aranea

千日紅

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本編

罪と罰

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 一度、外れてしまった箍は、もうもとには戻らなかった。私達は表面上、きょうだいとして振る舞っていたが、抱きしめられることのないまま成長した私の身体は、貪欲に克彦に包まれることを求めた。 
 触れること、触れられること、麻薬のように私は深夜の脱衣所で起こったことを反芻した。それはおそらく、克彦も同じであったに違いない。 
 二度目のあやまちを私はよく覚えている。あれは、雨の日だった。 
 梅雨の時期の雨は私を頭痛に悩ませた。 
 私は高校を早退して、早退して、自室でベッドに横たわっていた。 
 ドアがノックされ、私が拒否しないと判断できるだけの間を空けてから、克彦が――私は目を閉じていたから、このとき彼がどんな顔をしていたのか覚えていない――部屋に入ってくると、私の身体をベッドから抱き起こし、膝に乗せ、やさしく揺すった。 
「姉さん、大丈夫?」 
「……どうして」 
 克彦は怪訝に問いかけた私に、はにかみ笑いをした。克彦の視線の向こうに、雨粒を幾つも貼り付けた窓があった。 
「姉さんが帰ってきてるんじゃないかなって思って。あと、俺が、姉さんに……会いたかったから」 
 克彦のはにかみ笑いがくしゃりと崩れた。 
 克彦の力強くしなやかな腕が、私の背中に回される。首筋に克彦は顎を乗せる。そのカーブは克彦の頤にぴったりと沿っていた。私は克彦の胸元に顔を埋める。息を吸い込めば、克彦の匂いに満たされる。引き寄せられた私の胸は克彦との間で瑞々しくつぶれ、私の尻に固いものが押しつけられる。 
 私は克彦の背中に、腕を回し返した。すると、克彦の腕に更に力がこもる。 
「苦しいわ」 
「あ、ごめん、ごめん姉さん」 
 克彦が離れようとするのを、私は引き留めた。 
「ばかね、克彦」 
「姉さん、俺、俺は」 
 あの夜、克彦は私に何度も謝った。私はもう、彼のその言葉を聞きたくなかった。 
「ばかね、克彦」 
 私は弟の頬を両手で包むと、目を閉じて彼を傷つける唇に口づけた。 
 そっと触れてはなすと、克彦は円らな目をこれでもかと大きくしていた。 
「なんて顔してるの」 
「だ、だって、だって」 
 克彦は自分の唇を指で確かめた。「……うれしい」 
 本当にあなたはバカね。私もよ。私は本当に愚かだ。愚かだから、何回もあやまちを繰り返す。 
 けれど克彦、あやまちは私が愚かであったからで、あなたのせいではない。私があなたに触れたかった。私があなたを誘惑した。男を堕落させる女、私に与えられた知恵の果実。罪の果実。 
「……でもね、俺、後悔してない。後悔できない、だって、俺は」 
「しーっ、いい子ね克彦、黙りなさい」 
 克彦はあの夜からずっともの言いたげな目をしていた。私は気づかないふりをしていた。 
 気づかないけれど、私は理解している。 
 だから、私は弟にもう一度口づけた。触れるだけで離れようとした私の後頭部を、克彦の大きな手が支える。克彦は私の唇を開かせ、舌を差し入れた。私は彼の舌を受け入れた。 
 抱きしめられることのないまま成長した私の身体は、貪欲に克彦に包まれることを求めた。「いい子の克彦に、ご褒美をあげてもいいわ」 
 私は主人で克彦は犬。私は姉で克彦は弟。私は女で克彦は男。 
 克彦の震える手を、私は自分の胸に導いた。 



 夏休みが来る前に、私は土屋からの交際の申し込みを受け入れた。私は土屋の彼女になったのだ。私が土屋と付き合うことに対して、克彦は「わかった」とだけ言った。 
 夏休みは、たまに土屋とデートをした。午前中の勉強と、夕方の庭の水まきと、それ以外の時間、親の目が無い限り、求め求められるまま、克彦と過ごした。 
 克彦の指ほどに、私を知っている者はない。克彦が、私の全身を余すところなく、舌と指で味わったのと同じだけ、私も克彦を味わった。 
 支配すると宣言した割に、克彦は、私が嫌がることはしなかった。むしろ、優しすぎるほど、丁寧に私を抱いた。私が克彦に溺れていることに彼は気づいていただろうか。克彦を焦らし、主導権を持ち続けながら、私はそれがポーズに過ぎないことをひた隠しにした。 
 触れて欲しい。抱いて欲しい、求めて欲しい。克彦は私が欲しいものを何でも与えてくれた。私のすべては克彦に与えられたものに入れ替わっていった。 
 だから、土屋とデートに行って、映画なんか観ている間も、克彦を受け入れ続けた場所が疼くことにうっとりとしていたり、見えるか見えないかのところにつけられたキスマークを化粧室でちらりと見ては頬を染めたり、万事がそんな調子だった。 
 土屋となぜ付き合ったかといえば、そうしなければならなかったからだ。私のような女が、弟を慰みものにしているのだから、落ちるところまで落ちねばなるまい。私の性は、弟に大切にされるようなものではなく、弟こそが踏みにじって汚すにふさわしいといった程度のものだから。言い様は悪いが、性欲処理に姉の身体を使ってやっている、そのくらいに思って欲しかった。私は克彦の汚点であるが、克彦がすぐに切り捨てられる程度には潔くありたかった。 
 夏休みの終わりに、土屋に体を求められた。土屋は初めてで、私が処女では無いことを知って落ち込んだ。私は克彦ではない男と寝て、やっと一つのハードルを越えたと思った。 
 結局、土屋にとって、私は与しやすい女であったのだろう。自分が何でも教えてやるくらいのつもりだったのが、私が男を知っていたことで裏切られたと思って、私をどう扱っていいかわからなくなったのだ。土屋の心は、徐々に私から離れていった。私は、土屋と別れてしばらくして、別の男の子と付き合った。 
 克彦は土屋と私が別れたと知って、喜色を露わにした。「でも、もう次の彼氏ができたの」 
 克彦は顔を歪める。 
「ねえ、克彦。あなたも彼女を作りなさいよ。克彦はどんな子が好み? あなたならよりどりみどり」 
「姉さんは。姉さんはそうしたら、俺が彼女を作ったら嬉しいの」 
「嬉しいわ。とびきりかわいい彼女を作って。そうしたらたくさんご褒美をあげる」 
 キスはいつも私からする。それは克彦にとってゆるしになった。 
 私がどんな要求をしても、克彦はそれを飲む。決して私を傷つけることはない。克彦は私を優しく抱いて、かわいい彼女を作った。 
 私の彼氏は頻繁に替わり、克彦の彼女はそれよりも大分長いスパンで替わった。 

 高校一年生は、あっという間に終わった。 
 高校二年生になると、克彦は中学三年生。受験の年だった。私は高校生活を謳歌しているような振りをしながら、克彦のことを大いに心配した。 
 克彦は私よりもよほどのんきで、部活もなかなか引退しない。勉強しろと言っても私の部屋に入り浸る。しょうがなく一緒に勉強して、そのままベッドになだれ込む。 
 そうして一年が過ぎ、私は高校三年生になり、克彦は、無事私と同じ高校の一年生になった。 


 入学式。私達三年生は体育館二階部分にぐるりと設えられた、観客席に集まっていた。希望と喜びにぱんぱんの顔をした、新入生を見下ろして、カナちゃんは、「織愛の弟ってどの子?」と聞いた。
 カナちゃんは、土屋のことが好きだったらしい。私が土屋と別れてからしばらくは気まずかったが、それでも私達は親友のままだった。 
 私は指さした。一年生達の中で、抜きん出て高い身長。 
「背が高いんだね。織愛はちっちゃいのに。なんだか、一年生にあるまじき不遜な態度じゃないか。あれが噂に名高い波多野弟か。あの見た目ならしょうがないか」 
 私は苦笑いするしか無かった。克彦は、来る者は拒まずで女の子とつきあう。他の女の子の匂いをさせて帰ってくる克彦に、私は、他の男の子にキスをされた唇で、おかえりと言う。 


 克彦の評判は落ちることが無かった。反対に、私の評判はどんどん落ちた。安売りする女、いいのは顔だけ、つんけんしているいやな女。 
 つきあった彼らは、一様に私を抱くと落胆した。私の体は克彦に抱かれ慣れていて、克彦以外の男の愛撫には、冷え切ったままだった。そのことは彼らのプライドを傷つけて、私の悪評を吹聴させた。 
 それは克彦の耳にも入った。克彦は私をまっすぐに見つめて言う。 
「いいよ、俺は姉さんが、何をしたって、姉さんを許す。だって、姉さんは、俺のものだから」 
「克彦」 
「いいよ、何でも。姉さんが、俺の飼い主であることに変わりないんだから」 
「克彦」 
「姉さん、好きだよ。俺の姉さん」 
 克彦は、男のように――男の顔で、私を抱くようになった。それが、他の女の子と、同列に扱われたようで、たまらなく寂しかった。けれどしょうがない。これが私への罰なのだ。 
 私達の関係を、克彦がどう思っていたか、私は知らない。 
 克彦は一足飛びに大人になっていく。他の女の子に宝石の杖を突き立てて、私から離れていく。 
 私は姉ではなく、いやしい女に成り下がる。 
 どんな男も、克彦ほどに私の心を震わせない。だから、誰でも同じだった。 
 克彦だけが特別だった。成長した克彦は、高校生にしてはもう成人男性と同じくらいの体躯を持っていた。それに加え、甘く整った顔立ち、優しげな物腰。成績優秀でスポーツ万能なのも変わらなかった。たまらなく魅力的な克彦。 
 けれど、男になった克彦が戯れに言う言葉が、私の心を深く傷つける。男は克彦ではない。克彦は弟で、犬で、男であって――こんな私の知らない男ではない。私を甘く狂わせる男は、克彦ではない。 
「好きだ」 
 男の顔で言わないで、克彦。 
 果たして、克彦は私の完全なる支配者となった。 





 三年生になっても、私はなかなか進路を決められなかった。 
 放課後の教室で、担任は私にこう言った。 
「お前は不幸です」 
 
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