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「第十一話 東京決死線 ~凶魔の右手~」

6章

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「さっきからどうしたんですか? 黙り込んじゃって」

 心の声に反応するように振り向いた七菜江に、さすがの格闘王が瞬間慌てる。

「いや、ちょっと昔のことを思い出して、な」

「・・・子供のころの、ことですか?」

 何気ない質問の裏には、美しき令嬢の影が自然に七菜江の内側に挿していた。ふたりっきりで並び歩いているこのときにも、もしや愛する男の胸には完璧な美少女が居座っていたのではないか? 猫顔少女の眉が切なげに寄るのとは対照的に、吼介はやや照れたような表情で遠くを眺めながら言った。

「お前と初めて出会ったのは、この辺だったよな」

 己の勘違いに気付いた少女は、頬を少し赤らめて純粋な瞳で微笑んだ。

「覚えてて、くれたんですか?」

「忘れるわけないだろ。お前みたいなお転婆、日本全国探したってそうはいねえ」

 修学旅行に出掛ける前、最後の日曜日。
 男と女がふたりきりで行動し、遊ぶことをデートと称するのであれば、ふたりのデートはもう二桁に達しようかという回数を重ねていた。週末に共にいるのはもはや普通のこと。互いを誘うのに、特に口実は必要ないほどの関係になったのに、ふたりの間に流れる空気は初々しさと適度な緊張に溢れている。
 藤木七菜江が吼介と連れ立って歩いているのは、聖愛学院からもほど近い、駅前の通りであった。開発の進むその区域は、谷宿などとは比べ物にならないが、オシャレなブティックや美容店、洋食屋などが続々とオープンして、華やいだ一角となっている。聖愛の生徒を含む地元の多くの者は、特に中心部の繁華街に出張らなくとも、ショッピングにしろ遊びにしろここで十分に事足りていた。
 同級生と遭遇する可能性が高いこの場所で、吼介とデートするのは極力避けていたのだが、「闇豹」の存在を考えればやはり谷宿は訪ねにくい。いつの間にか吼介とふたりでいることが自然になりつつあるのも無自覚なまま、七菜江は人目を気にすることなくこの聖愛カップル定番のスポットで遊ぶようになっていた。

 吼介と初めて出会い、助けてもらったこの場所。
 来るたびに、あの時のキュンとした想いが蘇る。ドキドキと、切なさと。
 ふたりで遊びにくるときも、ひとりでぶらつき歩く日も、常に少女の内では淡い感情が沸き起こっているなんて、鈍感なこのひとは気付いてはいないだろう。でも、あの日のことを、武闘一途なこのひとが忘れずにいてくれたのが、七菜江には嬉しかった。

「だって、あのときはおばあちゃんを助けたかったんだもん。誰もやらなきゃ、あたしがって・・・」

「それでもアブナい兄ちゃん4人相手に、突っかかっていくのはお前くらいだよ」

「・・・気が付いたら、あいつら突き飛ばしてて・・・後でどうなるかなんて、考えてもいなかったから・・・」

「あはは。今も昔も単純なところは変わってねえな」

「ムス。いいんです、これがあたしなんだから」

「まあな。オレはお前のそういうところが好きだぜ」

 顔を瞬時に真っ赤に染めた七菜江が、思わず隣りの男を見上げる。
 反射的に「しまった!」という表情を見せた吼介は、これも茹で上がったような色をした顔で、あらぬ方向を向いている。
 ドクドクと脈打つ心臓の音が、やけに大きく七菜江の胸で響いていた。
 これ以上赤くなりようはない、というほど深紅に染まった顔を、元気少女は下向けた。見開かれた瞳が心なしか潤んでくる。知らないうちに彼女の左手は、西条ユリのように口元に当てられていた。

"今、「好き」って言ったよね? 聞き間違いなんかじゃ、ないよね?"

 冷静になろうとする気持ちを振り切り、バクバクとした興奮が爆発しそうになっている。何故だろう、そのまま駆け出して、逃げ出したいような気分になった。
 だが七菜江が無意識のうちに取った行動は、そんな気持ちとはまるで逆なものであった。
 少女の小さな手は、ゴツゴツとした格闘王の掌を、幼い妹が兄を頼るようにそっと握っていた。
 突然の出来事に、驚いた吼介が思わず振り返り、チャーミングな少女の顔を覗き込む。

「ダメ・・・ですか? ・・・こうしちゃ・・・ダメですか?」

 潤んだ少女の真っ直ぐに訴えてくる容貌は、抱き締めたいほど可憐であった。

「いや・・・オレも・・・嬉しいよ」

 筋肉の鎧を纏った男は、柔らかな手を強く握り返した。
 そのままふたりは、無言で昼下がりの休日の通りを歩いていく。
 幸せな、時だった。
 多分、幸せとはこういうことを言うのだろう。17歳の少女は悟ったような気がしていた。それは小さな、小さな幸せかもしれない。けれど・・・きっと、この幸せはあたしの胸で永遠に輝き続けるに違いない。
 人生で何よりも大切な宝物を見つけたような気がしてならない少女は、やがてその桜色の唇をそっと開いた。

「あの・・・吼介先輩?」

「ん?」

「あの時、夜になるまでふたりでお話したの、覚えてますか?」

「お前の服、ボロボロだったもんな。人目を避けるよう、真夜中まで待ってたっけ」

「随分長い時間のはずなのに、話が止まらなくて、あっという間に時間が過ぎちゃって・・・いろいろ話せてすっごく楽しかったな・・・必ずお礼はしますって、約束したんですよね」

「そうそう。で、なにご馳走してくれるかと思ったら、ハンバーガー屋で100円バーガー食い放題。しかも10個食ったところでお前がストップかけたんだよな」

「だって、お金なかったんだもん・・・先輩は食べ過ぎなんです。あそこなら奢れるかなあって思ったのに」

「はは、この肉体維持するのにゃあ、食費も掛かるんだよ。七菜江が急に涙目になって懇願するからビックリしたぜ」

「・・・あたしって、先輩に迷惑かけてばっかいますよね」

 キュッと握る手に力がこもる。鈴のような声は、わずかに震えていた。
 吼介と出会ってからの日々が、走馬灯のように脳裏に蘇ってくる。それは楽しく、感謝するものばかりであった。特にこの数ヶ月、七菜江が体内に『エデン』を宿してからは、ふたりの絆は格段に強くなったのは間違いない。

「あたし・・・先輩にちゃんとお返しできてないですね・・・いっつも・・・」

 側にいるときは安らぎをもらい。闘う前には力をもらい。傷ついた身体には復活のエネルギーをもらい。そして窮地には、いつも現れてくれ、生命自体を救ってくれた。
 感謝してもし足りない恩人。愛するひと。そのひとに、何も返してあげられないことが、七菜江の心を悔やませる。

「お返しなら、いっぱいもらってるじゃないか」

「え?」

「その笑顔と、生きる意味とだよ」

 五十嵐里美を守れなくなった男が、新たに見つけた「守るべきもの」。
 最強の格闘獣に存在意義を与えたなど、純粋な少女は思ってもみないのであろう。
 再び顔を染めた美少女は、言葉の真意はわからずとも、ただ、男が己に抱いた深い感情だけは仄かに悟ることができた。

"先輩・・・やっぱりあたしのこと、愛してくれてるんですか? それとも・・・"



 七菜江の胸の中で、数日前のカラオケ店で起きた、桜宮桃子との会話が思い出されていた。

「もういいかげん、吼介のこと、決着つけた方がいいんじゃないかなァ?」

「な、なによ、決着って・・・」

 イマドキ美少女の究極形ともいえる桃子の魅惑的な瞳にじっと見詰められ、七菜江ははぐらかすようにストローでウーロン茶をすする。なかに入った氷が、カラリと音をたてた。

「もちろん、里美さんと吼介、それとナナとの三角関係の決着だよォ」

 普段は優しき女神のような桃子だが、ここぞというときには夕子などより手厳しく思われることがある。ズバリ直球で詰め寄る今の桃子は、まさにそうだった。

「吼介はもうあたしたちの秘密を知ってるわけじゃない? じゃあさ、いつまでも今みたいな中途半端な形はよくないと思うよ?」

「そんなこと言ったって・・・それは吼介先輩が決めることだから・・・」

「あたしはねェ、もう答えは出てると思うの」

 七菜江にとって桃子は唯一の恋の相談相手だ。複雑な里美と吼介の関係を思えば、クラスメイトたちには話せないし、夕子とユリはこと恋愛に関しては揃って頼りになりそうにない。知り合う男性のほとんどを虜にしてしまうミス藤村は、悩める乙女には実に貴重な存在であった。
 その桃子が三角関係の答えは出ている、と言う。
 笑顔の似合う元気少女は、その無垢な表情を一気に強張らせた。

「里美さんと吼介は姉弟なんでしょ。だったら、ナナが吼介と結ばれるしか、ないよ」

「そ・・・」

 嬉しさと困惑と拍子抜けと、いずれもが爆発したような複雑な表情で七菜江は声高く言う。

「そんなことは初めからわかってるってば! 姉弟だから先輩は里美さんと結ばれることはできない、だから代わりに違う恋愛をって・・・けどそれができないから悩んでるんじゃん。姉弟だってわかってても諦められないほどふたりは愛し合っているの! あたしなんかじゃ里美さんを諦めさせることなんてできないの! モモは当たり前みたいに言うけど、その当たり前にならないから辛いんじゃん・・・」

「そんな、自分を里美さんの代わりみたいに考えなくてもいいと思うけどなァ・・・」

「あたしだって、そんなこと、考えたくないよ! でもね、吼介先輩の心のなかには、ずっと長い間里美さんがいたんだよ? 里美さんがいなくなったら、きっとおっきな穴がポッカリ開いちゃう。その穴を誰かが埋めないと・・・だから・・・だから、あたしは先輩が選んでくれるまで待って・・・」

「待つ必要は、ないんじゃないかなァ?」

 七菜江とは対照的に、落ち着いた表情で桃子はジュースで咽喉を潤す。

「今の吼介は里美さんのこともナナのことも、同じくらい好きだと思うよォ。それがいいか悪いかは別にしてね。でも、どれだけ悩んで考えたとしても、結局はナナを選ぶしかないじゃない? だったらナナの方から積極的にアプローチして、吼介の決断を促してもいいとあたしは思うんだけどナ」

「・・・積極的にアプローチって?」

「もう1回、告白してきちんと付き合いなよ」

 ショートカットの額からどっと汗が噴き出る。
 以前、仮死したファントムガール・ユリアを救う闘いに赴くとき、七菜江は吼介に告白している。だがその返事は敢えてもらわないまま、今日までに至っていた。

「そ、そんなの、できるわけないじゃん!」

「なんでェ? 前は告白したんでしょォ?」

「あ、あのときは死ぬかもしれないって・・・吼介先輩と会えるのも最期かもって思ったから・・・」

「・・・あれ? もしかして、フラれるのが怖いのォ?」

「な、なに言ってんのよ、そうじゃなくて、その・・・な、なんか卑怯じゃん?! 里美さんは告白とか、できないわけだからサ。あたしは正々堂々と里美さんと闘いたいの。里美さんと同じ条件で闘って、先輩に選んで欲しいの」

「別に卑怯じゃないってばァ。そんなこと言ってたら、いつまで経っても決着つかないよ?」

「無理して決着つけなくていいじゃん。焦って決めちゃわなくても・・・今のところは、特に問題はないんだし」

「ダメだよ。こういうことは、きちんとしないと」

 桃子の鋭い瞳が、親友を射抜く。
 名前の通り、普段は穏やかな春の気候を思わす、見ているだけで癒されるような少女であるが、元が醒めるような美貌の持ち主だけに、強い気を放つときの桃子はゾクリとするほどの眼力がある。さすがの元気少女もすくんだように唇を閉じた。

「こんなこと続けても、誰も幸せになれないよ。答えはもうわかってるんだから、それに向かって進むべきだよ」

「・・・で、でも・・・」

「大丈夫、きっと吼介は受け入れてくれるよ。あとはナナの勇気。あんだけ巨大生物と闘ってきたんだもん、ゼッタイあなたならできるよ。ね、ファントムガール・ナナ」
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