20 / 28
わたしとあなた、そしてわたし
しおりを挟む
婚礼の宴は続いている。
花嫁であるリトを、ユーリが抱いて、広場を去るときの喝采はもの凄かった。指笛が鳴り、花びらが舞い、拍手が鳴り響く。
祝福のアーチを抜けるユーリの踵が、迷いなく石畳を蹴って行く。
「あの、歩ける。ユーリ、歩けるから」
「ははっ! リト、照れてるんだ」
ユーリは臆面もなく、リトの額にかかったヴェールを指で払った。
紅潮した彼女の頬や、つんとした鼻を親指でくすぐり、最後に唇を撫でた。
彼女の輪郭を、顔貌を指でなぞるやり方は、リトにとってよく馴染んだものだ。
こんな時、彼女はいつも、徐々に目を閉じる。目を閉じて、ユーリの指に自分を預ける。
一度も地に足をつけることもなく、婚礼の衣装そのままに、寝台に下ろされて、被さってきた重い体に抱きしめられる。
まだ、舞っていた花の香りが鼻腔に残っている気さえするのに、ユーリは彼女に一刻の暇も与えようとしない。
雨のように顔中に口づけを降らせながら、性急にリトの白い花嫁衣装を剥いでいく。リトが苦労して褄取った裾の下に、ユーリの手が滑り込む。
リトは咄嗟にユーリの胸元を押し返した。
「ま、待って……」
「待ちたくない。ずっと、リトは俺のことを受け入れてくれなかったから」
「……え?」
ユーリの黒瞳に、リトの姿が映っている。砂色の髪に、薄紅や真白の花びらを散らした初々しい花嫁姿のリトが。
「俺はずっと、リトを見ていたのに。リトが、俺の気持ちをわかってくれるのを待ってた。俺が、どれだけリトを大事にしているか、いつも心配しているか。朝な夕な、リトが困っていないか、悲しんでいないか、そればかりを考えていた」
ユーリの唇が、ゆっくりと言葉を紡ぐ。そのたびに、ユーリの長い金糸のような髪が揺れる。細くつややかに、リトに雪崩かかってくる光の糸の向こうに、花びらが一枚、絡まっているのが見えた。
「リトが好きだよ」
ユーリはリトをまた強く抱きしめる。まるでリトがどこかへ逃げていくことを、彼を置いて、彼の手の届かないところへ行ってしまうことを恐れるように。
リトは目を閉じた。目を閉じて、体の間に挟まれた手を伸ばし、ユーリの顔に触れた。
目を閉じて触れた唇の、その形。
「いいえ」
「……リト?」
「ユーリは、こんな時、好きだとは言ってくれないの。言えないの……、いつも、嫌いにならないで、と言うのよ」
寝台を覆う白絹の帳が、ずんと重みを増して、リトとユーリを包む。
「リト、好きだよ」
「言わないで!! ユーリじゃない……! ユーリじゃないあなたが、言わないで!!」
ごうと風が吹き抜ける。突如としてリトを襲った烈風は、寝台の帳を引きちぎる。
小さく千切られた布が、まるで花びらのように、闇に消え去っていく。
リトは嵐のただ中にいて、肩で息する。わなわなと体が震え、それは止めようもない。
同じく、リトの両目からは、熱い涙が溢れ出していた。
闇の中にリトは一人、彼女の髪は耳がむき出しになるほど短く、生まれたてのひな鳥のようにあちこちが違う方向に跳ねている。膝下には脚絆を巻いて、膝をむき出しにする短衣に剣帯を締め、腰には剣を佩いていた。薄手の鎖帷子が、短衣の裾から鈍く光を弾く。
ぎらぎらとした光を、くすんだ青い瞳に宿し、リトは闇に叫んだ。
「出てこい……! あなたは、私……。私の欲望!!」
彼女の呼びかけに応え、闇に亀裂が入る。
すっと銀色の刃が差し入れられ、ゆっくりと闇を切り裂くにつれ、その亀裂から白い足が滑り込んでくる。
裾を上手に褄取って、編んだ長い髪に花びらを散らした、ヴェールの花嫁。
リトと全く同じ顔をした花嫁は、左手に剣を持っている。
「バカなリト。あなたの夢を叶えてあげたのに」
声もリトと同じ。けれども、浮かべる表情は違う。鬼気迫るほどの怒りを滾らせたリトと、憐れみさえ覗かせる凪いだ花嫁。
「ずっと思い浮かべていたでしょう? ユーリ王子が、自分を迎えに来る夢。女の子なら当然よ。美しく着飾って、花嫁になる。大勢の人に祝福されて。そう、みんなに見せびらかしていいの。自分が選ばれたことを。大好きな人に、自分が望まれて花嫁になることを。
ずっと願っていたでしょう? ユーリの目が、自分と同じように見えること。誰にも文句を言われない、欠点の何もない王子であること。理想の王子様だもの。たくさんの女の子が彼に恋するわ。それでも、彼は、ユーリはリトを選んでくれる。
あなたが、お姫様になれるのよ」
「違う! そんなこと」
「嘘をついても無駄なの。私はあなたの欲望。あなたが生を受けた瞬間から、あなたと生を共にしてきた。あなたのことは、私が一番よぅく知っているわ。
ユーリが好きなのよね? 彼の目が見えないことを、いけないと知っていて、少し喜んでいるわ。だって、彼の目が見えない限り、彼はあなたを必要としてくれるから」
「うるさい!」
リトは反射的に剣を抜く。電光石火の一閃は、しかし空を切った。花嫁は消えている。
「騎士だって、本当は嫌よね」
後ろから耳元で囁かれて、リトは総毛立つ。振り返りざまに剣を払うが、花嫁はリトからすでに離れ、くすくすと笑っていた。
凡庸な顔立ちを、華やかに化粧で彩ったリトは、とても愛らしく微笑む。
「訓練、訓練ばっかり。傷だらけになって、膂力では男には敵わないもの。倍努力して、それでやっと、王子の騎士になって。もういいのよ、リト。もう、そんなに頑張らなくていいの。あなたが騎士でなくても、役に立たなくても、ユーリがあなたを選んでくれるわ」
花嫁姿のリトの横に、ユーリが立っている。
ユーリは金の髪に白い服、だが、瞳だけは黒い。その黒い瞳に、リトを、騎士として足を踏ん張るリトを映して、彼女を誘った。
「リト、好きだよ。リトの思うとおりにしてあげる。みんな幸せになる。リトは俺が幸せにするよ」
それを聞いたリトの目から、ほろほろと涙が闇に散った。
同じになりたい、と思っていた。
ユーリのように美しくも、高貴でもないリトは、彼に憧れた。
同じものを見たい、と思っていた。
どうして目が見えないのだろうと、彼の一部を否定ばかりしていた。
ユーリのように美しくなりたかった。
ユーリに釣り合う身分になりたかった。
ユーリの目が見えればいい。
ユーリが、同じように自分を好きになってくれればいい。
同じになりたい。そうすれば、きっと、願いがすべて叶うから。
「……それじゃ、だめなの、リト……、いいえ、私」
声を出すのはとても難しかった。剣を誰よりも鋭く振るよりも、誰よりも速く駆けることよりも難しかった。
「思い通りになんてならないのよ。だって、ユーリと私は違う人間なのだから。私の願う幸せは、彼の願う幸せではないの。
私の思うとおりにはならないの。同じにはならないの。
同じになったら、ユーリはユーリではないの。ユーリが好きなの。私ではない、ユーリが好きなの。違ってもいいの。違うから、ユーリが好きなの!」
どうして、世界はこれほど残酷にひとを分けるのだろう。持てるものと、持たないもの、不具を負わせ、この世に送り出すのだろう。
優劣を与えるためか。いや、優劣を与えるのはひとの心だ。
ただ、違うだけ。あなたはわたしではない、ただそれだけ。
闇の虚空を漂うリトの涙が、花嫁姿のリトの掌にふわりと着地した。
「それでは、リトは……私は、私を否定する?」
爪の色は薄紅。花びらの汁で染めた、祝いの化粧。
リトは頭を振った。
幼心に憧れた花嫁姿を、どうして忘れられようか。
「いいえ、あなたはわたし。わたしはあなた」
リトは手に持っていた剣を腰に納めた。切ること、消すこと、拒絶することは、必要ではなかった。
花嫁のリトが手を伸ばす。そこに乗った涙が、小さく光り始める。
太陽の光を浴びた月のように、優しく暖かな光が、静かに闇に灯る。
花嫁衣装のリトは、はにかんだ笑みを浮かべて、自分のヴェールを脱いだ。
滑るようにリトの前に立つと、リトの短いざんばら髪の上にヴェールを被せた。
「いつも決めるのは、あなたよ、わたし」
花嫁姿のリトはそこにいない。小柄なリトの太ももまでしかない身の丈で、リトを見上げてくる、幼い頃のリト。
ユーリと出会った頃のリトだ。
「ユーリは深く闇と同化した。ユーリとリトはつながっているから、闇はリトを傷つけられない。闇はリトを強くするの。闇は欲望、願い、いのちの姿のひとつでもあるのだから。忘れないでね」
舌足らずに一息に告げて、リトはにんまりと笑って、新しい遊びを見つけた子供がよくやるように、その場で飛び跳ねた。
「行こう、ユーリ!」
リトは傍らのユーリの手を取る。彼もまた、幼い姿形をしていた。二人は手を繋いで、まろぶお互いを支えつつ、ささやかな光を軌跡のように残しながら、闇の中に走り去って行く。
リトは涙に濡れた頬をこすった。
「……行こう! ユーリ」
高らかにリトが声を張り上げた瞬間、リトを包んでいた闇が、破片となって割れ散った。
「騎士リト! 大丈夫か!?」
黒々としたつぶらな目にのぞき込まれて、リトは二度三度瞬きをした。
リトは石畳の上に倒れ伏し、そこをナツが抱き起こしていた。
「いきなり馬から降りたと思ったら、そのまま倒れたんだぞ」
「……平気、ありがとう」
リトはあたりを見回した。変わらず暗い霧に満ちた街道だ。
しかし、その霧が、わずかに歪んで、更に黒くまだらになっている空間がある。
リトは素早く立ち上がると、ナツの前に立った。
「そこに……いる。……誰……リーヌさま……?」
霧が薄くなり、人影が浮かび上がる。簡素なドレスに身を包んだリーヌは、リトを認めて目を細めた。
「リト、こちらへ」
かつての快活な調子は微塵もない。沈鬱で悲壮な彼女の呼びかけに、リトは思わず足を踏み出した。革が石畳の砂を滑る。
そのリトに合わせるように、リーヌが石畳に踵を打ち付けた。
一度ならず二度、二度ならず三度。瞠目するリトの前に、リーヌは踊るように踵を打ち鳴らす。その音が次第に大きくなり、リーヌの足下の石畳が撓んだかに見えた次の瞬間、砕け散った。
「リト! 逃げろ!」
割れた石が剥がれ浮くと、剥き出しの地面がメリメリと裂けていく。
ナツが叫ぶ。馬たちがいななき、リトの足下の地面が割れる。地割れはナツのところまですぐに到達して、彼らは大地に飲み込まれた。
花嫁であるリトを、ユーリが抱いて、広場を去るときの喝采はもの凄かった。指笛が鳴り、花びらが舞い、拍手が鳴り響く。
祝福のアーチを抜けるユーリの踵が、迷いなく石畳を蹴って行く。
「あの、歩ける。ユーリ、歩けるから」
「ははっ! リト、照れてるんだ」
ユーリは臆面もなく、リトの額にかかったヴェールを指で払った。
紅潮した彼女の頬や、つんとした鼻を親指でくすぐり、最後に唇を撫でた。
彼女の輪郭を、顔貌を指でなぞるやり方は、リトにとってよく馴染んだものだ。
こんな時、彼女はいつも、徐々に目を閉じる。目を閉じて、ユーリの指に自分を預ける。
一度も地に足をつけることもなく、婚礼の衣装そのままに、寝台に下ろされて、被さってきた重い体に抱きしめられる。
まだ、舞っていた花の香りが鼻腔に残っている気さえするのに、ユーリは彼女に一刻の暇も与えようとしない。
雨のように顔中に口づけを降らせながら、性急にリトの白い花嫁衣装を剥いでいく。リトが苦労して褄取った裾の下に、ユーリの手が滑り込む。
リトは咄嗟にユーリの胸元を押し返した。
「ま、待って……」
「待ちたくない。ずっと、リトは俺のことを受け入れてくれなかったから」
「……え?」
ユーリの黒瞳に、リトの姿が映っている。砂色の髪に、薄紅や真白の花びらを散らした初々しい花嫁姿のリトが。
「俺はずっと、リトを見ていたのに。リトが、俺の気持ちをわかってくれるのを待ってた。俺が、どれだけリトを大事にしているか、いつも心配しているか。朝な夕な、リトが困っていないか、悲しんでいないか、そればかりを考えていた」
ユーリの唇が、ゆっくりと言葉を紡ぐ。そのたびに、ユーリの長い金糸のような髪が揺れる。細くつややかに、リトに雪崩かかってくる光の糸の向こうに、花びらが一枚、絡まっているのが見えた。
「リトが好きだよ」
ユーリはリトをまた強く抱きしめる。まるでリトがどこかへ逃げていくことを、彼を置いて、彼の手の届かないところへ行ってしまうことを恐れるように。
リトは目を閉じた。目を閉じて、体の間に挟まれた手を伸ばし、ユーリの顔に触れた。
目を閉じて触れた唇の、その形。
「いいえ」
「……リト?」
「ユーリは、こんな時、好きだとは言ってくれないの。言えないの……、いつも、嫌いにならないで、と言うのよ」
寝台を覆う白絹の帳が、ずんと重みを増して、リトとユーリを包む。
「リト、好きだよ」
「言わないで!! ユーリじゃない……! ユーリじゃないあなたが、言わないで!!」
ごうと風が吹き抜ける。突如としてリトを襲った烈風は、寝台の帳を引きちぎる。
小さく千切られた布が、まるで花びらのように、闇に消え去っていく。
リトは嵐のただ中にいて、肩で息する。わなわなと体が震え、それは止めようもない。
同じく、リトの両目からは、熱い涙が溢れ出していた。
闇の中にリトは一人、彼女の髪は耳がむき出しになるほど短く、生まれたてのひな鳥のようにあちこちが違う方向に跳ねている。膝下には脚絆を巻いて、膝をむき出しにする短衣に剣帯を締め、腰には剣を佩いていた。薄手の鎖帷子が、短衣の裾から鈍く光を弾く。
ぎらぎらとした光を、くすんだ青い瞳に宿し、リトは闇に叫んだ。
「出てこい……! あなたは、私……。私の欲望!!」
彼女の呼びかけに応え、闇に亀裂が入る。
すっと銀色の刃が差し入れられ、ゆっくりと闇を切り裂くにつれ、その亀裂から白い足が滑り込んでくる。
裾を上手に褄取って、編んだ長い髪に花びらを散らした、ヴェールの花嫁。
リトと全く同じ顔をした花嫁は、左手に剣を持っている。
「バカなリト。あなたの夢を叶えてあげたのに」
声もリトと同じ。けれども、浮かべる表情は違う。鬼気迫るほどの怒りを滾らせたリトと、憐れみさえ覗かせる凪いだ花嫁。
「ずっと思い浮かべていたでしょう? ユーリ王子が、自分を迎えに来る夢。女の子なら当然よ。美しく着飾って、花嫁になる。大勢の人に祝福されて。そう、みんなに見せびらかしていいの。自分が選ばれたことを。大好きな人に、自分が望まれて花嫁になることを。
ずっと願っていたでしょう? ユーリの目が、自分と同じように見えること。誰にも文句を言われない、欠点の何もない王子であること。理想の王子様だもの。たくさんの女の子が彼に恋するわ。それでも、彼は、ユーリはリトを選んでくれる。
あなたが、お姫様になれるのよ」
「違う! そんなこと」
「嘘をついても無駄なの。私はあなたの欲望。あなたが生を受けた瞬間から、あなたと生を共にしてきた。あなたのことは、私が一番よぅく知っているわ。
ユーリが好きなのよね? 彼の目が見えないことを、いけないと知っていて、少し喜んでいるわ。だって、彼の目が見えない限り、彼はあなたを必要としてくれるから」
「うるさい!」
リトは反射的に剣を抜く。電光石火の一閃は、しかし空を切った。花嫁は消えている。
「騎士だって、本当は嫌よね」
後ろから耳元で囁かれて、リトは総毛立つ。振り返りざまに剣を払うが、花嫁はリトからすでに離れ、くすくすと笑っていた。
凡庸な顔立ちを、華やかに化粧で彩ったリトは、とても愛らしく微笑む。
「訓練、訓練ばっかり。傷だらけになって、膂力では男には敵わないもの。倍努力して、それでやっと、王子の騎士になって。もういいのよ、リト。もう、そんなに頑張らなくていいの。あなたが騎士でなくても、役に立たなくても、ユーリがあなたを選んでくれるわ」
花嫁姿のリトの横に、ユーリが立っている。
ユーリは金の髪に白い服、だが、瞳だけは黒い。その黒い瞳に、リトを、騎士として足を踏ん張るリトを映して、彼女を誘った。
「リト、好きだよ。リトの思うとおりにしてあげる。みんな幸せになる。リトは俺が幸せにするよ」
それを聞いたリトの目から、ほろほろと涙が闇に散った。
同じになりたい、と思っていた。
ユーリのように美しくも、高貴でもないリトは、彼に憧れた。
同じものを見たい、と思っていた。
どうして目が見えないのだろうと、彼の一部を否定ばかりしていた。
ユーリのように美しくなりたかった。
ユーリに釣り合う身分になりたかった。
ユーリの目が見えればいい。
ユーリが、同じように自分を好きになってくれればいい。
同じになりたい。そうすれば、きっと、願いがすべて叶うから。
「……それじゃ、だめなの、リト……、いいえ、私」
声を出すのはとても難しかった。剣を誰よりも鋭く振るよりも、誰よりも速く駆けることよりも難しかった。
「思い通りになんてならないのよ。だって、ユーリと私は違う人間なのだから。私の願う幸せは、彼の願う幸せではないの。
私の思うとおりにはならないの。同じにはならないの。
同じになったら、ユーリはユーリではないの。ユーリが好きなの。私ではない、ユーリが好きなの。違ってもいいの。違うから、ユーリが好きなの!」
どうして、世界はこれほど残酷にひとを分けるのだろう。持てるものと、持たないもの、不具を負わせ、この世に送り出すのだろう。
優劣を与えるためか。いや、優劣を与えるのはひとの心だ。
ただ、違うだけ。あなたはわたしではない、ただそれだけ。
闇の虚空を漂うリトの涙が、花嫁姿のリトの掌にふわりと着地した。
「それでは、リトは……私は、私を否定する?」
爪の色は薄紅。花びらの汁で染めた、祝いの化粧。
リトは頭を振った。
幼心に憧れた花嫁姿を、どうして忘れられようか。
「いいえ、あなたはわたし。わたしはあなた」
リトは手に持っていた剣を腰に納めた。切ること、消すこと、拒絶することは、必要ではなかった。
花嫁のリトが手を伸ばす。そこに乗った涙が、小さく光り始める。
太陽の光を浴びた月のように、優しく暖かな光が、静かに闇に灯る。
花嫁衣装のリトは、はにかんだ笑みを浮かべて、自分のヴェールを脱いだ。
滑るようにリトの前に立つと、リトの短いざんばら髪の上にヴェールを被せた。
「いつも決めるのは、あなたよ、わたし」
花嫁姿のリトはそこにいない。小柄なリトの太ももまでしかない身の丈で、リトを見上げてくる、幼い頃のリト。
ユーリと出会った頃のリトだ。
「ユーリは深く闇と同化した。ユーリとリトはつながっているから、闇はリトを傷つけられない。闇はリトを強くするの。闇は欲望、願い、いのちの姿のひとつでもあるのだから。忘れないでね」
舌足らずに一息に告げて、リトはにんまりと笑って、新しい遊びを見つけた子供がよくやるように、その場で飛び跳ねた。
「行こう、ユーリ!」
リトは傍らのユーリの手を取る。彼もまた、幼い姿形をしていた。二人は手を繋いで、まろぶお互いを支えつつ、ささやかな光を軌跡のように残しながら、闇の中に走り去って行く。
リトは涙に濡れた頬をこすった。
「……行こう! ユーリ」
高らかにリトが声を張り上げた瞬間、リトを包んでいた闇が、破片となって割れ散った。
「騎士リト! 大丈夫か!?」
黒々としたつぶらな目にのぞき込まれて、リトは二度三度瞬きをした。
リトは石畳の上に倒れ伏し、そこをナツが抱き起こしていた。
「いきなり馬から降りたと思ったら、そのまま倒れたんだぞ」
「……平気、ありがとう」
リトはあたりを見回した。変わらず暗い霧に満ちた街道だ。
しかし、その霧が、わずかに歪んで、更に黒くまだらになっている空間がある。
リトは素早く立ち上がると、ナツの前に立った。
「そこに……いる。……誰……リーヌさま……?」
霧が薄くなり、人影が浮かび上がる。簡素なドレスに身を包んだリーヌは、リトを認めて目を細めた。
「リト、こちらへ」
かつての快活な調子は微塵もない。沈鬱で悲壮な彼女の呼びかけに、リトは思わず足を踏み出した。革が石畳の砂を滑る。
そのリトに合わせるように、リーヌが石畳に踵を打ち付けた。
一度ならず二度、二度ならず三度。瞠目するリトの前に、リーヌは踊るように踵を打ち鳴らす。その音が次第に大きくなり、リーヌの足下の石畳が撓んだかに見えた次の瞬間、砕け散った。
「リト! 逃げろ!」
割れた石が剥がれ浮くと、剥き出しの地面がメリメリと裂けていく。
ナツが叫ぶ。馬たちがいななき、リトの足下の地面が割れる。地割れはナツのところまですぐに到達して、彼らは大地に飲み込まれた。
0
お気に入りに追加
61
あなたにおすすめの小説
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
【R18】もう一度セックスに溺れて
ちゅー
恋愛
--------------------------------------
「んっ…くっ…♡前よりずっと…ふか、い…」
過分な潤滑液にヌラヌラと光る間口に亀頭が抵抗なく吸い込まれていく。久しぶりに男を受け入れる肉道は最初こそ僅かな狭さを示したものの、愛液にコーティングされ膨張した陰茎を容易く受け入れ、すぐに柔らかな圧力で応えた。
--------------------------------------
結婚して五年目。互いにまだ若い夫婦は、愛情も、情熱も、熱欲も多分に持ち合わせているはずだった。仕事と家事に忙殺され、いつの間にかお互いが生活要員に成り果ててしまった二人の元へ”夫婦性活を豹変させる”と銘打たれた宝石が届く。
【R-18】クリしつけ
蛙鳴蝉噪
恋愛
男尊女卑な社会で女の子がクリトリスを使って淫らに教育されていく日常の一コマ。クリ責め。クリリード。なんでもありでアブノーマルな内容なので、精神ともに18歳以上でなんでも許せる方のみどうぞ。
彼女の母は蜜の味
緋山悠希
恋愛
ある日、彼女の深雪からお母さんを買い物に連れて行ってあげて欲しいと頼まれる。密かに綺麗なお母さんとの2人の時間に期待を抱きながら「別にいいよ」と優しい彼氏を演じる健二。そんな健二に待っていたのは大人の女性の洗礼だった…
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる