5 / 44
リナ、神官と仲良くなる
しおりを挟む
玉座から王が下りてくる。いったんあたりは静まりかえって、髭を蓄えて重そうなマントを引きずった王が、聖女に礼を取ると、まだざわめきが戻ってくる。
彼らはひそひそと話しながら、聖女と王に注目、。
サクヤは王に向かって、だが、広間全体に聴かせるように話し出した。
「私がこの世界に召喚されてから、今日で十日目。先に私が放った精霊の宝玉によって、勇者が選ばれました。精霊の加護を受ける勇者のひとり、地のドラコス。ここへ」
サクヤに名指しされ、ドラコスは居住まいを正す。オーランドに会釈してから彼はサクヤの前に跪く。
「はっ! 騎士団長ドラコス、ここに」
「世界樹に忠誠を。あなたの仕事は世界樹の愛し子フロリナを守り、魔王を倒すことです」
静かに告げたサクヤに、ドラコスは頭をもたげて、目尻の皺を深くして苦笑した。
「……聖女さまは、お守りしなくてよろしいんですかね」
サクヤはドラコスの言葉に口調を和らげる。
「ありがとう、ドラコス。精霊の力は四つ揃わなければ、調和を失ってしまう。それまでは騎士団長して、年長の同胞として、私達をよく導いて下さい」
「……御意」
ドラコスはじっとサクヤの切れ上がった双眸を見つめてから頭を垂れた。
サクヤはドラコスを立たせると、彼を従えたまま、オーランド王子の前に。
「オーランド王子。建国の竜の力を持つ竜騎士たるあなたの力も、お貸し下さい」
オーランド王子は青い目をひたとポニーテールを揺らしたサクヤに向ける。
瞼を閉じて、胸に手を当てた。
「何なりと、俺にできることがあれば」
「では、王子も。フロリナを守り、魔王を倒して下さい」
サクヤの言葉に、オーランド王子はドラコスに視線を送る。ドラコスも眉を互い違いにして、唇を突き出した。
「……フロリナは世界樹の愛し子。いわば、世界樹そのものだと思って下さい。私は聖女として召喚された、この世界の羅針盤。聖女の選びし勇者達よ、ともに、平和を取り戻しましょう」
サクヤとドラコス、オーランド王子の厳粛なやりとりはそっちのけで、テーブルのごちそうを口に運んでいたリナである。
正式な身分に戻った父母と、それでも木こり小屋の暮らしそのままの会話と咀嚼。リナの口は忙しく動く。もぐもぐ、もぐもぐ、その時、リナは大広間を出て行く人影に気がついた。
(あれっ……?)
リナはケーキの載った皿を母に押しつける。
「フロリナ? どうしたの?」
「あの、ちょっと……トイレ行ってくる!」
リナはするりと駆けだした。
大広間の人々は聖女と王に夢中だ。人々は、つむじ風のように駆けだした彼女がすり抜けてから振り返る。リナが通ったあとを。
「フロリナ? あなた場所わかるの……?」
「行ってしまったね……。全くうちの娘は」
父母は揃ってため息をついた。
(どこ行ったんだろ)
リナは大広間を出てから、蜘蛛の巣のようにかかる階段を見回した。
階段と塔は複雑に絡み合っている。リナひとりでは祈りの塔に戻ることも難しい。
(でも、確か……)
リナは妄想ノートに書いたことを思い出しながら歩を進める。
階段から階段へ、塔を下りていく。
王城尖塔群は、全て光る石で作られている。今もリナが手を突く壁は、ホタルのように仄かな光を放っている。
それは美しく、リナをうっとりさせる。
(……魔法の力が、宿っているんだ)
リナの視界の端を、灰色の影が過ぎる。
(あ、見失っちゃう!)
リナは急いで人影を追った。
辿り着いたのは塔の地下である。
地下だというのに空気は清涼で、清々しい匂いが漂い、水が流れるちょろちょろという音がする。
(ここはやっぱり、神殿の地下)
前方には、リナも中腰で無ければくぐれないような小さなドアがあり、隙間から光が漏れている。
リナはそっと近寄ると、どきどきしながら声をかけた。
「……お邪魔、します」
オレンジ色の光が揺らいで、中にいる人がリナの声に身じろいだことが伝わってくる。
おっかなびっくり首をすくめたリナに、神官リーナスは静かな声で答えた。
「……どうぞ」
中は土でできたかまくらに似ていた。床を大きな格子状の溝が彫り込まれ、そこを透き通った水が流れている。
格子の一つは、リナが両脚を揃えて丁度立てるほどの大きさだ。
格子は中央に向かって溝を深くする。その中央に、一抱えほどもある大きさの卵が鎮座していた。
「竜の卵ね!」
リナは思わず大きな声を出し、慌てて口を押さえた。
リーナスは悪気の無いリナの様子を見て、女性的で端整な顔立ちに笑みを浮かべた。
リーナスは灰色の長いストレートの髪を腰のあたりまで伸ばしている。瞳は薄い水色で、長身の体躯さえ無ければ、女性と見間違えてもおかしくない。
「そうです、竜の卵です」
竜の卵は、内側から光を放っている。光は見ていると、徐々に弱まっていくように、リナには感じられた。
「……元気ないの? この卵」
「ここを見て下さい」
竜の卵、リーナスが指さした場所には、ひびが入っていた。
光の拍動にあわせて、ひびはくっきりと浮かび上がる。
「この子の親竜は、魔王軍に殺されたのです。美しく強い竜でしたが、魔王軍に襲われて……父竜は戦いのうちに。
母竜は傷ついた翼で神殿に飛んできて、卵を産んで事切れました。卵は戦いの激しさ故でしょう、ヒビが入っていました。
私が癒やしの力を注ぎ続けていましたが、この子の悲しみは深い……。このまま孵化せずに、父母のところに逝ってしまうかもしれません」
リーナスは卵を愛しげに撫でた。卵の中の光が仄かに強くなるが、また弱々しい拍動に戻った。
「そんなの……かわいそうだよ……」
リナは卵に手を伸ばした。触れてもいいだろうか、迷うリナに、リーナスは優しく言った。
「どうぞ、あなたもこの子に話しかけてあげて下さい。
……先程は、すみませんでした」
リーナスの唐突な謝罪に、リナはびっくりして、そのまま卵に手を置いた。――あたたかい。
「大神官夫妻があなたを連れて失踪したこと。それはあなたのせいではないのに、私はあなたに苛立ちをぶつけてしまった」
「そ、そんなの、いいよ。だって……リーナス、パパのこと大好きだったんだもん。それに、パパがいなくなってから、ひとりで神殿を背負って苦労したんだよね。優秀すぎるから妬まれるツンデレで、本当はかわいいものに目がなくて、趣味はお菓子作りっていう」
お菓子作り、とリーナスは呟いた。
「……参ったな、全部お見通しですか。大神官さまから?」
「違うよ、だってそういう設定……じゃなくて、あわわっ!」
「セッテイ……?」
リーナスが頭を揺らすと、長い髪がオレンジ色の光の中を舞う。リーナスは白く長い指をした手で、卵をゆっくりと撫でた。
「……この卵を、父竜も母竜も、愛していたのでしょう。あなたの、お父様、お母様のように」
エルフは世界樹が芽吹いたときに、時を同じくして生まれた。
エルフは世界樹の庭である世界のガーデナーである。しかし、ここ百年ほどの間、エルフは目撃されたことすらない。
竜はエルフの古い友である。強大な魔力を有した金剛石よりも硬い鱗と、瞬時にして世界樹を見下ろすとされる高みまで飛ぶという翼、風という風を従える尾。彼らは高貴な種族で、滅多に人とは交わらない。
「この国は始祖が竜の力を借りて作った国です。王族には竜騎士が生まれる」
「……オーランド王子のことね? 彼はこの国にたったひとりの竜騎士」
「本当によく知っていますね。騎士団の騎士は幻獣に乗りますが、竜に乗るのは王子だけです。騎士団長の幻獣を知っていますか?」
「知ってるわ! グリフォンよ! 翼の生えた獅子!」
リーナスは優秀な生徒を褒める教師の顔だ。
「ドラコスがグリフィンに乗っている姿は勇猛果敢そのものですよ。興味があるなら、竜との契約の話は、オーランド王子に訊いてみるといいでしょう。
――ああ、卵が!」
リーナスは静かに――これ以上卵が傷つくことのないようにひっそりと――悲鳴をあげた。
リーナスとリナの手のひらに感じる温もりが弱まる。
「し、死んじゃうの!? どうしたらいいの、リーナス!」
「癒やしの力を注ぎます! 慈悲深き胞衣、か弱き子らに癒やしを与えたまえ……!」
リーナスの光が淡くエメラルドの光を放つ。リーナスの髪が光の見えない圧力で舞い上がる。リナの金銀まだらの髪もふわりと揺れる。
緑色の光が、リーナスの顔を照らし出す。リーナスの顔は青ざめて、うっすらと隈があるのも見て取れた。
(卵をずっと一人で……。一人で)
リナの妄想ノートのリーナス。デッサン狂いのイラスト。
リーナスは優しくて、真面目で、優等生で……孤独な神官だった。
竜の卵もひとりっきりで、ひとりぼっちのリーナスは、卵を大事に大事にして……。
夢見がちだった古居 莉名。誰しも通る思春期の、つきまとう孤独。
さみしさ、疎外感。ノートの中の麗人。
リナの頬を涙が伝った。
「ど、どうしよう、このまま死んじゃダメだよ!」
「……私ではっ……、力が足りない……」
「そんな、どうしたら!? どうしたら……」
『アンタの体液を摂取するって、言ったじゃん』
頭に響いたサクヤの声。
(そうだ……!)
リナは無我夢中で卵に光をあてるリーナスに抱きついた。
「な、なんです!?」
「舐めて!? これ、涙! あたしの体液、力になるってほら!」
「体液……涙……!? まさか……」
世界樹が支える世界。万物には少しずつ不思議の力が宿っている。
その力の特に強いものが勇者として、聖女に選ばれるのだ。リーナスの持つ癒やしの力。余人よりは遙かに強い、それでも足りない力。
「リーナスも勇者なんでしょ!? 騙されたと思ってお願い!」
リナが差し出す濡れた頬、動揺に水色の目を揺らめかすリーナス。
彼は決心をするように一度頷き、リナのふっくらとした頬に、薄い唇をつけた。
こくん――。
啜り取った涙を、リーナスが飲み下す。リーナスの目の水色が、泉のように透き通る。
「……世界樹の力よ! 死の産道を引き戻せ! 希望の嬰児に餞を!」
リーナスの手から溢れる緑の光が一際大きくなる。光は小部屋をいっぱいに満たし、リナは眩しさのあまり目を閉じた。
ぱりん。
ぱり、ぱりぱり、ぱりん。
光の奔流は風となって、リナとリーナスの髪をかき乱す。
風の鳴る耳に、高く喜びの音がする。
強い光は徐々に小さくなり、リナは目を閉じた。
そこには、割れた卵と、その中に、大きな頭に短い手足、つやつやした深緑色の鱗に縦に瞳孔の伸びた赤い目。まだまだ小さな羽根。
「きゅあ!」
ドラゴンの幼生の誕生である。
「やったぁあっ! リーナスすごい!!」
「フロリナ……! あなたのおかげです!」
リナとリーナスは抱き合って喜び、はたとあまりの親密さに気づき、慌てて離れる。
リーナスは竜の幼生から卵のかけらを払って抱き上げる。
すると、竜はリナに向かって小さな手を伸ばす。
「きゅ! きゅー!」
「フロリナに抱いて欲しいようですね。……竜も幻獣も、心の清らかな人間を好みますから」
くすぐったそうに笑うリーナスから、リナは竜を受け取る。
流石にずっしりと重い。鱗はつやつやひんやりとしているけれど、内側から確かに温かさが伝わってくる。
『アンタが名付ける、それがルールだ』
リナは竜の幼生に頬ずりした。
「お名前、つけてあげるね、えーと、きゅーきゅー鳴くからきゅーちゃん……? こんな時は辞書……はっ!? 辞書ない! ポチとかタロしか出てこない!」
「きゅ?」
「あっ、違う、世界観が違うから! ちょ、ちょっと待って、竜……タツノコ……あ、違うぅうう!」
「……フロリナ? あなたにも癒やしを与えた方がいいのでは……」
うんうん頭を抱えるリナと、心配顔のリーナス。
竜の幼生はリナの腕の中で機嫌よさげにきゅうきゅう鼻を鳴らした。
結局、竜の幼生は「きゅーちゃん」と名付けられ、二人と一匹は大広間に戻ることになった。
彼らはひそひそと話しながら、聖女と王に注目、。
サクヤは王に向かって、だが、広間全体に聴かせるように話し出した。
「私がこの世界に召喚されてから、今日で十日目。先に私が放った精霊の宝玉によって、勇者が選ばれました。精霊の加護を受ける勇者のひとり、地のドラコス。ここへ」
サクヤに名指しされ、ドラコスは居住まいを正す。オーランドに会釈してから彼はサクヤの前に跪く。
「はっ! 騎士団長ドラコス、ここに」
「世界樹に忠誠を。あなたの仕事は世界樹の愛し子フロリナを守り、魔王を倒すことです」
静かに告げたサクヤに、ドラコスは頭をもたげて、目尻の皺を深くして苦笑した。
「……聖女さまは、お守りしなくてよろしいんですかね」
サクヤはドラコスの言葉に口調を和らげる。
「ありがとう、ドラコス。精霊の力は四つ揃わなければ、調和を失ってしまう。それまでは騎士団長して、年長の同胞として、私達をよく導いて下さい」
「……御意」
ドラコスはじっとサクヤの切れ上がった双眸を見つめてから頭を垂れた。
サクヤはドラコスを立たせると、彼を従えたまま、オーランド王子の前に。
「オーランド王子。建国の竜の力を持つ竜騎士たるあなたの力も、お貸し下さい」
オーランド王子は青い目をひたとポニーテールを揺らしたサクヤに向ける。
瞼を閉じて、胸に手を当てた。
「何なりと、俺にできることがあれば」
「では、王子も。フロリナを守り、魔王を倒して下さい」
サクヤの言葉に、オーランド王子はドラコスに視線を送る。ドラコスも眉を互い違いにして、唇を突き出した。
「……フロリナは世界樹の愛し子。いわば、世界樹そのものだと思って下さい。私は聖女として召喚された、この世界の羅針盤。聖女の選びし勇者達よ、ともに、平和を取り戻しましょう」
サクヤとドラコス、オーランド王子の厳粛なやりとりはそっちのけで、テーブルのごちそうを口に運んでいたリナである。
正式な身分に戻った父母と、それでも木こり小屋の暮らしそのままの会話と咀嚼。リナの口は忙しく動く。もぐもぐ、もぐもぐ、その時、リナは大広間を出て行く人影に気がついた。
(あれっ……?)
リナはケーキの載った皿を母に押しつける。
「フロリナ? どうしたの?」
「あの、ちょっと……トイレ行ってくる!」
リナはするりと駆けだした。
大広間の人々は聖女と王に夢中だ。人々は、つむじ風のように駆けだした彼女がすり抜けてから振り返る。リナが通ったあとを。
「フロリナ? あなた場所わかるの……?」
「行ってしまったね……。全くうちの娘は」
父母は揃ってため息をついた。
(どこ行ったんだろ)
リナは大広間を出てから、蜘蛛の巣のようにかかる階段を見回した。
階段と塔は複雑に絡み合っている。リナひとりでは祈りの塔に戻ることも難しい。
(でも、確か……)
リナは妄想ノートに書いたことを思い出しながら歩を進める。
階段から階段へ、塔を下りていく。
王城尖塔群は、全て光る石で作られている。今もリナが手を突く壁は、ホタルのように仄かな光を放っている。
それは美しく、リナをうっとりさせる。
(……魔法の力が、宿っているんだ)
リナの視界の端を、灰色の影が過ぎる。
(あ、見失っちゃう!)
リナは急いで人影を追った。
辿り着いたのは塔の地下である。
地下だというのに空気は清涼で、清々しい匂いが漂い、水が流れるちょろちょろという音がする。
(ここはやっぱり、神殿の地下)
前方には、リナも中腰で無ければくぐれないような小さなドアがあり、隙間から光が漏れている。
リナはそっと近寄ると、どきどきしながら声をかけた。
「……お邪魔、します」
オレンジ色の光が揺らいで、中にいる人がリナの声に身じろいだことが伝わってくる。
おっかなびっくり首をすくめたリナに、神官リーナスは静かな声で答えた。
「……どうぞ」
中は土でできたかまくらに似ていた。床を大きな格子状の溝が彫り込まれ、そこを透き通った水が流れている。
格子の一つは、リナが両脚を揃えて丁度立てるほどの大きさだ。
格子は中央に向かって溝を深くする。その中央に、一抱えほどもある大きさの卵が鎮座していた。
「竜の卵ね!」
リナは思わず大きな声を出し、慌てて口を押さえた。
リーナスは悪気の無いリナの様子を見て、女性的で端整な顔立ちに笑みを浮かべた。
リーナスは灰色の長いストレートの髪を腰のあたりまで伸ばしている。瞳は薄い水色で、長身の体躯さえ無ければ、女性と見間違えてもおかしくない。
「そうです、竜の卵です」
竜の卵は、内側から光を放っている。光は見ていると、徐々に弱まっていくように、リナには感じられた。
「……元気ないの? この卵」
「ここを見て下さい」
竜の卵、リーナスが指さした場所には、ひびが入っていた。
光の拍動にあわせて、ひびはくっきりと浮かび上がる。
「この子の親竜は、魔王軍に殺されたのです。美しく強い竜でしたが、魔王軍に襲われて……父竜は戦いのうちに。
母竜は傷ついた翼で神殿に飛んできて、卵を産んで事切れました。卵は戦いの激しさ故でしょう、ヒビが入っていました。
私が癒やしの力を注ぎ続けていましたが、この子の悲しみは深い……。このまま孵化せずに、父母のところに逝ってしまうかもしれません」
リーナスは卵を愛しげに撫でた。卵の中の光が仄かに強くなるが、また弱々しい拍動に戻った。
「そんなの……かわいそうだよ……」
リナは卵に手を伸ばした。触れてもいいだろうか、迷うリナに、リーナスは優しく言った。
「どうぞ、あなたもこの子に話しかけてあげて下さい。
……先程は、すみませんでした」
リーナスの唐突な謝罪に、リナはびっくりして、そのまま卵に手を置いた。――あたたかい。
「大神官夫妻があなたを連れて失踪したこと。それはあなたのせいではないのに、私はあなたに苛立ちをぶつけてしまった」
「そ、そんなの、いいよ。だって……リーナス、パパのこと大好きだったんだもん。それに、パパがいなくなってから、ひとりで神殿を背負って苦労したんだよね。優秀すぎるから妬まれるツンデレで、本当はかわいいものに目がなくて、趣味はお菓子作りっていう」
お菓子作り、とリーナスは呟いた。
「……参ったな、全部お見通しですか。大神官さまから?」
「違うよ、だってそういう設定……じゃなくて、あわわっ!」
「セッテイ……?」
リーナスが頭を揺らすと、長い髪がオレンジ色の光の中を舞う。リーナスは白く長い指をした手で、卵をゆっくりと撫でた。
「……この卵を、父竜も母竜も、愛していたのでしょう。あなたの、お父様、お母様のように」
エルフは世界樹が芽吹いたときに、時を同じくして生まれた。
エルフは世界樹の庭である世界のガーデナーである。しかし、ここ百年ほどの間、エルフは目撃されたことすらない。
竜はエルフの古い友である。強大な魔力を有した金剛石よりも硬い鱗と、瞬時にして世界樹を見下ろすとされる高みまで飛ぶという翼、風という風を従える尾。彼らは高貴な種族で、滅多に人とは交わらない。
「この国は始祖が竜の力を借りて作った国です。王族には竜騎士が生まれる」
「……オーランド王子のことね? 彼はこの国にたったひとりの竜騎士」
「本当によく知っていますね。騎士団の騎士は幻獣に乗りますが、竜に乗るのは王子だけです。騎士団長の幻獣を知っていますか?」
「知ってるわ! グリフォンよ! 翼の生えた獅子!」
リーナスは優秀な生徒を褒める教師の顔だ。
「ドラコスがグリフィンに乗っている姿は勇猛果敢そのものですよ。興味があるなら、竜との契約の話は、オーランド王子に訊いてみるといいでしょう。
――ああ、卵が!」
リーナスは静かに――これ以上卵が傷つくことのないようにひっそりと――悲鳴をあげた。
リーナスとリナの手のひらに感じる温もりが弱まる。
「し、死んじゃうの!? どうしたらいいの、リーナス!」
「癒やしの力を注ぎます! 慈悲深き胞衣、か弱き子らに癒やしを与えたまえ……!」
リーナスの光が淡くエメラルドの光を放つ。リーナスの髪が光の見えない圧力で舞い上がる。リナの金銀まだらの髪もふわりと揺れる。
緑色の光が、リーナスの顔を照らし出す。リーナスの顔は青ざめて、うっすらと隈があるのも見て取れた。
(卵をずっと一人で……。一人で)
リナの妄想ノートのリーナス。デッサン狂いのイラスト。
リーナスは優しくて、真面目で、優等生で……孤独な神官だった。
竜の卵もひとりっきりで、ひとりぼっちのリーナスは、卵を大事に大事にして……。
夢見がちだった古居 莉名。誰しも通る思春期の、つきまとう孤独。
さみしさ、疎外感。ノートの中の麗人。
リナの頬を涙が伝った。
「ど、どうしよう、このまま死んじゃダメだよ!」
「……私ではっ……、力が足りない……」
「そんな、どうしたら!? どうしたら……」
『アンタの体液を摂取するって、言ったじゃん』
頭に響いたサクヤの声。
(そうだ……!)
リナは無我夢中で卵に光をあてるリーナスに抱きついた。
「な、なんです!?」
「舐めて!? これ、涙! あたしの体液、力になるってほら!」
「体液……涙……!? まさか……」
世界樹が支える世界。万物には少しずつ不思議の力が宿っている。
その力の特に強いものが勇者として、聖女に選ばれるのだ。リーナスの持つ癒やしの力。余人よりは遙かに強い、それでも足りない力。
「リーナスも勇者なんでしょ!? 騙されたと思ってお願い!」
リナが差し出す濡れた頬、動揺に水色の目を揺らめかすリーナス。
彼は決心をするように一度頷き、リナのふっくらとした頬に、薄い唇をつけた。
こくん――。
啜り取った涙を、リーナスが飲み下す。リーナスの目の水色が、泉のように透き通る。
「……世界樹の力よ! 死の産道を引き戻せ! 希望の嬰児に餞を!」
リーナスの手から溢れる緑の光が一際大きくなる。光は小部屋をいっぱいに満たし、リナは眩しさのあまり目を閉じた。
ぱりん。
ぱり、ぱりぱり、ぱりん。
光の奔流は風となって、リナとリーナスの髪をかき乱す。
風の鳴る耳に、高く喜びの音がする。
強い光は徐々に小さくなり、リナは目を閉じた。
そこには、割れた卵と、その中に、大きな頭に短い手足、つやつやした深緑色の鱗に縦に瞳孔の伸びた赤い目。まだまだ小さな羽根。
「きゅあ!」
ドラゴンの幼生の誕生である。
「やったぁあっ! リーナスすごい!!」
「フロリナ……! あなたのおかげです!」
リナとリーナスは抱き合って喜び、はたとあまりの親密さに気づき、慌てて離れる。
リーナスは竜の幼生から卵のかけらを払って抱き上げる。
すると、竜はリナに向かって小さな手を伸ばす。
「きゅ! きゅー!」
「フロリナに抱いて欲しいようですね。……竜も幻獣も、心の清らかな人間を好みますから」
くすぐったそうに笑うリーナスから、リナは竜を受け取る。
流石にずっしりと重い。鱗はつやつやひんやりとしているけれど、内側から確かに温かさが伝わってくる。
『アンタが名付ける、それがルールだ』
リナは竜の幼生に頬ずりした。
「お名前、つけてあげるね、えーと、きゅーきゅー鳴くからきゅーちゃん……? こんな時は辞書……はっ!? 辞書ない! ポチとかタロしか出てこない!」
「きゅ?」
「あっ、違う、世界観が違うから! ちょ、ちょっと待って、竜……タツノコ……あ、違うぅうう!」
「……フロリナ? あなたにも癒やしを与えた方がいいのでは……」
うんうん頭を抱えるリナと、心配顔のリーナス。
竜の幼生はリナの腕の中で機嫌よさげにきゅうきゅう鼻を鳴らした。
結局、竜の幼生は「きゅーちゃん」と名付けられ、二人と一匹は大広間に戻ることになった。
0
お気に入りに追加
399
あなたにおすすめの小説
マイナー18禁乙女ゲームのヒロインになりました
東 万里央(あずま まりお)
恋愛
十六歳になったその日の朝、私は鏡の前で思い出した。この世界はなんちゃってルネサンス時代を舞台とした、18禁乙女ゲーム「愛欲のボルジア」だと言うことに……。私はそのヒロイン・ルクレツィアに転生していたのだ。
攻略対象のイケメンは五人。ヤンデレ鬼畜兄貴のチェーザレに男の娘のジョバンニ。フェロモン侍従のペドロに影の薄いアルフォンソ。大穴の変人両刀のレオナルド……。ハハッ、ロクなヤツがいやしねえ! こうなれば修道女ルートを目指してやる!
そんな感じで涙目で爆走するルクレツィアたんのお話し。
明智さんちの旦那さんたちR
明智 颯茄
恋愛
あの小高い丘の上に建つ大きなお屋敷には、一風変わった夫婦が住んでいる。それは、妻一人に夫十人のいわゆる逆ハーレム婚だ。
奥さんは何かと大変かと思いきやそうではないらしい。旦那さんたちは全員神がかりな美しさを持つイケメンで、奥さんはニヤケ放題らしい。
ほのぼのとしながらも、複数婚が巻き起こすおかしな日常が満載。
*BL描写あり
毎週月曜日と隔週の日曜日お休みします。
男女比が偏っている異世界に転移して逆ハーレムを築いた、その後の話
やなぎ怜
恋愛
花嫁探しのために異世界から集団で拉致されてきた少女たちのひとりであるユーリ。それがハルの妻である。色々あって学生結婚し、ハルより年上のユーリはすでに学園を卒業している。この世界は著しく男女比が偏っているから、ユーリには他にも夫がいる。ならば負けないようにストレートに好意を示すべきだが、スラム育ちで口が悪いハルは素直な感情表現を苦手としており、そのことをもどかしく思っていた。そんな中でも、妊娠適正年齢の始まりとして定められている二〇歳の誕生日――有り体に言ってしまえば「子作り解禁日」をユーリが迎える日は近づく。それとは別に、ユーリたち拉致被害者が元の世界に帰れるかもしれないという噂も立ち……。
順風満帆に見えた一家に、ささやかな波風が立つ二日間のお話。
※作品の性質上、露骨に性的な話題が出てきます。
【R-18】喪女ですが、魔王の息子×2の花嫁になるため異世界に召喚されました
indi子/金色魚々子
恋愛
――優しげな王子と強引な王子、世継ぎを残すために、今宵も二人の王子に淫らに愛されます。
逢坂美咲(おうさか みさき)は、恋愛経験が一切ないもてない女=喪女。
一人で過ごす事が決定しているクリスマスの夜、バイト先の本屋で万引き犯を追いかけている時に階段で足を滑らせて落ちていってしまう。
しかし、気が付いた時……美咲がいたのは、なんと異世界の魔王城!?
そこで、魔王の息子である二人の王子の『花嫁』として召喚されたと告げられて……?
元の世界に帰るためには、その二人の王子、ミハイルとアレクセイどちらかの子どもを産むことが交換条件に!
もてない女ミサキの、甘くとろける淫らな魔王城ライフ、無事?開幕!
【完結】R-18乙女ゲームの主人公に転生しましたが、のし上がるつもりはありません。
柊木ほしな
恋愛
『Maid・Rise・Love』
略して『MRL』
それは、ヒロインであるメイドが自身の体を武器にのし上がっていく、サクセスストーリー……ではなく、18禁乙女ゲームである。
かつて大好きだった『MRL』の世界へ転生してしまった愛梨。
薄々勘づいていたけれど、あのゲームの展開は真っ平ごめんなんですが!
普通のメイドとして働いてきたのに、何故かゲーム通りに王子の専属メイドに抜擢される始末。
このままじゃ、ゲーム通りのみだらな生活が始まってしまう……?
この先はまさか、成り上がる未来……?
「ちょっと待って!私は成り上がるつもりないから!」
ゲーム通り、専属メイド就任早々に王子に手を出されかけたルーナ。
処女喪失の危機を救ってくれたのは、前世で一番好きだった王子の侍従長、マクシミリアンだった。
「え、何この展開。まったくゲームと違ってきているんですけど!?」
果たして愛梨……もとい今はルーナの彼女に、平凡なメイド生活は訪れるのか……。
転生メイド×真面目な侍従長のラブコメディ。
※性行為がある話にはサブタイトルに*を付けております。未遂は予告無く入ります。
※基本は純愛です。
※この作品はムーンライトノベルズ様にも掲載しております。
※以前投稿していたものに、大幅加筆修正しております。
俺のスキル『性行為』がセクハラ扱いで追放されたけど、実は最強の魔王対策でした
宮富タマジ
ファンタジー
アレンのスキルはたった一つ、『性行為』。職業は『愛の剣士』で、勇者パーティの中で唯一の男性だった。
聖都ラヴィリス王国から新たな魔王討伐任務を受けたパーティは、女勇者イリスを中心に数々の魔物を倒してきたが、突如アレンのスキル名が原因で不穏な空気が漂い始める。
「アレン、あなたのスキル『性行為』について、少し話したいことがあるの」
イリスが深刻な顔で切り出した。イリスはラベンダー色の髪を少し掻き上げ、他の女性メンバーに視線を向ける。彼女たちは皆、少なからず戸惑った表情を浮かべていた。
「……どうしたんだ、イリス?」
アレンのスキル『性行為』は、女性の愛の力を取り込み、戦闘中の力として変えることができるものだった。
だがその名の通り、スキル発動には女性の『愛』、それもかなりの性的な刺激が必要で、アレンのスキルをフルに発揮するためには、女性たちとの特別な愛の共有が必要だった。
そんなアレンが周りから違和感を抱かれることは、本人も薄々感じてはいた。
「あなたのスキル、なんだか、少し不快感を覚えるようになってきたのよ」
女勇者イリスが口にした言葉に、アレンの眉がぴくりと動く。
異世界転生先で溺愛されてます!
目玉焼きはソース
恋愛
異世界転生した18歳のエマが転生先で色々なタイプのイケメンたちから溺愛される話。
・男性のみ美醜逆転した世界
・一妻多夫制
・一応R指定にしてます
⚠️一部、差別的表現・暴力的表現が入るかもしれません
タグは追加していきます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる