27 / 248
「第二話 魔人集結 ~魔性の両輪~」
16章
しおりを挟む六月を過ぎると、陽が落ちるのが随分と遅くなる。
七時を回って闇が世界のほとんどを支配していたが、太陽の残滓が、そこここに転がっている感じ。閑静な住宅街にも、歩く人々の影がポツポツと残っている。
「吼介先輩、私、歩くからもういいよ? 疲れたでしょ?」
人通りの少ない道路で、その姿はやはり目立った。制服では隠せない屈強な肉体の大男が、セーラー服の女子高生をおんぶしている。しかも女子高生は、額・首・手首・左足と露出している肌のほとんどを包帯でまかれ、残った部分もガーゼなどが貼られた、傷だらけの身体。通りすがる人皆が、振りかえるのも無理はなかった。
「あほ。そんなこと言って、ベッドから立てなかったのはどこのどいつだ? できないことを言うんじゃねーの」
開襟シャツから、膨らんだ胸筋が覗く。背中の荷物などないような涼しい顔で、工藤吼介は傷だらけの少女・藤木七菜江をたしなめる。幼馴染に頼まれて、家まで送っていく道程だ。
「でも・・・恥ずかしいんだもん・・・」
「誰も見ちゃいねーよ」
すれ違ったサラリーマン風のハゲオヤジが、ギョッとして立ち止まる。そのまま肩幅の広い背中と、包帯まみれのセーラーを見送る。少女の青いスカートが短くて、思わず視線が釘突けになってしまう。
しばらくふたりは無言で進む。時々聞こえる蛙の鳴き声が、梅雨の到来を教える。上流家庭が多く住む地域だけに、元々往来は激しくない。気が付けば、街路灯に照らされる影は、七菜江と吼介だけになった。
吼介の背中に、ギュッと圧力が懸かってくる。
「どうした? 痛むのか?」
七菜江の豊かな固まりが、発達した背筋に押し潰される。不意に少女はしがみつく力を強めてきた。
「んーん。・・・・そうじゃないけど・・・・先輩の背中って、ゴツゴツしてるなぁって。ここになんか入ってるみたい・・・・・・」
筋肉の動く感触を、七菜江は身体の前面いっぱいに感じ取ろうとする。逆三角形の背は、盛り上がった筋肉で凸凹していた。特に肩甲骨の下にある菱形筋と広背筋が異様に発達し、ソフトボールがふたつ、埋まっているほどに膨らんでいる。
「ああ・・・正拳打ってたら、肉ついたんだよ。人を背負うには、イマイチの背中だよな」
「・・・大丈夫、けっこう居心地いいよ・・・」
広い肩に包帯で覆われた顔を埋める。ズキズキと疼く痛みは一向に去ってくれないが、伝わってくる体温が、暖かく沁みこんでくる。
“今日は最低の一日だったから・・・ちょっとは甘えても、いいよね?”
キュッと太い首に回した腕に、力をこめる。
五十嵐里美の家が近付くのを感じる一方で、もう少し、ゆっくり歩いてくれたらと思う心がある。
「しばらくは学校休んでしっかり直せよ。最近は宇宙生物だ、なんだって出やがるおかげで、補講が増えたからな。勉強はなんとかなるだろ」
「うん」
「あの豹女は、オレが潰してやる」
「ッッ!!・・・そんな、いいですよ、そんなことしなくて!! ていうか、絶ッ対ッにやめてくださいッッ!!」
思わず顔をあげ、七菜江は興奮した口調で吼介を制御する。いくら吼介が並外れた力の持ち主でも、ミュータントの可能性の高い神崎ちゆりと事を構えるのは、危険すぎる。ちゆりのバックには、メフェレスという悪魔も潜んでいるのだ。仇を取ろうとしてくれる気持ちは嬉しかったが、強くても一般人の吼介を、これ以上巻きこむわけにはいかない。
「そうか、わかったよ」
「ごめんなさい、声を荒げて・・・でも、もうあの女とは関わって欲しくないんです・・・」
そう、あの女は私が倒さねばならない相手なのだ。
神崎ちゆりと、片倉響子。
この、メフェレスと繋がるふたりの魔女にいたぶられた、苦い記憶が蘇る。
全力を出せないとか、薬を飲まされたとか、そんな状況や理由はさておいて、結果として残ったのは、悪魔の化身・メフェレスの仲間に、ファントムガールである自分が、ボロボロに蹂躙されたという事実。
闇世界の支配者だろうが、天才学者だろうが、この強大な敵を打ち破らねばならないのだ。
“もしかして、私はこの闘いで死ぬかもしれない。・・・実際、今日、何度殺されかけたか・・・”
ファントムガール・ナナとなって、1週間足らず。初めて藤木七菜江の意識に、死というものが実感を伴って入りこんでくる。
七菜江も里美も、いつ死んでもおかしくない世界に足を踏み入れているのだ。わずか17にして、この世界を守る使命を背負って。
里美とともに歩むことを決めたこの道に、後悔などはなかったが、それでも普通の女のコとしての願望は常にある。クラスメイトと買い物したり、部活の帰りにパフェ食べたり、ボーイフレンドとデートしたり・・・したい。
こうやって、吼介と話すのも、今日が最期になるかもしれない。
そう思ったら、この時間が抱き締めたいほど愛しくて、切なくて、たまらなくなる。
再び包帯に包まれた小さな顔を、吼介の背中に押しつける。
熱い、湿った感覚が、シャツ越しに背筋に伝わる。
「・・・・・・痛むか?」
「・・・・・・・違います・・・・・でも、もう少し・・・・・このままいさせてください・・・・・・・・」
街路灯の下に、少女を背負った影が、長く伸びる。
白い開襟シャツの背中に、透明な染みが広がる。
風が吹く。ふたりは無言でいた。
黄色の羽を持った蛾が、光に誘われ無軌道に飛んでいる。時々蛍光灯に当たったり、支柱に止まったり。やがて飽きたように、またフラフラとさ迷い飛んでいく。
シャツの染みは、すっかり乾いていた。
「・・・・・・吼介先輩・・・」
「ん?」
「私、先輩のものじゃあ、ないです」
「なんだよ、聞いてたのか」
「聞こえちゃったんです」
「あん時ゃ、ああいった方がハッタリ効くだろ?」
「・・・・・・そう、ですよね・・・・先輩は他に好きな人、いるもんね・・・」
「・・・里美なら、幼馴染だからな」
「嘘だ」
「嘘じゃない、オレはお前には嘘をつかん」
「でも・・・・・見ちゃったもん・・・・里美さんと先輩が・・・・・・・キスしてるとこ」
自転車が通りすぎる。スーツ姿のOLが、街路灯の下で佇む、包帯に包まれた青いセーラー服を背負う学生に、視線を飛ばす。別れ話かしら? その割には不自然な状況に、一瞥した眼を元に戻す。若いっていいわよね。カラカラと回る車輪の音が、ふたりを残して遠ざかっていく。
「そうか」
「ふたりが単なる幼馴染なわけ、ないもん・・・・・なんで、そんな嘘つくの? ツライよ・・・・・・ツライよ・・・・・・」
「・・・・・・・・」
「お願いだから、ホントのこと言って・・・このままじゃ、ふたりともキライになっちゃいそうだよ・・・」
「・・・・・・里美のことは、好きだ」
「・・・・・・・・・・」
「だが、それは有り得ないことなんだ」
「・・・・・・・どういうことですか?」
「オレからは言えない。だが、信じろ、七菜江。お前に嘘はつかない」
同じセリフを吼介は繰り返した。
「でも・・・・・・」
「お前と里美は特別なんだ。ふたりとも好きだが・・・愛しているのはひとりだけだ」
ドクンッッッ!!!
巨大な矢が、七菜江の心臓を射る。
火照った身体を沸騰した血液が駆け巡る。高まる鼓動が、背中越しに吼介に聞こえてしまいそうだ。
頬が、桜色に染まってるのが、自分でもよくわかる。
“な、なに・・・これ・・・・・これは告白と取っていいの? それとも・・・・・・”
ドキドキと脈打つ心臓の音だけが、異様に響く。
ビイーーン、ビイーーン、ビイーーン・・・・
静寂をやぶる高音のサイレン。それは、緊急危機管理対策本部が取りつけたスピーカーから、洪水となって高級住宅地全体に流れていく。寝起きの枕元で、ハードロックの生演奏をされるような、けたたましい叫び。
“こんなときになんなのよ!! くっそォ――ッ、ミュータントめぇ! もっとタイミングを考えてよッ!!”
サイレンの鳴り方から、この周囲が第二種警戒区域、つまりミュータント(一般の人には、宇宙生物で名が通っているが)が現れた現場から10kmから100km離れた、“要警戒”区域に相当することがわかる。速やかに準備を進め、指定された避難場所へ行かなければならない。
もちろん、七菜江の場合、逃げるより、やらねばならないことがあったが。
「吼介先輩ッ、ごめんなさいッッ!! 急いで里美さんのお屋敷へ行ってくださいッッ!!」
七菜江の懇願より先に、工藤吼介の足は動いていた。本来の役目を、忘れてなどいない、と言わんばかりに。
この地方一帯で、最も栄えた繁華街。
夜ともなると蛍光色のネオンが溢れ、酒の臭いと、女の嬌声、そして酔っ払いたちの反吐の酸味が、彩りを加える。
隣接するオフィス街には、高層ビルが立ち並ぶ。定規で測ったように、同じような高さでズラリ並んだビル群の中に、100mを越える超高層ビルもいくつか点在している。
半分以上の窓に灯った光の中に、ネクタイを締めたままのサラリーマンの姿がチラチラ映る。残業に心砕く彼らは、夜景に浮ぶネオンを恋しく見つめる。最近、御無沙汰だなぁ、と。
しかし、今の街にはそんな日常の光景はなかった。
サラリーマンも娼婦も、我先にと逃げる。車道も歩道も人でいっぱいになり、詰まった道をこじ開けて逃げていく。車の上を走る者、ケンカを始める者・・・転んでしまった何人かが、その後に押し寄せる人の波に踏みつけられ、内臓を破裂させた骸を曝け出している。
ビルの合間に垣間見える、茶色の巨大な影。それが非日常を運んできた張本人。
闇より暗い漆黒が、天から降ってきたと思うと、それは瞬く間に、轟音とともに巨大生物に形を成したのだ。
鳴り響くサイレン。運悪く、怪物の降り立った目の前にいた、帰宅途中のOLが、最初の犠牲者となった。眼を見開いた彼女の身体は、足首より先だけ残して、あっという間に食べられた。
怪物が右手を振る。速い! 巨大生物独特のゆっくりとした動作がまるでない。ボクサーがそのまま大きくなったような動き。
その右腕の一撃で、ビルがまるごと爆発する。
技を使ったわけではない、単純なパンチの威力に依るものだ。衝撃の伝わるパンチだからこそ、飛んだりせずに、ビルは粉々になる。
ビルが崩れたおかげで、怪物の全体像が明らかになる。
全身を茶色の体毛で覆われた体は、動物であることを強く認識させる。
特徴的なのは、その歯。顔全体が細長く尖り、その先に鍬のような巨大な歯がふたつ生えている。人間の眉に当たる部分の骨が発達して飛び出していたが、その奥に光るのは、赤くて、朝顔の種みたいな小さな眼。それらの特徴はネズミを想起させるのに十分だったが、その割には体つきは人間によく似ていた。
まず怪物は二本足で立っていた。人間と比べると、足が異常に太いが、それでも二本足で立つ姿勢に、違和感はない。そして、バランスよくついた筋肉。胸や腕の筋肉は明らかに浮びあがっている。奇妙なのは、拳の大きさ。顔よりも遥かにデカイ。まるで壷を持っているかのよう。指にはサザエの殻のようなトゲトゲが付いており、拳を握ると、その先端に鋭利な爪が無数に伸びているように見える。
ネズミと人間が合体したような・・・それが巨大生物の印象だった。
巨大ネズミが、その凶悪な左手を振るう。
手には逃げ遅れた人々が数人、捕まっている。
なにか喚いている食糧を、ネズミは躊躇なく口に運ぶ。
骨と肉の砕ける音が、阿鼻叫喚の地獄と化した繁華街に木霊する。
ジュルジュルと血を飲み干す音。
前歯の隙間から、食い残した女の手首が落ちてくる。赤いマニキュアが毒々しい。
「ガハハハハ! うまい! うまいぞォ!! 人間がこんなにうまいものとは知らなかった!!」
ネズミが発する人間のことば! 巨大生物が喋るのはこれで2度目だ。前回のメフェレスは、ファントムガールをとことん苦しめた、恐るべき敵だった。ということは、この敵も?? しかし、逃げ惑う人々にそこまで考える余裕はない。とにかく生きてこの場を離れることが全てだ。怪物が喋ったことで、ただ恐怖のポイントがひとつ増えただけ。
「すばらしい・・・すばらしい力だ!! 与えてくれて感謝するぞォッッ!! これでオレは神になるのだ!!」
巨大獣が吼える。その震動でビルのガラスが一斉に割れ、瀑布となってアスファルトの大地に落ちていく。小さな、下等生物の悲鳴が、ガラスの砕ける美しい音色に溶けていく。
超高層ビルの屋上から、怪物の暴れっぷリを眺めていた女が、満足げに腰まである長い髪を掻きあげる。
「ふふふ・・・存分に暴れるがいいわ。子猫ちゃんをおびき出すために・・・ね」
創られたような美貌が、微笑む。
そんな彼女の声とは無関係に、ネズミ型の巨大生物は、己の欲望と復讐を満たすべく、吼え続ける。
「まずは工藤吼介ぇぇッッ!! どこにいるッッ!! 貴様を殺すのが、オレが神になる第一歩だ!! 腹わたから食い尽くしてやるぅぅッッ!! どこだぁッ!? どこにいるのだあッッ!!?」
0
お気に入りに追加
15
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話
矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」
「あら、いいのかしら」
夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……?
微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。
※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。
※小説家になろうでも同内容で投稿しています。
※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。
令嬢の名門女学校で、パンツを初めて履くことになりました
フルーツパフェ
大衆娯楽
とある事件を受けて、財閥のご令嬢が数多く通う女学校で校則が改訂された。
曰く、全校生徒はパンツを履くこと。
生徒の安全を確保するための善意で制定されたこの校則だが、学校側の意図に反して事態は思わぬ方向に?
史実上の事件を元に描かれた近代歴史小説。
【R-18】クリしつけ
蛙鳴蝉噪
恋愛
男尊女卑な社会で女の子がクリトリスを使って淫らに教育されていく日常の一コマ。クリ責め。クリリード。なんでもありでアブノーマルな内容なので、精神ともに18歳以上でなんでも許せる方のみどうぞ。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる