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リナ、驚く

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 リナはオーランドの腕に囲われて、ハノンの背に乗っていた。
 密着加減が少し恥ずかしいが、危ないと言われると拒むのも子供っぽい。
 ちらりと後ろを振り合えると、オーランド王子はにっこり笑い返してくる。

(なんか……圧力でもかけられてるのかなぁ……)

 王子という立場上『救国の乙女』に求婚している。リナにはそう思われてならない。
 眉をハの字にしたリナの気持ちは置き去りに、ハノンの翼はリナを王宮へと連れて行く。
 尖塔を幾つも連ねた王宮の上空をハノンがぐるりと回る。
 こうして上空から見ると、王宮は灰色の大地にぽっかりと白く浮かんでいる。市街地は王宮を囲んで蜘蛛の巣のごとく広がっている。

(緑色のない国なんだ……)

 改めてリナは感じ入る。リナの暮らしていた森の豊かさ――それでも、世界樹の恵み豊かな中の国の大地の豊かさには大いに劣る――とは反対に、王宮は朝の国がある土地の、そもそもの厳しさの上に成り立っている。
 だから王宮の地下には水路が満遍なく走っているのだ。
 この国は竜との契約なしでは成り立たない。
 畢竟、国民が王室に向ける畏敬の念は高まる。王室、すなわち竜騎士である。

 竜が高度を落としていく。ぐんぐんと地表が近くなり、市街地の人影が見えてくる。
 誰しもが口を大きく開けて叫んでいる。

「竜騎士オーランド王子! 乙女フロリナ!」
「フロリナさま!」

 潮騒のように人々の声はうねり、徐々に大きくなった。
 ハノンが最も高い尖塔の上に降り立つ。
 もはや疑いようも無く、リナは王子とともに、歓呼の声に迎えられていた。
 おそるおそる振り返ると、オーランド王子は「それ見たことか」と言わんばかり目を細めた。

「リナ、君はもう、俺だけじゃない。この国にとって、最も大切なひとの一人なんだ」

(……そんなこと言われても、困るんだけど)

 リナの腕に締め付けられた竜の幼生が「ぎゅ」と呻く。

「降りてみようか」
「えっ!?」

 オーランド王子がハノンに合図を送ると、ハノンは優美な首をもたげて、再び飛び立った。
 尖塔を繋ぐ階段の間を鮮やかに滑り抜け、城門の前に降り立つ。
 内側から一抱えもする太さの鉄の閂のかけられた扉。
 オーランド王子はリナの手を取ってハノンの背から降りると、城門に手を翳した。

「開錠」

 ぎん! と閂がオーランド王子の声に応じて震える。
 ぎ、ぎぎ、ぎ
 閂はオーランド王子の命令に従って、自ら滑り始める
 ごとんと閂が落ちて、リナは息を吸い込んだ。
 扉が開く。

 細い隙間から、怒濤のように歓声が溢れ込んでくる。

「民達は王宮には入ってこられない。ほら見てごらん、グリフォンが駆けてゆく」

 王宮の門からはまた長い階段が続く。それは、この朝の国の大地が平坦で無いため。岩山を無理矢理にならしたような地形の岡の上に王宮はあって、城門から市街地が一望出来る。
 波濤のように押し寄せるのは歓声だけでは無かった。人々は集まり、おのおのが手を伸ばしていた。
 騎士達が、人々が将棋倒しにならないように、また王宮へと駈け上がってこぬように盾を構えている。
 人々は上方を、オーランド王子とフロリナの姿を求めている。人々の顔には紛れもない歓喜の表情があった。手足は歓喜に突き動かされている。

「ちっ! 抑えきれないか」

 ドラコスは騎士達を背後から指揮していた。騎士達はよく訓練されていた。英雄王子と救国の乙女の姿を見ようと我を忘れた民衆を跳ね返さず、こちらもはじき飛ばされず、ただ堪える。
 盾にかかるのは、国民の命の重さだ。

「おらぁっ! そこ! もっと腰さげろぉ!」

 ドラコスが叫んだ先には、まだまだひよっこの騎士がいる。
 彼が構えた盾の向こうには大柄な男性が。
 盾の重さと重心の低さがあれば、自分の体重を上回る相手でも抑制が可能だ。

 大柄な男性が興奮のままに新米騎士に殴りかかる。騎士の後ろ姿が揺らいだ。

「ちっ! なってねぇな!」

 ドラコスは素早く新米騎士の横に滑り込む。
 彼を後ろに突き飛ばすと同時に、代わって盾を持った。
 優れた騎士は、剣のみを使うのでは無い。

「よっ」

 あくまでもかけ声のみは軽やかに、盾は重い。
 ドラコスはぐっと重心を低くして、民衆に向けたのとは逆の足を大きく引いて、つっかえ棒のようにする。
 殴りかかった男性は、自分の拳が盾をうち、その痛みに更に興奮して、次は意図的に殴りかかってきた。
 大ぶりな動作。拳を大きく振りかぶった瞬間、ドラコスは、相手の懐に楯ごと一歩飛び込んだ。
 どすんと鈍い衝撃から楯からドラコスの腕に伝わる。
 顎を楯で殴り上げられた格好になって、男性は呻きながら昏倒する。
「手荒なことはよくねぇな」

 男性はドラコスに完全に制圧された。 人々の勢いは一旦弱まるがすぐに盛り返す。

「きりがねえ! 来い! 俺の翼! 俺の獅子! 誇り高きグリフォンよ!」

 機を窺っていたグリフォンが、楯を投げ捨てたドラコスの横に舞い降りる。
 鷹の翼が起こす風が、騎士と民衆の衣装を巻き上げる。鷹の横顔グリフォンは冷徹に熱狂の最中にある人々を睥睨する。
 そして、黄色い嘴を僅かに開いた。

(すごい……透き通る笛みたいな声……)

 リナは思わず聞き入った。
 高く響く鳴き声は、翼が風を切る鋭さそのまま、民衆の声を割いていく。
 ばさりとグリフォンが翼を畳む頃には、あたりはすっかり静まっていた。

 民衆達は名残惜しげに、王宮を振り返り振り返りしながら散っていく。
 ドラコスは騎士達に撤収を指示する。
 自分はグリフォンを従えて、門へ続く階段を上ってきた。
 堂々たる体躯。騎士団長の貫禄。
 彼はリナとオーランド王子の前に跪いた。
 ドラコスはオーランド王子と目を合わせてから、先に、フロリナに語りかけた。

「お嬢ちゃん……いいや、救国の乙女フロリナ。その……もう、体調はいいのか?」

 ドラコスの左頬の傷。懐かしさで胸が詰まって言葉にならない。リナはこくこくと頷いた。

「民達を喜ばせてやりたいと思ったのだが、予想以上だったな」
「そりゃそうですよ、王子……。民達がどれだけフロリナを誇りに思って愛しているか、王子もご存じでしょう」
「はは、確かにな」

 リナはそこで二人の会話に割って入った。

「ちょ、ちょっと待って、どういうこと!?」

 ドラコスとオーランド王子は顔を見合わせる。

「どうってそりゃ……。この国の大神官の娘が、世界を救った先祖返りのエルフだって知れ渡ってますからね」

 ドラコスは続く言葉は飲み込んだ。「付け加えれば、未婚の世継ぎの王子の花嫁と国民は思っている」

「えぇー……そんなの困るよ……。あっ、皆は!? 早く皆に……」

 リナはオーランド王子とドラコスに背を向ける。
 ととっと駆けだして、二人を振り返った。

「神殿?」

 金銀斑の髪が揺れる。若葉色の瞳がきらきらと輝いた。

「ああ」

 オーランド王子は短く返す。
 背後で門が重たく閉じた。
 王子が手も触れず外した閂を、騎士達が集まってかけ直す。

「行こう、きゅーちゃん、ハノン。おいで、グリフォン」

 リナに呼ばれたグリフォンはリナと竜の幼生について行く。
 尖った耳をしたエルフの娘と、竜とグリフォン。

 それを見送って、ドラコスは低く呟いた。

「フロリナが、元気そうで良かったです」
「……ああ」
「あとは、『サクヤ』ですか……。俺にはフロリナが、こう言っちゃ悪いですが、あの怪我のせいで……そこだけ少しおかしくなってるんじゃないかと思うんですけどね」

 オーランド王子の形ばかりの首肯に、ドラコスは決まり悪げに黒っぽい髪をかき上げた。

「俺達も神殿に行きましょう……。『サクヤ』が召喚されなければ、リナも諦めざるを得ない。そうすれば」

 ここでオーランド王子は首を振った。
 聡明な世継ぎの王子は、騎士団長の心もお見通しであったから。

「……全てを選ぶのは、リナだ」
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