花びらの君に散るらしく

千日紅

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わたしとあなた、そしてわたし

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 婚礼の宴は続いている。
 花嫁であるリトを、ユーリが抱いて、広場を去るときの喝采はもの凄かった。指笛が鳴り、花びらが舞い、拍手が鳴り響く。
 祝福のアーチを抜けるユーリの踵が、迷いなく石畳を蹴って行く。
「あの、歩ける。ユーリ、歩けるから」
「ははっ! リト、照れてるんだ」
 ユーリは臆面もなく、リトの額にかかったヴェールを指で払った。
 紅潮した彼女の頬や、つんとした鼻を親指でくすぐり、最後に唇を撫でた。
 彼女の輪郭を、顔貌を指でなぞるやり方は、リトにとってよく馴染んだものだ。
 こんな時、彼女はいつも、徐々に目を閉じる。目を閉じて、ユーリの指に自分を預ける。

 一度も地に足をつけることもなく、婚礼の衣装そのままに、寝台に下ろされて、被さってきた重い体に抱きしめられる。
 まだ、舞っていた花の香りが鼻腔に残っている気さえするのに、ユーリは彼女に一刻の暇も与えようとしない。
 雨のように顔中に口づけを降らせながら、性急にリトの白い花嫁衣装を剥いでいく。リトが苦労して褄取った裾の下に、ユーリの手が滑り込む。
 リトは咄嗟にユーリの胸元を押し返した。
「ま、待って……」
「待ちたくない。ずっと、リトは俺のことを受け入れてくれなかったから」
「……え?」
 ユーリの黒瞳に、リトの姿が映っている。砂色の髪に、薄紅や真白の花びらを散らした初々しい花嫁姿のリトが。
「俺はずっと、リトを見ていたのに。リトが、俺の気持ちをわかってくれるのを待ってた。俺が、どれだけリトを大事にしているか、いつも心配しているか。朝な夕な、リトが困っていないか、悲しんでいないか、そればかりを考えていた」
 ユーリの唇が、ゆっくりと言葉を紡ぐ。そのたびに、ユーリの長い金糸のような髪が揺れる。細くつややかに、リトに雪崩かかってくる光の糸の向こうに、花びらが一枚、絡まっているのが見えた。
「リトが好きだよ」
 ユーリはリトをまた強く抱きしめる。まるでリトがどこかへ逃げていくことを、彼を置いて、彼の手の届かないところへ行ってしまうことを恐れるように。
 リトは目を閉じた。目を閉じて、体の間に挟まれた手を伸ばし、ユーリの顔に触れた。
 目を閉じて触れた唇の、その形。
「いいえ」
「……リト?」
「ユーリは、こんな時、好きだとは言ってくれないの。言えないの……、いつも、嫌いにならないで、と言うのよ」
 寝台を覆う白絹の帳が、ずんと重みを増して、リトとユーリを包む。
「リト、好きだよ」
「言わないで!! ユーリじゃない……! ユーリじゃないあなたが、言わないで!!」
 ごうと風が吹き抜ける。突如としてリトを襲った烈風は、寝台の帳を引きちぎる。
 小さく千切られた布が、まるで花びらのように、闇に消え去っていく。
 リトは嵐のただ中にいて、肩で息する。わなわなと体が震え、それは止めようもない。
 同じく、リトの両目からは、熱い涙が溢れ出していた。
 闇の中にリトは一人、彼女の髪は耳がむき出しになるほど短く、生まれたてのひな鳥のようにあちこちが違う方向に跳ねている。膝下には脚絆を巻いて、膝をむき出しにする短衣に剣帯を締め、腰には剣を佩いていた。薄手の鎖帷子が、短衣の裾から鈍く光を弾く。
 ぎらぎらとした光を、くすんだ青い瞳に宿し、リトは闇に叫んだ。
「出てこい……! あなたは、私……。私の欲望!!」
 彼女の呼びかけに応え、闇に亀裂が入る。
 すっと銀色の刃が差し入れられ、ゆっくりと闇を切り裂くにつれ、その亀裂から白い足が滑り込んでくる。
 裾を上手に褄取って、編んだ長い髪に花びらを散らした、ヴェールの花嫁。
 リトと全く同じ顔をした花嫁は、左手に剣を持っている。
「バカなリト。あなたの夢を叶えてあげたのに」
 声もリトと同じ。けれども、浮かべる表情は違う。鬼気迫るほどの怒りを滾らせたリトと、憐れみさえ覗かせる凪いだ花嫁。
「ずっと思い浮かべていたでしょう? ユーリ王子が、自分を迎えに来る夢。女の子なら当然よ。美しく着飾って、花嫁になる。大勢の人に祝福されて。そう、みんなに見せびらかしていいの。自分が選ばれたことを。大好きな人に、自分が望まれて花嫁になることを。
 ずっと願っていたでしょう? ユーリの目が、自分と同じように見えること。誰にも文句を言われない、欠点の何もない王子であること。理想の王子様だもの。たくさんの女の子が彼に恋するわ。それでも、彼は、ユーリはリトを選んでくれる。
 あなたが、お姫様になれるのよ」
「違う! そんなこと」
「嘘をついても無駄なの。私はあなたの欲望。あなたが生を受けた瞬間から、あなたと生を共にしてきた。あなたのことは、私が一番よぅく知っているわ。
 ユーリが好きなのよね? 彼の目が見えないことを、いけないと知っていて、少し喜んでいるわ。だって、彼の目が見えない限り、彼はあなたを必要としてくれるから」
「うるさい!」
 リトは反射的に剣を抜く。電光石火の一閃は、しかし空を切った。花嫁は消えている。
「騎士だって、本当は嫌よね」
 後ろから耳元で囁かれて、リトは総毛立つ。振り返りざまに剣を払うが、花嫁はリトからすでに離れ、くすくすと笑っていた。
 凡庸な顔立ちを、華やかに化粧で彩ったリトは、とても愛らしく微笑む。
「訓練、訓練ばっかり。傷だらけになって、膂力では男には敵わないもの。倍努力して、それでやっと、王子の騎士になって。もういいのよ、リト。もう、そんなに頑張らなくていいの。あなたが騎士でなくても、役に立たなくても、ユーリがあなたを選んでくれるわ」
 花嫁姿のリトの横に、ユーリが立っている。
 ユーリは金の髪に白い服、だが、瞳だけは黒い。その黒い瞳に、リトを、騎士として足を踏ん張るリトを映して、彼女を誘った。
「リト、好きだよ。リトの思うとおりにしてあげる。みんな幸せになる。リトは俺が幸せにするよ」
 それを聞いたリトの目から、ほろほろと涙が闇に散った。

 同じになりたい、と思っていた。
 ユーリのように美しくも、高貴でもないリトは、彼に憧れた。
 同じものを見たい、と思っていた。
 どうして目が見えないのだろうと、彼の一部を否定ばかりしていた。
 ユーリのように美しくなりたかった。
 ユーリに釣り合う身分になりたかった。
 ユーリの目が見えればいい。
 ユーリが、同じように自分を好きになってくれればいい。

 同じになりたい。そうすれば、きっと、願いがすべて叶うから。

「……それじゃ、だめなの、リト……、いいえ、私」
 声を出すのはとても難しかった。剣を誰よりも鋭く振るよりも、誰よりも速く駆けることよりも難しかった。
「思い通りになんてならないのよ。だって、ユーリと私は違う人間なのだから。私の願う幸せは、彼の願う幸せではないの。
 私の思うとおりにはならないの。同じにはならないの。
 同じになったら、ユーリはユーリではないの。ユーリが好きなの。私ではない、ユーリが好きなの。違ってもいいの。違うから、ユーリが好きなの!」

 どうして、世界はこれほど残酷にひとを分けるのだろう。持てるものと、持たないもの、不具を負わせ、この世に送り出すのだろう。
 優劣を与えるためか。いや、優劣を与えるのはひとの心だ。
 ただ、違うだけ。あなたはわたしではない、ただそれだけ。

 闇の虚空を漂うリトの涙が、花嫁姿のリトの掌にふわりと着地した。
「それでは、リトは……私は、私を否定する?」
 爪の色は薄紅。花びらの汁で染めた、祝いの化粧。
 リトは頭を振った。
 幼心に憧れた花嫁姿を、どうして忘れられようか。
「いいえ、あなたはわたし。わたしはあなた」
 リトは手に持っていた剣を腰に納めた。切ること、消すこと、拒絶することは、必要ではなかった。
 花嫁のリトが手を伸ばす。そこに乗った涙が、小さく光り始める。
 太陽の光を浴びた月のように、優しく暖かな光が、静かに闇に灯る。
 花嫁衣装のリトは、はにかんだ笑みを浮かべて、自分のヴェールを脱いだ。
 滑るようにリトの前に立つと、リトの短いざんばら髪の上にヴェールを被せた。
「いつも決めるのは、あなたよ、わたし」
 花嫁姿のリトはそこにいない。小柄なリトの太ももまでしかない身の丈で、リトを見上げてくる、幼い頃のリト。
 ユーリと出会った頃のリトだ。
「ユーリは深く闇と同化した。ユーリとリトはつながっているから、闇はリトを傷つけられない。闇はリトを強くするの。闇は欲望、願い、いのちの姿のひとつでもあるのだから。忘れないでね」
 舌足らずに一息に告げて、リトはにんまりと笑って、新しい遊びを見つけた子供がよくやるように、その場で飛び跳ねた。
「行こう、ユーリ!」
 リトは傍らのユーリの手を取る。彼もまた、幼い姿形をしていた。二人は手を繋いで、まろぶお互いを支えつつ、ささやかな光を軌跡のように残しながら、闇の中に走り去って行く。
 リトは涙に濡れた頬をこすった。
「……行こう! ユーリ」
 高らかにリトが声を張り上げた瞬間、リトを包んでいた闇が、破片となって割れ散った。

「騎士リト! 大丈夫か!?」
 黒々としたつぶらな目にのぞき込まれて、リトは二度三度瞬きをした。
 リトは石畳の上に倒れ伏し、そこをナツが抱き起こしていた。
「いきなり馬から降りたと思ったら、そのまま倒れたんだぞ」
「……平気、ありがとう」
 リトはあたりを見回した。変わらず暗い霧に満ちた街道だ。
 しかし、その霧が、わずかに歪んで、更に黒くまだらになっている空間がある。
 リトは素早く立ち上がると、ナツの前に立った。
「そこに……いる。……誰……リーヌさま……?」
 霧が薄くなり、人影が浮かび上がる。簡素なドレスに身を包んだリーヌは、リトを認めて目を細めた。
「リト、こちらへ」
 かつての快活な調子は微塵もない。沈鬱で悲壮な彼女の呼びかけに、リトは思わず足を踏み出した。革が石畳の砂を滑る。
 そのリトに合わせるように、リーヌが石畳に踵を打ち付けた。
 一度ならず二度、二度ならず三度。瞠目するリトの前に、リーヌは踊るように踵を打ち鳴らす。その音が次第に大きくなり、リーヌの足下の石畳が撓んだかに見えた次の瞬間、砕け散った。
「リト! 逃げろ!」
 割れた石が剥がれ浮くと、剥き出しの地面がメリメリと裂けていく。
 ナツが叫ぶ。馬たちがいななき、リトの足下の地面が割れる。地割れはナツのところまですぐに到達して、彼らは大地に飲み込まれた。
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