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「第十一話 東京決死線 ~凶魔の右手~」
1章
しおりを挟む降りそぼる雨音が、窓外から洩れ聞こえてくる。
静かな夜だった。普段なら秋の虫が賑やかに奏でる九月も半ば、耳朶を打つのがリズミカルな水音だけであることが、かえって静けさを強調する。己と雨とを除き、全てが消滅してしまったかのような静寂。金をあしらったヒールが床を踏むたび、甲高い音色が邸内の奥深くにまで渡っていく。
蒸し暑さがまだ残る昼とは、嘘のように空気は変わっていた。寒さすら覚える長い廊下を、神崎ちゆりは照明ひとつ点いていない暗闇のなか、戸惑うことなく進んでいく。
魔人メフェレスの正体である、久慈仁紀。柳生新陰流の裏の顔、殺人剣の宗家でもある久慈家は数々の邸宅や土地、私有財産を保持しているが、この本宅内にちゆりが足を踏み入れるのは一度や二度ではない。高い壁に四方を囲まれた都合800坪の豪奢な洋館。週に3度くるという2人の家政婦以外、ほとんど誰も入ったことがない屋敷に、『エデン』を宿した者たちだけが特別階級であると言わんばかりに幾度か招待されていた。
「ちゆりくん、こっちです。久慈くんはこの先でお待ちかねですよ」
ハゲ頭の中年男が廊下の突き当たりで立っていた。糸のような細い目と、メタボリックが気になる小太り体型。教師の立場でありながら、生徒である久慈の側につき従うこの田所という男が、ちゆりはどうにも好きにはなれない。濃いマスカラの下で光る大きな瞳に、明らかな侮蔑の色を浮かべて中年男を見据える。
「この先って・・・地下ァ~? こんなとこでホントに待ってんのォ~?」
「ええ、間違いなく」
「・・・で、あんたは一緒に来ないわけェ?」
「わ、私はもう会ってきましたからッ・・・さ、早く行ってください」
無理矢理ロウで固めたようなえびす顔に、びっしょりと冷たい汗が浮き上がっている。
あからさまに眉をしかめてみせた金髪のコギャルは、それ以上は何も言わず、存在すら知らなかった地下への階段を降りていった。
カビ臭い臭気とわずかな照明。カツカツと響くヒールの音が一段と大きくこだまする。
行き止まり、一番奥の部屋の扉に手をかけたちゆりは、迷うことなく中に入っていく。
足を踏み入れた瞬間、「闇豹」の体毛は総毛だった。
更なる薄闇。8畳の室内を照らすのは、裸電球がひとつ。壁も床も剥き出しのコンクリートで灰色に塗られた部屋は、元は倉庫であったのだろう。隅に置かれ、転がるのは使われなくなった剣道の防具、試技用の藁の束、放水用のホースや、西洋騎士の甲冑鎧などなど。
入り口に立つちゆりと相対する格好で、部屋の、いやこの屋敷の主・久慈仁紀は片膝を抱えてコンクリに直接腰を下ろしていた。
闇に浮かぶ黄色の眼光は、飢えた野犬のそれ。だが、ちゆりを慄かせるのは、また別のものであった。
濃く漂う潮の匂いは、「闇豹」も慣れ親しんできた、血臭。
幾重にも濃密に重なった死の香りに、アイシャドウに縁取られた丸い眼が視線を下に移す。
女と思われる肉体がふたつ、冷たくなって転がっていた。
ひとつには首がなく、もうひとつは頭頂から股間までを竹のように真っ二つにされていた。キレイな断面からこぼれる内臓と夥しい血が、床に流れて水溜まりを作っている。
「この部屋の秘密を知った限りは・・・生かしておくわけにはいかん」
地の底から響いてくるような声。
常に尊大で自信に満ちていた男の、怨嗟に染まった呟き。表情を凍りつかせて、ちゆりは間延びした声を返す。
「これ、家政婦のふたりィ~?」
「どうせいつかは殺すつもりだったが・・・勝手にここに入ったのが運の尽きだ」
「ふ~~ん・・・つまんなァ~いっていうかァ・・・みっともない殺し方ァ~~・・・」
久慈の細い眉がピクリと動く。構わず豹柄を好む闇の女は、コツコツと周辺を回り始めた。
「昔のあんたならァ~、こういう殺り方はしなかったけどねェ~。遮二無二誰かを殺せば、心にできた負け犬のキズが癒されるとでも思ったァ~?」
「オレたちの体内に宿った気持ち悪い宇宙生物・・・蛆団子のごとき白い球体の特徴を覚えているか? 闇豹」
悪女の問いに魔人は問いで返してきた。
「血を求める者は殺戮マシンと化し、暴力を望む者は破壊の権化と化す。その生物の持っている精神、欲、正邪の資質・・・そういった諸々を『エデン』は増大させ力に変える。欲望や想いが大きいほど、力になる・・・正邪の資質が高いほど、力を得る・・・精神の強さが、そのまま強さに変わると言ってもいい」
淡々と続ける久慈の言葉を、派手なコギャルは歩きながら無言で聞く。
宇宙より飛来した謎の生命体『エデン』。究極には巨大化という異能力すら与え、寄生した生物の戦闘力を高めるこの脅威の物体の特徴は、神崎ちゆりもよく理解していた。即ち、精神や正負の資質によって、得られる力は大きく変化するということ。『光』を操る正義の女神ファントムガールも、相反する『闇』を生み出す怪物ミュータントも、元々は同じ『エデン』の寄生者。ただ、正しき心の持ち主か、邪心に飲まれた悪人かが敵対する両者を分け隔てているのだ。
とはいえ何が正で、何が悪か、その明確な基準は『エデン』研究のために久慈家がスカウトしたとされる天才生物学者・片倉響子の口からも明らかにされてはいない。響子にもわからないのかもしれないし、あるいは知っていても言わないのかもしれない。
ただ、かつて参謀のように久慈の側に立った響子が去った今では、確認することすらできなかった。
「ならばミュータント・・・我ら闇側の人間にとって、大事な資質とはなんだ?」
「・・・もしかして、闇の力を高めるためにこいつらを・・・」
「殺人こそ最大の悪。そうは思わないか?」
「・・・こいつら殺したところでェ~・・・あんたが強くなるとは思えないけどねェ~~」
足元に転がる女の首を、金色のヒールが無造作に踏みつける。闇豹の化粧の濃い顔に、一切の感情はない。
「そんなことはわかっている。オレが新たなステージに立つのは、銀色の雌豚どもを喚かせ、悶えさせ、絶望に叩き落してから死滅させてこそ。家政婦どもを始末したのは、あくまでこの部屋の秘密を知ったからだ」
歩き回るちゆりの足が、不意に止まった。
薄闇にもハッキリわかるマスカラとアイシャドウ。ランと輝く大きな瞳。
メイクの際立った顔が見上げる先には、この場所に置いてあるのが不似合いな、銀色の西洋甲冑のマスク。
青い風が疾ったのは一瞬であった。
闇豹の右手が振られている。異様に長く伸びた鋭い爪。5本の青いナイフが、ちゆりの指先で鈍く光を反射して生えている。
スパン! 鮮やかな音を残して鎧のマスクが真っ二つに割れる。
西洋甲冑のなかから現れたのは、口髭を生やした中年男性の顔であった。
「久慈家の当主。そして、聖愛学院の副理事にして実質の支配者と言われる男」
悪女の背を奔る、戦慄。
血の気の失せた死者の顔に、闇豹は淡々と語る魔人の面影をはっきりと重ねていた。
「久慈仁信。初めてオレがこの手にかけた、実の父親だ」
ツ・・・と冷たい汗がちゆりの頬を伝う。
なるほど。道理で学院も、久慈家も、この野心にたぎった若造の意のままに動くはずだ。
甘えと厳しい修行の交差するなか育ったボンボン。英才教育の果て、どこをどう間違えたか己を選ばれし者と断じ、他を下等とする思想に固まったエリート。
増長し暴走する若者を止めるべき彼の両親たちは、とうの昔に始末されていたのだ。
暴力、金、権力。生れ落ちた男にあらゆる力を授けた久慈の家は、自らが生み出したモンスターによって滅ぼされてしまったのだ。力を得て暴走する久慈仁紀を制御しなくてはならなかった父・仁信。対峙した父が無惨に突破されたとき、天地を睥睨する魔人は誕生した。
「その死体はオレが支配者たる象徴だ。久慈家の全ては、このオレの掌中であることの」
金髪の少女の脳裏に、長く忘れていた母親の姿が蘇る。
ヤクザの娼婦。暴力と折檻の日々。邪魔者として向けられた、憎悪に満ちたあの視線。
5歳の痩せこけた痣だらけの少女を、幼女趣味の親分に献上された、あの日の光景。
それからちょうど十年後、床に散らばった母親だったものの肉片を見たときの、快感。震え。狂気。
あの最低女への復讐は果たした。だが、ちゆりの心に刻まれた親への憎悪と恐怖は、一生消えることなどないだろう。
久慈は違う。
久慈仁紀という悪魔に力を授けた親ですら、この男は畏怖しなかった。敬わなかった。単なる、我が力に屈した敗者の象徴。金も女も力も得た男は、親にすら敗北の味を教えてもらわなかった。
「・・・初めて喫した敗北が・・・あんたを変えちまったってわけェ~~・・・」
「ファントムガール・・・ヤツら雌豚どもの死体を晒す・・・このメフェレスこそが、全世界の支配者であると証明するために」
そして、工藤吼介。貴様を殺して初めて。
久慈仁紀はようやく久慈仁紀に戻ることができるのだ。
「・・・闇豹。いつか話していた、海堂一美と城誠に会わせろ」
「なッッ!! あ、あいつらに『エデン』渡す気なのォッ?!!」
「言ったはずだ。殺人こそ、最大の悪と。ヤツらを仲間にすれば、銀の女神どもなどもはや敵ではない」
「け、けど、あいつら、あんたの言うこと聞くような相手じゃないッ!! やるとなったらどんな残酷な手段を使ってでも、標的を皆殺しに・・・」
「そうだ。そういう吹っ切れ方こそ、オレにはなかったもの。手段など、体裁など気にしておれん。ファントムガール・・・銀色の女神どもを、ひとり残らず惨殺する。必ず。絶対に! 世界征服などどうでもいい!! あいつら、クソメスどもを全身全霊傾けて切り刻む!!! それこそがこのメフェレスの唯一の願いだアアッッ!!!!」
魔人の絶叫。
狂乱の、咆哮。
いずれも大きく開かれた血走った眼と乾いた唇。青い血管が額に、首に、こめかみに、悪魔の紋様のごとく浮き上がる。
もう、やめだ。
正義と悪の闘いだと? 人類の支配だと? くだらん。くだらんッッ!!
どうでもいい。無駄に飯を食らい、生きている価値など寸分にもない下劣な人間ども。そんなヤツらがどうなろうが、まるでどうでもいい。
ファントムガールを、ぶち殺す。四肢を刎ね、内臓を引き摺り出すッ!!
忌々しいメスどもを全滅させるためには、どんな手段でも使ってやる!!
魔人メフェレスの胸中に渦巻く怨念は、いまや守護天使殲滅の一事に向かっていた。
そして、その成就のために・・・久慈の心はもう、禁断の悪魔たちとの契約に、微塵の揺るぎもしなかった。
「いっつも余裕ぶっこいてたあんたが、ここまで必死になるとはねェ~~・・・けど、知らないよォ~。海堂一美と城誠、あいつらに関わったらもう引き戻れないぜエエエッッ!!」
ファンデーションを厚く塗った顔に、無数の水粒が流れ落ちる。甲高い女豹の叫びには、明らかな狼狽と脅えの色が張り付いていた。
「黒世界、最凶のヤクザと最凶の殺し屋。極道の世界でも疎まれている、非人道の殺人鬼たちが『エデン』と融合したら・・・」
足が、震えている。
かつてない脅威の誕生と、守護天使滅亡の予感がひたひたと迫ってくる。力強い、足音で。これ以上はない、ほぼ確実な未来として。
「最強のミュータントを生むには、最凶の悪党に『エデン』を与える。当然のことを、当然するまでだァァッッ!!!」
「いいのかいィ?? あいつらを野に放ったらこの世界はムチャクチャになるぜエエッッ!!」
「構うかッ!! 銀のメス豚どもを処刑することが全てだッッ!!」
クヒ
激昂する闇豹の動きがビタリと硬直する。
叫びの代わり、金髪に隠れた顔の向こうから洩れる、奇妙な音。
やがてそれは狂乱の愉悦に満ちた高らかな哄笑へと変化した。
「クヒッ、クヒヒヒヒ!! ウクク、ククッ、アハッ、アーッハッハッハッ♪♪ いいじゃなァ~~い、メフェレスぅぅ~~ッッ!!! 皆殺し、皆殺しにしちゃおうじゃないィィッ、いい子面したビチグソどもをヲヲォォッ~~ッッ!! お高く留まったあんたが、なりふり構わずその気になるのを待ってたのよォォッッ!!!」
哄笑は、終わらない。
呼応するかのように、敗北に蝕まれ薄闇に同化しかかっていた男が立ち上がる。
「『最凶の右手』と『スカーフェース』、暗黒世界に轟く悪鬼ふたりの力を得て、ファントムガール全員を滅殺する!!! 守護天使ども、今度こそ根絶やしにしてくれるわッッ!!!」
憎悪と狂気の黒炎が灰色の地下室に氾濫する。
5人の聖少女たちに迫る、過酷な運命。ファントムガール抹殺への序曲は、今、ゆっくりと回り始めた。
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