aranea

千日紅

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本編

大人

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 私達きょうだいが、二人とも大学生になってすぐ、両親が二人とも交通事故で亡くなった。両親二人で父の実家に帰省する深夜の高速道路で、居眠りのトラックに突っ込まれたのだ。 

 報せを受けてから葬儀が終わるまで、私はどこか遠くから私を見ている心地であった。 
 私は連絡すべきところへ連絡し、喪主として葬儀を執り行った。傍らにはいつも克彦がいて、克彦と私は同じ痛みを分け合っていた。 
 結局、父も母も私達に私達が望んだ愛情を与えてくれることはなかった。これはとても惨めなことだが、私と克彦は親への期待を捨てきることができていなかったことを、父母の死は思い知らせた。 
 もっと私が父母の望むような存在であれば、例えば男であったとしたらどうだったろう。克彦が先に生まれて、私が彼の妹であればどうだったろう。例えば私が生まれなければ、克彦と父母は幸せな三人家族であったのだろうか。 
 私の揺らぐ心を、克彦の手が握り止める。悲しみの淵にある私達が、手を繋いでいても、誰もそれを奇異に思うことはなかった。 
 父母の死を返した空の、遠い夕焼けを背負って、幼い頃と同じように、私は克彦の手を引いて家に帰った。 



 大学を卒業すると私は地元の安定した仕事を選んだ。克彦はまだ学生の身分だったが、大学院に進学することをすでに視野に入れていた。 
 両親のいなくなった子供だけの家は、ひろびろとしていた。私は、ふさわしいだけの距離を克彦と置いていた。誰よりも克彦を理解し、身近で克彦を支えるように務めた。 
 克彦が大人になるまでは、私は彼のよき姉として振る舞うと決めていた。まあ、よき姉と言っても、私のすることだ。私は時に克彦に感情的に声を荒げたし、手を上げることもあった。仕事はそれなりに真面目にやったが、プライベート…彼氏、恋人となると、これはひどかった。求められればすぐに与えるが、長続きはしない。波多野姉は相変わらずだ。 
 相変わらずだが、波多野姉は弟とは寝ない。 
 克彦が大学院を卒業して就職した年、私は二十六になっていた。 
 けれども、就職してすぐに社会人生活が軌道に乗るとも限らない。一年、あと一年、克彦が大人になるまで、そう思って、私は二十八になった。 

 二十八の誕生日、カナちゃんと私は、お祝いのお酒を飲んだ。 
 幸運なことに、私とカナちゃんの友人関係は続いていた。カナちゃんは大学を卒業する頃に、ユウナちゃんではない女の子とつきあい始めていた。 
 その時、カナちゃんはその子をパートナーにして生きていこうと誓ったことを報告してくれた。お互いの両親にも紹介して、理解を得た。相手の将来にも責任を持ちたいと私に言った。 
 そうだね、子供じゃないんだものね。 
 もうすぐ三十だって。嘘みたいだね。気持ちは、今でも子供のままなのに。 
 織愛はもっとしっかりしなよ。弟くんだって、もういい年だろうに。普通だったら、結婚とか、子供とか、あるんじゃないのかな。 
 そうだね、普通だったら、そんな風に、生きていくんだよね。 
 それから、カナちゃんは高校の田島先生のことを教えてくれた。 
 田島は、私達が卒業してからしばらくして、私立の高校に移っていた。そこで生徒達のいじめに遭って、心身の不調を来して休職した。カナちゃんが言うには、田島の配偶者には何らかの障害があって、彼らの結婚生活はあまり順調なものではなかったらしい。休職以降の田島の消息は、カナちゃんも知らなかった。 
 お前は不幸です、そう言った田島は幸せだったのだろうか。おそらく、これは本当に私の推測に過ぎないが、田島は自分が不幸でも幸福でも、同じことを私に言ったに違いない。彼は私が初めて出会った公平な大人で、大人は子供を守り導く役目を負っている。子供に心配させないくらいの強さを、彼は少年みたいな細い身体に満たしていた。 



 気づけば、私は大人になって、克彦も大人になっていた。克彦はもうネクタイの締め方がわからなくなることも、満員電車に酔うこともない。 
 私の犬だった弟は、大人になっていた。過ぎてしまえば、あっけないものだった。 
 何回の朝と昼と夜が、私と克彦の間にあっただろう。その多くは楽しいものではなかった。それでもかけがえのない日々だった。幸せだった。私は克彦がいて幸せだった。 
 そして、別れの時が来た。 



 候補者はすぐに決まった。渋沢は克彦の同僚で、克彦に羨望と嫉妬を抱いていた。以前、克彦を家まで送ってきた時に、渋沢と私は連絡先を交換していた。 
 強すぎる羨望と嫉妬は、簡単に害意に変質する。それは私を例にとっても明らかだから、今後克彦から危機を遠ざける意味でもある。私が渋沢と結婚することは。 
 付き合って一ヶ月ほどで、渋沢から結婚の話が出た。早いと思ったが、克彦から仕事で手柄をたてたという話を聞いた直後だったので、私は納得した。 



 けれど、私は醜く汚れた人間なので、やはり克彦から奪わずにはいられないのだ。 
 最後だから、これで最後だから――神様、天罰を下さい。 








********** 





 車が止まり、私の意識は長い長い回想から浮かび上がる。車内の時計をのぞき見ると、一時間以上走っていたことになる。 
 車が止まったのは、大型スーパーの立体駐車場の、最上階だった。夕飯時を過ぎて、客足も引いたと見える。閑散としていた。 
 克彦は運転席から一度下りると、後部座席に乗り込んできた。克彦の匂いと、存在の大きさが迫って、私は慌てて不機嫌を装った。 
「……狭い」 
「ごめんね」 
「こっちに乗ってこなきゃいいでしょ」 
 克彦はつっけんどんな私にふっと小さく笑った。私の嫌いな笑い方だった。 
 つぶらで美しい色をした克彦の瞳に、私が映っているのを見たくない。 
「姉さん、離婚しよ、証拠もあるから、すぐできる」 
「証拠……?」 
「さっきの会話、俺、録音したし。興信所に調査も依頼してある。姉さんに有利に離婚させてあげるから」 
「勝手にそんなこと……」 
「約束だったろ。姉さんはちっとも幸せじゃない。だから、俺のところに連れ帰る」 
 克彦の太い腕が巻き付いてきた。夏だというのに、車内は冷房が効きすぎていて、克彦に抱きしめられると、涙が出そうに温かかった。 
 あんたは私の気持ちを知らないんだから。 
「……何であいつと結婚したの?」 
 ほら、ちっともわかってない。 
「浮気したって別に構わないわよ」 
「子供、作らなかったんだね」 
「関係ないでしょ」 
「俺の子供、できなかったの?」 
 克彦は真剣な目で私を見下ろしていた。 
「ひどいよね、ずっと普通のきょうだいみたいにしてたのに、いきなり昔みたいになれって……抱けって。俺がどれだけ姉さんを抱きたかったかわかってて、俺、ほんとに犬みたいにさ」 
「克彦! 黙って!」 
「中に出してって、姉さんが言ったんだよ」 
「やめ……て……!」 
 克彦は私の両肩を掴んで、円らな目でじっと私の目を見つめた。 
「姉さんは、いつも、俺が何を考えてるか知らないんだから」 
 克彦は吐き捨てるように言って、私の唇に自分の唇を押し当てた。 

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