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「第八話 ユリ武伝 ~海棲の刺客~」

10章

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 「キュオオオオオオオッッッ―――ッッッ!!!」
 
 怪鳥を思わせる甲高い鳴き声が、観光地の紫色の天を裂く。
 巨大生物の存在も、迎え撃つ正義の女神が存在することも、逃げ惑う人々は知っている。テレビでも、新聞でも、ネットでも、あらゆるメディアが伝えている彼らの姿を、関東地方の人々が実際に目の当たりにするのは、これが初めてのことになる。
 
 美しかった。
 もしこれが神の姿と言われれば、納得してしまいそうな美しさ。銀色の光沢に包まれた皮膚と、スラリと伸びた全身とが、見守る人々を幻想の地へと誘う。長い手足は日本人ではお目にかかれない優美さを醸し、うっすらと盛り上がった胸の丘陵は逆にスタイルを際立たせ、仄かなエロティシズムを漂わせる。マスクが人形のような童顔であることと、女子中学生のようなふたつ縛りの髪型とが、幼さを存分にアピールしているだけに、美しい体型はよけいに強調されている。
 緑の髪と、ビキニの水着にも見える黄色の模様。
 全体の銀色と青い瞳。明らかに人間ではないその姿は、不可思議なほど、人間らしさに溢れていた。
 
 新ファントムガール、あるいは黄色のファントムガールと呼ばれている守護天使。
 その可憐で、優美で、儚げで、どこかぎこちない色気を隠した少女戦士の降臨に、避難する人々の口から、現状を忘れた嘆息が洩れ出る。
 
 そして、もうひとつの巨大な影が人々から搾り取ったもの。
 それは恐怖に引き攣る悲鳴であった。
 赤茶色の岩石が合体してできたような、質感のある体躯。
 闇の中で光を照り返す体表には、オイルを塗りたくったようなヌメリが覆っている。横に広い体型は、亀が二本足で立ったような、とでも表現するのが適当だろうか。鋭い牙の生え揃った口と緑に光る巨大な眼とが、禍禍しさを増幅する。
 だが、この巨大生物の最大の特徴は、腕と背中にあった。
 筋肉の塊がくっついてできた腕。問題はその先、三本しかない指にあった。
 指というのは、正しくはない。鋏だ。
 蟹を思わす巨大な鋏。だが蟹とは違い、鋏の上にあたる爪は下より遥かに大きく、しかもふたつあった。短剣かサバイバルナイフを2本、くっつけているようなものだ。
 
 そしてもうひとつの特徴、背中には、誰もがそれとわかる巨大な白い巻貝の貝殻が背負われている。
 キメラ・ミュータントという言葉は知らない人々も、巨大生物がなんの化身であるかはすぐにわかったことであろう。
 暴虐に魅入られた男・兵頭英悟と、ヤドカリのキメラ・ミュータント。
 破壊欲にギラついた緑の眼光が、スレンダーな少女戦士を真っ直ぐに見据えている。
 
 「その姿・・・完全に・・・負のエネルギーに捕らわれてしまったようですね・・・」
 
 「フフンッ!! ほざくな、ファントムガール・ユリア! もう貴様を助ける者はいないのだぞ!」
 
 異形の怪物が言葉を発していることに、細い観光地の路地を駆け逃げていく人々は戦慄を覚える。理由のない、原始的な恐怖だった。そして同時に、黄色のファントムガールがユリアという名前であることも、記憶の一部に留める。
 
 「貴様を始末した後、ゆっくり姉をミンチにしてくれる!」
 
 「・・・させないです」
 
 黄色の妖精が、舞うように構えを取る。
 言葉や仕草はまるで変わらないのに、吹きつける圧倒的な戦意が、武道少女が本物の戦士になったことを教える。仮にも格闘家を名乗る兵頭英悟が、より闘争心のあがった変身後の姿で、少女戦士の本気に気付かぬわけはない。両者の闘志はとっくに全開モードに入っている。
 
 山地に囲まれたわずかな盆地で、50mに達する闘少女と異形の怪物とが対峙する。伊豆の、ほとんど平野のない手狭な地形が、お誂え向けの決闘場を生み出していた。ぐるりと深緑の山に囲まれ、1vs1で向き合う姿は、金網のなかで闘う格闘者と酷似している。
 「エデン」寄生者が巨大化するとき、その出現する場所は、ある程度コントロールができる。兵頭英悟が街の中心からはやや隔離されたこの場所にミュータントとして現れたのは、己のジムを戦闘に巻き込みたくない配慮と、何者にも邪魔されずに闘いたい格闘者の性ゆえだったか。
 
 「『シェル』と呼んでもらおうか。貴様が最後に聞く名だ、よく覚えておくがいい」
 
 「私は・・・負けません」
 
 「ほざくな! 小娘が!」
 
 凶悪な三叉の鋏がパカリと開く。
 オレンジの怪光線が、予告もなしに発射される。
 極太の二条の熱線。スレンダーな銀の女神は横に飛んで、危機を回避する。
 西条ユリも兵頭も、生身の状態で深いダメージを負っている。自然、両者は短期決戦を狙っていた。
 華麗なまでに鮮やかに横回転したユリアの身体は、一気に立ちあがり逆襲に転じる。
 長い両手が十字に組まれ、白い光を充満させていく。
 
 「スペシウム光線!」
 
 レンタルビデオで見た特撮番組から拝借した、ファントムガール・ユリアの光線技。
 見よう見真似で体得した技も、闇のエネルギーに満ちたミュータントには、十分な効力を発揮するはずだった。
 
 「小癪な」
 
 不敵に吐き捨てたヤドカリのキメラ・ミュータントが、ピクリと全身を震わす。
 その変形は、まさしく一瞬のうちに行われた。
 岩のような筋肉で覆われた赤茶色の身体が、吸い込まれるように背中の貝殻に入っていく。
 正義の白光は巨大な貝殻に直撃するや、焦げ跡すら残さずバチバチと弾け飛んだ。
 
 「破邪嚆矢!」
 
 黄色に発光する両手を頭上で重ねたユリアが、間髪入れずに必殺技の態勢に入る。
 シェルの禍禍しい姿をひとめ見た時から、少女戦士には背中の貝殻が高い防御力を保持しているであろう予測はついていた。心構えが完了していた武道天使は、慌てることなく最大威力の光矢を狙う。
 右腕を引く。両手を結んだ黄色の光が一直線にかかり、聖なる矢が完成する。前方に差し出した左手の先には、置物のように大地に坐している巨大な白い巻貝。
 幼少より訓練に明け暮れた柔術。その一部として習った弓道の腕は、にわか仕込みのスペシウム光線とはわけが違う。
 
 “これなら・・・どう?!”
 
 動かぬ標的に、轟音を伴って光の矢が発射される。
 
 ドンンンンッッッ!!!
 
 凛とした立ち振る舞いから放たれる、一筋の光。
 正義の嚆矢は、貝の中心に突き刺さるや、パリンという乾いた音を残して砕け散った。
 
 「そ・・・そんなッッ?!!」
 
 愕然とするユリアの肢体が、不測の事態に驚き揺れる。
 聖なるエネルギーを凝縮し、矢という力の加えやすい形状に込めた破邪嚆矢は、ユリアが放つ技のなかでは飛び抜けて威力の高い、文字通りの必殺技なのだ。それがこうも容易く、しかも完全に力負けして敗れるなんて・・・
 
 「フハハハ! 痛くも痒くもないわ! 今度はこちらの番だな」
 
 貝の中からゴツゴツとした筋肉質な肉体が一瞬で吐き出される。
 2本足で立ったヤドカリの怪物・シェルは、力の差を叩きつけるように大音響で笑い飛ばすや、重々しい外見を裏切る速度で、動揺する黄色の妖精に突進する。
 鈍器と化した三本爪の鋏が、ユリアの青い瞳に映る。
 互いの攻撃が届く射程距離内に、巨大なヤドカリが突入する。振りかぶる、凶悪な右腕。必殺技を完全に打ち破られ、衝撃に打ちのめされた天才柔術少女の反応は、わずかに遅れてしまった。
 
 フック気味に殴りかかってくる鋼鉄の右腕。
 兵頭の打撃は、すでにユリは把握済みだ。咄嗟の反応で鋭い鋏を捕えにいく。
 不意にヌメリ光る赤茶の肉体は、ユリアの視界から消失した。
 打撃は囮。本当の狙いは・・・タックル。
 瞬時に巻貝へと変態したシェルの巨体が、地を這って華奢な足元に襲いかかる。
 総合格闘家とヤドカリのキメラ。それは単なる偶然ではない、互いの長所を駆け合わせた、強者を創り出すための合体。
 高層ビルを豆腐のように貫く破邪嚆矢を、粉々に砕いた頑強な渦巻き貝殻が、総合格闘家のスピードとタイミングに乗って、ギュルギュルと回転しながら飛び込んでくる。
 
 モデルのような長く伸びた両足がズタズタに切り裂かれる・・・ひとやま越えた避難地から、正邪の戦闘を見守る人々が無惨な光景を覚悟したとき、銀の妖精は夏の夜空に高く舞いあがっていた。
 打撃のフェイント。超速度と、完全なタイミングによる凶器のタックル。常人ならまともに浴びずにいられない格闘コンボをかろうじてかわしたのは、天才と呼ばれる少女武道家ならではの神業。貝殻のドリルにかすった左足のブーツが破れ、つま先から血の霧が糸をひく。
 だが、さすがのユリアも直撃を避け、真上に飛翔するまでが精一杯であった。
 飛行能力を持たない銀と黄色の妖精が、重力に引かれて落下する。
 下に待つのは、唸りながら猛スピードで回転する白いドリル。
 懸命に肢体を捻る少女戦士の太股が、非情にも尖った貝殻の先に落ちていく。
 
 「きゃあああああああッッッ―――ッッッ?!!」
 
 ブシュウウウウウッッッ――ッッ!!!
 鈴のような少女の悲鳴と、血霞みが噴き上がる。
 辛うじて串刺しを免れたファントムガール・ユリアの左の太股が、貝に抉られて外側の肉を削り取られている。
 ゴロゴロと転がり距離を取る武道天使。左足を押さえたまま、脳天まで痺れるような鋭利な痛みに大地をもんどりうつ。伊豆の山間を揺らしながら、転がり悶える巨大少女。神聖な銀の肌は、みるみるうちに茶色に汚れていく。押さえた左足は深紅に染まり、黄色の指の隙間からプシューと勢いよく血泉が吹き出る。
 
 純粋に格闘家としての闘いならば、すでに西条ユリと兵頭英悟の間では決着はついているといってもいい。打撃も組み技も、兵頭の攻撃はユリにはもう通用しないだろう。まして“許可”を得た今のユリは、一撃で兵頭を仕留めることが可能なのだ。
 だが、ファントムガール・ユリアとシェルの闘いとなれば、情勢は大きく異なってくる。ヤドカリの能力と、ひとを破壊することに悦びを感じる兵頭の暗黒面とが、更なる強大な力を闇の「皇帝」に与えていた。
 
 「ああアッッ?!! あッ・・・足がッッ・・・ああアアッッ――ッッ!!」
 
 「キュオオオオオッッッ―――ッッッ!!! どうした、その程度で闘えないのかッ?! 天才柔術家も口ほどにもないな」
 
 「くうぅぅッッ・・・んああアアッッ・・・・・・」
 
 太股の肉を抉られた痛みに悶えるユリア。
 串刺しは免れたとはいえ、左足の大腿四頭筋にあたる部分を削がれてしまった傷口は、深く痛々しい。朱色の内肉を覗かすほどの傷は、年端のいかぬ少女には相当な苦痛であるはずだ。
 思わず四つん這いになり、可憐な妖精は逃げるように敵に背を向ける。
 
 「バカがッ! 死ねッ、ファントムガール・ユリア!」
 
 よろよろと這う無防備な背中に、カサにかかったシェルの破壊光線が照射される。
 三本指の鋏から放たれた極太のオレンジ熱線は、土に汚れたユリアの背中を直撃し、バチバチと音をたてて焼いた。
 
 「うあああああああッッッ――――ッッッ!!!!」
 
 折れ曲がらんばかりに反りあがる、武道天使のか細い肢体。
 二条の光線が、ピクピクと震える銀と黄色の背中を焼き続ける。
 焼きゴテでも押しつけられたかのような熱さに、逃げることすらできずユリアは叫び続ける。いっそ倒れてしまえば熱線を逃れられるはずなのに、ジュウジュウと皮膚を焦がす苦しみが筋肉を硬直させ、少女戦士の自由を奪ってしまっていた。オレンジの熱光線を浴びれば浴びるほど、あどけない守護天使は自分自身で背骨を反り曲がらせていく。
 
 「くああ・あ・あ・アアッッ・・・きゃあああああッッッ―――ッッッ!!!」
 
 「どうしたどうした?! 負けないのじゃなかったのか?!」
 
 「うううぅぅッッ!!・・・・・・んあああああッッッ―――ッッッ!!!」
 
 「所詮、小娘などオレの敵ではないわ! フフンッ、いい臭いがしてきたぞ。これはユリアが焼き肉になる臭いだな!」
 
 嘲るシェルに対して、武道天使はただ痙攣しながら絶叫することしか許されない。
 不意にオレンジの照射が止む。
 ぐったりと前のめりに倒れこむユリア。地響きが住民が避難したあとの宿泊地にまで届いてくる。簡単に壊れてしまいそうな細い背中の中央には、炭化した黒色と過熱による赤色とが巨大な円を描いている。神々しい銀の皮膚は焼け爛れ、ブスブスと白煙が立ち昇る。タイヤを焼いたような悪臭が、周囲一帯に充満し始めていた。
 
 「ううッッ・・・くうぅぅッッ・・・・・・あ・あアアッッ!!・・・・・・」
 
 消えない闘志を青い瞳に滾らせて、可憐な少女戦士は四肢を震わせながら立とうとする。
 トランスフォームした後のダメージは、変身解除すれば数十分の一に軽減されるとはいえ、今現在ユリアが感じている苦痛は相応のものだ。ましてこの闘いの前に、西条ユリは執拗なリンチにより激しく消耗させられていた。いかに姉の“許可”を得たとはいえ、体力が回復するわけではない。武道少女の限界はすぐ近くにまで迫っていた。
 それでも懸命に闘おうとする少女戦士。
 満足にいうことを聞かぬ身体を無理矢理動かし、うつ伏せに倒れた肢体を四つん這いの態勢にまで持っていく。
 
 すぐ背後に、赤茶色の処刑者は待機していた。
 震えながらなんとか四つん這いになったユリアを、もがく蝶を見る蜘蛛の眼で冷ややかに見下ろす。
 天才柔術家の実力を肌で知る男は、到来したチャンスを逃さぬよう、一気に銀色の妖精を破壊しにかかる。
 
 グワシャアアッッ!!
 
 ヤドカリの左鋏がユリアの左腕を挟み、右鋏が右の脇腹に食らいつく。
 
 「んんああッッッ!!!! うああああああッッッッ――――ッッッ!!!!」
 
 「フハハハハ! 貴様は終わりだ、ユリア!」
 
 破れた銀の皮膚から、鮮血が迸る。
 巨大な鋏を左腕と右脇腹に食い込ませた無惨な姿の守護天使が、満天下に見せつけられるように高々と掲げられる。ブンブンと首を振るたび、ユリアの緑色のおさげが切ないまでに揺れる。
 
 ベキベキベキッッ!!! ボキッ! グチャメチャバキバキッッ!!
 
 骨と肉と皮膚と筋肉組織を磨り潰す、壮絶な破壊音が夜の盆地に流れていく。
 
 「うぎゃああああああッッッ――――ッッッッ!!!! やめてぇぇぇッッッ~~~~ッッッ!!!! う、腕がアアああッッッ―――ッッ!! もッ、もげちゃいますぅぅぅッッッ~~~ッッッ!!!! わッ、脇腹があああァァッッ~~~ッッッ!!! くうううぅぅッッ、苦しいいィィィッッッ―――ッッッ!!!!」
 
 武道家の娘とはいえ、わずか15歳の少女。
 容赦ないヤドカリ魔獣の破壊に、たまらず悲鳴をあげたのを誰が責められよう。
 しかも、破壊欲に囚われたシェルの暴虐は、これだけに留まらなかった。
 
 「フハハハハ! そりゃそりゃあ! このまま3つに分断してくれようか?! 苦しめユリア! 苦しめッッ!!」
 
 「ふぎゃはああッッッ―――ッッッ!!!! んああああああッッッッ――――ッッッ!!!! ぐッ、グチャグチャになっちゃううぅうぅッッ~~~ッッッ!!!! 腕がああああッッッ―――ッッッ!!! やめてぇぇぇッッ・・・やめてくださいィィィッッ―――ッッッ!!!」
 
 狂ったように人形のような愛らしいマスクを振り続けるユリア。
 腕も脇腹も、鋭い激痛に襲われ、もはや感覚はほとんどない。華奢な少女の脳裏で、左腕を切り取られ、下半身から真っ二つにされた己の姿が思い浮かぶ。刻一刻と裁断していく三本爪の鋏が、少女戦士を死地へと追いやっていく。
 そして、破壊の皇帝は恐るべき次なる嗜虐を、幼い獲物に伝えた。
 
 「フフン、ユリアよ。このまま、燃やされるというのはどうだ?」
 
 「ッッッ!!!! やッッ、やめてエエエエッッッ~~~~ッッッ!!!! そッ、そんなあああアアアッッッ・・・あああああッッッ!!!」
 
 「フハーッハッハッハッハッ!! 食らえッ、ユリアッッ!!」
 
 細身の肢体にしっかりと食い込んだ凶悪な鋏から、ゼロ距離からのオレンジ熱戦が銀と黄色の妖精に直接叩きこまれる。
 
 「キャアアアアアアアアアアアアアッッッ―――――ッッッッ!!!!」
 
 炎に包まれた守護天使の、哀れな絶叫が黒い空に轟いた。
 
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