花びらの君に散るらしく

千日紅

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捨て去れば惜しめない

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 しらじらと太陽が世界を新しく染め変える。
 その美しさは変わらない。闇の存在を知らされた後も。
 リトは、ユーリとハル、ナツを待たせて、小屋の様子を見に来た。ユーリは自分もついていくとしつこかったが、水を汲むだけと言い含めて、やっと納得させた。
 出発する前に、少し一人になって頭を整理したかった。
 あの火事から、それほど遠くへ逃げたわけではない。リトの足は速く、小鳥の朝のさえずりを聞きながら、すぐに小屋があった場所に戻った。
「これは…よく燃えたわね……」
 新しい朝がきて、ユーリとリトが逃げ込んだ小屋は、ちっぽけな燃えかすと化していた。
 幸い、小屋の側の井戸には支障が無かった。リトは井戸で水を汲み、顔を洗う。その時、足下に種が落ちているのに気づいた。リトは慌てて、足で種を蹴る。見えないところまで追いやって、熱くなった頬にまた水をかけた。
 桶に汲んだ水を抱える。水面がたぷんと揺れて朝日に輝いた。



 先ほど、夜が明けてすぐ、改めて四人はこれからのことを話し合った。
 もし、王子妃ユリが、悪心の持ち主であったとしても、どうやってその心から闇を払い落とすのか。
「持ち主の欲望の向かう先が要です」
 リトの鋭い視線を受けて、ハルは大きな体を恐縮そうに竦めた。
「あの……、騎士リト。ご心配はごもっともです。我々賢者のことが信用ならぬと。それは重々承知しておりますが、私が話す間は殺気をお納めください」
「……お前がいちいちぴりぴりするせいで、話が進まん」
 ナツにまで指摘され、ユーリには剣の柄に置いた手をそっと押さえられ、リトも雰囲気を和らげさるを得なかった。
 結局、ユーリを守るためには、彼らの情報に頼るしかないのだ。
「悪心が膨れ上がり、闇の入り込んだ心は、心の箍が緩みます。だから、欲望の向かうものを前にしたとき、彼らの心から悪心とともに闇が溢れ出してしまう。それが、悪心の証明、闇の顕現になります」
「じゃあ、ユリ様の欲するものを、彼女の前に突き出せってこと? あ……」
 リトは気づいた。「ユリは若い男をとっかえひっかえ」という噂が巷に流布している。ユーリは若い男で、目は見えないながらも、その美貌は国に並ぶ者はなかった。
「それで……、ユリ様の部屋に行ったの!?」
 ユーリは照れた顔で頭をかいた。
「誘われたし、つい」
「バッカじゃない!? それでそこのアキとかフユとかって人達が言うみたいに、もしユリ様がユーリのことを欲していたら、今頃ユーリは……」
 リトは自分の肩を抱きしめた。小柄なリトがそんな仕草をすると、まるで小リスが震えるように見える。怯えさえ窺わせるリトの表情はユーリには見えず、ナツがわずかに眉根を寄せた。
「あの、アキとかフユじゃなくて、私の名前はハル……」
「でも、俺は彼女の好みじゃなかったみたい。すぐに部屋から追い出されたよ」
「当たり前でしょ! 追い出されなかったら何する気だったのよ!」
「あの、だから私の名前はですね……」
「何って、何のことだと思ってるわけ? リトはひょっとしていやらしいこと考えてる?」
「ば、バカユーリ! いやらしいことなんて私は考えてない! いやらしいのはユーリでしょ!」
「ですから、私の名前は……」
「うん。俺はリトにいやらしいことをしたいって、よく考えてるよ。俺がリトを気持ちよくさせられたら最高」
「あの……」
「…………最高どころか最低よ! このバカ! バカユーリ!」
 ザッ、と音がして、怒り心頭のリトの頭の上に、砂が降りかかる。砂はリトを中心に、ユーリの膝と、ハルの膝に降った。
「頭を冷やせ、それでも騎士か」
 冷え切った声でナツが言い、リトの髪から砂粒が落ちた。



 それから、ナツが主導して話し合いが再開した。
 ユーリとリトの知っている噂の内容を照らし合わせてみると、どうやらユリのもとに男が出入りしていることは確かなのではないか、ということになった。ユーリは、積極的に城勤めの話を聴いていた。彼の愛想の良さというのは、こんな時にも役に立つのだと、リトは感心した。
 リトも騎士仲間の噂を聞いていた。実際に、ユリと関係を交わしたことを臭わせる者もあったが、これについては信憑性が定かでない。
 とにかく、まずは城に戻らなければならない。城に戻って、ユリが男を引き入れた現場を押さえる。そして闇が祓えるのか、しかし、そこは何とでも果たさなければならない。
 最悪の時は、リトがユリを斬るのだ。
 王族を弑するーーその恐ろしさがひたひたとリトに忍び寄る。
 リトは騎士である。忠誠を誓い、剣と命を捧げる。その騎士が、王族の命を奪うことが、できるのだろうか。それが彼女にとって何者にも代え難い、無二の存在、ユーリのためであったとしても。



 騎士になる時、リトはユーリがすることは何でも受け入れようと決めた。どんな命令にも従うことに決めていた。それは、ユーリに手ひどく辱められたあとも変わらない。先ほどの話し合いの時のように、いつもと変わらず他愛ない言い合いをできることも、どこか嬉しいくらいだった。
 リトは騎士としての鍛錬の成果か、傷が癒えるのがとても早い。ユーリに傷つけられた箇所も、通常と変わらない。このまま無かったことにしてしまえばいい。
 そうすれば、王子と騎士として、ずっと一緒にいられる。
 リトは桶に汲んだ水に自分の顔を映した。
 小さな顔に、勝ち気そうなくすんだ青い目。短く切り整えた前髪。騎士とはいえ、娘らしく伸ばした茶色い髪。いくら伸ばしたところで、ユーリのように美しい金色に輝くはずもない。使い古した箒のような髪。
 リトは鞘から剣を抜いた。



「どうしたんです!? 騎士リト、随分と思い切って……」
 ユーリたちのところに戻ったリトを見て、ハルが甲高い声で驚く。
 ナツも、「おっ……」とこぼした。
 ユーリだけがきょとんとしている。
「リト!? リト、どうかしたの?」
 前に出してさまよわせるユーリの手を、リトがしっかりと握る。
「どうもしません。ユーリ王子。王子は、きっと何があっても私が守りますから」
「だから、王子はやめろって……リト?」
 ユーリの手が、リトの肘をたどり、肩からリトのうなじへ回る。そこに慣れ親しんだ感触とはまるで違う手触りを感じたのだろう。ユーリの手がぴたりと動くのをやめる。
「リト、髪は!?」
「へへ、切っちゃった。景気付けだよ」
 リトの髪は耳のすぐ下あたりで短く切られていた。年頃の娘にはあり得ない、少年のような短さである。
 それでも、克己的な精悍さを漂わせたリトには、しっくりと似合っていた。
「リト……」
 ユーリは悲しげに呟く。
「ユーリ、絶対に私が守ってみせるから」
 リトは切った髪の毛を、井戸のすぐ側に埋めていた。誰も知らない場所だ。リトだけが知る場所に、記憶も埋める。
「行こう、城に」
 力強くリトが言うと、ハルとナツがつられて頷いた。ユーリだけは、悲しげにうなだれたままでいた。



 小屋と城は遠く離れていた。ナツが口笛を鳴らすと、森の奥から馬が二頭現れた。
 野生の馬たちは、しかし、よくナツに従った。
 確かに、森の中にある小屋と城は、遠く離れていた。馬を使う方がいい。
 ユーリを先に馬に乗せてやる。襲撃を受けたのは一昨日の番だ。だいぶ昔のことのように感じられた。
 そういえば、襲撃を受けて、リトは応戦した。襲撃が城のどこまで及んだのかも、リトは知らない。
 ひょっとしたら王や王妃、アジーン王子やリーヌ妃までも。しかし、森の木々の向こうに遠くかすむ王城は、朝日を受けていつもと変わりなく見えた。ユーリのねぐらだけが襲撃されたと思いたい。ユーリの周囲に何か変化が起こっても、おそらく誰も気にしないだろう。ユーリは、王城においては、まるで幽霊のように、いてもいなくてもいい存在だとされていたから。
 リトの胸が痛む。リトはユーリを襲撃から守った。そして、ユーリを連れて逃げたーーのだろうか? ユーリを連れて、小屋まで走ってくることはできない。馬を使ったはずだ。その馬はどこへ行ったのだろう。
 リトがはっきりと覚えているのは、小屋の中で覚醒した時点からのことだ。そこまでの記憶は曖昧になっている。
 リトは馬の背に手をかけると、一息にユーリの前に飛び乗った。裸馬は乗りにくい上、二人乗りだが、彼女には差し障りない。鬣を手にまとめて持つ。
「いい子だね、私とユーリを、城に連れて行ってね」
 ユーリの手を取って、自分の腹に回させる。
「ユーリ、苦しい」
 長く逞しいユーリの手が、リトの腹を締め上げる。襲撃の記憶が断片的であるのに比べ、小屋での記憶は鮮明だ。
 小屋で、縛られて、ユーリに犯されていた。足の間に彼を受け入れ、内側から濡らされて。
 思い出した途端に、背中にある温もりが怖くなる。
「ごめん、リト」
 耳元で低く囁かれて、リトは肩を震わせた。
「……リト?」
「そこの二人、着いてきて! 一気に城まで駆けるわ!」
 リトはぶるりと短くなった頭を振ると、もう一頭に乗った二人に叫ぶ。
 彼女の踵が、馬の腹を優しく蹴った。

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