160 / 248
「第八話 ユリ武伝 ~海棲の刺客~」
13章
しおりを挟む「どうやら、打撲ですんでるみたいね」
液晶画面の向こうから流れてくる琴のごとき流麗な声を、西条ユリはほっとした面持ちで聞く。
黄色の天使と巨大ヤドカリの戦闘が終わってから、約三時間。時計の針は、まもなく今日の終わりを告げようとしている。エリとユリ、ふたりの姉妹は宿泊施設に戻り、五十嵐里美への定期連絡をいれているところだった。
『エデン』の寄生者は、巨大化後、ダメージに応じて一定時間の休息を強要させられる。強烈な睡魔は意志などでどうにかなるものではなく、極めて生理的に行われる強制的な睡眠であった。変身解除した妹を宿舎に連れ込んだ姉は、自らもダメージによって、ユリと同じように眠りこけてしまった。ほとんど同時に起きたふたりは、慌てて里美への連絡を取った、という次第である。
伊豆地方に巨大生物が出現した、というのは、今日のトップニュースで何度も報じられている。
マスコミ、あるいは政府に入った情報は、里美の耳にも入っている情報といえる。着信履歴にいくつも連続して里美の名があるのを見たときは、さすがにユリも慌てたが、いざ話してみると里美はすでにほとんどのことを知っていた。少しは叱られるかと覚悟していたのだが、連絡が遅れたことについても、一言の注意すらなかった。
「とにかく無事で、良かったわ」
それが里美の第一声。
リーダーとして、戦士として、ひとりの女性として、最高に尊敬できる麗しき美少女に、多大な心配をかけてしまったことを悟り、おとなしい武道少女の優しい心は逆に痛くなった。
その後、ユリはファントムガール用の特殊携帯電話で、全身の画像を送るよう指示された。
一旦裸になるのは恥かしかったが、ほどなくして五十嵐家のマザーコンピューターが、怪我の状態を分析した結果を導き出す。
姉妹揃って、全身の打撲は夥しかったが、骨折などは免れていた。ユリについては火傷跡も多かったが、いずれにしろ応急処置で十分間に合うものばかりであった。
「ごめんなさい、里美さん・・・心配かけてしまって・・・」
神妙な表情で謝るユリに、崇高のレベルにまで到達しそうな超美少女は、軽いウインクを送る。
「いいのよ、ユリちゃん。ちょっとした、ブームみたいだから」
三重の山奥で里美が瀕死に陥り、七菜江がいまだに包帯でグルグル巻きにされていることを、遠く伊豆にいるユリは知るはずもない。
「で、明日1日遊んでから帰ってくるのね」
質問に答えたのは、隣りに座っていたセミロングの姉であった。
「はい・・・せっかく海に来てるんだからって・・・ユリと相談して決めちゃいました」
「そう。それはいいわね。ゆっくり楽しんでくるといいわ」
迷子の子犬が見たら、二度と離れなくなりそうな・・・眩しい笑顔を最後に見せて、淑やかな令嬢は通信を終了した。
「どうしたの? 桃子」
振りかえりもせずに、次期御庭番頭領たるくノ一は、背後の気配に声をかける。
やや驚いた表情を隠しもしないで、入り口の影から現れたのは、綺麗という単語がこれほど似合う美少女もいまいという、完璧な造形を施された少女であった。
真夜中と呼んで差し支えない時間帯に、地下の作戦室で里美と桃子、ふたりで会う。
居候として住み始めてから半月ほど、今までにありそうでなかったシチュエーションに、エスパー少女は仄かに緊張している己を自覚する。
「ユリちゃん、大丈夫だったのかなァ~って・・・ちょっと心配だったから・・・」
「・・・桃子は、優しいのね」
すすっと中に入ってきたイマドキ美少女の頬が、ほんのり赤くなる。
他人に褒められるのは初めてではないが(寧ろ、美人という褒め言葉なら、飽きるほど聞いてきたが)、何度経験しても慣れることはない。照れてしまうのは常だったが、褒めた相手が逆立ちしても敵わないと思ってる人物だけに、恥かしさも倍増された。
「そんなことないですよォ」
「ナナちゃんは?」
「寝てます。途中までナナも心配して起きてたんだけど、やっぱりまだ体調が良くないみたい。この前の闘いで、かなりやられちゃったから・・・」
言い終ってから、桃子は慌てて形のいい唇を押さえる。
藤木七菜江に固く口止めされていたのを思い出したのは、時すでに遅かった。大きな瞳で上目遣いし、里美の反応を窺う。大人びた色香を放つ桃子の慌てる様子は、妙に女子高生らしくて可愛かった。何も気付かなかったフリをして、気品を纏った令嬢は話を続けることにする。
「ユリちゃんは無事だから安心して。ちょっと打撲がひどいけど、『エデン』の回復力があれば、数日で完治するんじゃないかな」
「そうなんだ・・・よかったぁ」
「話はそれだけじゃ、なさそうね?」
図星を突かれ、厚めの唇が閉ざされる。
観念したように、桃子は以前から気になっていたある疑問を口にした。
「里美さん」
「なに?」
「どうして、エリちゃんをファントムガールにしないんですか?」
憂いを帯びた美貌は、動揺も驚きも、なにひとつ感情を示さなかった。ただ、凛とした視線で優しく5人目のファントムガールを見詰め返す。
「この前ナナに聞いたんだけど・・・エリちゃんがファントムガールになりたいっていうのを、断ったんですよね? そりゃ、できる限り『エデン』の寄生者を増やしたくないっていう、里美さんの気持ちはわかるんだけど・・・でも、やっぱりひとりでも仲間が多い方がいいじゃないですか?」
「ファントムガールになるってことは、死ぬことになるかもしれないってことなのよ」
敢えて直接的な言い方を、里美はした。現実をあからさまにした台詞は、心優しき少女に少なからぬ衝撃を与える。
「そ、それはそうだけど・・・」
「実はね、桃子。最後ひとつ残った『エデン』、使わないでおこうと思ってるの。この間の闘いを考えても、久慈たちの戦力は一度に4,5人といったところが限度だと思う。今いる私たち5人で十分対応できるわ」
現在失踪中の久慈仁紀が、ファントムガールの抹殺を狙って仕掛けてきた闘い。一時は里美が捕虜となり、ユリアが惨殺されるというショッキングな闘いでは、メフェレス、マヴェル、クトル、マリーと4人までミュータントが登場した。残るシヴァをいれて5人、これが敵側の最大人員だと考えていいだろう。
久慈が無数の『エデン』を掻き集めているのは確かだが、戦力となりうる人材が限られてくるため、ミュータントが大量発生する可能性は低いといえる。また世界征服という現実離れした目標を、本気で掲げる久慈にとっては、できれば支配者層は少ない人数の方がいい。無闇に『エデン』をばら撒くような愚挙は、まず起こすことはないだろう。
一方ファントム陣営は、ナナのように敵を殲滅可能な戦士もいるし、サクラのように究極的な能力者もいる。現在の5人で、ほとんどの事態に対処できると里美は踏んでいた。
「桃子だって、私たちのような人間を、もう増やしたくはないでしょ?」
潤んだような切れ長の瞳に見詰められ、桃子は返す言葉を失った。
「・・・わかりました」
「ありがとう。その分、みんなには苦労させてしまうけれど・・・」
それまで不自然なまでに表情を変えなかった令嬢の美貌が、この時初めて翳りを見せる。
里美の辛そうな顔は、桃子にとっても辛くなってしまう顔だった。
リーダーとして敬愛する少女を悲しませないように、アイドル顔負けの美少女は慌てて言う。
「ううん、それは平気ですよォ! じゃ、じゃあ、あたし、もう寝ますね。夜更かし得意じゃないから、眠たくて」
ウサギのような白い歯を見せ、グラビアの表紙を飾りそうな飛びきりの笑顔を桃子はつくる。はにかんだ笑顔とは、こういうものを言うのだろう。カワイイという言葉を、世界中から奪いとってきそうな笑顔だった。
くるりと振りかえった美少女は、パタパタと小走りで地下室の出入り口へと駆けていく。扉まできたところで、小さな足はピタっと止まった。
「里美さん・・・あたし、テレパシーはないんだけど、けっこう勘は鋭いんですよネ・・・」
ちらっと大きな瞳を肩越しに投げ掛けた美少女は、きょとんとした様子の里美を試すような口調で言った。
「本当は最後の『エデン』を・・・“誰か”のためにとっておきたいんじゃないですか?」
「えッ?!」
「な~んてね♪ おやすみなさい」
動揺した里美が喋るより早く、イマドキ美少女は最高の笑顔で迎え撃つ。名前通り、桜のごとき鮮烈な華やかさを残して、エスパー少女はひょいと立ち去っていった。
「・・・そういうことか」
突然現れた桃子の目的が、最後の言葉に対する里美の反応を窺うことにあったのを、しばらくしてから美少女は悟る。
一本、取られたのかな?
しばしの硬直のあと、誰もいなくなった地下作戦室で、くすりと里美は微笑んだ。
0
お気に入りに追加
15
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
令嬢の名門女学校で、パンツを初めて履くことになりました
フルーツパフェ
大衆娯楽
とある事件を受けて、財閥のご令嬢が数多く通う女学校で校則が改訂された。
曰く、全校生徒はパンツを履くこと。
生徒の安全を確保するための善意で制定されたこの校則だが、学校側の意図に反して事態は思わぬ方向に?
史実上の事件を元に描かれた近代歴史小説。
13歳女子は男友達のためヌードモデルになる
矢木羽研
青春
写真が趣味の男の子への「プレゼント」として、自らを被写体にする女の子の決意。「脱ぐ」までの過程の描写に力を入れました。裸体描写を含むのでR15にしましたが、性的な接触はありません。
小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話
矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」
「あら、いいのかしら」
夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……?
微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。
※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。
※小説家になろうでも同内容で投稿しています。
※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる