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「第二話 魔人集結 ~魔性の両輪~」
21章
しおりを挟むゆったりとした足取りで、大地を揺らしながら巨大ネズミがいまだ立ち上がれないナナへと歩を進める。顔に浮ぶのは、ファントムガールを串刺した時と同じ、残忍な笑み。ネズミの脳裏にナナの絶叫が心地よくリフレインする。
“う、うそ・・・・・やめて、こないで・・・・・・・もう、許して・・・・”
いたぶられた記憶に恐怖する、ナナ。
苛烈な拷問に屈しかけた少女の顔に、絶望の色が浮びあがる。
「!!!」
横たわったナナの視線が、離れた場所からこちらを覗くシヴァの視線とぶつかる。
明らかな軽蔑のまなざし。
そして、水色の唇が大きく吊りあがり、哄笑する。
“わ、私が、どんな顔をするのか、見ていた・・・・・・私が絶望する顔を、見ようとしていたんだ・・・・・・”
バカに、している。
悔しい! 悔しいッ!! 悔しいィィッッッ!!!
いつでも、どこでも、この女は私を蔑んできた。そして、いいように私は弄ばれた。ついには、里美さんまでもがこの女の毒牙にかかってしまった。
絶ッッ対にッッッ!! この女、シヴァ・・・いや、片倉響子には負けたくないッッ!!! なんとしても、私のこの手で倒したいッッ!!
動けないはずのナナの両腕がピクンピクンと震える。脱力した身体に、マグマのように力がドンドンと沸き立ってくる。
ナナの怒りが精神を越え、肉体に力を与えていた。この窮地を救うのは、私しかいないという使命感が、聖なる熱き息吹を吹きこんでくる。
だが、嘲笑うような現実が、ナナを押し潰そうとする。
立ちあがりかけたナナに気付いた巨獣が、素早く獲物に近付き、その右胸のあたりに巨大な前歯を突き立てる。
「ぐがあああああッッッ――――ッッ!!!」
ナナの苦悶が繁華街に漂う。今度噛まれているのは、豊満な胸の膨らみ。柔肌に杭を打たれて、少女の苦痛は最高潮に達した。眼の光にこそ、力はあるが、精神力で支えるにも限界はある。バタバタと足を泳がすナナの苦しみは、それを与える巨獣に最も伝わっていた。
「グロロロロ! 無駄だァ、小娘! このまま、乳房を食い千切ってやるわ!」
勝ち誇る、キメラ・ミュータント。
しかし、新たな“変化”が起ころうとしていた。
「?? なに、これは・・・・・・霧??」
愉快そうにナナとアルジャの闘いを見つめていたシヴァが、“変化”に気付く。夜目にも鮮やかな、ピンク色の霧が、彼女の周辺を取り巻いていた。自然現象であるわけがない、その霧は、凄まじい勢いで濃度を増していき、魔女の視界を奪っていく。
「秘術・・・・・・桜霞み・・・・・・・・」
声の主は、失神したはずのファントムガール!
少女が崩れていた場所に妖糸をとばすシヴァ。すでに眼では確認できなくなったそこには、誰もいないことが、手応えのない糸の感覚でわかる。
「そういえば、あなたはナナと違って、死んだふりが得意だったわね。そういうしたたかさ、嫌いじゃないわ」
喋る間にも、ピンクの霧はますます濃くなる。繁華街の一角に桃色の空間が沸き、なんびとの視線も拒絶する。中に飲みこまれたシヴァの視界は、わずかな先も見えないほどになっていた。
水色のミュータントは落ちついていた。その美貌に揺るぎはない。霧の成分を冷静に探る。生物学者が正体の怪物は、毒についても詳しい。この霧は・・・毒ではない。この霧の正体は・・・・・・
「血ね。滝のように流れた自分の血を使って、霧を発生してるってわけね。どうやら、目隠しのつもりらしいけど、それで私に勝てるかしら?」
シヴァの挑発に、応える声はない。今いる場所を知られたくないというのもあろうが、喋る体力すら惜しいというのが、正直なところだろう。
“ふふふ・・・なかなか楽しませてくれるわね。けれど、何をしても無駄よ。すでに糸を周囲に張り巡らせてある。あなたがどんな技をしかけてこようが、糸がその軌道を知らせてくれるわ。瀕死のあなたでは私に触れることすらできないのよ”
「ファントム・リングッ!!」
再び霧の彼方から、ファントムガールの声。
白銀に輝いているはずのフープは、光の欠片すら、シヴァには届いてこない。
初めてファントムガールが現れた時、鶏型のミュータントを葬ったのが、このファントム・リングだった。一撃で巨大生命体を真っ二つにしたその切れ味で、シヴァを倒そうというのだろう。だが、どこから飛んできても、シヴァには避ける自信がある。
ブンッッ・・・という空を裂く音。リングが投げられた!
高速回転し、シヴァに突き進むリング。
ひょいっと右に身を傾け、やすやすと光の輪をかわしたシヴァが叫ぶ。
「アルジャ! ファントムガールのリングがあなたを狙っているわ! 避けなさい!」
声に反応した巨獣が、青い戦士を咥えたまま、左に素早く跳ぶ。背中から襲ってきた光のリングは、ネズミのいた場所をすり抜け飛んでいく。
「いい狙いよ、ファントムガール! 私に当てると見せて、後ろのアルジャを狙うとはね! 確かにアルジャは背中を向けてるから、こちらの様子はわかっていない。でも、リングの軌道は私には手に取るようにわかるのよ」
ファントム・リングはシヴァではなく、ナナを苛めることに没頭している巨獣を狙ったのだ。シヴァに向かったのは、いわばフェイク。だが、その軌道の微妙なズレを、糸を通して魔女は感知したのだった。
「遊びはおしまいよ、ファントムガール! あなたの手は尽きたわ」
「ナナちゃん!! そいつの左足を蹴って!!」
ファントムガールの絶叫が爆発する。普段は大人しい里美の、祈りを込めるような叫び。
弾かれたようにナナが動く。唯一まともな右足で、渾身の力で巨獣の左足を蹴る!
ボキリという奇妙な音をたて、曲がる左足。
ナナの一撃で、巨大ネズミの足が折れる!
悲鳴を挙げるアルジャ。前歯が抜け、噛みつきから逃れたナナが、アスファルトの大地に落ちていく。
落ちるナナの背中越しに現れたのは―――
過ぎ去ったはずの、ファントム・リング!!
「ぷぎえええええッッッッ!!!!!」
ザクンッッ!!!・・・・切断音と、ネズミの絶叫の中、宙高く飛ぶ、巨獣の右腕。
恐るべき敏捷性で身をよじったアルジャの右腕を、ファントム・リングが切断した。
七菜江は気付く。
アルジャの正体、武志が、工藤吼介に左足を折られていたことを。
ネズミという、もうひとつの融合体があるためにわかりにくかったが、アルジャの左足もすでに崩壊していたのだ。その証拠に、超速度をだすためには、四つん這いにならないといけないのだ。
決して万全でないナナのキックで容易く足が折れたのは、そのためだ。トランス前の怪我が響くのは、ファントムガールもミュータントも変わらない――
そして、リングが初め外れたのも、里美の計算通りだったに違いない。
シヴァが軌道を読むことを、里美はわかっていた。だから、最初にリングを避けさせ、帰ってくるところに賭けたのだ。新体操オリンピック強化選手の里美にとって、フープを自在に操るのは、手慣れた作業だ。
もちろん、一歩間違えば、攻撃が当たらないどころか、ナナを切ってしまう可能性もある、危うい戦術。だが、ファントムガールはそれに賭けた。ナナが必ずや蘇生し、巨獣の戒めから脱出することに。ナナの消えてはいない闘志に。
そして、賭けは成功した。
「今よ、ナナ!! 『スラム・ショット』をッッ!!」
血の霧は晴れかけていた。叫びをあげる銀色の肢体がうっすらと朧となって現れる。と同時に、視界を失っていたシヴァが、形勢が逆転した現状を一目で悟る。
ナナの丸みを帯びた隆起を、食い千切らんばかりだった巨獣の右腕は、乗り捨てられた自動車の列に丸ごと落ち、切り株のような左足はくの字に折れ曲がっている。片腕片足を失った痛みに、動物の本能を晒して喚き狂う、巨大ネズミ。空間を掻き乱し、かつてない刺激に踊り苦しむ。
その足元に倒れる青の少女戦士は、死に体であったはずの肉体を、気力で奮い立たせる。引き裂かれた両腕を、頭上に高く上げる。その掌に、凄まじい勢いで光が渦を巻いて集まる。ハンドボール大の熱球が、今、完成しようとする。
なぜ、こんな状況が起こっているのか?? 考えるより先に、天才学者の頭脳は最優先ですべき行動を選択していた。
「ナナ!! あなたが殺そうとしているものの正体は、人間なのよ!! あなたにヒトが殺せるかしら?!!」
動揺作戦。これがハマる。
ビクリと肩を動かしたナナの光球が、一瞬、その活動を停止する。
その一瞬が明暗を分ける。狂ったネズミの尖った口から、闇の破壊光が発射される。ナナの隆起の中央、活動エネルギーが貯蓄された青く光る水晶体に、直撃する!
最大の弱点に、最悪の光線を受けた少女戦士の苦痛は凄まじい。
「わあああああああ―――――ッッッッ!!!!」
喉が破れんばかりの絶叫とともに、掌の太陽が霧散する。最高の決定機を逃したナナは、魂が削られるような極痛の海に、溺れかかって身悶えする。
初めて水晶体、エナジークリスタルを攻撃された七菜江の苦痛は激しい。まるで身体中に巻かれた有刺鉄線を牛馬に八方から思いきり引かれるような、痛み。全身を千切られそうな酷い仕打ちに、大地を転がり回る青い守護天使。
巨獣が距離を取る。もはや人間性を失い、吼え狂ったネズミが獲物へのトドメを狙う。鋭利な前歯が立てられ、黄色く光っていく。三本になった手足で四つん這いになる。ターゲットは胸のクリスタル。そこをミサイルで串刺しに図る。
呻きながら、雑居ビルを杖にして、ブルブルと立ちあがるナナ。誰の目にも、それは処刑を甘受しようとしているように映る。
「ナナちゃん、そいつはもう人間じゃあないわ!! 悪魔になった彼を、あなたが救ってあげて!!」
ファントムガールの絶叫。
巨獣が駆ける。超速度で。
ふたつの手足を無くしても、十分なスピードで、瀕死の少女に突撃する。槍の砲弾。
土煙。轟音。亀裂。突進。巨獣。黄色の刃。突進。咆哮。突進。突進。青の戦士。土煙。突進。突進。突進!!
その刃が、クリスタルを砕く瞬間―――
青いグローブが、ネズミの尖った顔を支える。
高熱をもった前歯が、水晶体に届く寸前、アルジャの顔に伸ばした両腕を力強く伸ばすナナ。槍の直撃を、腕を支えにすることで避けたのだ!
ラグビーの上級者は、飛んでくるタックルを腕の力によって避けるというが、ナナが見せたのは、それと同じ動きだ。
だが、もちろん巨体の、それも超速度の力学的エネルギーを、穴だらけの腕で吸収できるわけはない。吸収しようとすれば、腕はもぎ取られただろう。
凄まじい量の力学的エネルギーは、そのままナナの身体に渡され、恐るべきスピードで遥か宙空に飛んでいく。
「オホホホ! 無駄な足掻きね! いくら直撃を防いだつもりでも、衝突の威力はあなたにそのまま・・・・・・・ッッッ!!!」
違う。
ナナの計算通り。
地面と平行に吹っ飛んでいくナナの頭上に光る白球。
衝撃を受けたのは、飛ばされるため。必殺の光球を造る時間を得るため。
マッハの速度で弾け飛ぶナナの掌に、完成した光の砲弾がうねりをあげる。
巨獣が吼える。全てを悟り、光球が放たれる前にトドメを刺すべく、再び超速度で駆けようとする。
「スラム・ショットッッ!!!」
光の迫撃砲が巨獣を撃つ!!
爆発する光。白い世界が夜の街を切り裂く。
爆散した巨獣の肉片が、聖なる渦に飲まれて蒸発していく。
ネズミと人間のキメラ・ミュータントを、細胞の欠片すら残さず滅殺した勝者は、勝利の余韻に浸る間もなく、巨大なビルの固まりに弾丸となって突っ込んでいく。
崩れる瓦礫が、死闘終了の鐘を鳴らす。
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