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56、二択
しおりを挟む美女がいるには、不似合いな場所だった。
悪臭漂う、地下下水道。中央の緩やかな水流には、ゴミや異物がぷかぷかと浮かんでいるのが見える。一定間隔で設置されたわずかな照明でも、眼が利く乙女は見たくないものまで見えてしまう。
薄闇のなか、美女は側道を走っていた。
長い時間走り続けているにも関わらず、息ひとつ切れていなかった。元々持久力には、自信がないわけではない。胸のロザリオにオメガ粒子を貯蔵した状態であっても、このスピードなら1日中走っても問題なかった。
病院を飛び出して以来、四乃宮天音は休むことなく甲斐凛香の姿を探し続けていた。
卵型の輪郭に、神が配したとしか思えぬバランスで目鼻が整っている。大きく、やや切れ上がった魅惑のアーモンドアイ。高い鼻梁と厚めの唇。ほとんどメイクを施していないのに、真珠のように肌が輝いていた。セミロングの漆黒の髪が、24歳の乙女をより大人びて魅せている。
白の半袖ブラウスにピンクのフレアスカートをあわせたコーデは、決して動きやすいとは言い難い。だが、変身前のオメガヴィーナスにすれば、大した問題にはならなかった。華やかで、かつ落ち着いた雰囲気もあるファッションは、天音の内面を映し出したかのようだ。容姿は似ていても、妹の郁美ならまず選ばないセンスだろう。
異性も同性も憧れる、綺麗なお姉さん。その理想を形にしたのが、四乃宮天音という美乙女であった。
しかし、本来は春の木漏れ日のようにあたたかな淑女の胸には、今現在、言い知れぬ不安と焦りが渦巻いている。
「凛香さんがここで敵と遭遇したのは・・・間違いないわ」
地下下水道をゆく天音には、確信があった。
根拠はニオイ。コンクリートの焦げる臭いが、確かに地下から昇っていた。街を走る天音が嗅ぎ分けたのだ。よほどの高熱が発生した証拠だろう。
紅蓮の炎天使が闘ったと考えるのは、ごく自然な推理だった。しかもこれだけ大出力の炎を駆使したならば、相手もかなりの強敵である可能性が高い。
「壁が焦げている・・・それも広範囲に。やはり凛香さんは・・・」
嫌な予感を現実として受け入れるよう、覚悟したその時。
聞き覚えのあるピアノ曲が、電子音に乗って流れてきた。
「ッ! ・・・ショパン作曲・・・『練習曲10第3番』・・・」
通称・別れの曲。
音の方向に一気に疾走した天音は、トンネルの壁に掛けられたスマートフォンを見つけた。
甲斐凛香のスマホだった。壁には一緒に、地図が貼り付けられている。
呼び出しの相手先は『非通知番号』と示されていた。躊躇うことなく、天音は画面の『通話』をタッチする。
「最近の妖化屍は、随分と凝ったことをするのね」
怒りを抑え、美しき破妖師はそれだけを口にした。
『・・・ヒョッヒョッヒョッ・・・久しぶりじゃのう、白銀の光女神』
忘れもしない嗄れ声が、スマホの向こうから届く。
「よく声だけで、私とわかったわね。地獄妖・〝百識”の骸頭」
『当然じゃ。憎きヌシの声はすぐにわかるわ。なにより、この電話に出るのはオメガヴィーナスしかおるまいて。フェニックスもセイレーンも敗れた今はのう』
カラカラと挑発的な嗤いを、唇を噛んで天音は聞き流す。
究極の破妖師であるオメガスレイヤーが、天音以外にもまだ存在することを骸頭は知っているはずだった。まして元『水辺の者』である〝輔星”の翠蓮が、その配下にいるのだ。白銀の光女神を頂点とし、『五天使』と呼ばれる超戦士がいることは当然耳に入っていよう。
と同時に、リーダー格のオメガフェアリーたちが関東以外の地域に派遣されていることも、とっくに教えられているだろう。
東京に集結している六道妖にとって、目下の敵はオメガヴィーナスただひとりだった。だからこそ、この機に最強の光女神を葬るつもりなのだ。
「・・・凛香さんを、どうするつもりなの?」
『ヒョヒョッヒョッ・・・オメガヴィーナスよ。気になるのはオメガフェニックスだけかな? もうひとり、ヌシにとって大事な存在がおるじゃろう?』
指摘されなくとも、とっくに天音の脳裏には最愛の妹の顏が浮かんでいる。
いまや六道妖には二枚のカードがある。紅蓮の炎天使と、オメガヴィーナスの妹・郁美。
人質がひとりではなく、複数取られたことに天音の焦りはあった。最悪の場合、どちらかの犠牲は覚悟しなければならないかもしれない・・・
「卑劣な手段をとったこと。必ず後悔することになるわよ」
『キヒヒヒッ、勇ましいのう。悔しさが手に取るように伝わってくるぞぉ、オメガヴィーナス』
「なにがあなたの望みなの、骸頭? 私は逃げも隠れもしないわ。やりたいことがあるなら、堂々と言えばいい」
『なに、大したことではない。ヌシとの闘いに決着をつけたいだけじゃ。六道妖と白銀の光女神、どちらが生き残るのか? ・・・そろそろ決めようではないか』
不意に怪老の掠れた声が遠くなる。
代わりにスマホの向こうから聞こえてきたのは、うら若き乙女の喘ぎ声であった。
『ん”くぅ”っ・・・!! あ、はア”ァッ・・・!! あ、天・・・ねぇッ・・・!! き、来ちゃ・・・だめぇ・・・ぇ”はア”ァッ――ッ!?』
「郁美ッ!? 郁美ッ、しっかり、しっかりしてッ!! 骸頭ッ、郁美になにをしているのッ!?」
『ヒョッヒョッヒョッ!! 儂はなにもしとらんぞォ。ただ縛姫のヤツがヌシの妹を嫌っておってのう。儂の蛆虫を口いっぱいに頬張らせとるわい。下のおクチになぁ』
「縛姫ッ!! 郁美になにかあったら、私はあなたを許さないわッ!! やめなさいッ!! あなたの標的は私のはずでしょうッ!!」
『そうカッカッするでない、オメガヴィーナス。上下のクチから大量の涎を垂らしておるが、妹はまだ無事じゃ。まだ、のう。早く助けたくば、眼の前にある地図を見るがよい』
壁に貼られているのは、東京23区を中心とした地図であった。
2箇所に「×」印が記されている。東と西の端。直線距離にして、ざっと30kmというところか。
『ヌシの大切な者2名は、その印のところに別々に監禁しておる』
閃光のごときスピードを誇るオメガヴィーナスとて、常に最高速を維持することはできない。30kmを走破しようとすれば、早くても20分はかかるだろう。
骸頭ら六道妖の狙いが、天音にはわかった。
人質を分散することで、奪回を難しくしているのだ。仮にどちらかの人質をオメガヴィーナスに奪われたとしよう。20分もの余裕があれば、その間にもうひとりの人質を始末することもできるし、アジトを引き払い逃亡することもできる。結果的にオメガヴィーナスの人質救出作戦は失敗に終わる。
そうなることがわかっているから、白銀の光女神は無闇に抵抗できなくなる。六道妖が狙っているのはそこだった。わざわざ人質を取るのは、オメガヴィーナスの動きを少しでも封じるためなのだから。
「・・・私にどうしろというの?」
『好きにすればよい。先程も言うたじゃろう。儂が願っているのは、ヌシとの決着、それだけじゃ』
危うくスマホを握り潰しそうになるのを、懸命に天音はこらえた。
2人を同時に助けたい。しかし当然のことながら、オメガヴィーナスはこの世にひとりしかいない。敵がわざわざ人質の監禁場所を教えてくれても、天音が向かえるのはどちらか一方だけだ。
本来ベストな選択は、もっとも近郊に配置されているオメガカルラの到着を待つことだろう。六道妖に対抗できるのは、最強クラスの戦士でなければ到底覚束ない。だが、カルラにも持ち場がある以上、援軍をいつ期待できるかは不透明であった。
待てない。
それがオメガヴィーナス=四乃宮天音が出した結論だった。
切迫した郁美の悲鳴を聞いた後では・・・とても待ってなどいられなかった。今すぐにでも助けたい。極端にいえば、天音は愛する妹を守るために、オメガヴィーナスになったのだから。
『おっと、そうじゃ。言い忘れておったわい。オメガヴィーナスに変身することは許さんぞォ。四乃宮天音の姿のままで来い。妹の生首と対面したくなければのう』
耳障りな笑い声が、スマホの向こうで響いた。
スマホを破壊したかった。でも、しない。第一に、これは凛香さんのスマホだ。そして、六道妖とコンタクトを取る大事な通信手段だ。さらに言えば、潰したいのはスマホなどではない。六体の卑劣な妖化屍たちだ。
「今のうちに、笑っておくといいわ、骸頭」
天音の脚は再び走り出していた。
一瞬迷ったあと、西へ。地図に示された洋館のもとへ。
「あなたの意見に賛同するわ。決着をつけましょうッ、六道妖! 私は今、全力で・・・あなたたちを滅ぼしたいと思っているッ!!」
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