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34、AOV
しおりを挟む「ど、どうしたんですかッ、絵里奈さん!?」
「郁美ちゃんは私の側を離れないでね。司具馬ちゃん、『結界』でこの店全体を包んで。大丈夫、この店の北方には山、東には河川、西には大通り、南には池があって、四神相応により霊的磁場は高められているわ。観光名所になったパワースポットなんかよりは、断然作りやすいはずよ」
蒼碧の水天使の出現に合わせるように、司具馬もまた、戦闘態勢を整えていた。
先程まで愛撫に悶えまくっていた人物とは思えぬ機敏さで、素早く両手で印を結ぶ。なにやら真言らしき呪文を、長々と詠唱し始める。
『異境結界』を作る、というのが、オメガスレイヤーをサポートする『水辺の者』にとっては、必要不可欠な能力のひとつであった。
一定の空間を、現実世界と切り離す。とはいえ、完全に別次元に移行するようなSFチックな所業は、人間の技術では不可能だ。あくまで感覚的に、現世とのしがらみを遮断するというのが近い。
例えば、この『結界』のなかで悲鳴が起きようが爆発が起きようが、外の世界の者は一切気付かず感知しなくなる。実際には音として伝わっているのだが、脳が認識しないのだ。だから、『異境結界』内でいくら激しく衝突しようと、一般世間には妖魔との闘いがあったと知られることはなかった。
『結界』内にいた者は、どうにも不自然な違和感に襲われ、気付かぬうちに自分からその場を立ち去ることになる。今頃、『キャバクラ シーサイド』に在籍する全てのスタッフと朝キャバ通いの客は、体調不良や急な不安を感じて、店を出ていっているはずだ。
巷には心霊スポットやあかずの間など、人々が異様に不吉さを覚えて立ち入らなくなった場所が存在するが、あれらもまた『異境結界』の一種といえた。なかには、妖魔を封じたため、敢えて『結界』を張り続けている場所もあろう。
『異境結界』を作るにあたっては、霊的磁場が高い場所であることが最低限必要な要素であった。いわゆるパワースポットや神社仏閣が、それらに該当する地となる。
そのため、オメガスレイヤーをはじめとする破妖師たちは、霊的磁場の強い土地を把握しておくのが常であった。凛香や絵里奈が、自身の勤務先をパワースポット化しているのは、むしろ当然の備えかもしれない。
「できましたッ! 『異境結界』、完成です!」
緊迫した司具馬の声を聞かずとも、郁美にも事態の急変は察せられた。
なにかが、何者かが店のなかに侵入してきたのだ。まず疑いなく、それは妖化屍の敵襲であるはずだった。
郁美がスマホひとつで藤村絵里奈に辿り着いたのだ。妖化屍にネットワークがあるならば、オメガセイレーンの探索は決して不可能ではないだろう。
「悪いけど、司具馬ちゃんは残っているスタッフの子たちがいたら、避難させてくれないかしら? 郁美ちゃんは私が守るから」
「わかりました。しかし・・・大丈夫ですか!?」
「あら、私の心配? うふふ、ありがとうね。問題ないわぁ、この程度の相手なら・・・オメガセイレーンが負けることは有り得ないわ」
両手を腰にあて、蒼碧の水天使は妖艶に微笑んだ。
長袖のスーツからフレアミニ、翻るケープからロングブーツに至るまで、全てが鮮やかな青で統一されたコスチューム。モデル顔負けの長身のスタイルだけあって、突き抜けるような青色の爽快感がよく似合っている。腰にまで伸びた茶色のストレートヘアーが、シルクのように煌めいていた。
胸の谷間がはっきり拝める大胆なカット。丈の短いスーツから覗くお臍。濃紺のニーハイソックスの上で、存在を主張する絶対領域。
肌の露出が限られることで、逆にオトナのエロスが強烈に醸し出されている。
緊急事態であるにも関わらず、間近で見るオメガセイレーンの美姿態に、思わず郁美は見惚れてしまいそうになる。
「さあ、いきましょう」
司具馬が逆方向に駆け出すと同時。
郁美を背後に隠した蒼碧の水天使は、VIPルームを出て、広いラウンジへと脚を踏み出す。
すでにキャバ嬢も黒服も、一般の客人たちも、姿は見えなくなっていた。『異境結界』の成果だろう。
ただふたつの影だけが、オメガセイレーンの登場を待ちかねたように佇んでいる。
「あらぁ~? 誰が来たかと思えば・・・あなたたちだったのね」
かつて遭遇した妖化屍を前に、蒼碧の水天使はニッコリと笑ってみせた。
「あ、あなたたちはッ・・・〝百識”の骸頭と〝妄執”の縛姫ッ!!」
叫ばずにいられなかったのは、郁美の方であった。
忘れるわけがない。忘れられる、はずがない。
4年前の惨劇。その首謀者である不気味な怪老と、郁美自身が嬲られた女妖化屍とが、オメガセイレーンの元へとやってきた刺客であった。
「ヒョッ!! ヒョッヒョッヒョッ・・・! なんという僥倖じゃ! まさかこんなところに、オメガヴィーナスの妹がおるとはのう・・・。どうやら神は、我ら六道妖の味方のようじゃなあ!」
魔術師然とした皺だらけの老人が、甲高い声で笑う。
「あのときの・・・小娘ねェ~・・・。不愉快。不愉快だこと。オメガヴィーナスに近い者を見ると、この傷が疼いて仕方ないわ・・・」
かつて四乃宮家の姉妹を苦しめた紫のドレスの妖女は、顏の中央がクレーターのように陥没していた。
オメガヴィーナスに一撃を喰らいつつも、生き延びていたのだ。蛇を操るこの妖化屍が、〝妄執”の通称が示唆するように、白銀の女神への復讐を誓っているのは間違いない。
「お久しぶりね、〝百識”の骸頭。意外だったわぁ。まさか再び、私の前に現れるなんてね。4年前のあの日、命からがら逃げのびれたのを忘れたのかしら?」
「キヒ、ヒヒヒ・・・よもや忘れるわけがあるまい。虎狼の出現と雷雲がなければ、儂の寿命も絶えておったろうとて」
「せっかくの好運を、ムダにしなくてもいいのに。わざわざ、私との闘いに決着をつけに来てくれたの?」
奇しくも、4年前の山中で顏を合わせた4人が、キャバクラのラウンジに集結していた。
特にオメガセイレーンと骸頭とは、実際に闘った因縁がある。一瞬の隙を突いて逃げ出せたが、怪老は圧倒的な力の差を水天使に見せつけられた。
「新兵器の効果を、どうしても試してみたくてのう。逃げるのが精一杯であったヌシ相手だからこそ、真の威力がわかると思うてな」
取り出したバズーカの砲口を、骸頭はオメガセイレーンへと向けた。
両手を腰に当てたまま、思わず絵里奈は微笑を浮かべる。ロケットランチャーなどは、オメガの戦士に通用しない。照準が、ピタリと胸の『Ω』マークに当てられているのはわかるが、この紋章が単なる弱点と思ったら大間違いだ。
そう、確かに黄金の『Ω』マークは、オメガスレイヤーにとって重要な箇所であるのは確かだ。なぜなら、この紋章にこそオメガ粒子は集中しているのだから。
オメガ粒子の集積地ゆえ、『Ω』マークへの攻撃は全身のダメージとエネルギーの消耗へと繋がる。無敵の戦士から、超絶パワーを奪ってしまうのは間違いない。しかし、だからといって胸への攻撃に弱いというのは・・・勘違いといっていい。
耐久力自体は、『Ω』の紋章も他の箇所も、変わらないのだ。
4年前は、10億ボルトの落雷だったからこそ、胸への攻撃にダメージを受けた。バズーカの砲弾や火炎放射、レーザー光線程度の攻撃ならば、究極破妖師にはそもそも通じない。
オメガセイレーンが余裕を見せるのも当然だった。
縛姫も含めた、2対1でも負けることはない。そう確信するほどに、両者の間には実力差があった。
「・・・もしかすると、オメガスレイヤー最大の弱点は、その無類の強さ故の驕りにあるかもしれんのう」
手の内に隠していた〝あるもの”を、骸頭は投げ捨てた。
ひらひらと舞ったその布切れは、蒼碧の水天使の足元に落ちた。
「・・・『Ω』の・・・紋章?」
セイレーンが気付くと同時に、骸頭の指が引き金を弾いた。
轟音が響き、バズーカの砲口から緑色の光線が発射される。
ドオオウウウウウッッ!!!
「なッ!!?」
緑の光線が着弾するや、オメガセイレーンの胸の紋章が弾け飛んだ。
鮮血が、飛び散る。
左右の乳房を露わにした蒼碧の水天使は、真っ直ぐに後方へ吹き飛び、ボトルキープの棚へ激突した。
砕け散る酒瓶の破片とともに、ドシャリッと崩れ落ちるオメガセイレーン。
妖艶で、どこかほんわかとしたスレンダー美女は、白目を剥いてビクビクと痙攣していた。
「ッッ!!! え、絵里奈ッ・・・さ・・・ッ!!」
「キィッ~ヒッヒッヒィッ!! 愚かなりッ、オメガセイレーンッ!! 己の力を過信したのうッ!!」
失神した青の究極戦士に、〝妄執”の縛姫が悠然と近づく。その手にした縄もまた、緑色に妖しく光っていた。
二重、三重にと、絵里奈の首に巻き付ける。
強引に吊り上げ、青い美女の上半身を無理やり起こす。膝立ちになるまで吊り上げられたところで、オメガセイレーンは窒息の苦しみに意識を取り戻した。
「う”ッ、うう”ぐッ・・・!! かふッ! ・・・ぐゥ”ッ・・・くるし・・・い”ッ・・・!?」
「おやおや、不思議かね? 一撃で敗北したことが? たかが縄に窒息してしまうことが? なぁに、ヌシの肉体がオメガ粒子とやらを失ったと考えれば、なにもおかしくはあるまい」
だらだらと涎をこぼしながら、絵里奈の美貌が蒼白となる。
オメガスレイヤーの秘密を、研究されたというのか? あの、『Ω』の紋章を使って。
オメガ粒子を徹底的に分析され、これほどの効果を持つ対抗手段を生み出されたのならば・・・もはや妖化屍に対するオメガスレイヤーの優位は、無きに等しい。
(マズイ、わ・・・このことを・・・仲間に・・・天音ちゃんに・・・伝えなきゃ・・・ッ!!)
「これで、オメガスレイヤーを抹殺する準備は整ったのう」
再びバズーカの砲口を、骸頭は至近距離で絵里奈の胸へとピタリと当てた。
背後から縛姫に首を絞められ、仰け反った姿勢のセイレーンに、避ける術はない。
膝立ちの状態で、剥き出しの乳房に当てられた、冷たい砲口の感触に戦慄する。
「ああ”ッ・・・あ”ッ・・・!!」
「教えてやるぞい。儂が開発した反オメガ粒子ともいうべき物質は、ヌシらの活動を一般人以下に抑えるのじゃ。名付けてアンチ・オメガ・ウイルス。通称A.O.V.・・・〝AOV(オーヴ)”じゃ」
二発目の緑の光線が、藤村絵里奈の胸に照射された。
オメガセイレーンを根底から支えるものが、その内部で崩壊していく。
「きゃあああア”ア”ア”ッ~~ッ!!! うあア”ア”ア”ッ――ァ”ッ!!!」
バチバチと緑の光が露出した乳房の上で弾け、青のコスチュームが悶え踊る。
オメガセイレーンの断末魔の叫びが、薄暗いラウンジに響き渡った。
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