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「第九話 夕子抹殺 ~復讐の機龍~ 」

3章

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 壁面に並んだ巨大なスクリーンが、不規則な幾何模様を映し出している。
 機械工学の勉強を独学で進めた霧澤夕子をして、その複雑な図面は半分ほどしか理解でき
ていなかった。学校では天才と呼ばれ、その独自の研究はすでにプロレベルとさえ噂されてい
る夕子ではあったが、現実にはこの国のトップのレベルとはそれだけの開きがあるということ
だ。そしてそのレベル差は、そのまま父・有栖川邦彦と夕子との実力差と言ってしまってもよか
った。
 国内に数多ある重化学工場のなかでも、一目置かれている存在、それが旧財閥系の系譜を
ひく三星重工である。その理由は歴史や資本力には留まらない。表面的には軍事力を封じら
れた日本にあって、密かに核に変わる切り札を研究していると噂され、政府と裏で繋がってい
ると言われている巨大企業なだけに、その動向は海外からも注目されていた。

 ノーベル賞を狙える優秀な人材を、数多く抱えているとされる機械工学の中枢で、なかでも中
心的な立場にあるのが有栖川邦彦博士、そのひとであった。
 夕子の明晰な頭脳は彼からの遺伝によるものが大きかったが、離婚により父と娘の苗字は
異なるものになっていた。中学時代の旧友たちは、夕子のことを有栖川さん、と呼ぶかもしれ
ないが、故郷を離れひとり暮らしを始めた彼女がそう呼ばれることはもうない。母を残してひと
りこの街に来たのは、その苗字で呼ばれるのが嫌だったのも一因であった。

 研究中心で家に帰ることはほとんどない父を、昔から娘は好きではなかった。
 好きや嫌いという感情ではない、ただ「父親である」という事実がふたりの間に横たわってい
るだけ、と夕子は感じていた。もしかしたら愛されていないかもしれない。邦彦の本心を知るの
が怖くて、いつしか合理的な少女は、父と娘という関係を、扶養者と被扶養者という、ひどく乾
いた間柄として認識しようとするようになっていた。
 交通事故に遭い、瀕死の重傷に陥った彼女に、研究中の機械化手術を邦彦が施したのが2
年前。
 以来、ふたりの関係は変わった。数ヶ月に一回会っていたのが、一週間に一回へと。
 ただ、その関係は、研究者と実験体の間柄。
 そして、娘に芽生えた父への感情は、恨みと怒り。

 「早く終わらせてくれない? 私もこう見えて忙しいんだけど」

 モスグリーンの半袖Tシャツに、膝近くまであるブラウンのスカート。落ち着いたファッションに
身を包み、部屋の中央付近で腕組みをして突っ立った霧澤夕子は、目前の白衣の男に冷や
やかな視線を突き刺す。突き放した物言いはいつも通りではあるが、尖った語尾には不機嫌
な顔が覗いている。
 栄が丘で里美たち一行を見送ったあと、夕子が向かったのは、三星重工の極秘研究室であ
った。全面ガラス張りの近未来的な建造物に、彼女は顔パスで入ることができる。もちろん密
かに瞳孔の模様や声紋などのチェックを受けているのだが、いかつい警備員が彼女を留める
ことはない。機械化された身体の手入れとデータの採集のため、夕子は週に一度、必ずこの
現代科学の粋を集めたビルにやってきていた。
 地下5階にある有栖川邦彦専用の研究室は、このビルが抱える多くの極秘研究のなかでも
特上のトップシークレットを扱っている。三星重工の社員でも地下5階にいくことはおろか、その
存在すら知らされていないものも多い。諸外国のスパイが数十億単位の金を積んでも入りたい
と願っている部屋に、女子高生である夕子が毎週簡単に訪れているのは、奇妙な感覚ではあ
った。

 壁際にビッシリと計器類やコードが伸びている部屋は、ちょうど学校の教室くらいの広さであ
ろうか。
 中央にドンと置かれているのは、拘束具付きの手術台。真上にはテレビドラマに出てくるよう
な、巨大な照明が設置してある。このふたつを見るたびに、夕子の端整なマスクには、不愉快
そうな皺が寄ってしまう。
 邦彦の助手を務めるふたりの研究員が、忙しそうにコンピューターのボードを叩いている。名
前も知らないこの男女は、夕子が初めて手術を受けたとき、つまり機械の肉体と同化したとき
以来、ずっと同じ顔ぶれで変わっていなかった。邦彦の研究内容が洩れぬよう、極力関与する
メンバーを限定しているためらしい。日本の軍事力を根底から変えるといわれ、実際に夕子と
いう媒体を通じて、巨大生物との闘いにおいて効力を発揮する結果となった邦彦の研究は、わ
ずか3名の手によって進められているのだ。一説には、研究員の若い男女の体内には、研究
内容を話そうとした瞬間に爆発するよう設定された、超小型爆弾が埋め込まれているといわれ
ている。

 無言の研究員と、気まずい雰囲気の父と娘。毎度ながら室内には、息苦しい空気が漂ってい
た。

 「そう簡単に言うな。お前が途中で抜け出したりしなければ、メンテナンスはもっと早くに終わ
っていた。自業自得を不機嫌で誤魔化すのはいかがなものかと思うが?」

 冷淡ともいえる口調は、娘にそっくり・・・いや、娘がそっくりと言うべきだろうか。
 オールバックに日焼けした肌。精悍な顔立ちは白衣よりも革のツナギの方が似合いそうな有
栖川邦彦は、娘の苛立ちに臆することなく反論する。思い返せば、父が夕子に謝ったり、弱気
な姿勢を見せたことなど一度もない。許可なくサイボーグ手術を施したときでも、それは同じで
あった。
 白い手術台の前で向かいあう、父と娘。
 赤髪の下で飛ばす鋭い視線を、渋み溢れる精悍なマスクが受け流す。会うたびに夕子は毒
づき、邦彦は軽くあしらった。毎度繰り返される光景に頓着することなく、ふたりの研究員は
黙々と夕子の体内のメンテナンス準備を進めている。

 「私が言っているのはそういうことじゃない、今日の準備の遅さについてよ。私が来る時間は
わかっていたのに、どうしてそれまでに準備ができていないのかってこと」

 「過剰な電撃を浴びたお前には適切な処置が必要だったというのに、前回お前は警告も聞か
ずに途中で抜け出してしまった。おかげでメンテナンス箇所が増えたので、今日の準備に手間
取っているのだ。ツケが回ってきたのをこちらのせいにされては困る」

 藤木七菜江が憎悪を抱いた連中に捕まった折、助けに向かった夕子は、敵の姦計に嵌って
スタンガンによる電撃を体内に流し込まれていた。
 ただちにこの場に運び込まれ、緊急メンテを受けた彼女は、修理が完成する前に研究室を
飛び出していた。そのときのことを、邦彦は的確につついているのだ。

 「くッ・・・! それだってあんたの電流対策が万全でなかったからでしょ?! 機械が苦手と
する電気攻撃への耐性は完璧、とか言ってたくせに。大体勝手にサイボーグにした割りに、痛
みはしっかり感じるよう設計されてるのがおかしいわ。私の身体で遊んでいる、と思われても仕
方ないんじゃない?」

 「スタンガンを直接当てられるような想定はしていない。そこまでの窮地に陥った、お前の甘さ
こそが問題であって、寧ろ普通の人間に比べれば、電流への耐性が高いことが実証されたと
いえるだろう。それと何度も言っていることだが、お前はただ機械の部品を取り付けられた、単
純な機械人間などではない。神経や血管、体組織を人工物質によって機械器官と接合され
た、人間と機械との融合者なのだ。本当の意味で機械と一体化したお前は、まさにサイボーグ
の名にふさわしい。痛みを感じるということは、お前が人類の新たな1ページを開かんとしてい
る存在なのだという、なによりの証拠だと肝に銘じて欲しい」

 怒りで卒倒しそうになる台詞を、次々と澱みなく邦彦は吐いた。
 噛み締めた奥歯が鳴りそうになるのを、必死で堪えた夕子は燃えるような瞳で父親を睨みつ
ける。
 甘さこそが問題? サイボーグにふさわしい? なんなのよ!
 だが怒りに任せてぶちまけたところで、なんの解決にもならないことを理系少女はよく理解し
ていた。せいぜい目の前の男に、"やれやれ"といった表情で呆れられるだけだ。

 「・・・もういいわ。あんたと話してもなんの利益にもならないことはわかってるんだった。早く終
わらせて、この不愉快な部屋から一刻も早く出させて」

 「今日は新しい装置をつけるので、いつもより少々時間がかかるぞ」

 「新しい装置?」

 垂れがちな瞳が、そのことばに反応する。

 「現在のお前に備わっている機能だけでは、あのミュータントとかいう巨大生物たちに対抗で
きるか心許ない。より殺傷力の高い武器をお前には取り付けようと思っている」

 秘密裏に行われている有栖川邦彦の軍事研究。それは人間と機械とを融合させた、機械兵
士の開発であった。
 鋼鉄と科学がもたらす攻撃力と防御力は、どの国においても国家軍事力の要である。その
技術の粋を集結させ、歩兵レベルに応用する。近現代の戦争において、主役が長距離ミサイ
ルにあることは確かだろうが、結局のところ最後は一兵士と兵士の戦いに委ねられる側面は
否定できまい。

 その大切な根幹に、一騎当千の戦力を大量に注ぎ込むことを可能にするのが、邦彦の機械兵士構想であった。
 ただの軍事マシンを作るわけではない、人間というもっとも状況判断に優れたコンピューターを搭載することで、最高の兵器が生まれるというのが彼の主張である。

 核を持てない日本という国で、いざという危機に切り札となるはずの研究は、ひとりの少女が事故による瀕死を迎えたことで、予定外の人体実験の局面に突入している最中なのだ。

 とはいえ、夕子は決して、兵士として蘇らせられたわけではない。
 許可なくサイボーグにされた悲運の少女は、あくまでひとりの女子高生として新たな身体を得
ていた。確かに目が光る、並外れた力を持つ、電流を放てる、普通というには憚れる戦闘力を
与えられてはいる。しかしそれは、万一他国のスパイなどに夕子が狙われた場合の自衛が理
由であり、敵を屠ることを前提にしたものではないのだ。

 その事実を知っているからこそ、サイボーグ少女は開発者の台詞に、少なからぬ反感を覚え
た。
 ひとりの女子高生として蘇生させられたことが、邦彦の最後の父らしさだと信じていただけ
に。

 「どういうこと? 私はそんな話、聞いてないわ」

 「お前が銀色の巨人となって闘う映像を見させてもらった。いまのままでは、とてもじゃないが
生き抜けるとは思えない」

 取材規制のため、政府組織にしか映せないというファントムガールの戦闘映像を、邦彦は会
社のルートを使って手に入れていた。
 もちろん、いくら有栖川博士が国にとって重要な頭脳であるからといって、総理大臣ですら正
体を知らぬ守護天使の映像を、簡単に見られるわけはない。聡明な夕子は、直感的に五十嵐
家の介入を悟っていた。邦彦が夕子の父であるからこその特例であり、五十嵐家と政府、政
府と三星重工が裏で繋がっているからこそ固さでは定評のある政府機関が動いたのだ。
 五十嵐里美が闘いに巻き込んだ少女たちの親族に対し、できうる限りの配慮を施しているの
は夕子も知っていたが、今回ばかりは逆恨みに近い苛立ちを覚えずにはいられない。

 「何を根拠に言っているのか知らないけど、このままで私は十分闘えるわ。現にこうして生き
ている」

 「あの豹の魔物と闘って生き延びられたのは単なる運だ。次にあいまみえれば、お前は死
ぬ」

 夕子が初めて、そしていまのところ唯一ファントムガール・アリスになった闘いは、 ギリギリ
の死線をかいくぐった、凄惨な内容のものだった。
 黒魔術の使い手・マリーはなんとか倒したものの、邪悪の塊のような女豹は結局劣勢のまま
逃がしてしまっていた。もしあのとき、時間切れでマヴェルが変身を解かなかったら、果たして
夕子はこの場にいることができただろうか?
 
 「そんなの、やってみなければわからないわ! 大体あのときは、1vs2だったから苦戦した
だけよ」

 「ということはつまり、1vs2の状況に陥れば勝つことが難しくなるわけだ。その程度の力しか
お前にはないわけだな」

 「なッ・・・!」

 ギン! という音が聞こえてくるほどに、茶色の瞳のなかで光芒が鋭く輝く。
 めくれあがったピンクの唇から、ギリギリと噛み締める白い歯が覗く。やや濃いめの眉を鋭角
に吊りあがらせた美少女は、いまにも飛び掛らん勢いで、広めの肩をいからせている。
 沸騰した血が頭に昇っていくのを、脳内のもうひとりの夕子が冷静に見詰めている。
 怒りが全身を貫く一方で、回転の速い彼女の頭は、どちらの言い分が正解に近いかを理解
してしまっていた。闘いが1vs1になるとは限らないことを、現実的な少女はよくわかっていた
し、幼少のころからの訓練や天性の才能を持たない己が、戦闘力の面で不安を抱えているこ
とも悟っている。

 娘の憤怒を正面から浴びせられて身じろぎもしない父の前で、高くなったTシャツの肩口が、
ゆっくりと下がっていく。

 「どうしても、私に新しい武器を取り付けたいっていうの?」

 睨み付けたまま、幾分冷静さを取り戻した声で夕子は言う。
 甘ったるさのある可愛らしい声は、トーンを下げるとやや哀しげな響きを伴って聞こえた。

 「どうしても、だ」

 「私を・・・軍事兵器の実験に利用するつもり?」

 浅黒い咽喉元が、ごくりと上下する。
 常に表情を変えない有栖川博士が、初めて見せた動揺だった。

 「お前を、守るためだ。結果として研究中の装置を使うことになったに過ぎない」

 無言で少女はTシャツとスカートとを脱ぎ始める。
 純白のブラとショーツをもためらうことなく脱ぎ捨て、一糸纏わぬ姿になった少女は、白い手術
台に大の字になって横たわる。
 勝気で聡明な天才少女が生まれたままの姿で寝転ぶと、156cmしかない小柄な体躯は、ひ
どく儚く頼りなげに見えた。機械の部品が埋め込まれているとは見えぬ小さな少女。キレイな
形で浮かび上がった胸と、照明を反射した白い膝が、やけに艶かしく端整な美少女に色香の
スパイスを織り交ぜる。

 「少しでも・・・あんたを信じようとした、私がバカだったわ」

 曝け出すように四肢を突っ張った赤髪の少女は、じっと天井の照明を眺めたまま呟いた。

 「所詮私はあんたにイジられる身。拒否しようがしまいが、機械部分をメンテしてもらう以上、
あんたの思うがままだった。メンテ中に私はなにもできないのだから」

 しばしの沈黙の後、有栖川邦彦は、首輪だけした全裸の娘を拘束具で手術台に固定してい
く。
 カチャリ・・・カチャリ・・・金属の無情な摩擦音が4回こだまし、夕子の手足は完全に自由を失
った。毎度のことながら、他人に己の存在を盗まれていくような感覚は、クールな少女を不愉
快にさせる。普段でも遠距離から拘束している銀の首輪だけはついたままなのが、余計に煩
わしく苛立たしい。
 だが、ささくれだった夕子の心を逆撫でるのは、それだけには留まらなかった。

 「よし・・・彼らを連れて来い」

 顎で指図を受けた男の研究員が早足で部屋をでていく。驚く夕子の目の前で、ほどなくして
帰ってきた彼の後ろから、3人の初めて見る顔が極秘研究室に入ってきた。

 「どッ・・・どういうことよッ?!」

 新顔の3人がいずれも白衣であることから、邦彦と同じような立場であることは夕子にもすぐ
にわかった。
 問題は、極秘である夕子の存在を、部外者ともいうべき人間に見せてしまっていいのかという点だ。

 ましてこれから行われようとしているのは、日本で一人しかいないサイボーグ少女の体内メンテと新兵器の装填である。この国の軍事力を左右するトップシークレットを、どういうつもりでこの3人に見せるのだろうか。夕子が持つ秘密の重要性を、あれほど口酸っぱく言い続けてきたのは、邦彦自身だというのに。

 「私に万一のことがあった場合、誰かにこの研究を引き継いでもらわなければならない。彼ら
3人はその候補者たちだ。紹介しよう、こちらから谷くん、桐生くん、相楽くんだ」

 小太りの中年男を谷、色白の眼鏡男を桐生、まだ若いショートヘアの女性を相楽と、邦彦は
順番に呼んでいく。
 紹介された順にペコペコと頭を下げる新顔の研究者たち。彼らの目に、銀の首輪をして大の
字に拘束された全裸の少女はどのように映っているのだろうか。彼らの必要以上に丁寧な挨
拶が、そして弾力ある若い全身を曝け出していることが、勝気とはいえ16歳の少女を傷つけ
ていく。

 "なによ、その目は・・・私を・・・哀れんでいるの・・・?・・・"

 「今日は彼らにも手術に立ち会ってもらう。いいな?」

 娘の裸を他人の視線に晒されながら、有栖川邦彦は冷淡ともいえる口調で言い放つ。

 「好きに・・・すれば」

 ツ・・・と顔を背けた少女は、大の字に固定された姿のまま、感情を押し殺した声で囁いた。
 鮮やかな赤いツインテールの後頭部の向こうで、誰にも彼女の表情を、確認することはでき
なかった。
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