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「第八話 ユリ武伝 ~海棲の刺客~」

4章

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 キャイキャイとはしゃぐ子供達の歓声が、穏やかな波間を渡っていく。
 数分前の不穏な空気もどこへやら、切り換えの早い小さなギャングたちは、何事もなかったように海中を、砂浜を走り回っている。止めるものがいなければ、やりたい放題遊び回る彼らは、我が世の春を謳歌するごとく全身で自由を満喫している。
 
 「すいませんでした!」
 
 砂地に土下座し、額をこすりつけて頭をさげる3人の若者の前で、困惑した表情を見せるのは、西条剛史とユリ、それに小笠原卓也であった。
 掌を返したような殊勝な態度もさることながら、彼らの言う「お願い」が、想気流の幹部といっていい剛史たちを困らせている。
 
 「しかしお前ら、そんな勝手な言い分が、簡単に通ると思っているのか?」
 
 厳しい口調で問い掛けるのは、もっとも常識人である小笠原。
 
 「勝手なのはわかっています。でも、こうしてお願いするしかないんです!」
 
 頭をさげたまま訴える兼子の声は、いままでの不遜さとは一変し、切実さに溢れていた。突然の変貌ぶりに、ユリや小笠原が戸惑うのも無理はない。
 
 「その・・・兵頭というひとは、そんなに悪いひとなんですか?」
 
 父親に半分隠れた姿勢で、おずおずとユリは尋ねる。恥らう乙女の可憐さが、存分に滲んだ愛らしさだが、今の兼子たちにそれを楽しむ余裕はない。
 
 「あんたたちは当然知らないだろうけど・・・この伊豆で、オレらみたいな半端モノのなかじゃ知らない奴はいない悪党です。暴力、恐喝は当たり前、この辺のワルをみんなシメて、上納金を納めさせて君臨してやがる。病院送りになった野郎や、暴行された女のコもいっぱいいるって噂で・・・」
 
 「そういうのをやっつけるために格闘技を習ってるんじゃないのかね、カネコくん?」
 
 「そ、そりゃあ無理です」
 
 「なんで?」
 
 「だって兵頭さんは、オレたち“アタック”の総帥だから・・・」
 
 フーッと深い溜め息をついた剛史が、呆れ顔を浮べる。
 
 「強さを過信して暴走するボスに、子分どもがついていけなくなった、ってえ訳かい」
 
 「昔はあんなふうじゃなかった・・・けど今の兵頭さんは、止める奴がいないから、まさしくやりたい放題なんです。誰かがなんとかしないと。でも、メチャメヤ強いあのひとに、オレらなんかじゃ敵うわけなくて・・・」
 
 「で、ユリに一肌脱がせようってか」
 
 美少女の眉が、八の字に垂れる。哀しげな表情を、ユリは見せた。
 
 「無茶苦茶なのはよくわかってます! だけど、あいつのせいで、多くの人間が泣いてるんです。警察はオレらみたいなワルは助けてくれないし。合宿に来ている道場に、凄い天才がいるって聞いたから・・・俺らが頼れるのは、他にいないんです!」
 
 「だからって、なにも関係ないユリさんを、危険な相手と闘わせようっていうのか?」
 
 小笠原の発言は、至極真っ当な意見と言えた。試合を挑むという、賛同しかねる方法を取ってきた相手に、真面目さがウリの公務員は、できる限り冷静に対応するよう心掛けていた。それでも、いや、仮に同情を寄せたとしても、ユリを闘いに貸し出すなどという答えは出るわけがなかった。
 合宿に突如乱入し、ユリの身を賭けて勝負を挑んできた不良少年たち。完敗した彼らが語ったのは、助けて欲しいという、意外なことばだった。全てはユリの力を借りたいがため、仕方なく取った方法だという彼らの言い分を、3人の柔術家はどう受けとっていいものやら、思案に暮れるほかなかった。
 
 「実際に試合してみて、ユリさんが物凄く強いことはよくわかりました。あの兵頭さんに勝てるのは、ユリさんしかいません! お願いだから力を貸してください!」
 
 「・・・でも・・・合宿は今日までで・・・帰らないと・・・」
 
 もごもごと口篭もりながら、内気な少女は呟く。
 背後の娘をチラリと覗き見ながら、想気流柔術の師範は心の底を見透かしたようにニンマリ笑う。
 
 「ふむ。どうやらユリは、やる気になっているようだな」
 
 「え?!」
 
 驚愕の声をあげたのは、当人のユリではなく、隣りに立つ小笠原だった。
 武道少女は頬を薄く染め、恥かしげに視線を落としてさ迷わせている。
 
 「困っていると聞いては、断われんか。まあ、悪党退治もいい修行になるかもしれんなあ」
 
 「せ、先生! まさか・・・」
 
 「よかろう。ユリ、いっちょカネコくんに力を貸してやりなさい」
 
 土下座していた3人が、一斉に顔をあげる。
 
 「で、でも・・・合宿は終わったから・・・」
 
 「細かいことは気にするなぁ。1日ぐらい余分に泊まっていけい。それぐらいの金は出すぞ」
 
 密かに宿泊のことを心配していたユリは、少し考えたあとで意を決したように言う。
 
 「・・・じゃあ・・・私で・・・よかったら・・・」
 
 立ちあがった3人の若者が、歓声をあげて抱き合う。
 大喜びではしゃぎまわる少年たち。勢い余ってユリに抱きつこうとする彼らを、あからさまに不機嫌な小笠原が牽制する。
 
 「先生、いいんですか?! ボクらは今日帰らないといけないんですよ。ユリさんひとり残して、しかも得体の知れない輩と闘わせるなんて・・・」
 
 「まあ、ひとりくらい世話役を残すさあ。ユリもやることやったら、1日ここで遊べるんだ。オレからのちょっとした娘孝行ってとこだ」
 
 界隈随一の悪党と闘わせる娘孝行などあるものか。
 心の中で毒づきながら、真面目な青年はいまだ掴みきれない師匠に食い下がる。
 
 「もしユリさんが、その兵頭って男に負けたらどうするんです? 相当危険な人物のようじゃないですか」
 
 「負けたら負けたときよ」
 
 「そんな気楽な・・・ユリさんはまだ高校1年生なんですよ。しかも、この可愛らしさだ、野蛮な男がそのまま放っておくと思いますか? ただ負けました、じゃ済まされないんですよ!」
 
 「ったく、うるさいなあ。本人がやる気なんだから、しょうがあるめえよ」
 
 「ユリさん、嫌なら嫌といっていいんですよ! もともとユリさんとは無関係なんだから」
 
 白いビキニに包まれたスレンダーな肢体を、まだどことなく恥かしげにすくめていた可憐な少女は、急に屹然とした視線で傍らの同門生を見詰める。
 
 「小笠原さん・・・そんな、無関係だなんて、言わないでください」
 
 大人しいユリにしては強めの口調に、10歳年上の公務員はたじろいだ様子を見せる。
 
 「私たちと同じように武術を学ぶひとが、困っているんです・・・私で役に立てるなら、嬉しいです」
 
 内気で大人しく、時として霞みのように弱々しく映ることすらある少女・ユリ。
 天才と呼ばれる武道少女の内側に、燃え上がる闘志の炎と強い意志を、小笠原は確かに見た。
 
 「兵頭というひとは・・・私が倒します」
 
 想気流柔術、次期正当後継者西条ユリ。
 その私闘の火蓋は、いま静かに切って落とされた。
 
 
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