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「第八話 ユリ武伝 ~海棲の刺客~」

14章

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 真夏の太陽が、白い砂をじりじりと焼いていく。
 ソフトクリームを思わせる入道雲が彼方で天に向っている。対照的な青空を見ていると、上に宇宙があるとは思えないほど透き通っている。爽快なブルーは紺青の海に溶けこみ、見る者の心に風を吹き抜けさせていく。
 
 昨夜、巨大ヤドカリと銀の守護天使が激突した伊豆の大地は、嘘のように平静を取り戻していた。
 闘いが中心から外れた山間で行われたのが良かった。被害は最小限といえる範囲に留まっていた。初めて関東地方に巨大生物が現れたということで、若干の混乱があったのは事実だが、大きな損害は起きていない。海水浴場も、さすがに人は少なかったが、いつもと同じ顔を見せている。
 
 混雑せず、まばらにひとがいる海岸。
 遊ぶには理想的な人出のなかで、ひときわ目を引くふたりの少女がいた。
 100人が100人ともカワイイと言うプリティーフェイスに、モデル並のスレンダーな肢体。
 同じ顔をした双子は、白い肌のところどころに青痣を残しながらも気にする素振りなく、きゃっきゃっと騒ぎながら水を掛け合ってハシャイでいる。
 
 西条エリとユリ、天才柔術姉妹。
 昨夜の激闘すら忘れたように、典型的な美少女は普段あまり見せない眩しい笑顔を弾けさせていた。ふたつに髪を縛ったユリは昨日と同じ、白のビキニ。セミロングのエリは、薄緑のこれまた際どいカットのビキニ。別々に水着を買いに行ったのに、似たようなものを買ってくるのはこれが初めてではなかったが、双子ならではのセンスの一致にふたりは苦笑するしかなかった。
 大人しい姉妹にとって、唯一気の置けない相手が互いの存在である。露出の多い水着をあまり気にせずに済むのも、昨夜の激闘を忘れられるのも、心の底から信頼できる相手が目の前にいるからだ。
 
 「ユリ! 肩ひもがずれてるよ!」
 
 「えッ?! ウソ!」
 
 瞬時に顔を真っ赤にして、両手で己の胸を包み隠す妹に、姉の掬った大量の海水が浴びせられる。
 
 「きゃあッ?! やったな、エリ!」
 
 「あはは、大成功♪」
 
 柔術の稽古に明け暮れるふたりには、なによりこんな時間が至福であった。
 1日とはいえ、素敵なプレゼントをくれた父親に、少しは感謝をしたくなる。闘いのオマケでなければ、もっと素直に感謝できるけど。
 
 「ノド乾いちゃった。ジュースでも買ってくるね。なに飲みたい?」
 
 「ん~、じゃあコーラ」
 
 今日になってようやく海に来れたエリは、妹以上に大自然を満喫していた。
 ひと泳ぎし始めた姉を尻目に、おさげの少女は財布を片手にてくてくと砂浜を昇っていく。
 大きめのタオルを肩からかけ、なるべく水着を見られないようにするユリ。すれ違った大学生くらいの二人連れの男たちが、じっと立ち止まって振り向いているのが、背中でわかる。頬を赤く染めた少女の足は自然に早まった。
 空を見上げてみる。つき抜けるような青さ。ギラギラと照りつける太陽が、痛いほど目に沁みる。小さな鼻腔をくすぐるのは、仄かな潮の香。自然の恩恵を身体いっぱいに受けながら、ユリは血生臭い昨日の記憶が夢であったかのように薄まっていくのを感じる。
 
 「これで・・・いいかな」
 
 右手にペプシ、左手にコークを握ったユリは、自動販売機の前でポツリと呟いた。
 姉には黙っていたが、ユリのノドが欲したのも、またコーラであった。同じものを買うのがためらわれ、辛うじて選択した結果がこれ。どちらにするかは、エリに決めてもらえばいいだろう。
 周囲に人影がないせいか、午後に入ったばかりで陽が強くなったのか、気温はますます上昇したように感じる。白い額を流れる汗を、美少女は手の甲で拭う。
 
 急に振り返ったユリの顔は、少女戦士のそれに変わっていた。
 セミの鳴き声が激しさを増す。胡桃の瞳に毅然とした光が灯る。
 
 「まだ・・・闘う気ですか・・・?」
 
 武道少女の前に現れたのは、「皇帝」兵頭英悟であった。
 灰色のタンクトップに紺のハーフパンツ。分厚い肉体は相変わらずだったが、半分以上の皮膚がケロイド状に爛れている。首にはムチウチ患者がするような太いコルセット。死闘の痕は、姉妹以上に敗者に色濃く残っていた。
 
 「貴様ら姉妹・・・無事にこの町から帰すわけにはいかん」
 
 「・・・もう・・・決着はついています」
 
 ヤドカリ巨獣シェルが、滅びてはいないことはユリも気付いていた。
 だが逃げる相手を仕留めるつもりは、清廉な少女にはなかった。父から教わった武道者としての心構えにもない。あくまで、向ってくる者を、身を守るために倒すのが武道の本質。敵が闘いを放棄することは、ユリにとっては歓迎すべき事態であった。
 まして、もはや兵頭英悟=シェルの力量は見切っている。たとえ再びあいまみえることがあろうとも、実力の差は明らかだ。苦戦はしても、敗北することはないであろう。ユリが眉を垂れさせたのは、敵である兵頭のことを思えばこそであった。
 
 「一度負けたからって、また負けるとは限らんぞ」
 
 「兵頭さん・・・力の差は、あなたが一番わかっているはずです・・・命を粗末にしないでください・・・」
 
 「一度の負けで全てが決まるというなら・・・君の死は確実ということになりますよ、ユリくん」
 
 突如沸いた新たな気配に、ユリは驚いた顔を声のした方向、斜め右に向ける。
 
 ゾクリ
 
 ひとめ男を見た瞬間、ユリの背筋を凍るような戦慄が駆け上がる。
 嫌悪感、恐怖・・・かつてない圧倒的な負の感情。
 初めて見るはずの男に、ユリは説明不能な衝撃を覚えていた。兵頭など、比べ物にならない危険な敵の登場。細胞が慄き、震えているのが自覚できる。
 
 “だ、誰・・・? で、でも・・・この敵は・・・!”
 
 「フフフ・・・この姿で会うのは初めてですね。でも、私は昔からあなたのことを知っていましたよ。白鳳女子の制服に身を包んだときから。多くのコレクションのなかでも、あなたはトップレベルの可愛さでしたから」
 
 ボトボトと滝のような汗が白い肌を流れていく。じりじりと知らぬ間に後退っているのにユリは気付いた。
 今まで、多くの敵と相対してきたが、この敵は違う!
 普通の敵ではない、特別な敵。
 武道少女を心底から恐怖させる敵。そして、どうしても倒さねばならぬ、運命のような敵愾心を起こさせる敵・・・
 
 「あ、あなたは・・・」
 
 「ふふふ・・・ようやくわかってきたようですね」
 
 ハゲた頭をした、小太りの中年男。
 脂の浮んだ顔が、えびすになって歪んだ笑いを刻んでいる。ユリにとっては、吐き気を催す醜悪な笑顔。その裏に潜んだ狂気。ねっとりと溢れてくる淫欲。皮肉なまでに丁重な物言い。ユリは知っている、同じ雰囲気を持った、怪物を。忘れられるわけがない、死んだはずのあの敵を!
 
 「私の名は田所。いや、『クトル』と名乗った方が、思い出しやすいでしょうかね、ファントムガール・ユリアくん」
 
 ユリの全身が総毛立つ。
 クトル――ユリアを一度は惨殺した、恐るべきタコの魔獣!
 その後、総力戦となった闘いで、サクラの光線を浴びて死滅したと思われた淫獣は、生きていたのだ! 恐らく、今までエリがそうだったように、リハビリに努めていたのだろう。そして復活した今、再びユリアへの刺客として、参上したのだ。
 
 「うッッ・・・うううぅぅッッ・・・・・・そッ、そんなあッッ!!」
 
 美少女の白い歯がギシギシと鳴る。
 天敵とも呼んでいい、最悪の魔獣の復活。一度、成す術なく殺されてしまった苦痛が、容赦なくあどけなさの残る少女を責めたてる。
 恐い。逃げてしまいたい。
 だが、武道家としての血が、守護天使としての使命が、この因縁の敵に打ち克てと囁いてくる。
 オモチャのように陵辱され、雑巾のように惨殺された屈辱。心身に刻まれた傷跡を消し去るには、自分自身で復讐を果たすしかないのだ。
 
 内気な少女が、キッと中年男を睨みつける。
 相性最悪の敵。関係ない。
 2vs1の不利。関係ない。
 “許可”を出されていない状況。関係ない。
 未来を切り開くには、この男を倒すしかないのだ。
 
 「おや? 闘うつもりですか、西条ユリくん?」
 
 「・・・あのときのお返しは・・・します」
 
 「愚かな。まだ状況を把握していないようですね」
 
 その瞬間、ユリのスレンダーな肢体は、ビクリと揺れた。
 ゴトゴト・・・ガラガラガラ・・・
 ふたつのコーラの缶が、白い砂に落ちて転がる。
 田所、いやクトルの登場に動転した天才武道少女は、背後に迫った殺気に気付くことができなかった。
 巧みな技術によって消された気配は、ユリの生殺与奪を100%掌中に納めてから全開にされた。背中に突き付けられた殺気に、ユリはわずかでも抵抗の素振りを示した瞬間、己が死ぬことを確信した。
 首筋に突きつけられたもの。それは日本刀であった。
 
 「こ、この殺気・・・ま、まさか・・・」
 
 圧倒的な殺意に、ユリの高い声が震える。
 返ってきた声を聞いた瞬間、白い美少女は恐るべき最悪の敵の正体と、己に迫った残酷な運命とを悟った。
 
 「西条ユリ・・・いや、ファントムガール・ユリア・・・貴様はたっぷりと遊んでくれる。そして・・・もう一度、貴様を処刑して、このオレは本当の復活を遂げるのだ」
 
 暗い闇の底から響いてくるような、その男の声。
 魔人・メフェレス。久慈仁紀。
 工藤吼介に敗れ、消息不明となっていた悪の中枢が、この伊豆の地でついに現れたのだ。
 
 「ユッッ・・・ユリィィッッ!!」
 
 突っ立ったまま、身動きが取れなくなっていたユリの耳に飛び込んできたのは、遅くなった妹の身を案じた姉の叫び。
 
 「こッ・・・来ないで、お姉ちゃん! 私に・・・“許可”をッ!!」
 
 「ユリッッ!!」
 
 “許可”は、出せなかった。
 出せば、ユリは殺される。本能的に悟ったエリは、気がつけば、日本刀を妹に突きつけた、スマートな男に飛びかかっていた。
 
 「エリ姉ちゃんッ!!」
 
 ドゴオオオオオッッッ!!!
 
 ユリの首筋に当てられていた刃が、光速で横に薙ぎられる。
 一撃で脇腹を打ち抜かれたセミロングの少女が、前のめりに倒れていく。鮮やかに鳩尾を抉られ、細身の少女は一瞬にして昇天していた。
 
 「バカが」
 
 妹戦士の悲痛な絶叫に、冷酷な魔人の嘲りが重なった。
 
 
 
 「なんだ、あれは?!」
 
 真夏の日光の下、伊豆の観光地を奇妙な車が疾走する。
 車自体はどこにでもあるRV車。だが、ひとめ見た者は、その凄惨な光景に絶句する。
 
 車の前方に、白いビキニ姿の美少女が、大の字で逆さに括りつけられている。
 襟足でふたつに縛った黒髪が、地面すれすれで揺れている。谷間が見える胸も、少ない生地で隠された股間も、さらけだすことを余儀なくされ、未発達の少女らしい肢体は衆人の好奇の目に汚されていく。だが、白目を剥き、桜色の唇を半開きにした少女は、そんな己の惨めな姿に気付くことすらない。
 
 そして、もうひとり。
 四駆車の後方には、同じく逆さに磔られた、薄緑のビキニの少女。
 セミロングの少女もまた、完全に意識を失い、自由を無くした醜態をひけらかせてしまっていた。
 
 「ユリア、貴様はこのオレ復活の・・・生贄となるのだ」
 
 車内で、暗く沈んだ久慈の声が響く。
 西条姉妹を襲う、地獄の宴が始まるのは、もう間もなくのことだった。
 
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