が一人で庭園をうろうろしていたりこっそり穴を掘っていたりすれば見咎められるかもしれない。
 うーん、と白狼は首をひねる。
 もう面倒だからこの塵と一緒に焼却炉に放り投げてしまおうか。それが一番後腐れがないかもしれない。ちょっともったいないが、と各宮の門が立ち並ぶ石畳の通りを歩きながら懐の中で珠飾りを弄んだときだった。
 チリっとした嫌な感覚とともに視線を感じて白狼は立ち止った。

「……なん、だ?」

 ぐるりとあたりを見回すが、行きかう女官や宦官などで白狼を見ている者はいない。それぞれの仕事で忙しく歩き回っているような者ばかりだ。しかし気のせいかとその場を立ち去ろうとしても、まだ違和感が拭えなかった。
 こういうときは、と白狼は歩きながら素早く視線を走らせる。街中で警吏に目を付けられた時や、同業者に尾行されていた時の感覚に似ていた。背後か、あるいは視線を回しにくい建物の上の方からか。いずれにせよこの感覚は嫌な記憶とともに刷り込まれている。「見られている」のは間違いないだろう。
 盗みの現場を見られるヘマはしていないはずだが、身に覚えがありすぎるせいか不穏な気配に背筋が冷えた。

「……ちっ」

 無駄にうろうろしすぎたか。白狼は舌打ちをするとわずかに歩みを速めた。ひと区画歩き角を曲がった瞬間が勝負だ。後ろを振り返らずに歩き、角を曲がったと同時に塵箱を横抱きにして白狼は全速力で駆けた。まずは距離を取ることが先決である。
 横道に入ったせいか人通りが減り、白狼の走りを邪魔するものはほとんどなかった。ひと区画、ふた区画とジグザグに走り、四つ目の角をまた曲がる。
曲がったところで白狼の視界が白いものに覆われた。と同時に身体は何かにぶつかって大きくよろける。

「きゃあ!」

 どすっという音とともに抱えていた塵箱が石畳に落ちた。白狼本人も尻もちをつき、腰をしたたかに打ち付けて顔をしかめる。痛みに滲む視野を動かせば、隣には一人の女が膝をついて倒れていた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】出戻り妃は紅を刷く

瀬里
キャラ文芸
 一年前、変わり種の妃として後宮に入った気の弱い宇春(ユーチェン)は、皇帝の関心を引くことができず、実家に帰された。  しかし、後宮のイベントである「詩吟の会」のため、再び女官として後宮に赴くことになる。妃としては落第点だった宇春だが、女官たちからは、頼りにされていたのだ。というのも、宇春は、紅を引くと、別人のような能力を発揮するからだ。  そして、気の弱い宇春が勇気を出して後宮に戻ったのには、実はもう一つ理由があった。それは、心を寄せていた、近衛武官の劉(リュウ)に告白し、きちんと振られることだった──。  これは、出戻り妃の宇春(ユーチェン)が、再び後宮に戻り、女官としての恋とお仕事に翻弄される物語。  全十一話の短編です。  表紙は「桜ゆゆの。」ちゃんです。

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

家出した伯爵令嬢【完結済】

弓立歩
恋愛
薬学に長けた家に生まれた伯爵令嬢のカノン。病弱だった第2王子との7年の婚約の結果は何と婚約破棄だった!これまでの尽力に対して、実家も含めあまりにもつらい仕打ちにとうとうカノンは家を出る決意をする。 番外編において暴力的なシーン等もありますので一応R15が付いています 6/21完結。今後の更新は予定しておりません。また、本編は60000字と少しで柔らかい表現で出来ております

公爵様、契約通り、跡継ぎを身籠りました!-もう契約は満了ですわよ・・・ね?ちょっと待って、どうして契約が終わらないんでしょうかぁぁ?!-

猫まんじゅう
恋愛
 そう、没落寸前の実家を助けて頂く代わりに、跡継ぎを産む事を条件にした契約結婚だったのです。  無事跡継ぎを妊娠したフィリス。夫であるバルモント公爵との契約達成は出産までの約9か月となった。  筈だったのです······が? ◆◇◆  「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」  拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?  「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」  溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない? ◆◇◆ 安心保障のR15設定。 描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。 ゆるゆる設定のコメディ要素あり。 つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。 ※妊娠に関する内容を含みます。 【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】 こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)

余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめることにしました

結城芙由奈 
恋愛
【余命半年―未練を残さず生きようと決めた。】 私には血の繋がらない父と母に妹、そして婚約者がいる。しかしあの人達は私の存在を無視し、空気の様に扱う。唯一の希望であるはずの婚約者も愛らしい妹と恋愛関係にあった。皆に気に入られる為に努力し続けたが、誰も私を気に掛けてはくれない。そんな時、突然下された余命宣告。全てを諦めた私は穏やかな死を迎える為に、家族と婚約者に執着するのをやめる事にした―。 2021年9月26日:小説部門、HOTランキング部門1位になりました。ありがとうございます *「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています ※2023年8月 書籍化

国王陛下、私のことは忘れて幸せになって下さい。

ひかり芽衣
恋愛
同じ年で幼馴染のシュイルツとアンウェイは、小さい頃から将来は国王・王妃となり国を治め、国民の幸せを守り続ける誓いを立て教育を受けて来た。 即位後、穏やかな生活を送っていた2人だったが、婚姻5年が経っても子宝に恵まれなかった。 そこで、跡継ぎを作る為に側室を迎え入れることとなるが、この側室ができた人間だったのだ。 国の未来と皆の幸せを願い、王妃は身を引くことを決意する。 ⭐︎2人の恋の行く末をどうぞ一緒に見守って下さいませ⭐︎ ※初執筆&投稿で拙い点があるとは思いますが頑張ります!

婚約者の浮気相手が子を授かったので

澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ファンヌはリヴァス王国王太子クラウスの婚約者である。 ある日、クラウスが想いを寄せている女性――アデラが子を授かったと言う。 アデラと一緒になりたいクラウスは、ファンヌに婚約解消を迫る。 ファンヌはそれを受け入れ、さっさと手続きを済ませてしまった。 自由になった彼女は学校へと戻り、大好きな薬草や茶葉の『研究』に没頭する予定だった。 しかし、師であるエルランドが学校を辞めて自国へ戻ると言い出す。 彼は自然豊かな国ベロテニア王国の出身であった。 ベロテニア王国は、薬草や茶葉の生育に力を入れているし、何よりも獣人の血を引く者も数多くいるという魅力的な国である。 まだまだエルランドと共に茶葉や薬草の『研究』を続けたいファンヌは、エルランドと共にベロテニア王国へと向かうのだが――。 ※表紙イラストはタイトルから「お絵描きばりぐっどくん」に作成してもらいました。 ※完結しました

挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました

結城芙由奈 
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】 今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。 「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」 そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。 そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。 けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。 その真意を知った時、私は―。 ※暫く鬱展開が続きます ※他サイトでも投稿中

処理中です...