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好きになれない2
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「え? 俺? べつにどこにも帰ってないけど。と言うか、バイトしてたし」
「そうだよねー、まきちゃん。田舎に帰らないもんね」
地元銘菓とともにつぼみにやってきた日和を出迎えたのは、心なしかキャンプで黒くなった子どもたちと真木だった。いつもどおりの光景にほっとするが、到着するのが時間ぎりぎりになってしまった。
――いや、二人きりになるのを避けたわけじゃない……と思いたい。
もはや、心の中ですら「ない」と言い切れない。そんな自分のある種の素直さを恨みつつ、お土産を渡せば、凛音が無邪気に紙袋を覗き込む。どこにでもある、というか、全国津々浦々ほんのちょっと名称が違うだけの類似品が混在しているだろうただの饅頭だが、喜んでもらえるならなによりだ。
勉強が終わったら食べようと盛り上がっているところで、そういえば、と聞いてみたのは、ちょっとした好奇心だったのだけれど。
「というか、まきちゃんの実家って、どこだっけ。和くんと一緒なんだっけ」
続いた恵麻の台詞に、日和は密かに耳を大きくした。知りたいと思うのは人情だ。恋心と表現したほうがもしかすると正確かもしれないが、それはさておく。
「んー、田舎。なにもないようなところ。同じ県内だけど、こことは大違いだな」
「そんなに? ちょっと行ってみたいかも。まきちゃんは帰りたくなったりしないの?」
「この年になると、帰るのなんて正月くらいでいいかなと思うようになるんだよ」
「あれ? でも、今年のお正月もまきちゃん帰ってなくない? 警備員さんのバイトしてたって、優海さんが言っていたような」
ほんのわずか。言い淀むように苦笑して、真木が応じた。「よく覚えてるな、そんなこと」
「あたし、記憶力はいいんだー。すごいでしょ」
「すごい、すごい。だから、その記憶力を活かして勉強してこい、勉強」
ほら、と自分を指されて、日和はワンテンポ遅れて頷いた。
「そうだね。じゃあ、始めようか。紺くんたちも」
少し離れたところでゲームをしていた少年たちにも声をかける。率先して勉強部屋に足を向けながら、日和は内心でひっそりと首を傾げた。
――なんか、真木さん。地元の話をえらく嫌がっていたような。
だが思い返してみれば、愛実も言っていた。羽山も真木も昔の話は口にはしない、と。それに。
――なんて言ってたっけ。あのとき。
はじめて二人で帰った、あの夜道。羽山と地元が一緒だと言っていた真木は。
――誰も知り合いのいないだろう大学を選んだってのに、あいつがいて。
いや、と日和は考えるのを止めた。誰にだって、触れられたくない部分はあるだろう。
この人は、きっといつも人の中心にいる。ヒエラルキー上位の人種。そんなふうに漠然と思っていたけれど。
――帰らない、のかな。それとも、帰れない、のかな。
考えないようにしようと決めた直後に、そんなことを思ってしまった。つい半月前に見たばかりの顔が浮かぶ。帰省を喜んでくれる家族に親戚。自分は恵まれている。感謝を抱くと同時に、でも、とも日和は思った。
それは、自分が彼らの望む道のただなかにいるからだ。
「あれ、それ。もしかして」
背後からひょいと手元を覗かれて、日和は手からスマートフォンを取り落としかけた。というか、いきなり、人の手元を覗き込むな。そんな不満を視線に込めつつ、日和は振り返った。大講義室の一番後ろで、授業開始の鐘が鳴るのを待つばかりだったので、キャンプの写真を整理していたのだ。次につぼみに行くときにデータを渡す約束になっている。
「あー、ごめん。驚かせた?」
「いや、いいけど。というか、もしかしてってなに?」
そのまま隣の席に腰を落ち着けた水原に、仕方なく問いかける。ゼミでは話すことはままあるが、大教室の授業を並んで受けるような間柄ではない。
「さっきの写真、ちょっと見せてくれない?」
「え……と。あの、ボランティア先の子も写ってるし」
なんとはなく渡しづらく、日和はスマートフォンを握りしめた。誰にも見られないと思って、気を抜いて広げていたのは自分だけれど。その反応をどう取ったのか、「違う、違う」と水原が弁明する。
「べつに小さい子を見たいとかじゃないから。というか、俺らロリコンとか一番思われちゃ駄目な課程だろ」
「……まぁ、それはそうだけど」
「だから、そうじゃなくて。さっきの写真のさ、男の人」
「え?」
「基生さんじゃない? 変わってなくてびっくりして」
出てきた名前に、日和は固まった。
「知り合い?」
「知り合いというか、まぁ、知り合いか。地元の先輩。懐かしいな。元気にやってるんだ、基生さん」
「まぁ、……元気だと、思う、けど」
歯切れの悪い返事になったのは、頭の理解が追い付いていないからだ。水原も確か一人暮らしをしていたはずだ。ということは、やはり真木と同じ地域の出身なのだろうか。
――世間って、案外、狭いんだな……。
呆れ気味にそんなことを思う。とは言え、同じ県内だ。そういうこともあるのかもしれない。
――けど。普通、四つも年が離れてたら、顔が割れるようなことってなくないか?
中学校も高校も被らないだろうから、部活の先輩後輩ということもないだろう。そんなことを考えているうちにチャイムが鳴る。いつのまにか姿を現していた講師が、前回の続きから、と教科書のページを指定しているが、この大教室にいる学生の三分の一も聞いていまい。
その大多数の一人である水原も、声量を少し落としただけで、話をやめなかった。
「ミニバス時代の先輩でさ。俺、バスケやってたんだけど。基生さん、中学とか高校とかに行ってからも、たまにミニバスの練習に顔を出してくれたから」
「あぁ、それで」
そういえば、バスケが強いだなんて話があったような。得心して日和は頷いた。体育会系の繋がりか。自分には縁遠い話だ。
「すごい人だったんだけど。高校のときはいろいろあって大変そうだったからさ。他人事ながら気になってたんだけど。まさか、こんなところで消息を知るとは思わなかった。世間って狭いな」
「いろいろ?」
無視できずに繰り返した日和に、水原が言い淀む。
「噂でしか知らない話だし。それに、おまえ、今、基生さんと一緒なんだろ? さすがに俺の口からは言えないって」
「……なら、中途半端に気になること言うなよ」
声のトーンが自ずと下がる。「だから、ごめんって」と謝りながらも、水原は手慰みにボールペンを回している。
「懐かしい顏を見たから、びっくりしちゃって。それで、つい」
「……」
「それだけだって。というか、怖ぇよ、日和のその顔。黙るとやたら迫力あって怖いんだもん。美形って嫌だなー」
笑って誤魔化された気しかしないが、問い詰めて気持ちのいい話でもないだろう。日和は溜息一つで、閉じたままだった教科書に手を伸ばした。
「まぁ、でも。元気にやってるなら、よかった」
ひとり言の調子で水原が言う。
「あの人が覚えてるかどうかはわからないけど、俺のことは言わないでね」
「俺のことって……」
「だから、地元の知り合いが、今を知ったって気持ちのいいものじゃないだろ。特に、基生さんみたいに地元を捨てた人からしたら」
「帰れない」じゃなくて、「帰らない」。本人の関知しないところで、知るのは卑怯だ。わかっていて、けれど、零れてしまった。
「それって、あの人のさ」
「うん?」
「恋愛のこととかに、関係あったりする?」
知らなければ、伝わらないだろう、あやふやなぼかし方を選んだのは、最後の一線だった。水原は驚いた顔で日和を見つめて、なんだ、と嘆息した。
「知ってたんだ? その、男が好きって話」
「知ってたというか、真木さんがあんまり隠してないから」
「へぇ」
意外そうに相槌を打って、水原がまたペンを回す。時計の針を無理やり逆回転させるように。教室の喧騒は遠かった。
「それは俺からするとちょっと意外というか、……まぁ、でも、いいことなのかな。隠さなくてすむなら」
「……昔は違ったんだ?」
「うちの地元って結構、田舎でさ。そういう、なんて言うの? 偏見とかもあったし。基生さんの家も、堅い感じのお家だったし」
想像は容易についた。例えば、日和がゲイだったとしても、地元では公言できない。すぐに噂になって広がるからだ。そして家族にも風評の被害が及ぶ。そんな、田舎。
「でも、実際に『そう』なのかどうかは、俺ははっきりと聞いたわけじゃなくて。どちらかというと、嵌められたんじゃないかなって俺ら後輩は話してたんだけど」
「嵌められたって、そういう噂とかが広がったってこと?」
「あの人が高二くらいのときの話だし。そのころ、俺は中一だったしさ。学校も違うし、詳しいことは知らないけど。部活で揉めたのは事実だと思う」
部活というのは、バスケットボール部だろう。恵麻たちの話が本当なら、全国大会にも出たことがあるという、それ。
「なんというか、らしいと言えばらしいんだけど。当の本人が弁明の一つもしないもんで。でかい声ばかりが目立っちゃった、みたいな。嫌になったのか、基生さんはあっさり途中で辞めるし」
本当に上手だったんだけどな。水原が惜しむように言う。どんな噂だったのかは知らないが、弁明をしなかったというのはたしかに「らしい」。でも。
――聞かないほうが、よかったかな。
聞いたところで、どうにもできないことを知ってしまった。本来なら、聞くとしても当人からにすべきところを、自分の興味本位で。
「まぁ、そんなわけで、ぜんぜん帰ってこなくなったの、あの人。ミニバスとかの連中と集まることがあっても、顔も出さないし。というか、むしろ誰も連絡先を知らないんじゃないのかな」
「でも、えぇと。羽山さんとは今も会ってるよ」
「うそ」
今も誰とも連絡を取っていないわけではないと伝えなければならないような謎の義務感に駆られて。羽山の名前を出した日和に、水原はぽかんとした顔をして、それから小さく叫んだ。
「ひでぇ! 和さん、今までそんなこと言わなかったのに!」
「知り合い?」
「和さんも俺の先輩。和さんは現役は中学までだったけど。その後もボランティアのコーチみたいな感じで、ミニバスのほうには来てくれてたから、ずっと」
次に会うのいつだ。正月か。絶対、聞き出してやる。あれ、でも、待てよ、そうすると、俺がなんで知ってるんだって話になるな。一人で悩み出した水原に苦笑を残して、日和は教卓に視線を向けた。どこまで進んだのか把握できない板書をルーズリーフに書き写しながら、聞かなければよかったかなともう一度、己に問いかける。
知って、なにがどう変わるというものではないとも思う。ただ。第三者から聞いていいものでもないともわかっている。
――まぁ、俺がうっかり口を滑らさない限り、バレることはないと思うけど。
結論付けて、日和はペンを走らせた。書き洩らしたまま消えた板書はいくつかあるが、たぶん、なんとかなるだろう。
けれど、もし。
考えても詮無いことを、日和は頭の片隅で考えていた。
もし、俺が聞いたら。忘れたいと思っていたのだろうことでも、あの人は教えてくれただろうか、と。
「そうだよねー、まきちゃん。田舎に帰らないもんね」
地元銘菓とともにつぼみにやってきた日和を出迎えたのは、心なしかキャンプで黒くなった子どもたちと真木だった。いつもどおりの光景にほっとするが、到着するのが時間ぎりぎりになってしまった。
――いや、二人きりになるのを避けたわけじゃない……と思いたい。
もはや、心の中ですら「ない」と言い切れない。そんな自分のある種の素直さを恨みつつ、お土産を渡せば、凛音が無邪気に紙袋を覗き込む。どこにでもある、というか、全国津々浦々ほんのちょっと名称が違うだけの類似品が混在しているだろうただの饅頭だが、喜んでもらえるならなによりだ。
勉強が終わったら食べようと盛り上がっているところで、そういえば、と聞いてみたのは、ちょっとした好奇心だったのだけれど。
「というか、まきちゃんの実家って、どこだっけ。和くんと一緒なんだっけ」
続いた恵麻の台詞に、日和は密かに耳を大きくした。知りたいと思うのは人情だ。恋心と表現したほうがもしかすると正確かもしれないが、それはさておく。
「んー、田舎。なにもないようなところ。同じ県内だけど、こことは大違いだな」
「そんなに? ちょっと行ってみたいかも。まきちゃんは帰りたくなったりしないの?」
「この年になると、帰るのなんて正月くらいでいいかなと思うようになるんだよ」
「あれ? でも、今年のお正月もまきちゃん帰ってなくない? 警備員さんのバイトしてたって、優海さんが言っていたような」
ほんのわずか。言い淀むように苦笑して、真木が応じた。「よく覚えてるな、そんなこと」
「あたし、記憶力はいいんだー。すごいでしょ」
「すごい、すごい。だから、その記憶力を活かして勉強してこい、勉強」
ほら、と自分を指されて、日和はワンテンポ遅れて頷いた。
「そうだね。じゃあ、始めようか。紺くんたちも」
少し離れたところでゲームをしていた少年たちにも声をかける。率先して勉強部屋に足を向けながら、日和は内心でひっそりと首を傾げた。
――なんか、真木さん。地元の話をえらく嫌がっていたような。
だが思い返してみれば、愛実も言っていた。羽山も真木も昔の話は口にはしない、と。それに。
――なんて言ってたっけ。あのとき。
はじめて二人で帰った、あの夜道。羽山と地元が一緒だと言っていた真木は。
――誰も知り合いのいないだろう大学を選んだってのに、あいつがいて。
いや、と日和は考えるのを止めた。誰にだって、触れられたくない部分はあるだろう。
この人は、きっといつも人の中心にいる。ヒエラルキー上位の人種。そんなふうに漠然と思っていたけれど。
――帰らない、のかな。それとも、帰れない、のかな。
考えないようにしようと決めた直後に、そんなことを思ってしまった。つい半月前に見たばかりの顔が浮かぶ。帰省を喜んでくれる家族に親戚。自分は恵まれている。感謝を抱くと同時に、でも、とも日和は思った。
それは、自分が彼らの望む道のただなかにいるからだ。
「あれ、それ。もしかして」
背後からひょいと手元を覗かれて、日和は手からスマートフォンを取り落としかけた。というか、いきなり、人の手元を覗き込むな。そんな不満を視線に込めつつ、日和は振り返った。大講義室の一番後ろで、授業開始の鐘が鳴るのを待つばかりだったので、キャンプの写真を整理していたのだ。次につぼみに行くときにデータを渡す約束になっている。
「あー、ごめん。驚かせた?」
「いや、いいけど。というか、もしかしてってなに?」
そのまま隣の席に腰を落ち着けた水原に、仕方なく問いかける。ゼミでは話すことはままあるが、大教室の授業を並んで受けるような間柄ではない。
「さっきの写真、ちょっと見せてくれない?」
「え……と。あの、ボランティア先の子も写ってるし」
なんとはなく渡しづらく、日和はスマートフォンを握りしめた。誰にも見られないと思って、気を抜いて広げていたのは自分だけれど。その反応をどう取ったのか、「違う、違う」と水原が弁明する。
「べつに小さい子を見たいとかじゃないから。というか、俺らロリコンとか一番思われちゃ駄目な課程だろ」
「……まぁ、それはそうだけど」
「だから、そうじゃなくて。さっきの写真のさ、男の人」
「え?」
「基生さんじゃない? 変わってなくてびっくりして」
出てきた名前に、日和は固まった。
「知り合い?」
「知り合いというか、まぁ、知り合いか。地元の先輩。懐かしいな。元気にやってるんだ、基生さん」
「まぁ、……元気だと、思う、けど」
歯切れの悪い返事になったのは、頭の理解が追い付いていないからだ。水原も確か一人暮らしをしていたはずだ。ということは、やはり真木と同じ地域の出身なのだろうか。
――世間って、案外、狭いんだな……。
呆れ気味にそんなことを思う。とは言え、同じ県内だ。そういうこともあるのかもしれない。
――けど。普通、四つも年が離れてたら、顔が割れるようなことってなくないか?
中学校も高校も被らないだろうから、部活の先輩後輩ということもないだろう。そんなことを考えているうちにチャイムが鳴る。いつのまにか姿を現していた講師が、前回の続きから、と教科書のページを指定しているが、この大教室にいる学生の三分の一も聞いていまい。
その大多数の一人である水原も、声量を少し落としただけで、話をやめなかった。
「ミニバス時代の先輩でさ。俺、バスケやってたんだけど。基生さん、中学とか高校とかに行ってからも、たまにミニバスの練習に顔を出してくれたから」
「あぁ、それで」
そういえば、バスケが強いだなんて話があったような。得心して日和は頷いた。体育会系の繋がりか。自分には縁遠い話だ。
「すごい人だったんだけど。高校のときはいろいろあって大変そうだったからさ。他人事ながら気になってたんだけど。まさか、こんなところで消息を知るとは思わなかった。世間って狭いな」
「いろいろ?」
無視できずに繰り返した日和に、水原が言い淀む。
「噂でしか知らない話だし。それに、おまえ、今、基生さんと一緒なんだろ? さすがに俺の口からは言えないって」
「……なら、中途半端に気になること言うなよ」
声のトーンが自ずと下がる。「だから、ごめんって」と謝りながらも、水原は手慰みにボールペンを回している。
「懐かしい顏を見たから、びっくりしちゃって。それで、つい」
「……」
「それだけだって。というか、怖ぇよ、日和のその顔。黙るとやたら迫力あって怖いんだもん。美形って嫌だなー」
笑って誤魔化された気しかしないが、問い詰めて気持ちのいい話でもないだろう。日和は溜息一つで、閉じたままだった教科書に手を伸ばした。
「まぁ、でも。元気にやってるなら、よかった」
ひとり言の調子で水原が言う。
「あの人が覚えてるかどうかはわからないけど、俺のことは言わないでね」
「俺のことって……」
「だから、地元の知り合いが、今を知ったって気持ちのいいものじゃないだろ。特に、基生さんみたいに地元を捨てた人からしたら」
「帰れない」じゃなくて、「帰らない」。本人の関知しないところで、知るのは卑怯だ。わかっていて、けれど、零れてしまった。
「それって、あの人のさ」
「うん?」
「恋愛のこととかに、関係あったりする?」
知らなければ、伝わらないだろう、あやふやなぼかし方を選んだのは、最後の一線だった。水原は驚いた顔で日和を見つめて、なんだ、と嘆息した。
「知ってたんだ? その、男が好きって話」
「知ってたというか、真木さんがあんまり隠してないから」
「へぇ」
意外そうに相槌を打って、水原がまたペンを回す。時計の針を無理やり逆回転させるように。教室の喧騒は遠かった。
「それは俺からするとちょっと意外というか、……まぁ、でも、いいことなのかな。隠さなくてすむなら」
「……昔は違ったんだ?」
「うちの地元って結構、田舎でさ。そういう、なんて言うの? 偏見とかもあったし。基生さんの家も、堅い感じのお家だったし」
想像は容易についた。例えば、日和がゲイだったとしても、地元では公言できない。すぐに噂になって広がるからだ。そして家族にも風評の被害が及ぶ。そんな、田舎。
「でも、実際に『そう』なのかどうかは、俺ははっきりと聞いたわけじゃなくて。どちらかというと、嵌められたんじゃないかなって俺ら後輩は話してたんだけど」
「嵌められたって、そういう噂とかが広がったってこと?」
「あの人が高二くらいのときの話だし。そのころ、俺は中一だったしさ。学校も違うし、詳しいことは知らないけど。部活で揉めたのは事実だと思う」
部活というのは、バスケットボール部だろう。恵麻たちの話が本当なら、全国大会にも出たことがあるという、それ。
「なんというか、らしいと言えばらしいんだけど。当の本人が弁明の一つもしないもんで。でかい声ばかりが目立っちゃった、みたいな。嫌になったのか、基生さんはあっさり途中で辞めるし」
本当に上手だったんだけどな。水原が惜しむように言う。どんな噂だったのかは知らないが、弁明をしなかったというのはたしかに「らしい」。でも。
――聞かないほうが、よかったかな。
聞いたところで、どうにもできないことを知ってしまった。本来なら、聞くとしても当人からにすべきところを、自分の興味本位で。
「まぁ、そんなわけで、ぜんぜん帰ってこなくなったの、あの人。ミニバスとかの連中と集まることがあっても、顔も出さないし。というか、むしろ誰も連絡先を知らないんじゃないのかな」
「でも、えぇと。羽山さんとは今も会ってるよ」
「うそ」
今も誰とも連絡を取っていないわけではないと伝えなければならないような謎の義務感に駆られて。羽山の名前を出した日和に、水原はぽかんとした顔をして、それから小さく叫んだ。
「ひでぇ! 和さん、今までそんなこと言わなかったのに!」
「知り合い?」
「和さんも俺の先輩。和さんは現役は中学までだったけど。その後もボランティアのコーチみたいな感じで、ミニバスのほうには来てくれてたから、ずっと」
次に会うのいつだ。正月か。絶対、聞き出してやる。あれ、でも、待てよ、そうすると、俺がなんで知ってるんだって話になるな。一人で悩み出した水原に苦笑を残して、日和は教卓に視線を向けた。どこまで進んだのか把握できない板書をルーズリーフに書き写しながら、聞かなければよかったかなともう一度、己に問いかける。
知って、なにがどう変わるというものではないとも思う。ただ。第三者から聞いていいものでもないともわかっている。
――まぁ、俺がうっかり口を滑らさない限り、バレることはないと思うけど。
結論付けて、日和はペンを走らせた。書き洩らしたまま消えた板書はいくつかあるが、たぶん、なんとかなるだろう。
けれど、もし。
考えても詮無いことを、日和は頭の片隅で考えていた。
もし、俺が聞いたら。忘れたいと思っていたのだろうことでも、あの人は教えてくれただろうか、と。
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